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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第五章
48/69

ユイの計画

「あの声はリルレット?」


 リルレットの悲鳴だと気付いた途端、足元から寒気が這い上がった。

 彼女の身に何かあったのか? まさか、また襲われたなんてことは……。

 あるはずがないと思いつつも、魔獣に襲われて動けない姿やイシエが消えた夜の儚げな姿が脳裏に蘇り慄然とする。

 同時に、ユイの不敵な顔も思い浮かんだ。リルレットに危険が及んだとしても、ユイが何とかしてくれるはずだ。そのために避難場所として頼んだのだから。

 しかし、それなら何故リルレットは悲鳴を上げているんだ。怯えるようなことがあったに違いない。転んだとか、虫が顔の前に飛び出したとかその程度ならいい。彼女が怪我をしたのはたった一週間前の出来事で、結びつけて考えるのも無理はない。


 気が付いたら駆け出していた。

 記憶を辿り、声のした方へ全速力で走る。

 一階、いや二階か。二階には個人の研究室と資料室、倉庫があったはずだ。一度も利用したことはないが。

 薄暗い階段を数段飛ばしで駆け上る。

 二階の廊下は平穏そのものだった。

 尋常でない悲鳴がしたというのに、部屋に篭ってる研究員は何をしているのか。答えは聞くまでもない。研究に没頭していて聞こえないか、聞こえていても無視しているかのどちらかだ。


「くそ!」


 再び悲鳴。

 さっきよりも小さいが、近い。倉庫だ。

 クラエスは右前方の扉の取っ手を掴むと、迷わず引いた。

 不意の明るさに、思わず腕を掲げる。

 目を眇めて指の隙間から部屋を見る。

 光の正体は、天井に漂う魔術の明かりだ。ある意味、クラエスにとって一番馴染みの深い光源である。そのおかげで、すぐに目が慣れた。

 横に広い部屋に、同じ型の木棚がいくつも並んでいる。一列につき五本、三列ある。そこには何に使うのか分からない怪しげな道具が、おおよそ整理整頓とは程遠い適当さで詰め込まれている。おそらく置いた本人も、どこに何があるかは把握していないだろう。

 リルレットは入り口と反対側の壁際にいた。小さな体が更に小さくなっている。窓から助けを求めようとしたのだろうが、あいにく倉庫にドア以外の出口はない。

 怯えた瞳がクラエスを見つけると、一瞬だけ喜びに揺れた。

 たまらなく愛しさが込み上げる。たった半日離れていただけなのに、何年もの空白が二人を引き離していたとさえ思える。

 クラエスはすぐに駆け寄ろうとした。

 しかし、二人の間にいる者の存在がそれを阻む。ユイだ。彼女はリルレットより一拍遅れて、驚愕に満ちた目でこちらを振り返った。


「貴様……!」


 艶やかな唇から悔しそうな声が放たれた。

 その瞬間、クラエスはほぼ全てを悟った。

 ユイがなぜリルレットを追い詰めているのか。なぜ少女が怯えているのか。

 邪魔者の出現に気を取られていたユイは、脇をすり抜ける少女の動きに対する反応が遅れた。

 どんっと重い衝撃がクラエスの胸に当たる。

 何の躊躇いもなく飛び込んできたリルレットの体を、クラエスは柔らかく抱きとめた。


「クラエス様っ」

「リル!」


 ぎゅうっと絞るような力強さで腕を絡めてくる。安心させるように背中を擦るも、リルレットは必死でしがみついて力を緩めようとしない。余程怖かったのだろう。母親を見失った子猫のように震えている。

 許せない。

 クラエスは底冷えのする目で上司を睨んだ。

 驚愕で身動きの取れなかったユイは、一転して堂々たる態度を取っている。肩にかかる白銀の髪を払うと、魔術の明かりが反射してキラキラと輝いた。これも明かりのせいなのか、記憶にある姿よりも若々しく見える。

 魔女は若い娘の血を浴びると、かつての瑞々しい姿を取り戻すという。魔術師の真実を知らない者が書いた俗説にすぎないが、今この瞬間に思い出したのには理由があるはずだ。

 クラエスには、ユイが血を求めて彷徨い歩く魔女と重なって見えた。


「お久しぶりです。局長」

「うむ。確か去年一度会ったかな」

「気のせいです」

「あれ、そうだったか? ではロルフと間違えたかな。お前たちは本当によく似ているからな。生き別れの兄弟かと思う程に」

「似てません」


 リルレットの震えはだいぶ収まり、今は彼の腕から逃れようと藻掻いている。その必死の足掻きを片腕で封じつつ、


「惚けるのも大概にしてください。あなたの計画は失敗に終わったんです。もう全部分かってるんですよ」

「一体何の話だ? 私にはさっぱり分からんぞ」

「説明が必要なら話しますが、時間の無駄でしょう。大人しく失敗を認めてください」

「ふん、生意気な口を利くようになったじゃないか。ありゃ、昔からだったか?」

「局長」


 挑戦的な視線の先で、ユイのこめかみから一筋の汗が伝い落ちた。

 さすがに動揺は隠せなかったらしい。唇を真一文字に引き結んで、一歩も引かない引きたくないの構えだが、実は崖っぷちまで追い詰められている。肩をちょっと押せば、足を踏み外して真っ逆さまに転落してしまうだろう。

 彼女の表情から自白を期待するのは無駄だと悟ったクラエスは、リルレットの体を半回転させて進行方向に向けると、背中を押して強引に歩きだした。


「局長がそのつもりなら、こっちにも考えがあります」

「どこへいくつもりだ、ハンメルト」

「局長の旦那さんのところへ。あなたに敗けを認めさせる、最も効果的な方法を取るんですよ」

「な、なんだと!?」

「旦那さん!?」


 切り札を見せられたユイは顔を真っ青にし、なりふり構わず飛びかかってきた。


「や、やめろー!」

「うわっ、何するんですか。局長ともあろう人がみっともないっ」

「そんなこと知るかっ」


 そんなことで片付けるな、と言い返そうとして、クラエスは背中にぶつかった衝撃に息を詰まらせた。

 なぜかリルレットが襲ってきた。

 凶暴な野獣を必死で食い止めている腕にしがみつき、好奇心溢れる熱い視線を送ってくる。


「ユイさん結婚なさってたんですか? 旦那さんどんな方なんですか? お子さんはいらっしゃるんですか? ねえねえ!」

「リルレット、その話は後で――」

「ふがー!」


 二人の女性に板挟みにされたクラエスは、まずはユイを引き剥がすべく、理性を失った彼女の頭をぐいぐいと押した。

 が、ちょっとずつしか動かない。女性とは思えない怪力だ。日頃から鍛えている肉体派ならいざ知らず、日々本と睨めっこしているクラエスには少し厳しい。歯を食いしばり、なんとか押し返している。

 頑張る彼の背後から、空気を無視してリルレットが尋ねた。


「あのー、ちょっと今いいですか? ユイさんの旦那さんって何歳なんです?」

「リル、レット、だから、今、その話は……」

「がおー!」


 少し気を緩んだ瞬間、クラエスは後ろのリルレット共々突き飛ばされた。少女の小さな悲鳴が聞こえる。扉にぶつかったのだ。

 しまった、と後悔したのも束の間、獣と化したユイが二人に向かって襲いかかってきた。

 振り乱した髪。ずれた眼鏡。たぶん目の前も見えていない。

 咄嗟に魔術で阻もうとした瞬間、外套の裏から小さな影が飛び出す。紅い光を纏ったそれは、ユイの顔の真ん前に立ちはだかると、迫る鼻先をぴんっと指で弾いた。


「んがっ」


 喉が詰まったような声を出して、ユイはゴロゴロと床を転がっていく。二回、三回と回転し、ようやく壁にぶつかって停止する。その時、ゴッと鈍い音がした。

 ユイは手足を投げ出して壁に凭れかかったまま、ピクリとも動かない。

 ……死んでしまったのか。

 さすがのクラエスも心配する。

 彼はえっへんと胸を張るイフリータを懐に戻すと、ユイの傍らに膝をついた。リルレットも大人しく付いてくる。ついさっきまで震えていた彼女だが、恐怖の影はすっかり消えている。忘れたわけではないが、慣れてしまったようだ。ある意味そちらの方が危ない。

 離れているように言おうとしたその時、ユイが息を吹き返した。


「カハッ! がふ、ごほっごほっ」


 肩と胸を大きく上下させ、何度か咳を繰り返した。再び顔を上げた彼女は、元の美しい局長に戻っていた。野性味溢れる姿を晒した後では、虚しさしか残っていないが。


「く、くく。今のは効いたぞ、ハンメルト」

「やったのは俺じゃないですけどね」


 勝者は彼の懐で安らかに眠っている。完全に覚醒したのではなく、契約主の危機に反応しただけのようだ。

 イフリータの存在に気付いていないユイは、ぎこちなく首を動かしてリルレットを見つめた。


「すまなかった。君を襲うつもりはなかったのだが」

「はぁ」

「実は、実験台に不足していてね。それで君の体をほんの少しだけ使わせてもらおうと思ったのだ」

「ほんの少し……?」

「騙されるな、リルレット。この人の『ほんの少し』は『気が済むまで』と同義だ。大体、何が襲うつもりはない、だ。しっかり襲った後で言っても説得力皆無ですよ。まったく、何度似たような面倒事を起こせば気が済むんだか……」


 生きていたなら心配する必要はないと判断し、クラエスはリルレットの手を引いて立ち上がった。少しでもユイから少女を引き離しておきたい。

 そんな彼の意図を汲んだのか、ユイは力無く笑う。全盛期をとうに終わらせた戦士のような表情だった。


「ふっ。いいさ。いずれお前にも、私の真意が分かる日が来る。その時は、酒を酌み交わして喜ぼうじゃないか。新たな時代の幕開けを――」

「ちなみに、それってどんな実験なんです?」


 万感を込めた台詞を無視するリルレットの一言は、ユイに思わぬ打撃を食らわせた。

 人の迷惑顧みないやり方の是非はともかく、彼女は己の実験に心血を注いでいたのだ。人生の全てを懸けて。

 しかし目に見える形でなければ、他の人にとってはゼロと同じ。それを思い知らされたユイは、一瞬投げやりな表情になった。が、すぐに輝きを取り戻した。


「そうか、知りたいか。なら教えてあげよう。私の夢は、ヒトモドキを作り出すことなのだ」

「ヒトモドキ?」

「そう。生なき依代に命を吹き込んだ操り人形、それがヒトモドキだ!」

「安直というか率直というか」


 一人で盛り上がっているところに水を差すのは気が引けて、小声で素直な感想を呟く。

 もし彼女に捕まっていたらどうなっていたのだろう。人体実験というからには、体を切り刻まれたりするのだろうか。

 ――いや、ちょっと待って?


「あのぅ。私、生きたまま実験台にされるところだったんでしょうか。そもそも人形じゃなくて人間なんですけど」

「良いところに気がついたね。君を狙った理由は、この実験の真なる目的と関係しているのだが……」

「はっ。もしかして、綿を抜かれたぬいぐるみって……!」

「うむ。もちろん前の被験体だ。君、人の話を聞かない子だね」

「悪魔です! あんな可愛い子たちを平気で犠牲にするだなんて、ユイさんは本当の悪魔ですー!」


 せっかくの苦言も聞いてはいないリルレットだった。

 怒っているのだか悲しんでいるのだかクラエスにもよく分からないが、とにかく酷く興奮している。いったい何が彼女のスイッチを入れたのか。

 ふと、ユイと目があった。

 助けを求めている。


「……仕方ないな」


 クラエスはやれやれと肩を竦めた。

 このままでは元々の用件も切り出せないし、ここは一つ恩を売っておこう。とにかくリルレットを大人しくさせればいいのだろう。

 彼は身振り手振りで何かを訴えるリルレットの頭を優しく抱き、その耳元にそっと唇を触れた。


「リル。すぐ終わるから、少しの間静かにしててくれるかな」


 その瞬間、リルレットは目を見開いたまま金縛りにあったように動かなくなった。

 ユイの口から、ほう、と感心の声が出る。


「なんだ、お前たちはそういう関係か」

「ええまあ、実は」

「ほうほう」


 もちろん嘘だが、クラエスにしてみれば確定事項なので問題はないと思っている。もし嘘がリルレットにバレても、当分はからかって遊べる。その方が面白いかもしれない。


「楽しそうで何よりだ」

「どうも。それよりお話があるんですが」

「聞こう」


 そう言って、ユイは《局長》の顔に戻った。

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