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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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水の都で恋をして

 留置所兼取調室を出た二人は、駐屯所の建物をぐるりと囲むロッジアを並んで歩く。

 今日はよく晴れているおかげで、差し込む陽光にほのかな温もりを感じる。まだまだ冬はこれからだが、あまり雪の降らない王国ではある程度気温を保ったまま春へと移り変わる。と言っても雪国を知らなければ十分寒いので、油断は禁物だ。


「なんだか変な感じでした」

「どういう風に?」

「すっきりしないっていうか……。あの人――アリシアさん、昨日遭遇した時とはまるで別人で。私、内心ビクビクしてたんですよ。いきなり魔術を撃ってくるんじゃないかって」


 これまでは、相手が一方的に自分のことを知っているのが怖かった。しかし昨日の件で一方的ではなくなり、多少はマシになるかと思いきや、アリシアの狂気に当てられて更に苦手意識が高まった。その気持ちを抑えてまで彼女の取り調べに立ち会ったのは、アリシアは脅威ではなくなったんだと自分に言い聞かせるため、というのも理由の一つ。

 なのに出てきたのは見た目が同じだけの別人で。いや別人のような同一人物で。ある意味、もっと怖い。


 綺麗だけど儚げで、どこか現実味の欠けた姿。その埋め合わせを狂気でしてしまったのが、今朝までのアリシア・キャラハンだったのだろう。

 彼女のやったことは絶対に許せない。なのにあの姿を見ると頭の片隅がモヤモヤとして、憤りだとか正論だとかをぶつける先を見失ってしまった。


「何の憂いもなく、『捕まってよかった!』って言いたかったなぁ」

「そうだね」


 短いが頷きが返ってくる。クラエスも同じ気持ちだと分かり、リルレットは少しほっとした。けれどすぐにその顔が曇る。


「……私たち、もっと怒るべきなんですかね? 酷い目に遭わされたんだし」

「無理やり怒りを演出したって意味などないさ。虚しいし、たぶん冷静になったら恥ずかしい」

「恥ずかしいのはイヤですね……」

「あと」


 まだ何かあるらしい。


「今すっごく疲れてるから、怒る気力がない」

「あー……。言っちゃいましたね。言葉にするとさらに疲れるのに……」


 二人してげんなりした顔で歩いていると、通りすぎていく兵士がぎょっとして振り返った。

 しばしば休みを挟んでいるとは言え、まとまった休憩は無いに等しい。たぶん、自分の顔は今頃土気色をしているだろうとリルレットは思った。


 ――壊れた人形。

 アリシアの様子を思い出し、そんな感傷を抱く。彼女の中で、歯車が噛み合わなくなってしまったのだろう。そのきっかけがヴィンスの事故死で、決定打が名も知らぬ男の一言だった。

 もともと彼女の精神は不安定だったのかもしれない。お姉さんが壊れてしまう代わりに、自分を身代わりに差し出したのかも。想像でしかないけれど。

 その狂った感情の矛先がクラエスに向いたのは、やっぱり理不尽だと思うけど。しかし歯車がもとに戻った今、彼女に追撃を加えるのは自分たちの役目ではないと、リルレットはやり場のない気持ちにそっと蓋をした。


「クラエス様はいいんですか? 犯人がどんな人か知りたいって言ってたじゃないですか」

「……それは」

「おーい! 兄ちゃんたちー!」


 聞き覚えのある呑気な声がして、二人は門の方を振り返った。

 冬だというのに薄着の衣装に身を包んだ少年が、ニコニコと手を振っている。一人で敵の偵察に出たきり、行方の分からなくなっていたナシートだ。


「あ、忘れてた」


 幸い、リルレットの呟きは彼に届かなかったようだった。が、しっかり聞こえていたクラエスは苦笑いしている。

 だって仕方ないじゃないか。ナシートのことは一応許しても、怖い思いをさせられた記憶は簡単に消えないのだ。まあ、彼本人は悪い人間はないと分かったけれど。


「無事だったんだね、ナシート。魔獣使いを捕まえたんだって?」

「おう、楽勝だった! 兄ちゃんたちこそ、よく無事だったな。あの火の玉に追っかけられてさ」

『火の玉って、わたしのことかしらぁ?』

「うおお!? 火の玉女!」


 クラエスの背後から音もなく顔を出したイフリータを見て、ナシートは飛び退って驚いた。その怯えた様子に、おもちゃを見つけたような顔をしたイフリータは、彼の周りを飛び回っては脅かして遊ぶ。

 いちいち大きく避けるナシートにリルレットはさすがに大袈裟じゃないかと思ったが、彼にしてみれば敵意を向けられたことしかないし、一歩間違えば命を落としていたのだから当然だった。

 ひとしきりじゃれ合いを見て笑った後、クラエスはふと寂しげな表情をして呟いた。


「少しだけだけどね、まるで昔の自分みたいだなぁと思ってしまったよ。彼女を見た時」

「……昔のクラエス様?」

「うん。記憶を失くして、中身空っぽだった自分。自分の名前すら忘れてしまったのに、不安だとか心細さだけは分かるんだ。そんな不安定な状態で道を示されたら――たとえそれがどんなに馬鹿げた道標でも――縋ってしまいたくなる気持ちは分かるんだよなぁ」


 記憶を失って最初に出会ったのがアルヴィドで良かった。彼が善良な魔術師だったから、クラエスは真っ当に生きてこられた。


「もちろんアリシア・キャラハンと俺の境遇が同じだとは思わないけど。あくまで、彼女の様子を見た今の感想。……どうかした?」

「あ、いえ……」


 やや俯いて考え込んでいたリルレットは、クラエスの呼びかけに曖昧に笑う。


「あの……もし、クラエス様を拾ったのがアルヴィド様じゃなくて私だったら、どんな風に育てかなぁ~って。あはは……」

「……ふむ」

「いや、変なことは考えてませんよ?」

「何も言ってないけど?」

「でも何か言いそうでしたよね?」

「リルも変なこと考えたんじゃない?」

「考えてませんってば!」


 リルレットは顔を真赤にして否定する。

 確かに考えたけど――本当に、全然、変なことじゃないのだ。

 もし記憶を失ったクラエスと最初に出会ったのが自分だったとして。


(性格が今と全然違ったとしても……)


 やっぱりこの人に恋したいなぁと思っただけなのだ。

 しかし口にするのは恥ずかしくって、その後もリルレットはクラエスの追及を避け続けたのだった。



 +++



 それから一週間と少しして、リルレットたちを乗せた馬車がようやく王都へと戻ってきた。

 すっかり第二の故郷となった青い都の街並みを、馬車の窓から食い入るように見つめる。その真剣さと言ったら、自分の吐く息で窓が真っ白になってしまったくらいだ。クラエスに笑われてようやく窓から顔を離したが、早く馬車から降りて、川の流れる音にゆっくりと耳を澄ましたい気分だった。


 ――のだが。


「あうぅ、お尻が痛いです……」


 やしきの前でいざ馬車を降りた途端、現実が襲ってくるのだった。

 お尻に。

 二人分の荷物を抱えたクラエスは、笑いながらリルレットの耳元に口を寄せる。


「ほら、頑張れ。もう少しだから。それとも抱えてあげようか」

「うっひゃ! 耳元で喋らないでください!」

「今両手が塞がってるからさ」

「だから何なんですかっ。ていうか、それじゃ抱えられないじゃないですか」

「抱えてほしかった?」

「違います!」


 そう言うと、クラエスの手から荷物をもぎ取ろうとした。しかし、身長差を活かしてあっさりと躱される。


「リルは鍵を開けてくれるかい? 鞄の外ポケットに入ってるから」

「分かりました」


 不機嫌そうに見上げていると、笑いながら頼まれた。

 丁度いい高さに持ち上げられた鞄から、言われた通り鍵を探し当てる。

 ちなみにイフリータは、手提げ紐に挟まる形ですやすやと眠っていた。小さいとこんなところでも快眠できるのだと、妙な関心をしてしまう。


(もしやイフリータさん、実はこの姿結構気に入ってるんでは……)


 あながち間違っているとは思えない想像だった……。


 玄関を開けると、埃っぽい空気がもわっと立ち込めた。二週間も不在だったのだからかなり埃が溜まっているだろうと思ったが、想像以上だ。


「ごほっ……!」

「これは凄い。まずは換気だね。手分けして家中の窓を開けてまわろう」

「は、はい」


 そういうことは使用人である自分の役目だと言うべきなのかもしれないが、空気が入れ替わるまで主人を寒空の下で待たせるわけにも行かないし、協力して手早く終わらせた方がいいかと判断した。


 ――そして数十分後、最低限の掃除をしたダイニングに、クラエスとリルレットはぐったりとした顔で座り込んでいた。


「朝からずっと馬車に揺られて、帰って早々階段を上り下り。埃のニオイに喉と肺を犠牲にしつつ、とりあえず使う部屋をあらかた掃除……。端的に言うと、疲れた」

「それでも、魔術のおかげでちょっとは楽できましたよ。……拭き掃除に関しては」

「風魔術で埃を追い出そうとしたけど、あれは失敗だったね……すまなかった」

「いえいえ。二度としないでいただければ」

「ぐ……」


 晴れやかな笑顔が、逆にリルレットの怒りを表している。

 珍しくぐうの音も出ないクラエスの様子に少しだけ気を良くすると、リルレットは両足を揃えて立ち上がった。


「じゃあお茶淹れますね。ぐったりの次は、ゆったりしましょう。あ、あれ? そういえばイフリータさんは……ああ、今度はビスケット缶で寝てますね」


 丸い筒状の缶から頭だけ出す形で、小型イフリータは寝息を立てていた。

 リルレットは微笑ましげに目を細めると、キッチンへ向かおうとする。その手が不意に掴まれ、気付いたらクラエスの膝の上に横抱きにして乗せられていた。

 目を丸くして、言葉を失うリルレット。

 角張った大きな手は、彼女の左手を握りしめたままだ。

 自分を見つめる緑色の双眸が熱を含んでいるのを見つけて、自分の頬にも熱が集まるのを意識した。

 リルレット、と名を呼ぶ聞き慣れた声がする。


「……なんでしょう」

「ありがとう。今回のことも含めて、色々」

「えと……どう、いたしまして」

「それから、これからも俺のそばにいてくれると嬉しい。俺もキミを支えたいと思う。できれば、一生」


 はっと、小さく息を呑む。一瞬、そのまま心臓が止まるかと思った。けれど、繋がった手や視線を通して伝わる熱が、これは現実なのだと教えてくれる。

 リルレットはふわふわとした心地に包まれた。柔らかくて、暖かくて、優しい光に、自分がとろけていくのを感じた。

 小さな頭がこくんと頷くまで、あまり時間はかからなかった。





 季節は廻り、また春がやってきた。

 どこかで冬を越し、戻ってきた渡り鳥が、水際でバサバサと羽を打つ。飛び跳ねた水滴が遊覧船に乗っていた誰かの上に降りかかり、楽しげな悲鳴が上がる。

 その様子を橋の上から眺めていたリルレットはくすりと笑って、「よっ」と掛け声をかけながら、食材を詰め込んだ紙袋を持ち直した。

 そしてスカートを翻し、足早に駆けていく。

 愛しい人の「おかえり」を聞くために。



 (完)

これにて完結とさせていただきます。

途中でへこたれつつも、どうにか完結という形に漕ぎ着けることができたのは、読んでくださる方のおかげだと心底思います。一人でエディタと向き合うだけでは絶対に無理でした。

本当に本当にありがとうございました。

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