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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第一章
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正騎士ロルフ

 庭の方で、盛大な物音が聞こえた。何か重たい物が落ちてくるような。新しい使用人が何かしたのかと思ったが、すぐにイフリータの上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。今までは使用人がいると石に閉じ篭って出てこなかったのに、自分から姿を現わすなんて珍しい。クラエスは居眠りをやめて身を起こした。


 炎を操る魔人が陽気なのはいつものことだが、彼女が初めて会った人間に正体を教えるなんてクラエスの知る限り初めてのことだ。余程リルレットという少女が気に入ったのだろう。そういえば、レイカが送ってきた彼女の個人情報を見ていたとき、イフリータは興味深そうに覗き込んでいた。何の変哲もない普通の少女に思えたが、何か感じるところがあったのだろうか。魔人の考えることは分からない。


 眠気覚ましに背伸びをすると、毛布代わりに背中に掛けていたインバネスが床に落ちた。癖のないブロンドを掻き回しながら、背をかがめて拾い上げる。それを無造作に椅子の背凭れに引っ掛けると、外壁側の本棚の前に立って目的の資料を探した。探すといっても、自分で並べたものだ、一瞬で見つけ出す。著者名もタイトルもばらばらに放り込んであるから、他人が使いこなすのは困難だろう。


 ずっしりと手ごたえのある書物を引き抜いて机に戻ろうとしたとき、ドアを乱暴にノックする音が聞こえた。音量、回数、間隔で誰だか見当が付く。そもそも、約束もしていないのにこの屋敷を尋ねてくる人物は一人しかいない。

 返事を待たずにドアを開く気配がし、皮鎧をまとった青年が姿を現わした。


「よっ。久しぶりー。庭が騒がしいけど、なんかあったのか?」


 クラエスは胡乱げな視線を男に送り、机に戻った。


「相変わらず騎士らしくない格好だね。ロルフ」

「街に出るときはなー。こっちの方が動きやすいんだよ、いろいろと」

「いろいろ、ねぇ」

「そ、いろいろ」


 本棚に収まりきれず、床に積み重なっていた本の山から椅子を引っこ抜くと、ロルフは背凭れを抱え込むようにして座った。


「で? で? 何かあったか?」


 お調子者も相変わらずだ、とクラエスは苦々しく思った。


 ロルフ・ブラント。クラエスと同じ二十三歳で、騎士団の歴史上最年少で正騎士となったエリート。剣の腕もさることながら、的確な状況判断や作戦立案などに優れ、おまけに毛並みもいいということで、早くも金糸雀カナリア騎士団の次期副団長候補に名を連ねている。本人は、副団長になるとしても十年は先だなどと言って余裕だ。

 ちなみに騎士団は金糸雀騎士団と飛燕ひえん騎士団があり、この二つはお互いをライバル視して訓練の順序から昼食に出される肉の大きさまで、ありとあらゆることを競い合っている。


 クラエスとロルフは幼い頃からの友人だ。クラエスが王都に連れてこられた十歳の頃から、何となく気が合ってつるんでいる。といっても、最近はもっぱらロルフがハンメルト邸に訪ねてくるばかりで、クラエスの方から連絡を取ろうとしたことはここ数年で一度もない。ロルフは、クラエスと外界を繋ぐ唯一の橋なのである。

 ロルフの人好きのする顔を見るに追い返すのも無理そうだと、クラエスは諦めて溜息をついた。


「新しい使用人を雇ったら、イフリータが大はしゃぎした」

「へえ。そいつはいいな」

「どっちが?」

「どっちもだよ、当然だろ」


 何が当然なのかクラエスには分からなかった。ロルフは分からないのが信じられないというような顔をして、


「新しい使用人が見つかったんだろ。めでたいじゃないか。イフリータちゃんが喜んでるんだろっ。めでたいじゃないか!」


 何やら興奮して最後の方は叫んでいた。


「まぁ、めでたくないことはない。でも彼女が辞めたら、またゼロからやり直しだ」

「イフリータちゃんが気に入った子ってことだろ? 今回は大丈夫なんじゃないかな。ってか、今度の使用人は女の子か。そいつは尚いいな!」

「嬉しそうだね、お前」

「そらそうよっ。お宅訪問が捗るってもんよっ」


 嬉々として体を揺らすロルフとは対照的に、クラエスはどこか冷めた反応だ。小さく嘆息して、彼は資料を開いた。そんな冷たい友人に構わず、ロルフは椅子をガタンガタンと鳴らしながら近付いてくる。


「なぁなぁ、どんな子? 可愛い?」

「ああ、可愛いよ」

「どんな風に? ご令嬢な感じ? 素朴な感じ? お前性格キッツイの嫌いだよな。オレもオレもー。そんなの身近に置きたくないわなっ」

「気になるんなら見てきたらどうかな」

「その言葉を待っていたっ、そうするぜ!」

「ちょっと待て」


 弾丸のように飛び出したロルフだったが、見えない壁に阻まれてガンッと顔面をぶつけた。恨めしそうな目で振り返るが、そんなことで怯むクラエスではない。


「発言を撤回する。女好きのお前に会わせて彼女を傷つけでもしたら、俺が責任を取らされるんだ」

「責任? 誰に?」

「…………」


 答えないクラエスに友人がにやりと笑ったが、見なかったことにした。


「ははは、でもなんか良かったよ。そうか~。これでオレもお前の面倒見なくて済むか~」


 まるでずっとロルフの世話になっていたかのような言い草だ。そういう部分も無きにしも非ずだが、割合にして一割にも満たない。


「その、椅子をばったんばったん言わせるのやめてくれないかな。床が痛む」

「絨毯敷けよ」

「お前に命令される謂れはないよ」

「ちぇっ。ケチだな相変わらず」

「お前にケチと言われる覚えもないよ」


 仲間内で飲みに行っても、何やかやと理由をつけて支払いを逃げ回るような男だ。人のことをケチなどと呼べるような立場ではない。

 それにしても、貴族の三男坊に放蕩者が多い話はよく聞くが、仮にも長男である彼がこんな調子でいいのだろうか。心配するだけ無駄だと分かっていても、彼の家族のために不安を抱くクラエスである。


「そんなことより、用事があってきたんじゃないのかい。こっちとしては、静かに仕事したいんだけどな」

「おっ。それだよ、それ! お前の上司――ユイさんから、近いうちに顔出すようにって言伝。渡したい物があるんだとさ」

「渡したいもの……」


 思い当たる節がない。もちろん、魔術研究局の局長ユイ・セイナードとは、理由もなく贈り物をされるような間柄ではない。ロルフを見やると、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。こいつ、知ってるなと直感する。ロルフに優位に立たれると、何が何でも反抗したくなるクラエスである。


「悪いけど、近いうちは無理だ。代わりに使いをやるって、局長に伝えておいてくれないかな」

「馬鹿ヤロウッ。そんな報告したら、オレが怒られるんだぞ!?」

「だから悪いけどって言っただろう。代わりに怒られてくれよ」

「はいそうですかと引き下がれるかっ」


 しかしクラエスは、一歩たりとも敷地の外に出る気はサラサラないと涼しげな顔で繰り返す。外は暑いし疲れるし面倒だし嫌だうんぬん。五分に渡る押し問答の末、彼の強固な意志は砕けないと悟ったロルフは、悔しげに汗を滲ませて掌を握り締めた。


「ちっ、今日は大人しく引き下がってやるが、今度同じことしやがったらタダじゃおかねーぞ。お前の上司怒るとすっげー怖いんだからなっ。って、なんでお前のせいでオレが怒られなきゃいけないんだよ!」

「いつもお勤めご苦労さん」

「くっそー! いつか見返しちゃる、あの局長とあとお前!」


 その後、いくつかとりとめもない噂話を一方的に聞かされたクラエスは、きりの良いところで追い払うようにロルフを帰した。彼はまだ新しい使用人の顔を見ることを諦めていなかったようだが、最後には時間がないことを認めて憎憎しげに帰っていった。


 静けさを取り戻した数分後、たんったんっと軽快な足音を立て、リルレットが降りてくる。玄関ではなくこちらに向かうのが気配で分かった。予想通り、ややあって三角巾を頭に巻いたリルレットがひょこんと顔を覗かせる。


「あのー、お水を汲みたいんですが、井戸ってありますか?」

「庭にあるよ。玄関を出てぐるりと回るといい」

「ありがとうございますっ」


 満面に笑みを咲かせ、少女は跳ねるように立ち去った。あっという間に本棚の影に消えていった背中を見送り、クラエスは呟く。


「ロルフ、ああいう子好きだろうな」


 当分はヤツが来たら門前で追い返そうと、悪巧みするクラエスだった。

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