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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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過去・魔人との出会い(後編)

 再び目が覚めた時、周りには誰もいなかった。

 起きた時の感覚からすると、寝ていたのは二十分といったところだろうか。疲れていたので、もしかするともう少し長いかもしれない。

 体も思考もだいぶ動くようになっていた。立ち上がると体が軽い。若いせいか凝りもない。

 辺りは相変わらず暗いが、危険はないようだ。獣避けの術がまだ効いている。

 それに、敵国の兵士もいないようだ。もしいたら、自分など寝ている間に殺されるか拘束されていただろう。


「やっぱり全滅、かな」


 その二文字を口にしても、恐ろしいという感覚はあまり湧かなかった。

 一時的に神経が麻痺しているのかもしれない。自分が人の死に疎い人間であるとは思いたくない。

 しかし、そうすると、時間が経てば恐怖が押し寄せてくるのではないか。魔力を暴走させた黒い日のことを、今でも時々夢に見るように。


 少年は頭を振って思考を切った。思考の切り替えは得意だ。


「イフリータはどこに行ったんだろう」


 ぽつんと呟けば、冷たい風の音が返ってくる。

 そもそも彼女は文句を言うためだけに彼の前に出てきただけで、うたた寝に付き合う義理はない。用が済めば帰ってしまうのは当然だろう。


「……綺麗だな」


 嵐はすっかりやみ、上空には星が瞬いている。

 まだ夜中と言っていい時間帯。そんな時間に一人で、山の中で、キレイな星空を見上げている。ロルフやレイカが見たら何と言うだろうか。一言目は絶対に、「似合わない」だ。それは否定しないけども。

 少年は自分の想像にムスッとして、少し乱暴に土を蹴った。

 その時、唐突に思い出す。晴嵐の魔石をウロの中に落としたままだったことを。

 魔術で明かりを灯し、ウロの中に屈み込む。


「あった」


 泥の中に半身沈ませたそれを取り出すと、少年は大方の泥を手で払い落とした。

 上の方が少し欠けている。魔石を嵌めていた金枠が少し歪んでいるのは、砕け散った際に加わった衝撃のせいだろう。これくらいなら修復は可能だ。修復の許可が下りればの話だが。

 師に認められなかったとは言え、自分の力を出し切って作った魔道具だ。封印されるべき危険な道具だと分かってはいるが、だとしても、完全な姿を取り戻してやりたい。

 ただ、欠けた部分が見当たらない。ある程度近ければ魔力の反応を辿れるはずなのだが、それができない。


「これは探すの大変そうだな」


 キョロキョロと辺りを見回しながら途方に暮れていると、イフリータが戻ってきた。両手にいっぱいの果実を抱えて。


『ご飯持ってきたよー。お腹空いてると思って』

「いやいやいや……」


 なんで? と戸惑い気味の少年を余所に、イフリータは手頃な倒木の上に、真っ赤な果実を一個一個数えながら置いていく。

 果実はリンゴのような形をしているが、リンゴよりも柔らかそうで瑞々しい。甘い香りが漂ってくる。


『これはトトの実よ。人間はこの実で作ったお酒が大好きだって聞いたわ。ほら、甘くて美味しいから、食べてみて』


 と笑顔で一つ勧めてくるので、反射的に受け取った。イフリータは既に半分ほど頬張り、満足げにぐるぐる回っている。

 昨夜は緊張してあまり食べられなかったので、胃の中は既に空っぽだ。敵を待ち伏せている間はそれどころでなかったから良かったが、イフリータと――というか、誰かと言葉を交わして安心したのか、思い出したように空腹を感じ始めていた。

 イフリータは二つ目に手を伸ばしたところだ。その頬は恋する乙女のように紅潮している。恋した乙女など見たことないけど。


「……いただきます」


 パクリと一つ齧ると、甘い香りが口の中に広がった。実は柔らかく、齧った時の音もほとんど立たない。味は甘いがくどくなく、かすかな酸味があった。


『食べ終わったら種はねえ、こうやって土に埋めるのよ。何年かしたら木が大きく育って、また美味しい果実を食べさせてくれるんだから。楽しみねえ』


 穴を掘って種を落とし、また土をかけて、ポンポンと叩く。にやけた顔でじゅるりと涎をすするイフリータから目を逸らし、少年は果実をもう一齧りした。


『ねえ、あなた名前は何て言うの?』

「人と魔人が名前を明かし合うのは、契約を結ぶ時だけだと聞いたけど」

『わたしは別にいいわよお。あなたと契約しても』

「そんなあっさりと……」

『だって人間に興味があるんだもの。人間のこともっと知りたいの』


 だからと言って簡単に契約していいという話ではないだろうに、イフリータはしつこく絡んでくる。


『ねえねえ、いいでしょ。名前教えてよ。人間の村とか街とか見てみたいのよ』

「見に行けばいいじゃないか。飛べるんだし」

『知らないの? 魔人は精霊と一緒で、生まれた土地でしか生きられないのよ。土地を離れるには、人間と契約するしかないの』

「じゃあ俺以外の人間と契約すれば?」

『やーよ。わたしにも選ぶ権利があるの』

「俺にはないのか」


 イフリータはくるくると回る。足を折りたたんだまま、空中でくるくると。


『だってせっかくのチャンスだもの。あなたみたいな質の良い魔力の持ち主なら、きっとわたしの力を活かせるわ』

「どういうことだ?」


 彼女の言葉が気になり、咄嗟に聞き返していた。

 少年が食いついてきたことに気を良くしたイフリータは、ぐぐいっと顔を突きつけてにっこり笑う。


『魔人と契約した人間の魔力は進化するの。わたしを直接使役しなくても、契約しただけでグーンと能力を伸ばせるのよ。単純なところだと、わたしの属性は炎だから、火を使った魔術の質が上がるわ』

「火が……」

『それに、あなたみたいに地力の高い魔術師なら、宝の持ち腐れになる心配もないわ。結構いるらしいのよねえ。契約したはいいけど、思うように力を振るえなくて破滅しちゃう人。そういう人と契約しちゃうと魔人も大変。わたしたちも力を出せなくなるからねえ』


 説明の後半を少年は聞いていなかった。

 魔術の基本属性は火、水、地、風の四つ。このうち最も使用頻度が高く、かつ扱いが難しいのが火だ。単純な難易度で言えば風の方が上だが、実験で使う場合、火の魔術は繊細な調整が必要となる。

 だが、術の質が上がればその辺りが楽になる。より高度な技を試すこともできる。

 少年は割とあっさり決断した。


「よし、契約しよう」

『やったあ』


 イフリータは両手を挙げてくるくると舞い上がる。少年は彼女の周りに花が飛んでいるような錯覚を覚えた。


『わたしねえ、本当は最初から見てたのよ。昨日、何人かの人間と一緒にこの山を登ってきたでしょう。一度にたくさんの人がやってくることは殆どないから、ちょっとワクワクしたの。でも、あなたはずっと俯いていたわね』

「当然だよ」


 敵とは言え、人を殺しに来たのだ。楽しく登山なんてできるわけがない。


『ひとりになってからも、ずっと下を見ていたわね。とても辛そうな顔をしていた』

「…………」

『でも、さっきは笑った。わたしが笑って、あなたも笑った。まるでお空が晴れたみたいに』

「あれは君の顔がおかしかったから笑ったんだよ」

『そうなの? でもあなたも面白かったわよ。ムツカシイ顔してたのが、笑った途端可愛くなったもの』

「…………」

『あら、不満なの? 褒めてるのに。やっぱり人間って変なの……』


 少年はやっとイフリータの調子が掴めてきた。魔人だからかどうかは知らないが、彼女は嘘や偽りを口にしない。心のまま、勝手気ままに生きている。火というより風の性質に近い気がする。

 そんな彼女にとって、『契約』は自由を得るための不自由。土地に縛られずに生きたいというのが彼女の願いだ。その代わり、今度は人に縛られることになる。

 少年はふと一抹の不安を感じた。


「一つ確認しておきたいんだけど」

『なあに?』

「俺と一緒に来ても、自由になれるとは限らないよ。今より窮屈な思いをするかもしれない。それでもいいのか?」


 何せ少年は本を読んでいることが多い。契約した魔人がどの程度人から離れて動けるのか知らないけど、それほど広範囲を動き回れるとは思えない。

 現実を知れば、イフリータは契約を望まなくなるかもしれない。契約を交わした後で現実を知り、後悔するかもしれない。

 そう思って口にしたが、答えを聞くのが怖いと思っている自分に気がついて少年は驚いた。

 ――誰かに会えて、安堵した。

 ――言葉を交わせて、嬉しいと思った。

 契約を決めた本当の理由が、とても単純なところにあったのだと知る。


 少年は魔人の返答を待った。

 もし彼女が決意を翻しても、落胆はしまい。そう覚悟して。


『いいよお』


 ふにゃっと腑抜けた笑顔で、魔人は少年の言葉を受け入れた。

 その瞬間、少年を縛っていた覚悟の糸はぷつんと切れた。線の細い柔らかな面差しに、子供らしい幼い微笑みが零れる。嬉しさと喜びと、ほんの少し恥ずかしさが混じった、年相応の表情だった。


「俺はクラエス。本当の名前は分からないけど、今はこれが俺の名前だ」

『わたしはイフリータ。トトの実が大好きな炎の魔人よ。これからよろしくね、クラエス』

「ああ。こちらこそ」


 どちらからともなく手を差し出し、二人は握手を交わした。


 この偶然の出会いが一生の付き合いに変わった瞬間のことは、何年経っても忘れようがない。

 すっかり荒れ果てた山奥で出会い、言葉を交わし、トトの実を分け合ったこと。それが二人を繋ぐ絆となった。

 たとえこの先何があろうと、交わした契約が損なわれることはない。


 ***


 悲鳴のようなものが聞こえた気がした。実際は音としてではなく、瞬間的に膨れ上がった魔力が彼の感覚を酷く揺さぶったのだ。それがクラエスには悲鳴に似た声に思えた。

 もしその魔力が彼の知らない誰かの物であれば、おそらく無視しただろう。今、他のことにかかずらっている時間はないのだから。

 しかし彼の感覚に届いた魔力は、覚えがあるどころか最も親しみのある魔力だった。

 そもそも魔術を使っていない状態で他者の感覚に割り込むことができるのは、ある特殊な関係にある間柄だけ。見ず知らずの他人であるはずがないのだ。

 そのある特殊な関係というのは、互いの魔力を介した主従契約、あるいは協力者契約だ。そういった契約を結んでいる相手は、クラエスには一人しかいない。


「イフリータ?」


 その名を呼ぶと、不安がわずかに膨れ上がった。

 クラエスが感知したのはイフリータの魔力の揺らぎだけで、背景で何が起こったかまでは分からない。ただし、あまり良い想像はできない。イフリータのような魔力の塊とも言える魔人にとって、魔力の揺らぎとは生命の揺らぎに他ならないのだ。つまり、彼女の生命に関わるような何かが起きたかもしれないということだ。

 イフリータは強力な魔人だ。並大抵のことでは、その生命が脅かされることはないと断言できる。

 しかしそう断ずる一方で、ねっとりとした嫌な予感が思考に纏わりつく。

 ――もしも並大抵でないことが起こっているのだとしたら?

 魔力の揺らぎが悲鳴に聞こえたことが、不安に拍車をかけている。ただの連想に過ぎないと言い聞かせてみても、イフリータの苦悶する顔が脳裏に浮かぶ。

 とにかく、考えていても分からない。ただ、何が起きているにしろ、ろくでもないことに違いないのは確かだ。

 ガタゴトと小石を撥ねながら走る馬車の中で、クラエスは見えない空の向こうをじっと睨んでいた。

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