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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第六章
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過去

 初めてコーデリアを見たとき、クラエスは強烈ではないものの鮮明なイメージを思い浮かべた。

 晴れた日の凪いだ海と、真っ白な陽射しと真っ白な海岸。どちらも一点の曇りのない光の塊だ。

 眩しさに思わず目を細める。比喩ではない。本当に眩しいのだ。日傘を差した彼女は、太陽を背に立っていたから。木陰に座ったクラエスがコーデリアを見上げると、ちょうど顔のあたりが木漏れ日と重なる。


「……お客さん?」

「はい。コーデリア・キャラハンと申します。お見知りおきを」


 流れるようなお辞儀の中に、わずかな緊張が見られた。初対面のせいか、ここに来る前に噂を聞いたからなのかは、上手く隠しているせいで読み取れない。

 クラエスは一瞬迷った末、開いていた本に栞代わりの落ち葉を挟んで隣に置いた。

 ええと、さっき彼女はなんと言ったか。確か……。


「ヴィンスの婚約者?」

「ええ。幼い頃からの約束で。故郷が同じなのです」

「約束、ね」


 それで追いかけてきたわけか、ヴィンスを。

 周りを見ても、供らしい人影はない。まさか一人で来たわけはないと思うが。

 よく分からない思いがクラエスの中に渦巻いた。

 故郷からはるばる恋人を追いかけてきた女。昔から願い続けてきた結婚。

 故郷も幼き日の約束も、記憶のない彼には縁遠い言葉だ。そのせいでコーデリアが別の世界の住人のように思えた。

 それに彼女は真っ赤なドレスを身に纏ってるた。これからパーティに出席するのかというくらい派手な装いだ。赤でさえなければ街を歩いても違和感はないのに、赤であるために物語の登場人物のような唐突さを覚える。

 クラエスの視線に気づいたのか、コーデリアは照れたように自分の姿を見下ろした。


「妹が勧めてくれたのです。この色が一番似合うからって」

「ヴィンスには、これから会いに?」

「ええ、そうです」


 直前の発言を無視した問いかけにもかかわらず、コーデリアは微笑んだまま頷いた。

 クラエスの無愛想について来られる人間なんて、そうそういない。

 大抵のご令嬢は、ぞんざいな扱いを受けるとたちまち憤慨する。彼女らの多くは、生まれてからずっと神様か何かのように扱われてきたのだろう。

 最初のうちはわけが分からなかったが、理由が分かった途端、不用意な発言は控えるようになった。ただし、その代わりに愛想を振りまいたかというとそんなことはない。むしろ、会話を最小限に抑えるようになっただけ無愛想さが増した。

 そんな自分を自覚していたから、コーデリアの反応には少し驚いた。

 たぶん、呑気な性格なのだろう。仕草や言葉遣いがおっとりしているし、マイペースだ。

 コーデリアは目の前の男に内心でどう思われているか知らずに、西の方角を見ながらのんびりとした口調で言った。


「ですが、問題がひとつ。先ほど宿舎へ参りましたら、彼、どうやら不在らしくて。丁度そこへいらした同僚らしき方に、どこへ行けば会えるかお尋ねしたんですけど、『中庭で本を読んでいる男に訊け』と言われて。えっと、あなたのことでよろしいのですよね?」

「……たぶんね」


 ちょこんと首を傾げる客人から顔を逸らし、クラエスは深い溜息をついた。

 この場所を教えたのは、おそらく彼と同じアルヴィドの弟子の誰かだろう。ちなみにヴィンスの師匠もアルヴィドだ。

 いくら師匠が同じだからといって、常にお互いの居場所を把握しているわけではない。逆に知っていたら怖いくらいだ。

 コーデリアが会ったという『同僚』も、ヴィンスがどこで何をしているかなんて知らなかったに違いない。もちろんクラエスも同様だ。訊かれても困る。誰に訊いたって答えは変わらない。


「……ったく」


 誰だか知らないが、面倒事を押し付けてくれてどうもありがとう。本当に誰だかは知らないが、心当たりはあり過ぎるほどあるから、片端から当たっていけばいずれ辿り着くだろう。もっとも、そんなことはしない。いちいち犯人探しをしていたのでは時間が勿体ない。

 クラエスは兄弟子たちから快く思われていない。後から来たくせにアルヴィドの期待を一身に背負っているのが、彼らには面白くないのだ。

 だから、時々こうやって嫌がらせをしてくる。内容は単純だったり酷く手が込んでいたりと、時と場合と仕掛け人によって様々だが、いずれにしても迷惑であることに変わりはない。

 一番面倒なのは、コーデリアのように本当に困っている人を回してくることだ。

 クラエスは無愛想には違いないが、困って頼ってきた人間をたらい回しにするような冷血漢ではない。


「あの、どうでしょう。ヴィンスの居場所、ご存じありませんか」

「うーん」


 気は乗らないが、部外者を敷地内に放置しておくわけにもいかない。中庭ここはまだ研究区画の入り口にすぎないが、奥には一般人に見せられないような魔術の道具がたくさんある。万が一迷いこんで、事故が起きるかも分からない。

 クラエスは仕方なしに重い腰を上げた。


「分かった。ヴィンスの居場所は俺も知らないけど、とりあえず居そうなところを探してみよう」

「あ、ありがとうございますっ」


 謙虚さの中に押し込まれていた光が、急に輝きだしたようだった。

 泰然と構えているように見えていたが、知らない土地にやってきたばかりで本当は心細かったのかもしれない。そのことに気づくと、突然コーデリアが勇気ある人物に思えてきた。婚約者に会いたいという一途な思いが、彼女を突き動かしているのだろう。それほどまでに純粋な人間を、クラエスは見たことがなかった。


 倉庫に一人でいるヴィンスをみつけるのに、結局三十分以上の時間を要した。

 魔術関連の施設は他に比べて多くないが、一つひとつが離れている。そのせいで移動時間も余計にかかってしまうのだ。

 予想していた場所にヴィンスの姿はなく、地上を焦がしかねない日光をできるだけ避けながら探し歩いた。

 コーデリアの頼みを引き受けたことを後悔しながら、実験棟の脇にポツンと佇む倉庫の前までやってきた。半ば投げやりにその扉を開けたクラエスは、むわっと押し寄せる熱気に思わず息を止めた。

 羽虫を吸い込んだかのような不快感。あまりの暑さに、全身が乾いて砂になりそうだ。

 クラエスはすぐに自分を責めた。

 倉庫には窓がなく、扉を閉めれば夏は石窯で蒸される気分を味わえる。こんなところに人間がいるわけがない。何を血迷って倉庫なんかを探そうと思ったんだ……。

 しかし、いた。子供の膝くらいの高さしかない椅子に火を灯した燭台を乗せて、何かの資料を漁るヴィンスの姿があった。

 彼は見るからに夢中だったが、空気が動いたせいかすぐに二人の存在に気がついた。その額やこめかみには、玉のような汗がびっしりと浮かんでいる。暑さは感じているようだ。


「やあ、クラエス。君も資料を探しに来たのかい?」


 きょとんとした後、にっこりと笑う兄弟子を一睨みすると、クラエスは無言でコーデリアのために道を開いた。

 同時に、クラエスの隣を一陣の風が駆け抜けた。

 真っ白な日傘が少女の手から離れ、地面を転がる。


「ヴィンス!」


 コーデリアは叫びながら、ヴィンスの胸に飛びこんだ。


「ディリー? な、なんで君がここに」

「決まってるじゃない。あなたに会いに来たの!」

「え、ど、どうして」


 ヴィンスは吃りつつ、やり場のない手を宙に彷徨わせる。女の両手はしっかりと彼の背に回されているのに、男の方は戸惑いを隠しきれないのが不思議だった。

 ――婚約者じゃなかったのか?

 ヴィンスは気懸かりなことが十個も二十個もあるというような顔で、


「あの……ディリー、まさかとは思うけど、王都には君一人で?」

「本当にまさかね。アビーとブレントも一緒よ。お父様には内緒だけど。あなたと結婚するっていくら言っても聞いてくれなかったから、お祖母様に許可を頂いて来ちゃったの。お父様ったらお祖母様にだけは頭が上がらないんだから、笑っちゃう」

「来ちゃったって……え、ええっ?」


 ――呆れた。このお嬢様、親に無断で家を飛び出してきたらしい。

 婚約者の動揺が面白いのか、コーデリアは大きな目をきらきらと輝かせて笑っている。

 まったく反省していない。クラエスでさえ、思わずヴィンスに同情してしまう。しかしその一方で、意外と大胆なことをする彼女に感心もしていた。


「だって、お父様ったら他の男性と結婚させるだなんて仰るんですもの。あなたと約束してるのに」

「そりゃあ小さい頃の約束だろう? あの頃と今とは……違うんだから」


 ヴィンスの表情が明らかに変わった。

 戸惑いから哀しみへ。だが、一瞬だけ表出したコーデリアへの愛情を、クラエスは見逃さなかった。

 ヴィンスの家は数年前父親が事業に失敗し、借金に苦しんでいると聞く。その父は今や病床にあり、おまけに母親は彼が幼い頃に死去している。

 窮地に立たされたへヴァン家にとって、魔術の素質をもつヴィンスは最後の希望なのだ。

 一人前の魔術師は非常に重宝される。給料も高いし、名誉もついてくる。力量さえあれば、一代で巨万の富を築くことも夢ではない。まさに起死回生のチャンスだ。

 けれど、コーデリアの父はそうは考えないかもしれない。魔術師として成功するかどうか分からない今は落ちぶれた下級貴族の若造と、大事なひとり娘を結婚させたがるだろうか。鼻息を荒くして反対する姿が目に見えるようだ。会ったことはないが。

 コーデリアは脳天気だった。腰のリボンを手で触りながら、うきうきと男に話しかける。


「ねえ、どう思う? 似合ってるかしら、このドレス」

「ああ、うん、似合ってるよ。けどそんなことより、ディリー――」

「嬉しいわ。リアが見繕ってくれたの。私は地味だから服に負けちゃうんじゃないかと思ったんだけど」

「そんなことはない。そんなことはないけど、そんなことよりだね……」


 クラエスは黙って立ち去ることにした。

 いまいち咬み合わない二人の会話は頭が痛くなりそうだ。第一、彼らはもうすっかりクラエスのことなど忘れているような感じがした。こっちもさっさと忘れよう。なんだか一波乱起こりそうな予感もするし。

 彼らの声が聞こえなくなった辺りで、クラエスは立ち止まって上を見上げた。

 何もない真っ青な空を、二羽の鳥が悠々と飛んでいた。

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