表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の都で恋をして  作者: 良田めま
第五章
47/69

もう一つの道


「イフ……リータ?」

『はぁい。おはよ、クラエス。久しぶりねぇ。あら、ちょっと見ない間に随分成長したみたい? 人間ってこんなに大きくなるものだったかしら』


 君が小さくなったんだよ、と突っ込む余裕もなかった。衝撃が強すぎて頭の回転が鈍くなっている。

 確かにイフリータだ。大きさはともかく、顔も声も着ている物も似ているし、こちらの呼びかけに返事をした。間違いない。でもなぜ幼女?

 困惑が渦巻く。

 とりあえず、台座の竜の隣に置いてみる。背丈はぴったり同じ。赤と青で仲が悪そうに見えるが、今のところ、顔を見合わせた二人に不穏な気配はない。


「……置物としては不釣り合いだな」

『誰が置物だコラ!』


 怒る竜を無視して、ユーリアがひょっこりとイフリータの顔を覗きこんだ。


「んー、この子もアレのせいで力を失っていたみたいね。ここの水路は街中に繋がっているから、水を通して悪影響が及んでしまったんじゃないかしら」

「そうだと思う。地上で魔術を使う時、微量な魔力が街全体に広がっているのを感じた」

「正解ね。この子、どうやらまだ力が回復しきっていないようよ。暫くしたら完全に元通りになるでしょうけど」

『おいコラ、謝れって! 聞いてるのか!』

「うるさいわね。図体と一緒に器量までちっさくなっちゃったの? ……はい。ちゃんと持ってないと悪い竜に食べられちゃうわよ」


 そう言ってユーリアはクラエスの腕にイフリータを返した。目覚めたばかりのイフリータはまだ眠いのか、大きな欠伸をすると子猫のように丸くなった。すぐにスヤスヤと気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。

 弱っている以外、異常はなさそうだ。小さな姿になっているのには驚いたが、一緒にいれば直に慣れるだろう。リルレットは小さいものが好きだから、却って喜ぶかもしれない。


「安心したみたいね?」


 ユーリアの言葉で、無意識に微笑んでいたことに気が付いた。口元に手をやって確認までしてしまって、妙に照れくさい。


「そう、みたいだね」


 イフリータと出会っておよそ十年。内四年間は、ほぼ二人きりで過ごした。

 友人であり家族でもある不思議な存在。

 以前、彼女に私がいなくなったら寂しいかと聞かれた。クラエスはその問いかけに、寂しさは遅れてやってくるだろうと答えた。その通りになった。まさか本当にいなくなるなんて思いもしなかった。


「帰ってきて良かった。本当に」


 絶対に助けると決心していたものの、いざ目の前に本人が現れると、これは嘘なんじゃないかと疑ってしまう。

 イフリータが消えた時、傍から見れば彼は冷静だったのかもしれないが、実際はどう動けばいいのか分からなかっただけだ。

 今度も同じ。現実感がない。頭が働かない。

 ただ、今回は前みたいに寂しがらなくても済みそうだ。寂しくなったといっても、恋しいのとは違う。言い争う相手がいなくて物足りなかっただけである。

 イフリータを懐に戻して顔をあげると、ユーリアと目が合った。彼女は意味ありげにニッコリした。

 彼女はなんでもお見通しらしい。


「さ、落ち着いたところで話を戻させてもらうわね。あなたたちは気付いてないでしょうけど、もう夕刻よ。急いで上に戻らなきゃね」

「なんだって?」


 時刻どころか、ここが地下だということすら忘れかけていた。冗談であることを願ったが、ユーリアは本当に急ぎたいらしい。

 そういえば、彼女がなぜ幽体のまま地下を彷徨っているのか聞いていなかった。王であったことが条件なら他にも彼女のような幽霊がいても良さそうだが、そうではないように見受けられる。機会があるなら話を聞いてみたいものだ。


「あれは十日くらい前だったかしら。その壊れた魔石を人が運んできたの。二人組よ。一人は背の高いおっさん。柄が悪いというか、危険な香りがしてたわね。なんか既にってそうな、そんな感じ」

「近くで見てたのか。よく無事だったな」

「だって私幽霊だもの」

「……忘れてたわ」


 あっけらかんとした回答に、ロルフは些かげんなりした。あまり怪談話は得意な方ではないのかもしれない。


「で、もう一人は?」

「女よ。女の方が箱を持っていたの」

「箱?」


 ユーリアはクラエスの握ったままの右手を指し、


「それが入ってた箱よ。魔力を封じてたんじゃないかしら。ここに来るまでに力が漏れてしまわないように。今あなたがやってるのと同じことよね、たぶん」


 魔術はからきし駄目だという割には、良い勘をしている。クラエスは苦笑に言いたいことの全てを込めて、続きを促した。


「で、扉の隙間にはめ込んだの。あの人達がしたのはそれだけ」

「会話とか合図のようなやり取りはなかったのか?」

「んーとね。確か、男が女に話しかけてた。『これだけか?』だったわね。それに女が『これで十分ですわ』って答えて終わり。名前とかは口に出さなかった」


 段取りは地上で済ませていたのだろう。男は魔術に詳しくないようだが、女の方は分からない。魔石は使い方さえ知っていれば誰もが扱える道具だが、壊れた魔石の使い道を思いつくのは難しい。とすると、知識は少なからずあるのかもしれない。

 ロルフは低く唸った。


「うぅむ。それだけじゃなぁ。他に何かないのかよ。気が付いたことは」

「今更だけどさ、女王だって言ってるのに言葉遣いを改めないのね。ま、私もその方が気楽でいいんだけど」


 きっちり文句を言ってから、ユーリアは真剣な表情で記憶を探り始めた。細い指が唇をなぞる。天井を彷徨っていた視線が降りてくるのに、十秒とかからなかった。


「ああ、そうだわ。女は場違いなドレスを着てたわね。真っ赤でピラピラの奴。それから、顔はベールで隠してて見えなかったわ。こんなの参考になるかしら」

「真っ赤なドレス?」


 クラエスとロルフは顔を見合わせた。

 何かが記憶を掠めていった。いつだったか、赤いドレスを来た女を見たような気がする。しかし、派手な色を好む女はどこにでもいる。アニエスだって、赤系統の衣装をよく身に纏っている。

 気のせい、だろうか。

 もどかしい気持ちを抱えたまま、残念がるユーリアの声が耳に届いた。


「ああ、今日はもう限界。私たちもイフリータちゃんと同じ。久々に体を動かして疲れちゃったわ」

「お前幽霊だろ」


 というロルフのツッコミは無視して、


「そんなわけで、お別れの時間よ。もうちょっと話していたかったんだけどね。今度は暇な時に来てちょうだい」

「そうしたいところだけど、無理だね。地下へ降りるのにいちいち許可なんて取ってられない」

「あら? 許可? なんで?」


 目をぱちくりと瞬かせる。


「こっそり裏庭から降りてくればいいじゃない」

「…………」


 クラエスとロルフは、再び顔を見合わせた。今度は後ろの二人も交えて。

 彼らの驚きが理解できない様子で、ユーリアは首を傾げている。

 石室に繋がる路は、クラエスたちが辿ってきた鍵のある通路一つだったはず。少なくともロルフはそう聞いている。しかし、裏庭とは……?


「まさか」

「か、隠し通路っ」


 ユリアンが悲鳴のような声を発した。


「……ユリアン従騎士。隊長が良しと言うまで、このことは口外しないように」

「は、はいっ」


 直立不動で返事をしたものの、機密事項が棚から降ってきたような――実際似たようなものだ――顔をしている若者を見て、自らも若者であるロルフは溜息を吐いた。



 その後、四人はユーリアの案内で隠し通路へと案内された。クラエスたちが潜ってきた扉とは反対側だ。石室の奥は行き止まりだと思っていたが、角度と薄暗さで曲がり角が見えなかっただけのようだ。

 動かしはしなかったが、壁の一部がスイッチで作動し、地上に登る階段への扉が開くようになっていた。扉の前には二人分の足跡も残っていた。中をもっとよく調べれば、犯人の痕跡が見つかるかもしれない。

 だが、今はこれ以上の調査は断念せざるを得ない。隠し通路を調べるには別の許可が必要だ――最低でも玉座に座る人物からの。

 それにしても、仮にも女王だった人が、抜け道を通って遊びに来いなどと言って良いのだろうか。

 不安と疑問に首を傾げながらも、予想以上の収穫を得られた満足感が勝り、クラエスを除く三人は意気揚々と来た道を戻っていった。にこやかに手を振るユーリアと魔人たちに見送られて。


 彼女の言ったとおり、外は既に夕暮れだった。昼の終わりでも夜の始まりでもない、二つとない色が空を埋め尽くす。

 クラエスは透き通るような気持ちを感じた。


(これが安心か)


 約半日ぶりに外の空気を吸ったからか、久しぶりに夕焼けを見たからか。あるいは、空がまるで燃えているような色をしているからなのか。

 ロルフとユリアンとは、城の中で別れた。彼らには彼らには報告という重要な義務が残っている。本来ならクラエスも同行しなければならないのだが、彼にはまだ調べることが残っていた。

 最後に門前でリュカと別れ、一人になったクラエスはユイのいる研究局に向かう。その足取りは重くも軽くもない。いつも通りだ。歩く時の癖で、つい思案に耽ってしまう。


(晴嵐の魔石……まだこれに使い道があったなんてね)


 しかも、何のためにもならない使い道が。自分が作ったものがイフリータを殺すところだったのだと思うと、犯人に怒ったらいいのか自分に怒ったらいいのか、分からなくなる。

 気を取り直して考える。

 石室の扉に嵌めこまれていた魔石は半分にかけていた。しかし、クラエスが保管している方は元の形を完全に保っている。また、邸に誰かが侵入したはずはない。クラエスが見落としてしまってもイフリータが気付くはずだ。


(それとも、他の保管場所から盗まれたか)


 聖涼のような大掛かりな魔石は、主機能を管理する一つの宝石と、魔力を補うための複数の宝石から成っている。晴嵐も同じだ。地下で見つかったのは後者に違いない。前者は跡形もなく砕け散ってしまった。《あの事件》の際に。

 ふと、ある記憶が浮かび上がり、クラエスは道の真中で足を止めた。


「真紅のドレス……」


 さっき頭を掠めていったものが、霧の向こうに徐々に姿を現す。

 遠くに佇んでいる女。何かを見守るようなその視線の先には――


「…………」


 変人が集まる場所として名高い研究局の周りには、ほとんど誰も近寄らない。そのため考え事をしながら歩くにはもってこいの場所だ。

 とはいえ、ずっと立ち止まっていれば人目を引く。建物の入口で番人をしている男が口を開く前に、彼はさっさと歩き出した。先程よりも明らかに歩くペースが速い。


(もう一つ思い出した。確か、局長が壊れた魔石の一つを受け取っていなかったか? 研究材料にするとか言って)


 実物を見たわけではないが、ユイが欲しいと言ったなら確実に彼女の手に渡っているだろう。それ以外は城の中で厳重に保管されているはず。もちろん、簡単に盗まれるような保管方法をユイが取っているとは思えないが……。


 数えるほどしか足を踏み入れたことのない仕事場に来ると、クラエスはまず左右を見渡した。

 窓には全て板戸が嵌っている。そのせいで屋内は薄暗い。板戸の隙間から夕日が差し込んで、壁の一部を赤く染めていた。廊下は、入り口から見て左右と前方合わせて三方向に伸びている。

 記憶の中にある配置が変わっていなければ、ユイの執務室は一階の最奥にあるはずだ。

 逸る心を抑えつつ薄暗い廊下を進もうとしたその時、同じ建物内で悲鳴があがった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ