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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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過去・魔人との出会い(前編)

 木々の間から、不気味な鳥の鳴き声がする。時折吹く風がザワッと枝葉を揺らし、少年の冷たい頬をぞっと撫でていく。

 冷や汗が伝い落ちた。暑さなど少しも感じないというのに。

 少年は小さな手で顎を拭い、もう一方の手で握りしめたそれに少量の魔力を込めた。


 風がやみ、山に静寂が訪れる。

 ――大丈夫だ。ちゃんと動作する。

 ほっと安堵した様子で、左手の中にあるそれを見下ろす。

 緑の瞳に写っているのは、いくつもの綺麗な石を金枠に嵌めて作った、卵型の魔道具だ。

 晴嵐の魔石、と少年は名付けた。


 若干十二歳の、まだ魔術師と名乗ることも許されていない子供が作り出したそれは、途轍もなく強大な力を秘めている。

 あるいは、子供だからこそ、これを作ることが出来たのかもしれない。

 彼の見る世界はとても狭く、その狭さに反して、秘めた力はとても大きい。大人の常識に縛られないと言えば聞こえはいいが、善悪の区別が付かなかっただけとも言えよう。

 晴嵐の魔石は作ってはいけない代物だったのだ。

 師匠に取り上げられた上、封印されるはずだったそれは、今なぜか彼の手元にある。

 師匠よりずっと上の立場にある方が、それを使ってみせるよう命じたのだ。

 折り悪く――それとも折り良くか――魔の谷を越えて、隣国が攻めてくるとの情報があった。その情報は隣国に放った密偵がもたらしたもので、いくつかの状況と照らし合わせた結果、信用できると判断された。

 そんな時、大臣たちの耳に入ったのが〈晴嵐の魔石〉だ。

 エリュミオン王国随一の魔術師、アルヴィド・バルテルス。その人が見出し、養子に取ってまで目に掛けている天才魔術師の卵。

 そんな肩書も手伝っただろう。

 議会一致で晴嵐の魔石を作戦投入することが決定した。アルヴィドは反対したが、残念ながら彼の意見は通らなかった。


 魔石と違い、魔道具を起動させるには、術者の魔力が必要となる。そのため、魔道具と術者はセットだ。そして魔道具は、自身を中心とした円に力を及ぼす。

 つまり、晴嵐の魔石を敵に使うなら、術者を戦いの最前線に出さなくてはならない。


 使用者と作成者は同一でなくてもいい。しかし、少年は自ら使用者に志願した。

 師匠のために。

 彼が作った魔道具は独特で扱いが難しく、彼以外では起動に失敗する可能性が高い。もし失敗すれば、何が起きるか分からない。

 そんな危険を他の人間に冒させるわけには行かなかった。

 もし失敗した場合、晴嵐の魔石は失敗作扱いされるだろう。その責任はアルヴィドにまで及びかねない。

 師に認められるために作ったものが、師の名声を汚す――そんなことが絶対にあってはならないのだ。


 昼過ぎに山の中腹に辿り着いた。その時一緒にいた兵士は、既に山を下りている。今は少年の他に誰もいない。

 一人は好きだし慣れているつもりだったが、これから起こることを考えると平静ではいられなかった。

 敵がいつやってくるか分からない中、動き回るわけにも行かないし、目立つので明かりも点けられない。獣よけの術は施してあるから襲われる心配はないが、暗闇というのはただあるだけで落ち着かない。


 暗闇の中に一人でいると、昔のことを思い出してしまう。

 家族と旅の途中に立ち寄っていた村が盗賊団に襲われ、彼自身も殺されかけた時のことだ。と言っても、実は全く覚えていない。暴走した彼の魔力が人も建物も、そして自身の記憶をも消し去ったからだ。思い出したくても思い出せないのである。

 しかし、その出来事は事実として知っている。焼け落ちた村の跡地も見た。生々しい遺体も見た。

 記憶に閉ざされた暗闇の奥には、かつての光景が今も佇んでいるような気がする。


 少年は頭を振り、底なしの沼に嵌りそうになる思考を追い出した。

 代わりに思い浮かべたのは、今朝見た村の風景だ。

 遠目に見るだけで立ち寄りはしなかったが、なんとなく懐かしい景色だったように思う。なくなる前の記憶が影響しているのだろうか。

 村には一つの人影もなかった。敵が迫っているかもしれないと言うので、近くの町に避難しているのだ。

 大事な牛や畑を一時的とは言え手放さなければならなかった彼らの心情を思うと、暗闇に怖がってなどいられないと勇気が湧く。

 斥候の情報から推測すれば、敵は今夜やって来るはず。

 少年は強く晴嵐の魔石を握りしめ、ごくりと喉を鳴らした。


 ***


 それは天の暴乱だった。

 礫のような水滴が山肌を穿つ。吹き荒れる風は木々を四方八方から翻弄し、次々と薙ぎ倒してゆく。山頂で山崩れでも起きたか、ゴロゴロと大小の石が転がってくる。あの一つにでも巻き込まれれば、子供だろうが大人だろうが即座にあの世行きだ。


 少年は太い木のウロに身を寄せて、雨や風や転がり落ちる石から自分を守っていた。

 ――まさかこれほどなんて。

 晴嵐の魔石を起動してから、まだ五分と経っていない。敵の姿を目で確認したのは、起動の三分前。少なくない数がいた。なのにもう悲鳴は聞こえない。轟音と共に石混じりの土砂が降ってきたので、それに呑み込まれたのは想像がつく。

 『全滅』の二文字が少年の頭をよぎる。

 良いことのはずだ。少なくとも王国にとっては。

 そう言い聞かせようとしたけれど、駄目だった。

 正しいことなのか? こんな、自然に任せた暴力を振るうことが?

 晴嵐の魔石は既に魔力を断って停止させたが、嵐は消えずに残った。その勢いも最初よりは弱まっているから、時間が経てば自然消滅するのだと思われる。

 それまで、じっと耐えなければいけない。


 少年は震える膝を抱いた。雨と風で、全身泥まみれだ。ウロの中に落ちた晴嵐の魔石も半分泥に埋まっている。その一部は起動して間もなく砕け散り、破片は風で飛ばされてしまった。

 怒られるだろうと思った。何をかは分からない。ただ漠然と、自分はしてはならないことをしたのだと理解した。


「……師匠」



 頭の中でアルヴィドの姿が浮かんで消える。師匠の顔は何も映していなかった。帰ったら彼は何を言うだろう。想像もつかない。知りたくない。もし失望させてしまっていたら……。

 嫌だ。見捨てられたくない。

 今まで必死に頑張ってきた。晴嵐の魔石はその一つの成果だ。こんな恐ろしいことになってしまったけれど、その事実は変わらない。だけど、アルヴィドは褒めてはくれなかった。それが全てなんじゃないか?

 少年の思考は泥沼に嵌ったようにゆっくりと、音もなく沈んでいく。魔道具の起動と停止に、大量の魔力と神経を削ったせいだ。

 意識が途切れる間際、知らない男女が優しい微笑みを彼に向けているのを見た気がした。




『この子も死んじゃったのかしら……。でも心臓は動いているわ。ということは死んでないのよ。よおし、起きたら文句言ってやるんだから』


 少年はぼんやりする頭で若い女の声を聞いた。


『山をこんなにしちゃった償いをしてもらうわ。木はたくさん折れちゃうし、山は削れちゃうし、お気に入りの岩はどこかに転がっていっちゃうし、ほんと散々。あーあ、あの岩、上が平たくて暖かくてとても寝心地が良かったのに。……それにしても目覚めないわねえ。もしかしてやっぱり死んでるのかしら? ――わあ!』


 顔を覗き込んできた女が、こちらと目が合うや否や大声を上げてひっくり返った。

 ひっくり返ったというのは比喩ではなく、見たまんまである。

 背中から、それはもう見事に地面へ転がり落ちた。見事すぎてわざとかと思うくらいに。

 女はぱっと起き上がると、左右の拳を空に突き上げた。


『何するのよ! 危ないじゃないの!』

「何もしてないけど……」

『わたしをおどかしたわ!』

「そっちが勝手に驚いたんだろう」

『いいえ、おどかしたのよ』

「君が驚いたんだ」

『むー!』


 女は口を思いっきりへの字に曲げて、少年をめつけた。その目がどこか悔しさと恥ずかしさを滲ませていたのは、彼の気のせいではないだろう。

 少年はおかしくなって、つい笑ってしまった。

 女はきょとんと間の抜けた顔をしたが、すぐに一緒になってケラケラ笑った。


『あーおかしい。人間って変なの』


 変なのはそっちだ、と言いかけた言葉をぐっと飲み込んで、少年は別のことを訊いた。


「君は精霊?」


 精霊が人の形を取るとは聞いたことがなかったが、目の前の女が人間でないことは一目瞭然だ。

 なぜなら浮いているから。背中からひっくり返った時ですら、浮いたままひっくり返っていた。


『違うわ。わたしは魔人。炎の魔人イフリータよ』


 イフリータは偉そうにふんぞり返った。しかし、なぜだろうか。ちっとも偉そうじゃない。ぽわわんとした顔立ちが、いまいち緊張感を感じさせないのか。


「イフリータは何をしにここへ来たんだ?」

『何をって、この山はわたしの棲家よ。いちゃ悪いの?』

「そうではなくて、何のために俺の前に姿を現したのかということ」

『んー?』


 本当に分からないという風に、イフリータは首を傾げた。

 ――頭は大丈夫だろうか。この魔人。

 少年はやや心配したが、それを口にすることは思いとどまった。さすがに失礼だと思ったのだ。少し助け舟を出してやる。


「ほら、さっき文句がどうのこうのって」

『ああ! 思い出したわ』


 女は晴れやかな顔で笑った。

 やっぱり何かおかしい。会話の間が合っていない。人と魔人との差なのか、それともこの女の性格なのか。自分がおかしいのではないはずだ、と少年は不安そうに言い聞かせる。


『あのねえ、あなたたちのせいで、山が火事になっちゃうところだったのよ!』

「火事?」


 少年は眉根を寄せて訝った。

 彼は火を使っていない。敵の中には松明を持っていた者がいた。その者が山に火を点けようとしたのだろうか。あまり意味があるとは思えないが。

 少年の疑念を感じ取ったのか、イフリータはぽわわんとした顔を必死で怒らせる。


『雷に驚いて、何人かが松明を落としたのよ。それが枯れ葉に移って、燃えちゃうところだったの!』

「ああ、なるほど。それなら確かに俺のせいかも」

『でもねえ、その後に雨が降ってきたから、火はすぐに消えたのよ。良かったあ』

「それは俺が呼んだ雨だね」

『えっ。ほんとに?』


 少年がこくりと頷くと、イフリータは顔を輝かせて手を叩いた。


『じゃあ山の恩人ねえ!』

「え。いや、でも、こんな滅茶苦茶にしてしまったけど」


 こんな滅茶苦茶に、というのは、イフリータが独り言で言っていたとおりだ。

 ウロから出て改めて見てみたが、月明かりの下でもその酷さが分かる。未だに水流がゴウゴウと鳴っているくらいだ。

 しかし、イフリータはなんだか愉快そうにケラケラと笑う。


『やあねえ! 形の変わらないものはこの世にはないわ。山だって日々削れ積もっているのよ。それが何百年か早まったところで、どうってことないわよ』

「……そういうものかな」

『そういうものよ』

「じゃあ、そういうことにしておこう」

『そうそう。あなたはわたしの恩人よー!』


 言っている意味は分からなかったが、納得したふりをしておく。この魔人のテンションに付いていくのに疲れつつあった。

 敵と遭遇してから一時間経過といったところだろうか。極度の疲労で眠ってしまったようだが、まだ体調は万全でない。こうしてただ話しているだけでも、体や思考に重さがのしかかっているのを実感する。

 味方が迎えに来るのは明け方の予定だ。あと三時間くらい。


『どうしたの?』


 木の幹を背に再び座り込んだ少年を見て、イフリータは訝しげに呼びかけた。


「少し疲れただけだよ」

『まあ大変。と言ってもわたし、疲れるってよく分からないの。魔人だから』

「ああそうかい」


 正直、イフリータと話すのが一番疲れる。

 いつもの少年なら、どこかに行けと冷たく突き放すところだ。それをしないのは、疲れても話し相手が欲しいからか。いや、人の声を聞いていたいからか。

 ――早く……帰りたい。

 静かで、狭くて、薄暗い部屋で、本に囲まれて落ち着きたい。その願いが叶うのは何日後になるだろうか。

 ああ、早く帰りたい。早く穏やかな日常に戻りたい。

 抱えた膝に顔を埋めていると、次第にうとうとしてきた。そのまま睡魔に身を委ね、少年は浅い眠りについていった。

サブタイトル被りすみません。変更しました。

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