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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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真相を求めて

「やっぱりダメだわ。あなたを見ると、どうしてもあの人を思い出してしまう。ヴィンスのことを」


 コーデリアが俯いていたのは、ほんの数秒のことだった。しかし、クラエスにはもっと長く感じられた。ヴィンスの記憶を呼び覚まし、後悔と罪悪感に苛まれる程度には。

 クラエスを見つめるコーデリアの口元には、優しい微笑が浮かんでいた。

 初めて会った時と同じだ。それなりの年月が彼女を少女から大人の女性へと変えていたが、根っこは何も変わっていない。

 もっとも、クラエスはコーデリアのことをよく知っているわけではない。会ったのはたかだか数回。その程度で彼女の本質を理解したつもりはない。それでも、変わっていないと直感した。

 愛する人を失った時、彼女の人生にどんな大きな波が押し寄せたのだろう。そして、そのうねりにどうして飲みこまれなかったのかと、クラエスは不思議に思った。

 自分ならどうか。もしリルレットが死んだら、今度こそ本当に一人きりの世界へ閉じこもってしまうかもしれない。コーデリアのように、微笑を浮かべてなどいられないだろう。

 しかも、コーデリアの前に座っているのはかつての最愛の人を奪った道具を作った人間だ。優しい瞳の奥に、クラエスに対する怒りや憎しみを隠しているのではないか――彼は平静を装って相手の本心を探ろうとしたが、彼女の微笑から暗い影を見出すことはできなかった。寂しさならあったけれども。


「――というのも、ヴィンスはよくあなたのことを話していたからなの」

「俺の?」


 不意を打たれたように目を瞠るクラエスに、コーデリアは嬉しそうに頷いた。


「ええ。凄い天才だって。何が凄いのと聞いても、返ってくるのは難しくて分からない専門用語ばかりだったけど。とにかく興奮して、あなたと共に学べることを喜んでいたわ」


 そう言うと、ヴィンスの顔でも思い出したのか、コーデリアはふふっと笑った。少女のように軽やかな声音だった。

 今の彼女にとって、ヴィンスは既に過去の人なのだろうか。綺麗な思い出を集めた宝石箱にそっと仕舞って、時折取り出してみては楽しむような。だからこんなにも穏やかに笑っていられるのか。

 いや、違う。

 コーデリアの瞳を覆う涙の膜にクラエスは気付いた。涙が零れないよう、ぎりぎりのところで粘っているのだろう。微かに震える睫毛が、彼女の胸中を何よりも深く語っているように思えた。


「彼、こうも言ってたわ。あなたに負けていられない、って。なのに、その後すぐ逝ってしまった。私を残して」

「…………」


 負けていられない。

 その言葉の意味するところは、やはり、ヴィンスは魔術を諦めなかったのだ。

 二つの夢をその手に掴み、なお三つ目を掴もうと指を開いた。きっと、歯を食いしばって。


「……俺を恨んでいますか」

「あら、どうして?」

「ご存じないのですか。彼を爆発に巻き込んだ魔道具を作ったのは、俺です」

「それは存じておりますわ」

「では、なぜ。俺があんな厄介なものを作らなければ……」


 ヴィンスは死なずに済んだかもしれない。

 その言葉を、何十回も何百回も頭の中で繰り返してきた。そんなことをしてもどうにもならないと分かってはいたが、魔術の道を続ける限り避けられない思考だった。

 しかし、コーデリアはクラエスの思いも寄らないことを尋ねてきた。


「私もお訊きしたいのですけれど、あなたはどうして晴嵐の魔石を作ったの?」

「それは……師匠に、養父に認められたかったからです」

「師匠というと、アルヴィド様? クラエス様はアルヴィド様のご養子だったの」

「ええ。本当は親も兄弟もいません。たまたま魔術の素養を見出され、あの方に引き取っていただけたのです」


 幸運だった。魔術の暴走によって過去は失われたが、代わりに命だけは助かったのだから。あの時村に来たのがアルヴィドだったことも、これ以上ない幸運だった。


「あれを作った頃の俺は、自分の立場を確立するために必死だったのだと思います。必死過ぎて、周りが見えていなかった。魔術師としての実力を示せば、自分がアルヴィド様に引き取られた意味がある――そう考えたんです。だから、特別なことを成す必要があった」


 誰もが成しうるようなことでは意味がなかった。彼はそう思い込んでいた。


「今思えば、子供が親の気を引こうと躍起になっていただけなんでしょう。しかし、出来上がったのは子供の悪戯では済まされない代物だった。何せ気象兵器です。そんなものを、誰の許可もなしに作ってしまった。こっぴどく叱られて、取り上げられました。それで許されたのが不思議なくらいです」

「魔石は厳重に封印されたのでしょう?」

「ええ。いや、一度だけ、ある戦で使われました」

「そう……」


 コーデリアは、心を落ち着けるように軽く息を吸った。


「正直に申せば、恨みました。幾夜も暗い感情にとらわれ続けて、もう二度と立ち上がれないのだと全てを諦めていました。晴嵐の魔石のことも、あなたのことも、お父様から聞きました。なぜあんなものを作ったのかと、胸の中で何度詰ったか分かりません。でも、そのたびにヴィンスが夢に出てきて言うのです。『顔を上げて、笑っていて』って。だから私は――私は――」


 最後には涙を滲ませていた。何年経とうと、大切な人を失った悲しみが癒えることはない。夢の中で言われたことも、結局は夢であり現実ではない。夢を取るか現実を取るか。その狭間で彼女は悩んだに違いない。それを踏まえた上でコーデリアを見ると、彼女の高潔さに目がくらむような思いだった。


「どうか謝らないで。私はあなたが思っているほど強い人間ではないの。もし謝られたら、過去の決意を翻してしまうかもしれないわ」


 口を開こうとしたクラエスの先手を打ち、コーデリアが留めた。

 告げるべき言葉を見失ったクラエスは、そっとハンカチを差し出した。受け取ったコーデリアは、涙を拭かずにじっと刺繍を見つめていた。


「彼、あなたのことを海みたいな人だって言っていましたわ。広くて深くて、得体が知れないって」

「どういう意味ですか?」

「ふふっ。貶してるわけじゃないんですよ。私たちの故郷には海があって、海岸は大好きな遊び場だったんです。たぶんヴィンスは、魔術の才能のことを海に例えたのだと思います。きっと、彼にとってあなたは憧れの存在だったんでしょうね」

「だとしたら、俺は彼を失望させてしまったかもしれません」

「そんなことありませんわ。あの人、一度こうと思ったら一途でしたから」

「ああ、それは分かる気がします」


 コーデリアは軽く笑って、ハンカチを返した。


「昔話が長くなってしまいましたね。まだご用件を伺っていませんでしたわ」

「半分はもう済みました。一度、あなたと会って話がしたかったんです。ここに来るまでに、随分時間が空いてしまいましたが」

「私もですわ。お話できて良かった。それで、もう半分というのは?」

「最近、王都に足を運んだことは?」

「ありませんわ」

「では、赤いドレスを着た女性に心当たりは?」

「いえ、特には……。赤というと、どんな赤かしら。渋めの赤や明るい赤や……色々ありますわね」

「眼を見張るような、鮮やかな赤」

「社交界でなら、なくもありませんけど……。そういう場ではないのですね?」


 クラエスはコーデリアの目を見据えたまま頷いた。


「ええ。町中で」

「かなり目立ちますわね」

「しかし、なかなか正体が掴めないのです」

「それが私ではないか、と……?」

「申し訳ありません。失礼を承知でお伺いしました」


 素直に謝る。コーデリアは嫌そうな顔ひとつしなかった。


「私を疑う理由がおありなのね?」

「あなたを疑っていたわけではありません。ただ、その女性がヴィンスの事故に関係しているのではないかと。ヴィンスに一番近い女性は、あなたしか思い浮かばなかったものですから」

「……一体、その方は何をしたのかしら」


 コーデリアは毅然としながらも、声に不安を滲ませた。これが演技だとしたら、かなりの名女優だ。


「どうやら、俺の命を狙っているらしいのです。そのためには、俺と親しい者を害することすら厭わない」


 言葉にすると、抑えていた怒りが蘇ってきた。

 赤いドレスの女がどんな理由を持っていようとも、手を出してはならない人に手を出した。決して許すことはできない。

 しばらく無言の時が流れた。お互い、それぞれの理由で口を開くタイミングを計っていた。先に沈黙を破ったのはクラエスだった。


「あなたが赤いドレスを着ていなくて良かった」

「……クラエス様」

「そんな顔をなさらないでください。犯人はこちらで必ず見つけ出します」

「……ええ、そうですわね。そう願っています」


 そう言ってコーデリアは頷いた。

 屋敷を出ると、穏やかな薄青の空が迎えてくれた。思いの外長居してしまったが、まだ日は高い。


「ご期待に添えなくてごめんなさい。せっかく王都からいらしたのに」

「いや。こっちに来たのは、その……他にもいくつか用事があったので」


 恋人の家族に会いに来たのだとは言えなかった。明かしても構わないことだから、気持ちの問題だ。妙に照れくさいのだ。たとえばロルフやレイカが話し相手なら、軽口みたく言えただろうけれど。


「それでは、ウェスター卿によろしくお伝えください」

「ええ。こちらに寄る機会があれば、是非またいらして」

「では、また」

「その時はクラエス様の良い人もご一緒に、ね?」


 背を向けようとしていたクラエスは、ぎくっとした顔で振り返った。

 コーデリアは、にこにこと満面に笑みを浮かべて立っている。彼女はしてやったりという風に口に手を当て、


「ふふ、やっぱり。あのハンカチの刺繍、その方が縫われたのでしょう? 男の方が持つには、ちょっと可愛らしいモチーフですもの」


 だからといって縫ったのが「良い人」だとは限らないが、そこはコーデリアの勘が当たったということだろう。それで「してやったり」なのだ。

 クラエスはもう少しで盛大な溜息をつくところだった。辛うじて笑みの形を作る。


「えっと……。うん、まあそんな感じで」

「ふふふ。またお会い出来るのを楽しみにしておりますわ」


 とても楽しそうな彼女の声を最後に、送迎のために停められていた馬車に乗り込む。

 馬車が走り出すと、クラエスはどっと疲れを感じて膝に肘を突いた。

 と、その時。


「お疲れだナー、兄ちゃん。結構長いこと話してたもんな。話すのはともかく、聞くのって疲れるよな。分かるぜ。オレもよく故郷のばあちゃんに何時間も正座させられて説教されたもン」

「ちょっと待て。なんで君がそこにいる?」


 御者台に当然のごとく座っていたのは、昨日も顔を合わせた少年――ナシートだった。昨日と同じ異国の風貌に御者の帽子を被っただけという、何とも不自然極まりない姿だ。こんなものは変装と呼べない、いやむしろ怪しんでくださいと言っているのと同じだ。

 しかしナシートは、自分では完璧に御者を演じきっているつもりなのだった。


「ヘヘン。驚いたか? 変装した甲斐があるってもんだゼ。いいだろー、この帽子。仲良くなった御者のじいちゃんにもらったんだ」

「質問に答えろ」

「質問?」


 きょとんとして目を見開くナシート。


「ああ、なんでここにいるかって? そりゃあもちろん、ユイさんから授かった使命を全うすべく、兄ちゃんを待ってたんだよ」

「だからなんで――ああもう、いいや」


 クラエスは追及を諦めてどかっと座り込んだ。ただでさえ疲れているのに、つまらないことで更に気力を消耗することを嫌ったのだ。

 考えなければならないことがまだあった。

 コーデリアは犯人ではない。ならば当然、クラエスの命を狙う者が他にいる。それは誰か。

 ヴィンスと関わりのある者。赤いドレスの女。

 それと、少なくとももう一人。背が高く、危険な香りのする男。女に比べてこれといった特徴がなく、今ある情報だけで探し出すのは不可能に近い。

 犯人は晴嵐の魔石の欠片を盗み出し、どのような手段を用いてか魔獣を操って街を襲った。

 分かっているのは動機だけ。

 クラエスに対する恨み。

 彼の知らない、コーデリアにも気づけない何かがある。

 どこかで何かが引っ掛かっているのだが、記憶力を総動員しても見つけられない。おそらく途轍もなく些細なことだ。

 気になることと言えば、もう一つある。もとはと言えばクラエスではなく、ナシートが拾ってきた謎だが。

 それは『楽園』だった。

 ナシートが修行のつもりで山の奥地へ潜り込んだところ、突然目の前に夢のような景色が広がったのだという。

 白や黄の花が咲き乱れ、春に訪れる鳥が綺麗な声で囀っては頭上を飛び交う光景。風は生ぬるく、草いきれで蒸し返すような暖かさだったらしい。山を降りた時、衣服は汗でびっしょりと濡れていて、ナシートは危うく風邪を引くところだった。あれは幻なんかじゃなかった、と彼は力強く言った。

 局地的な気候の変化……何か強い力が大地に干渉しているのかもしれない。その何かに、クラエスは心当たりがあった。それは言うまでもなく晴嵐の魔石。しかし本体は既に失われ、いくつかある欠片も国が保存している。赤いドレスの女が盗み出した分以外は……。


(いや……欠片を手に入れる方法は他にもある。あの後(・・・)すぐに修復したから忘れていたが……。そうだ、可能性はある。想像が当たりなら、犯人たちはあの山に登ったに違いない。まさか、ナシートの言っていた『楽園』は同じ場所なのか?)


「で、これからどうするんダ? このまま宿に戻って大人しくするわけじゃないんだろ?」


 黙想に勤しむクラエスだったが、緊張感のないナシートの声で我に返った。


「そうだな。君が言っていた例の楽園に行ってみるよ。ここからそんなに離れていないしね」

「よっしゃ。んじゃちょっとだけ飛ばすか」

「ああ。急いでくれ」

「おうともサ」


 ナシートは張り切って馬に指示を飛ばした。背後に滑りゆく景色を流し見しながら、クラエスは表情を険しくする。

 クラエスとリルレットは、割合のんびりと旅をしてきた。幸いなことに、今のところ何も問題は起きていない。順調とは言えないが、手掛かりが掴めそうなところまで来ている。

 だからこそ不安になる。そろそろ犯人が行動を起こす頃合いなのではないか、と。


「頼むよ、イフリータ」


 もしも危険を感知したなら、リルレットを連れてなるべく遠ざかってくれ。

 しかし、彼の願いも虚しく――まさに今、二人は危険のど真ん中へと突き進んでいたのだった。

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