表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
65/69

鎖を断ち切れ

 背後に迫る爆炎と爆風。それらに体が煽られる前に、半透明の障壁のようなものが現れて遮る。その間にリルレットとクラエスは道を進み、なんとか街道へ出ようとしていた。

 後方からイフリータが攻撃してくるため、乱立する木々を盾にしつつの逃亡だった。

 疲労というより恐怖で息を切らせながら、リルレットは自分の手を引く雇い主に叫ぶ。


「く、クラエス様っ。あの方なんとかならないんでしょーか!?」

「バカ言いなさい。相手は魔人だよ? 真っ向から戦って無事で済むわけないだろう」

「平然と言わないでくださいー!」


 響く爆音。今までの人生で経験したことのない音と閃光と衝撃が、森の景色を変えていく。自分でもなんと言っているのか分からない悲鳴をあげ、リルレットは頭を抱えて蹲ってしまった。

 そこへ、直視できないほど眩い火球が迫る。

 振り向いたクラエスは咄嗟に手を伸ばし、同じくらいの白い煙のような球を放った。

 二つの球がぶつかった瞬間、高熱の水蒸気が霧のように辺りを包み込む。と同時にクラエスは障壁を張り、リルレットの手を掴んで再び走り出す。水蒸気の層が視界を分厚く遮ってくれている。逃げるなら今だろう。


「この森の惨状、さ」

「な、なんですか!?」

「謝ったら許してもらえるかな」

「今そんなこと気にしてる場合でもないですー!!」


 操られているとは言え、森を破壊しているのはイフリータ――クラエスの使い魔なのだ。なら、責任も当然クラエスが負うことになる。

 他の貴族が収めている領地で使い魔が暴れました、すみませんでは済まないだろう。

 気にしてる場合じゃないと言われても気にしてしまうなぁと、彼はこの先のことを思い憂鬱になった。


「いや、実際操られてるんだから、それを証明できればなんとかなるか? ということは、なんとしてでも魔獣使いを捕まえないと」

「それには大賛成ですけれどっ。今はとにかく逃げましょう! クラエス様じゃ、イフリータさんには勝てないんでしょう?」


 煽っているわけではないと知りつつも、かちんときたクラエスである。


「勝てないとは言ってないよ。無事では済まないと言っただけで」

「どう違うんです!?」

「快勝は無理。辛勝はあり得る」

「ううう……! 絶望しかないですっ」


 王国最高の魔術師と言っても過言ではないクラエスだが、戦闘に関してはそれほど経験があるわけではない。むしろ長年引きこもり研究生活を続けていたため、実は体力も限界に来ていた。運動神経自体は、少年時代ロルフと一緒に街を駆け回った経験があるので、ないわけではないのだが。

 しかし、クラエスにはまだ切り札があるのだった。


「真っ向勝負ならの話だよ。裏技を使えば、必ずイフリータを止められる」


 その言葉に、リルレットは疑いもなく顔を輝かせる。


「今すぐは無理だけど」


 膨らんだ期待は萎むのも早かった。


 クラエスの言う『裏技』とは、イフリータの魔力を奪う方法だ。彼らを繋ぐ主従契約は、イフリータを土地に縛られなくする代わりに、彼女の魔術能力を借りるというもの。それには、魔力のやり取りも含まれる。イフリータがクラエスの魔力を引き出せるわけではないので、やり取りと言っても一方的だ。

 イフリータの戦闘能力は魔術に偏っている。魔力を全て奪ってしまえば、残るのはマスコットのような小さな体のみ。驚異ではない。

 ただし、もしそれを実行した場合は、彼女の回復が更に遅れることになる。最悪、また眠りについてしまうかもしれない。

 だが操られたままよりはずっとマシだろう。

 問題は、魔力を引き出すためのラインが今はほとんど閉じていることだ。その原因は、おそらく魔獣使いに操られているせいだ。


(しかし分かったこともある。魔獣使いは契約を上書きできるわけじゃない)


 クラエスとイフリータの契約に別の契約を上書きしたのなら、ラインが残っているはずがない。たとえ糸のような細さでもイフリータとの繋がりが残されているということは、契約が解除されたわけではないのだ。

 おそらく強力な精神支配のようなものなのだろう。王国にはない魔術だ。


 恐ろしく危険な技だ。

 こんなものが人間に使われれば、国などあっという間に滅びてしまう。地位も財宝も思いのまま。しかし現実にそうなっていないということは、大きな制約があるはずだ。たとえば、一定の知能を持つ相手には効果がないといった。

 だが、現にイフリータは操られている。それはもう、盛大に。

 魔人のくせに何簡単に負けてるんだとか、十年来の友人の顔を忘れたのかとか、色々言いたいことがないでもない。しかしまぁ、自分の身と引き換えにリルレットを助けた結果なのだから、責める気にはなれない。


 魔人をも操る精神支配。

 しかし、それほど強力な術となると、現実に使用されていないのはおかしいという先程の疑問に戻ってしまう。


(だとすると……やはり、またアレか)


 魔力を秘めた魔石は、単純な魔力増幅装置としても使える。別に晴嵐の魔石である必要はない。だが、イフリータを操るほどの魔石となると、希少価値も金銭的価値もかなりのレベルになる。どちらにしろ簡単に手に入るものではない。


 どんな魔術でも、必ず阻止できる手立てが一つある。

 術者を倒すことだ。

 その術者がどこにいるか分からない今、クラエスたちにできるのはやはり逃げることしかない。


(いや。ちょっと待てよ?)


 かすかに繋がった細い糸。クラエスとイフリータとを繋ぐ魔力のライン。

 術者とイフリータの間にも似たようなものが存在するのではないだろうか?

 もしそうなら、ラインを辿って術者を探し当てることができる。いや、そんなまどろっこしい方法を取るまでもなく、ラインに干渉すれば術を解くことができる。

 他者の魔力を探り当てるには、それなりの集中力が必要だ。今みたいに、追われながらでは到底無理だ。

 だけど、イフリータの魔力ならば。


(見つけるのは容易い……!)


 真っ白な水蒸気に覆われた視界。

 イフリータから離れるために動かしていた足を止め、振り返る。驚いたリルレットが驚いた目で問いかけてきたが、説明している時間がない。

 探す。

 魔力は目に映らない。魔術師の感覚で感じ取るしか方法はない。

 探せ。

 燃えたぎるように熱い光。触れるだけで炭になりそうなくらい苛烈で、真夏の太陽よりも眩く、水の上を滑る風のように自由な――。


「あった」


 長年慣れ親しんだ感覚だ。意識さえすれば、見つけるのは難しくなかった。

 しかし運悪く、霧が薄れはじめた。このままではイフリータから自分たちの姿が丸見えとなり、攻撃が再開されてしまう。そうなる前に魔獣使いのラインに干渉しなければ。


「クラエス様!」


 リルレットの悲鳴と同時に、細い体がクラエスの頭を押さえてしゃがみこんだ。その頭上を、物凄い熱と光が駆け抜けていく。木々の薙ぎ倒される音が響き、振動が靴裏から伝わる。


「あぶな……ありがとう、リルレット。助かった」

「い、いいえ……。心臓、縮むかと思いました」

「ははは」


 感謝の意味を込めて、ポンポンと頭を叩く。

 けれど和んでばかりもいられない。

 イフリータはこちらを殺す気だ。彼女の本心とは程遠くても、今の彼女に言葉での説得は通じない。というか、説得している暇がない。

 彼女を止めるには、こちらも殺すつもりで立ち向かわなければダメだ。

 本当に殺すわけじゃない。それくらい本気でなければ太刀打ちできないという意味だ。

 人間と違い、魔人は簡単には死なない。そのことがクラエスの心を軽くする。けれど、この手で傷つけることにどうしても躊躇いがあった。


 目を閉じて息を止める。

 わずか一拍のリセット。

 再び熱気が膨れ上がるタイミングに合わせて、クラエスは足元の石を拾い、イフリータめがけて投げつけた。

 驚いたイフリータが手元で魔術ばくだんを爆発させ、音と閃光に包まれる。


 機を逃さず、一瞬に込められる最大限の魔力を練って、鋭く尖った氷の礫を作り出す。

 それを風の力で加速させ、狙う場所――イフリータの喉の下目掛けて飛ばした。


 ――パキン。


 硝子が折れるような音が耳の奥に響いた。そんなに大きな音ではなかったと思うが、周囲の雑音とは切り離されて目立つ。魔術的な音だ。

 リルレットにはイフリータが氷の礫に喉を貫かれて止まったようにしか見えなかったが、クラエスには彼女に起こった変化がはっきりと分かった。

 イフリータの精神を蝕んでいた魔術の鎖が砕け、アストラルに還っていく。目には見えないが、暖かな風のように感じられた。

 どこか苦しげだった表情が和らぎ、意識を失いながら草むらに落ちる。


「イフリータさん!」


 リルレットが悲鳴に近い声をあげ、イフリータに駆け寄っていく。クラエスはそれを止めなかった。イフリータにかけられた魔術は解けた。もう危険はないはずだ。


「イフリータさん、大丈夫ですか? しっかりしてください、イフリータさん!」

『う、ううー』


 抱き上げたリルレットの腕の中で、イフリータは眉根を寄せて呻く。ぱちんと大きな目が開き、喜びに染まるリルレットの顔を見上げた。


『リルレット……? あれ? わたし、寝ちゃってたのかしら?』


 何も覚えていないのか。ならきっと、その方がいい。何も知らないままの方が。少なくとも今は……。

 リルレットは眦に浮かんだ涙を拭いとると、笑いながら頭を振った。


「そうみたいです。なかなか目が覚めないから、心配したんですよ。でももう安心。ほら、クラエス様も一緒なんですよ」

『あ、ほんとうだ』


 その返しを聞き、クラエスは苦み走った顔をする。

 なんて呑気なんだ……。こっちはあんなに走り回ったっていうのに。

 しかし、イフリータの暴走を無かったことにしようとするリルレットの手前、軽はずみなことは言えない。

 そう思っていると、イフリータは締まりのない顔でにへらと笑った。


『懐かしい夢を見てたわぁ。クラエスがまだ多少可愛かった頃の』

「その話絶対続けるなよ? 絶対だからね?」

『まあなんてベタな振り』

「振りじゃない!」


 けらけらと笑うイフリータは、すっかり元通りだった。不覚にもペースに乗せられてしまったクラエスは、むっと口を噤む。それを見たリルレットが口元を両手で抑え、くすくすと笑った。


「クラエス様は素直じゃありませんね」

「その分、誰かさんが正直者だからバランス取れているんだよ」

「それって私のことです?」

「他に誰がいるんだ」


 涼しげに言われて、ほんのり赤面する。バランスという言葉に、二人一緒にいてこそ、という響きが込められている気がしたのだ。実際、一生離れないつもりでクラエスは口にしたのだが、リルレットはそこまで思い至らなかったようだ。


「さて、あとは例の赤い女をどうするかだけど」

『そういえば、敵の大将が出てきたんだったわね! よぉし、わたしに任せてちょうだい。最後に物を言うのは武力だものね!』

「いや、君の武力はもういいかな……」


 彼の動きにつられて周囲を見渡せば、下生えは焼き払われ、木々は焦げ付き、石はアツアツに熱せられている。

 確かにもういいな、とリルレットも心の中で同意した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ