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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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森に潜む悪意

 敵の数を減らしてくるとは言ったものの、その仕事はなかなか大変だった。いたのが群れるタイプの魔獣で、一体に何かあれば別の個体がすぐさま群れ全体に知らせてしまうからだ。一体一体は弱くても、多数で来られて厄介なのが群れるタイプの特徴だ。

 やるなら、敵の目を掻い潜って。バレないように。万が一バレてしまったら、その時点で撤退だ。


 ナシートは自前の探知能力を駆使し、なるべく単独に近い行動をしている個体から一体ずつ倒していった。元々刃物は使わない主義なので、血の臭いで悟られる心配は然程ない。そのうち死体はみつかるだろうが、少しでも数を減らせればいいので問題はなかった。

 そうやって十体近くの命を刈ったところで、次の目標を探そうと、背の高い木にするすると登る。まさに猿である。


(お、アレかー。お嬢さんの言ってた女の人って)


 枝の一つに音もなく飛び移り、獣道を歩く三人の人影を視認する。

 まだ少し遠いので顔は見えないが、男か女かくらいは判別できる。一人は分かりやすいくらいの大男で、背が高いだけでなくガタイも良い。強そうだ、と心躍らせる。一人は女。あと一人は、茶色いローブを身に着けた特徴のない青年だ。そして三人を守るように、五体の魔獣が槍の穂先のような陣形で侍っている。


(例の奴はどこだ?)


 例の奴とはもちろん、心胆寒からしめる火の気配の持ち主を指す。気配が強すぎてどこにいるのか分からない相手など、今まで会ったことがない。ちなみに、一目見て絶対勝てないと思う相手はこれまで十人ほどいた。うち八人が故郷の人間である。いずれ全員倒せるようになりたい、と思うナシートである。


「あれ、いねぇな」


 意外な結果に、思わず声が漏れた。

 しかし、そんなはずはない。どこにいるか分からないといっても、ピンポイントで探れないと言うだけで、近くにいるのは確実なのだ。

 あれぇ? と視線をキョロキョロさせて探すナシートの背後に、メラメラと燃え上がる何かがすーっと近づいた。


「!?」


 背後の存在が手を翳した瞬間、ナシートは弾かれるように宙へ身を投げ出す。

 同時に、ドォン! と低い爆発音とともに、それまで隠れていた木の枝が吹き飛んだ。

 ナシートは空中で身を捩り、何が起きたのか知ろうと目を凝らす。

 黒い煙の向こうに、小さな人影のようなものを見た。信じられないことに、人影は宙に浮いていた。

 幾度か木の葉や枝で体のあちこちを擦ったのち、柔らかい土の上に着地する。


(なんだありゃ……!?)


 クラエスかリルレットがいたなら、あれが『彼女』だと気づいただろう。たとえ信じたくなくても、シルエットを見れば認めざるを得ない。

 ナシートは『彼女』の名を聞いてはいたが、どういった存在かは聞いていなかった。クラエスたちも敢えて説明はしなかったので、人間であると思いこんでいたのだ。加えて言うなら、『彼女』は人質にされているというのがリルレットの考えだ。だから、自分が攻撃されるなんて夢にも思っていなかった。


「ほう。鼠だと思えば猿だったか」


 ぎくり、と身を強張らせる。上にばかり注意を向けていたため、近づいてくる気配に気づくのが遅れた。

 何か飛んでくる。

 そう感じた瞬間、さっと飛び退く。

 狼型の魔獣が、彼がいた場所に食らいついた。一度外した後は追撃せず、大人しく下がってゆく。その先には、先程見た傷のある男が不敵な笑みを浮かべて立っていた。手には鞭を持っている。更に、同じ狼型魔獣が一体、また一体と増えていく。最終的にはナシート対傷のある男一人、魔獣十体ほどとなった。


(これってやばい?)


 魔獣だけなら振り切れる。しかし、男の実力が未知数だ。

 見たところ、魔獣は彼に従っている様子。と言うことは、この男が魔獣使いだろう。


(いや、もしかしたらチャンス……じゃないな)


 木の上で爆発を起こした存在が、ナシートを追って地上に降りてきた。敵に前後を挟まれた形だ。

 魔獣使いを引きつけてクラエスたちの元へ向かう数を減らそうと思ったが、そう上手くは行かないか。

 ナシートはにやりと笑って、前方の男に声をかけた。


「オレの後ろにいるのって、あんたの魔獣?」

「魔獣じゃねぇ。魔人ってんだ。俺も見たのは初めてだけどな」


 その声には感嘆の響きがあった。弱い魔獣を多数従えていることから、魔獣なんてただの駒としか見ていないのかと思いきや、意外だった。それとも、魔人だから特別なのか。


「一応聞くけど、あんたの目的ってクラエス兄ちゃん?」

「いいや。“俺の”じゃない。俺たちはただあの嬢ちゃんの命令に従ってるだけだ」

「命令?」

「ああ。取引をしたんでな」

「取引かー」


 魔獣使いからは敵意がびんびん伝わってくる。強い目的意識を持つ人間を退かせるのは難しいだろう。


「やっぱり逃げるしかないか」

「ふっ。逃げられるものならな」

「余裕だな」


 もともと数を減らすのがこちらの目的だったはず。相手に見つかってしまうのだって想定の内だ。ただ、一番強いのまで引きつけてしまったのは失敗だったけど。

 男と会話している間も、チャンスを伺っていた。しかし魔人がどうにも邪魔だ。どこかに行ってくれればいいのだが、そんな上手い話があるわけが……。


 その時、魔人の表情に変化があった。何かに気を取られたか、空を見上げてキョロキョロと首を動かしている。


『…………?』

「ちっ」


 男が舌打ちをする。その視線はナシートを通り越して魔人に向かっている。


(今だ! よく分からんけどっ)


 好機を見逃さず、ナシートは飛び出した。

 ――魔獣使いに向かって。


「なに!?」

「へんっ、逃げると思ったか!」

「さっきのは演技かよ!」


 獣のような瞬発力により、距離は一瞬にして縮まる。

 男が鞭をしならせるが、少し遅い。軌道を掻い潜り、肩から体当たりをかました。ナシートは器用に距離を取り、男はそのまま地面に体を打ち付ける。


「うっ」


 頭を打ったのか、男が短く呻いた。


『クラエス!?』


 ナシートは驚いて魔人を振り返る。知った名を呼ぶ声が、その方からしたからだ。

 ついさっきまで敵意と殺意しかなかった魔人の顔に、人間らしい表情が見えた。


『わたし……行かなきゃ!』

「待て!」

『あう!?』


 驚いて見守ることしかできないナシートの目の前で、魔人が苦しそうに頭を押さえる。激しい痛みに耐えているかのような反応だ。見ているだけでこっちまで苦痛が伝染しそうだった。

 魔獣使いはゆらりと立ち上がり、何かを胸元で掴んでいた。

 だらり、と魔人の手足が下がった。その目はもう何も映していない。聞いたことのない言語を用いて、男が何事か語りかける。すると魔人はくるりと方向転換し、木々を超えて飛んでいった。


「……今なにしたんだ?」

「さてな。当ててみるかい?」


 男がびしり、と鞭で地面を叩く。周りの魔獣が一斉に身構えた。いつの間にか囲まれている。ナシートはそれを目だけ動かして確認し、ジリジリと有利な場所へにじり寄る。


「悠長に話をするって雰囲気じゃないなー」

「へへっ。話はもういいだろう。戦いを楽しもうぜ」


 と、獰猛な笑みが顔の傷を歪めた瞬間。

 ギャアギャアと頭上が騒ぎ出し、空を黒く塗りつぶすほどの鳥が現れた。その大きさは、一羽が獅子と同じくらいある。


「もしかして、あれも?」


 たらりと汗を流しつつ上を指差すと、傷の男は気持ち悪いくらい良い笑顔で頷いた。


「ちょっと付き合ってくれや。な?」


 ***


「クラエス様っ」


 リルレットが悲鳴のような声を発した瞬間、クラエスに向かって急降下していた黒い鳥は燃え上がった。そのまま塵も残さず焼き尽くし、あとには一条の煙だけが風に靡いている。

 心配するまでもなかったかなと、リルレットは一瞬安堵しかける。しかし、息をつくにはまだ早かった。空にはまだ大量の魔獣がひしめいているのだ。気を抜けば、あっという間に食われてしまうだろう。大きな崖を背にしているため、四方八方から襲いかかられる事態にはなっていないことが救いだった。

 先程、森の一部で爆炎があがった。その後しばらくして、遠く北の空から大群で押し寄せてきたのが、この鳥型の魔獣たちだ。半数ほどは爆発があった辺りに留まったが、もう半数が一気にこちらに襲来した。魔獣使いが呼び寄せたのだろう。


「イフリータがいればなぁ。さっき繋がりかけたんだけど」


 イフリータと契約しているクラエスは、彼女から魔力を引き出せる。しかし、どういうわけか今はそれができない。二人の魔力を繋ぐラインが栓されているような感触だ。

 ナシートから敵側の情報が伝えられた際、とても嫌な予感がした。できるなら当たってほしくないと思っていた。が、どうやら的中だったらしい。


「リル、聞いてほしい。たぶんイフリータが敵の手に落ちた」

「? え、ええ、そういう話でしたけど」

「じゃなくて、魔獣使いに操られてるみたいなんだ」

「え……。ええええ!?」


 一瞬遅れて、思わず耳を塞ぐくらいの驚愕の声が上がった。


「ご、ごめんなさい」

「いや、いいよ」


 間に合わず、耳がキーンとなったけど。


「でも、魔人って魔獣扱いなんですか?」

「魔人は精霊の上位存在に当たる。魔獣は全くの別物だ。だが……」


 突っ込んできた鳥型魔獣を、片手間に片付ける。さっきからひっきり無しに攻撃されているので、そろそろ疲れ気味だった。


「魔獣使いという呼び方が間違っているのかもしれない。本当はもっと広く活用できる術だけど、魔獣に対してしか使われてこなかったんじゃないかな。にしても、この数。いったい何体の魔獣を集めたのやら」


 当初と比べるといくらか減ったものの、空にはまだ二十体以上の魔獣がいる。一定数倒した辺りから、決して降りてこない個体が現れ始めた。

 攻撃も随分ぬるい気がした。数を頼みに本気でかかれば、人間二人くらいいくらでも料理可能だろうに。

 魔獣に片を付けさせる気はない。だが、こちらの体力を削いでおきたい。そんな意図が垣間見える。

 待っていればボスの方から来てくれるだろう。復讐が目的なら、その可能性は大いにある。クラエスの勘だが、人の不幸を自分の目で確かめなければすまないタイプなのだと思う。

 ただ、待っているだけでは敵の思うがままだ。なんとかここを脱して、不意を打ちたい。


「そんなことより、イフリータさんです! 操られてるって……いいんですか!?」

「よくないよ。でも、今はどうすることもできない」

「そんな」


 彼の断言に現実を見たリルレットは、愕然と項垂れた。その頭に、クラエスはぽんと掌を載せる。


「大丈夫だよ。敵の技は強力だが、契約の力だって相当な効力を持つ。実はさっき、イフリータと少し繋がりかけたんだ。イフリータを取り戻す希望はまだあるということだ。自力が無理でも、魔獣使いを捕まえて必ず元に戻させるよ」

「……はい」


 掌の重みと彼の言葉のおかげで、心が少し持ち直した。靄がかった不安の向こうに、笑ったイフリータの姿が見え、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 ――三人で一緒に帰ろう。穏やかでちょっと慌ただしく、楽しい日々へと。

 リルレットはクラエスの視線を受け止め、にっこりと微笑んでみせた。


 ギャア! ギャア、ギャア!


「な、なんです?」


 突然、頭上の鳥魔獣が濁った声を上げた。一羽が啼きだすと他の魔獣たちも一斉に後に続き、濁声の大合唱がはじまる。かなり五月蝿い。耳を塞いでも抑えきれないほどの大音声で、頭痛がしてきそうだ。

 不意に、片腕が強く引っ張られた。バランスを崩した体が、クラエスの腕の間に倒れ込む。同時に頭を上から押さえつけられ、二人してその場に身を屈めた。


 ドーン!


 雷のような大きな衝突音と、地を震わせるほどの衝撃が、二人のすぐ近くで発生した。

 リルレットはクラエスの胸にしがみつき、思わず悲鳴を上げた。その声に反応してか、肩に回された腕に力が入る。

 パラパラと、頭上から破片となった小石が無数に降ってくる。なのに一つも当たらなかったのは、クラエスが魔術で弾いたからだ。

 彼が包み込むように生み出した風には、どこかで感じたことのある熱気が混じっていた。記憶を刺激されたリルレットは、クラエスの腕の合間からふと顔を上げる。そして、彼の視線が向かう方へ顔を動かして――目を見開いた。

 そこには、怒りのような無のような表情でじっと二人を見据える幼女が、赤い炎に包まれた体をふわりと宙に浮かせていた。


「イフリータ……」


 分かっていても、やはりショックだったのか。クラエスの掠れた声がリルレットの耳に届いた。

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