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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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虚ろな像

 クラエスたちを襲った主犯の名は、アリシア・キャラハン。彼女は、コーデリア・キャラハン――現在はコーデリア・ウェスターと名乗る領主夫人の、実の妹であった。


 それを聞かされた時、クラエスはどんな感情を抱いたらいいのか分からなかった。

 コーデリアと再会したのは、つい昨日のことだ。彼女は善良であると感じたし、また信じてもいた。

 もし実妹が傷害事件の犯人だと知ったら、コーデリアは卒倒するかもしれない。いや、現実的な弊害として、領主夫人としての地位が揺らぎかねない大事件だ。その辺りの心配をクラエスがしても仕方のないことだが、できるなら被害が最小に抑えられればいいと思う。


 一方で、やはりという気もした。

 他に自分が狙われる理由が思い当たらなかったというのもあるが、晴嵐の魔石が事件に関わっていると分かった時点で、ヴィンスの事故に関係があるのではないかという考えが頭の中を占めていた。罪悪感から来る直感だった。

 なら、犯人の第一候補は婚約者であるコーデリア――彼女には申し訳ないが、コールスに来るまでそう考えていた。

 そんな彼女の妹が、真犯人。

 動機なんて分からない。クラエスはアリシアに会ったこともないのだ。知りたい気持ちはあるが、疑問が晴れても嬉しくはならないだろうと思う。


 リルレットが心配した通り、ロルフたちが駆けつけた時、アリシアは魔獣に襲われていたらしい。魔獣使いは三人いたという話だが、洗脳した魔獣のほとんどをナシートが倒した人物が担っていた。そのため、アリシアを守る魔獣と、本能に従って彼女を襲おうとする魔獣、両方が戦っていたようだ。アリシアも怪我を負ったが、大した傷ではないという。


 クラエスとリルレットは、駐屯所の兵士に案内されて三階の客間へと向かった。アリシア・キャラハンは貴族令嬢だ。しかも領主夫人の妹という立場もあり、牢屋ではなく客間の一つに留置されることになっている。もちろん監視は厳重で。廊下にも何人か配備されていた。


「ハンメルト様とお連れの方を連れて参りました」

「うん。入っていいぞ」


 客間の扉の向こうからロルフの声がし、兵士が道を開けてくれる。ロルフの声はいつもと同じで、さすが騎士というべきか、疲れた印象がない。彼も彼で強行軍だったはずなのだが。


 何はともあれ、クラエスは遂にその人物と顔を合わせることになった。

 ――アリシア・キャラハン。

 壁際のソファに一人で座らされ、両脇を二人の兵士に見張られている。反対側の壁にも一人、隣室に続く扉の側にも一人。廊下の外にいた二人を加えれば、計六人での厳重な監視体制だ。これでは猫の子一匹通せやしないだろう。


 アリシアは表情のない顔で、じっと前から斜め下を見つめている。いや、何も見えていないかのように、ただぼうっと目を開いているのか。

 ゆったりと波打つ金髪には輝きがなく、まるで死んだ月のような美しさだった。身奇麗にしてはいるが、左手の甲に巻かれた包帯が少し痛々しい。手首には魔力阻害の腕輪が嵌められており、そのため魔術での治療も最低限だと言う。


 テーブルを挟んだアリシアの向かいには、甲冑を脱ぎ、騎士の略装に着替えたロルフ。彼はクラエスが入ってくるとちらりと視線を向け、こちらへ歩み寄ってきた。

 アリシアに聞こえないようにか、やっと聞き取れるくらいの小さな声で囁く。


「実はな、さっきコーデリア・ウェスターが来た。それまでは隙あらば噛みつこうってくらいの気迫だったが、姉と話をしてからあの調子だ。大人しいっつーか、死んだみたいでな。調子狂うわ」


 クラエスは心の中ではっとする。

 ――もう来ていたのか。


「お姉さん、泣いてたよ。声を殺して、静かに。んで、謝ってた」

「……そうか」


 誰に、とは聞かなかった。アリシアの動機に心当たりがあったのかもしれないし、思いつく言葉が謝罪しかなかったのかもしれない。

 その後、アリシアが大人しくなったとはどういうことだろう。

 クラエスは、身じろぎ一つせず佇む彼女に視線を滑らせる。彼のことは視界に入っているはずだが、もはや興味もないのか。命を狙った相手だというのに。

 席に戻っていくロルフを認識しながら、クラエスはこちらに見向きもしないアリシアをじっと観察し続けた。


「んじゃ、はじめるぞ。王都で魔獣騒ぎを起こしたのはお前だよな。アリシア・キャラハン」

「ええ。そうよ」

「目的は?」

「…………」


 アリシアは意外にも素直に答える。かと思いきや、いきなりのだんまり。しかし、それくらいで動じるロルフではない。


「答えろ。強制的に吐かせてやってもいいんだぞ」


 さらっとそんな脅しをかけた。質問するのと全く同じ調子で言うものだから、脅された方も戸惑ったのではないだろうか。が、少なくとも平面上はアリシアの表情に変化はなかった。

 その代わり、彼女は顔を窓に向けた。逃走を危惧したのか、見張りの兵士がぴくりと動く。

 窓はカーテンで締め切られている。だから外は見えないはず。それなのに、アリシアは窓から目を離さない。

 リルレットは、ほんの僅か、カーテンの仕切りが開いていることに気が付いた。その隙間からなら、青い空が見えるだろう。でも、細くて頼りない空だ。今やそんなものしか縋れるものがないのかと、リルレットは少し悲しくなる。

 いやいや、アリシアはイフリータを傷つけたのだ。それどころか、操ってクラエスを攻撃させた。実際に操っていたのは魔獣使いだけど、命令したのはアリシアだろう。許すことはできない。


 ――しかし、今のアリシアに恨みや憎しみ以外のものを感じているのも、また確かだった。

 それは彼女の姿があまりにも空虚だったからだ。そこに見えるのに、そこにいないような。光が織りなした奇跡的な偶像なのではないかとさえ思ってしまう。


「もう一度聞く。お前の目的は?」


 ロルフの声が一段と低くなり、凄みを増した。並の犯罪者ならあっという間に陥落してもおかしくない威圧感だ。

 それに押し負けたのか、アリシアはようやく顔の向きを戻し、ゆっくりと口を開く。


「……嫉妬、かしら」

「はぁ?」


 思ってもいなかった斜め上の答えに、思わずロルフは素が出た。


「どういうこっちゃ?」


 クラエスとアリシアに接点はない。その意味では復讐というのも微妙にずれるが、逆恨みと捉えれば、ヴィンスの死亡事故の間接的な原因であるクラエスに矛先が向くのは分からなくもない。

 だが、動機が嫉妬であるというのは今までの予想を覆すものだし、理解するのも難しい。

 遠慮なく顔をしかめるロルフに、アリシアは紅を落としても赤い唇を奇妙に歪めた。


「ある男に出会ったの。ヴィンス兄さんが死んで、葬儀が終わって、それから一年くらい経った頃だったかしら。気分を変えたいと思って適当に入った酒場で、一瞬知り合いになった男よ。名前も知らないし、もう顔も覚えていない。たまたまカウンターで席が隣になっただけ」


 ロルフは口を挟まない。ひとまず好きに喋らせようというつもりのようだ。


「彼、聞いてもいないのに、べらべらと自分のことをよく喋ったわ。きっと酔いが回ってたんでしょう。以前はどこどこの貴族屋敷で下男をしていたとか、その時色々盗み聞きしたおかげで恐喝のネタに困らなかったとか……まぁ小悪党ね。話を聞いてる内に、私も酔ってきちゃって。ちょっとだけお、姉さまとヴィンス兄さんのことを話したの」


 ――コーデリアとヴィンスは幼い頃から仲がよく、アリシアにとって憧れの二人であり、大好きな姉と兄だった。

 二人が婚約したと聞いた時は、飛び上がって喜んだものだ。まさかあの頑固な祖父が、許可を出すとは思わなかったから。

 なんだかちょっと行き違いもあったようだが、収まるところに収まって良かったとホッとした。


 だがそれも束の間だった。

 突然ヴィンスは死に――姉は部屋に閉じこもった。家族との接触を絶ち、食事も使用人の世話も最低限。アリシアが会いたいと言っても、弱々しい声で「ごめんね」と返すだけだった。


 ある夜、アリシアはこっそりと姉の部屋のドアを開けてみた。真夜中なら、姉も寝ているのではないかと思ったのだ。

 しかし、予想に反して、彼女はベッドの上で上体を起こしていた。そして、薄ぼんやりと壁を見つめていた。

 細く開けたドアの向こう。星あかりに照らされた部屋の中で、姉は死んだように生きていた。


 姉さまは、死んだヴィンス兄さんのことを今でも想ってる。

 ヴィンス兄さんは、姉さまのことを死んでもなお縛り付けている。


 なんだろう。なんなんだろう。すごくモヤモヤする……。


「そりゃあ嫉妬だよ。あんた、姉さんにもその男にも嫉妬してんだ」


 酔の中で話し終えた後、酒場で隣り合った男は赤ら顔で笑った。

 深く考えもせず、適当に口走ったのは明らかだった。それどころか、ちゃんと話を聞いていたかどうかも怪しい。

 だというのに、男の一言はアリシアの心をがしりと掴んだ。

 それは今も同じだ。

 暗がりで壁を見つめる姉さまと、その背中を優しく抱きしめるヴィンス兄さんの影。そこに男の酷く不快な声が重なり、何度も何度もリフレインしている――。



「――で、それがどうしてこんな事件を引き起こすまでになったんだ?」


 話を聞き終えるや否や、ロルフが畳み掛ける。そのまま黙ってしまいそうな気配を感じた。まだ肝心なことは何も聞けていない。身の上話を聞きに来たのではないのだと、ロルフは多少いらいらしていた。


 アリシアは虚ろな瞳でどこかを見ている。事前の身体検査では、肉体的な疲労以外問題はなかったはずだ。しかし、今の彼女を見ているととても健康だとは思えない。

 あまり長く話を聞けないかもしれない。そんな懸念とともに、アリシアの回答を待つ。


「偶然……」


 ロルフは不機嫌そうに、眉をぴくりと動かした。それを薄く開いた目で捉え、アリシアは力なく背凭れに凭れかかる。


「偶然、アレを手に入れたの。……魔石の欠片を。本当に、偶然……。でも、だから……走りはじめたら、止まらなかった……」


 その言葉を最後に、彼女は完全に瞼を閉じた。

 眠ってはいない。だが、再び動き出す気配もない。

 ロルフはクラエスたちを振り返り、無言で首を横に振った。

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