まずはここから
一人の少年が馬車に乗って移動していた。
外見から察するに十六、七歳の少年だが、顔立ちはやや中性的でどちらかと言えば少し少女っぽいところがあるかもしれない。華奢な体や膝の辺りの高さまで伸びた黒い髪もそう思わせる要因だろう。
その顔立ちに反して身につけているものは至って飾り気のない少年らしいものだ。白い長袖シャツの上から袖のない黒いコートを羽織っていて、アクセサリーの類は一切見受けられない。その格好と鋭さを感じさせる両目が、彼が少年であることを示していた。
「……そろそろだな」
呟き、少年は自身の隣に置いてあったものを手に取った。持つとずっしりとした重みのあるそれは二本の刀。銃剣類の携帯が禁じられている、ということはないが、彼のように常日頃から持ち歩いている人物は珍しかった。
やがて馬車は停止し、規則的だった揺れも収まる。少年は刀を腰の左右に一本ずつ吊るすと馬車を降りた。
✚✚✚
田舎というには大きくて、都会というには少し小さい。街と言うよりは村。それがミルトという場所だった。
平和が取り柄のこの村では人々が互いに協力し合って半ば自給自足にも近い生活を送っている。犯罪にも争いごとにも縁がなく、街で働き続けだった人たちが老人になって余生を過ごすにはこれ以上なくうってつけ。
そういう静かで穏やかな村なのだが――
「離してください! 私は何もしてないです!」
「嘘をつけ! ついさっき万引きをしただろう!」
今日は珍しくその静寂が言い争いの声で破られていた。言い争っているのは幼い少女と髪が灰色の少年だ。
「そんなことしてないです!」
少女の方は少年に腕を掴まれ、それを振りほどこうと必死になっている。十代の半ばに見えるその少女は少年を睨みつけたりもしているのだが、顔立ちが幼いためかその視線は威嚇の役割を果たせていない。小柄な体や幼い顔立ちで物語の中の妖精のような印象すら抱かせる少女だが、この場では完全に逆効果のようだ。
「してないなら逃げる必要なないだろ!」
対する灰色の髪の少年は少女よりいくらか年上だろうか。言葉は荒々しいが瞳はどこか気怠そうで力がなかった。紺色のジャケットの左胸の辺りには小さな長方形のプレートが付けられていて、そこにはスペードのマークと数字の六が刻まれていた。
「追ってくるから逃げちゃっただけです!」
「やましいことがあったから逃げたんだろう!」
水掛け論のように同じことを繰り返し怒鳴り合う二人。村の住人も何事かと様子を見に来ているが、少年の方を見ては皆顔を反らして離れていった。逃げるというよりは、気にしなくても大丈夫そうだから、という感じだ。
そうしてほとんどの人々が二人を尻目にそれぞれの日常に帰っていった頃、誰一人気にも留めなかった二人の前に一人の少年が現れた。
「……うるさいな。何をしている」
鋭さを感じさせる両目に長い黒髪。どちらかと言えば少女寄りの中性的な顔立ちに黒いコートに包まれた細い体。腰の左右に一本ずつ刀を吊るしたその少年は、道の真ん中で言い争っていた二人に明らかに苛立った視線を向けていた。
「なんだお前は。余計な口出しをしないでもらおうか」
突然現れた黒髪の少年にあからさまに嫌そうな顔をして答えたのは灰色の髪の少年だ。部外者がしゃしゃり出てきたのが気に食わないのだろう。
しかし黒髪の少年もそんなことは全く気にしない。
「万引きだとか言っていたな。……おい、したかしていないか、それだけ答えろ」
灰色の髪の少年のことは完全に無視して少女の方に問いかける。それが余計に少年の神経を逆撫でしているのだが、それすら無視しているのか気にしていないのか。
「……してないです」
とにかく少女はそう答えた。少なくとも場の雰囲気が黙っていられるようなものではなかったからだ。
少女の答えを聞いた黒髪の少年は再び視線を戻し、さっきまでよりわずかに低い声で脅すように言う。
「そう言っている。もういいだろう」
「何を言ってるんだ? そんなの信じられるわけないだろう!」
当然それで納得できるわけがなく灰色の髪の少年はむしろ声を荒げたが、それで首をすくめたのは少女だけだ。黒髪の少年は怒鳴り声で余計に機嫌が悪くなったかのように両目を細くした。
「うるさい。さっさと消えろ」
ただそれだけの言葉で、傍らに立っていただけの少女の背筋に寒気が走った。刃物を首に添えられたような、銃口を頭に突きつけられたような、形容しがたい恐怖心が全身を襲う。一言にそれだけの迫力があった。
言葉を直に向けられた灰色の髪の少年も同様らしく、絶句したまま固まっている。
「していないと言うからにはしていないのだろう。証拠もない内から喚くな」
声音は恐ろしいまま、しかしかなり子供っぽい理論で黒髪の少年は少女を擁護した。その迫力に押された灰色の髪の少年が思わず一歩退く。
「くそ……覚えていろッ!」
そしてそのまま黒髪の少年に背を向けて逃げ出した。何も黒髪の少年の論を認めたわけではなく、恐らくはただ純粋に恐怖心に勝てなかったのだろう。
そうしてその場に残った少女が黒髪の少年の顔を覗き込むと、
「……名前も知らん相手の何を覚えていろと?」
本気で困っている表情をしていた。
「お主、またやったのか。少しは大人しくしてみたらどうじゃ?」
取り残された二人はしばらくの間お互いにどうするわけでもなく突っ立てっていたのだが、そこに声がかけられた。
「……グストか」
黒髪の少年が振り向くと、そこにいたのはまだかなり幼い子供だった。外見はまだ十歳かそこらの少年で、赤い袴を身につけているがなぜか上半身には衣服を一切纏っていない。左腕には包帯を巻いていて足元には下駄、しかも髪の毛は袴よりもさらに炎のように真っ赤という、なんとも珍しい格好をした子供だった。
「その調子じゃその内手配されてしまうじゃろ」
さらには外見に似合わない老人のような口調の子供――グストだが、黒髪の少年は一切気にしている様子がない。
「仕方がない。俺はこの女が困っていたから……」
少女の方に顔を向け、なぜかそこで言葉に詰まる少年。
「……貴様、女だよな?」
この上なく真面目な表情でとんでもないことを訊いた。
「わ――私は女の子ですー!」
途端に少女の顔が真っ赤になり、少年に向かってがむしゃらに握り拳を突き出す。どうやら相当怒ったらしい。当然と言えば当然だが。
「イリーナ・ミチェリカって名前なんです! 女の子です!」
少女――イリーナの方が少年より頭一つ分背が低いために突き出された握り拳はほとんどが腹の辺りに命中した。しかし別に痛くもないらしく、少年の方は避けようともしない。むしろそのまま困り顔で首を傾げたりしている。
「しかし顔も中性的な上、その服装では間違えても無理はないだろう」
さらに失礼な暴言を重ねたりもしている。
確かにイリーナの服装はズボンと藍色のシャツに、その上から赤い上着を羽織っているだけで飾り気は一切ない。しかもショートヘアで顔立ちも幼いから、ちょっと外見を見ただけでははっきり女だとは分かりにくいかもしれなかった。
「そ、そんなこと言ったらあなただって女の子に見えます!」
「な……っ! 俺は男だ!」
すると今度は少年の方がイリーナからの反撃を受けてたじろぐ。少年の方は女に見えると言うほどではないが、中性的な顔立ちなのは確かだった。体格や長髪も相まって女に見えないこともない、という感じだ。
どうやら二人とも性別を誤解されることはよくあるらしく、むきになって男だ女の子だと主張し合っている。その言い合いの様子は幼児の口げんかのようだった。
「お主ら、子供か」
思わず呟いたグストの一言で、二人ともはっと我に返った。今度は途端に黙り込み、なぜか牽制し合うようにお互いをじっと睨み合っている。
「……帰る」
やがて少年の方がそっぽを向いて歩き出してしまった。イリーナが慌ててその後を追う。
「あの、お礼が遅れてすいません! お名前、なんていうんですか?」
「レヴィア・エルクルだ」
「……え?」
しかし、なぜかイリーナは名前を聞いた途端に驚いたような表情をする。まるで予想外の答えが返ってきたかのようだ。
「どうした? そう珍しい名ではないだろう」
「あ、いえ、なんでもないです……」
訝しむ少年――レヴィアに手を振って笑顔を作るイリーナ。レヴィアの方もあまり問い詰めるような気もないらしく、そのまま背を向けて去っていった。
✚✚✚
ミルトから続くあまり整備されていない道を歩きながら、灰色の髪の少年は気怠そうに欠伸を漏らした。
「なんかさ、さっきの本気でビビってると思われてたら嫌じゃない?」
その口調はさっきまでとはまるで別人のようだ。ただ道を歩くその様子からも、さっきまでの激しく少女を問い詰めていたのとはまったく違う、ゆったりとした雰囲気を感じることができる。
「なんだか本当にビビってるみたいに見えてたりしてたんだよ、ロクローンくん」
その隣にはついさっきまでいなかったはずの少女がいた。
外見を見た感じでは完全に幼い子供だが、しかしよく見るとあまり子供らしくはない。水色のワンピースにサンダルというどこにでもいそうな格好の少女には表情がなかった。ロクローンと呼んだ少年に向けて小首を傾げるとショートカットの髪が揺れるが、本人の表情は全く動かない。笑顔でも見せれば年相応の子供に見えるのだろうが、鉄の仮面を被っているかのように無表情の少女は外見だけ子供で中身は大人のような、アンバランスさを感じさせた。
「十歳の子供にビビッて見えてたって言われるとショックだな……」
いかにも芝居がかった動作でロクローンが頭を抱える。隣の、確かに外見から察するに十歳に見える少女はその言葉に怒ったのか、すっと目を細めた。目以外の表情の変化はないためか、子供だがそれなりに怖く見える。
「ロクローンくん、ミーヤは十歳でも子供でもなかったりするんだよ」
「ミーヤ、残念だけど君の実年齢は十歳で、普通はそれくらいの人のことを子供って呼ぶんだよ?」
しかし目を細めてみようが何をしようが結局は子供。ロクローンが少女――ミーヤを怖がるようなことがあるはずもなかった。
それが気に入らないのか、ミーヤはロクローンの腹を軽く殴ってみせる。
「ミーヤの精神年齢は十七歳くらいだったりするんだよ。ロクローンくんと同い年なんだよ」
「実年齢に七つの差があるし、同い年っていうのやめてくれる? ていうかミーヤは実験の影響で偶然そうなっただけだしさ」
「実験の影響なんかなくたってミーヤは大人だったりするんだよ」
実験という、なんだか物々しさを感じさせる単語を当たり前に会話の中で使う二人。とは言え、ロクローンの方は頭を掻いて、
「ていうか実験の影響で人格変わるってどうなの? ぶっちゃけ実験って何やってんの?」
自分で使っていた単語のこともあまり理解していないようだった。
ミーヤはそんなロクローンに分かりやすく露骨にため息をつき、
「実験っていうのは業を人工的に目覚めさせるためのものだったりするんだよ。……まさか業が分からないとか言ったりする?」
「いや、それはない」
子供のように諭されるロクローンは、そもそも話し相手が子供ということもあって少し焦ったように言う。このままこっちが子供扱いされることになったりしたらたまらない、といった様子だ。
「確か、魂の中に眠る人間の潜在能力……だっけ? 俗に言う超能力だけど、考えてみればかなりオカルトだよね」
業――それはロクローンの言う通り、全ての人間が本来持っているとされる魂の力のことだ。限られた人間にのみ発現する、いわゆる超能力。
自身の能力を高めたり、周囲のものを操ったりと強力な能力を得ることができる業だが、行使する際の能力者への負荷が大きく危険な力でもある。
ちなみに業の名の由来は、その昔、この能力が人々から呪いだと思われていたことにある。何の知識もない昔の人々にとって、業はまさしく得体のしれない呪いだったのだろう。前世で悪行を行った人間に降りかかる業。実際は誰にでも発現し得る能力だが、名称は現在でもそのまま使われているのだ。
ロクローンの返事を受けて、ミーヤは頷いた。
「実験では被験者の肉体や精神に強い負荷を強いることで強制的に業を発現させたりするんだよ。そのせいで人格が歪んだりすることはよくあることだったりするんだよ」
ちなみにミーヤは実験前から大人だったりするんだよ、と付け加えてミーヤは腰に手を当てた。ついでに胸を張ったりもしているが、悲しいかな十歳の体では何一つとして強調されるものはない。
つまり、ミーヤは人為的に業を発現させるための実験を受け、その結果として心のみが歪んで成長してしまったということだ。外見と実年齢は十歳だが、心は十七歳。ミーヤという少女は、そういう不完全な人間だった。
「……トランプなんか、なければよかったのにね」
偉そうに腰に手を当てて胸を張るミーヤから目を逸らし、ロクローンはぽつりと呟いた。