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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第五章
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地下に潜む影

 薄暗い水の路を、鎧に身を包んだ兵士たちが恐ろしげな足取りで進んでいく。先程まで反対側が霞むほど広かった通路だが、今歩いているのはそれよりも幾分か狭い。街の隅々まで水を行き渡らせるための水路だ。

 この道が築かれたのは何百年と昔の話だという。しかし、その割には水による浸食はほとんど見受けられない――少なくとも、小さなランプの明かりで照らし出される範囲には。床や壁、尖ったアーチを描いた天井を構成する石は、何の変哲もない安山岩。表面は何かに覆われているみたいに淡い光を反射しているが、鍾乳石とは違うようだ。靴の裏の感触は、地上の舗装された道を歩いているのと何ら変わりなかった。

 不思議だ。魔獣という謎に包まれた生き物が棲みついていたというのも分かる気がする。

 十五名程度の隊を束ねるサデック隊長は、腰に佩いた剣をいつでも抜けるよう、自ら緊張を高めていた。それは後方に続く彼の部下たちも同様だった。

 彼らは、先日の魔獣事件のために編成された調査隊だ。蔦の魔獣は魔術師によって速やかに退治されたが、なぜ街中に現れたのかはまだ明らかになっていない。分かっているのは、地下水路を通じて地上に出てきたということだけだ。

 調査隊の任務は、水路を隈なく巡って他の魔獣がいないか確かめること。もし見つけたら、一匹残らず駆除すること。

 これは、王都始まって以来の由々しき事態である。王都が招かれざる客の侵入を許したのは、過去に一度――百年前、サジェス軍が北に進軍した時だけだ。当時の王は、予め敵軍が王都に侵入することが分かっていたとしか思えない仕掛けを利用し、これを退けた。その作戦にも水路が大きく関わっていたらしいが、今回の魔獣がここを通ったのかと思うと、背筋が粟立つほどの寒気を覚える。

 サデックは部下に怖気を悟られないよう、改めて全身の筋肉を引き締めた。

 地下水路と一口に言っても、街の下には何本もの水路が走っている。彼の部隊が任されているのは西側の一部、丁度サイララ街の真下に当たる。サイララ街は富裕層の住宅密集地だ。そんなところに魔獣が現れたら――たとえサイララ地区でなくても――王都中が大パニックに陥るだろう。

 組織の末端といえど、彼らに課せられた責任は重い。反対に、この任務に成功して帰ったとしても称賛されることはない。

 いつだってそうだ。権力を持った人間はごてごてと飾られた椅子にただ座っていればいい。指先や言葉一つで人を操って、上がった成果はちゃっかり自分のものにしてしまう。それが貴族という生き物なのだ。

 我々一般人とは住む世界が違う。実際に貴族と話したことは数えるほどしかないが、その都度サデックは思わずにはいられなかった。


(さて。愚痴はここまでだ)


 手柄を掠め取られたところで、実のところ痛くも痒くもない。出世は最初から諦めているからだ。昇進があっても、末端から末端の少し上に席が移動する程度だろう。

 彼は貴族のために働いているのではない。国民と家族を守るために血を流しているのだ。だから、時々愚痴を零すことはあっても根腐れすることはない。

 鞘を嵌めているのとは反対のベルトには、取り外し可能の小物入れを装着している。その上にそっと手を当てて、中に入っている物を手渡した貴族のことを思い出した。

 恐ろしく綺麗な顔をした青年だった。貴族に付き物の、平民を物と同列に見ているかのような傲慢さはあまり感じられなかった。その代わりにあったのは、溢れる自信だ。危険な任務に赴く兵士を前にしている割にはあまりに平然としていたので、最初は他の貴族と同じなのかと思い落胆した。平民と貴族の関係に割り切っているつもりでも、つい期待を抱いてしまうのだ。

 しかし、「これ」を渡す際に説明する彼は、決して兵士たちを軽んじている風ではなかった。時々、危険の少ない任務にもかかわらず、大決戦に臨む勇者を見送るかのような大演説をする人がいるが、そんな風でもない。淡々と、時折嬉しそうに、「これ」を使う際の注意事項などを説明していた。ただそれだけだ。

 彼の話が終わったとき、サデックは何となくほっとした。部下の元へ戻って初めて、自分が緊張していたことに気が付いた。相手が貴族だからといって気後れしたことのない彼が、である。


(ああいう人間が人の上に立つべきなんだろうな)


 惜しい、と思う。その気になればもっと高い地位を得られるだろうに、よりによって魔術研究局の人間とは。

 魔術とは縁もゆかりもないサデックでさえ、そこに勤めているのは出世街道から外れた変わり者の魔術師ばかりであることを知っている。一言でいうと、協調性に欠ける者の集団なのだ。兵士であれば容赦なく首をきられるところだが、稀有な才能保持者であるために、首輪を付けたまま纏めて監視しているのが魔術研究局というところらしい。

 しかし。


(こういうのは、魔道兵器開発部の仕事だと思ってたんだけどな)


 小物入れを摩りながら、サデックは心の中で首を捻った。

 魔術と魔道がどう違うのか、詳しくは知らない。ただ、魔術よりも魔道と呼ばれるものの方が大規模かつ危険であることは聞いたことがある。そして、魔道を取り込んだ兵器を開発するのは、研究局とは全く異なる組織であることも。

 しかし、青年の説明によれば、「これ」は紛れもなく危険なはずなのだ。こんな、小物入れに入るくらいの小さな魔石が――。


「隊長、いかがしましたか?」

「あ、ああ。何でもない」


 いつの間にか歩調が緩んでいたらしく、すぐ後ろに付いている副隊長が小声で訊ねた。列は私語一つない。部下たちに聞かれていることを承知してか、副隊長は声に不安を滲ませるような愚かな真似はしなかった。

 サデックは小物入れを叩く振りをし、いつもと変わらぬ調子で答えた。


「コイツの使い方を復習していたところだ。もし魔獣が出てきたら、なるべく多くの敵を葬り去りたいからな」

「さすが隊長。勇ましいですね」


 まだ若い副隊長はニヤリと笑った。それを見た暗い雰囲気を漂わせていた隊員たちの間に、勇気と戦意――敵と戦う際、最も重要なもの――が芽生える。

 サデックは副隊長に笑い返しながら、今回の任務の成功を確信した。


 ***


「ふんふんふーん」


 どこか調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、リルレットは一時も手を休めずに働いていた。清潔な布巾でガラスのコップを磨く単純な作業だが、一度やり始めると止まらない。

 陶器の皿にティーポット、スプーン、フォークにナイフと続けて手を出し、残るは二つ三つのコップを残すのみ。日常の家事を済ませて暇になったのでやってみたのだが、いざ始めると思いのほかやりがいのある仕事だということが分かった。

 歴史を鑑みても、この家に三人以上の人間が住んでいたはずはないのだが、なぜか食器はいずれもきっちり七セットある。なので、午前は食器を磨くだけで終わりそうだ。

 頭をからっぽにしていると、考えたくないことを考えてしまう。喪失、恐怖。手を動かし続けることで、過ぎ去った嫌なものを冷静に見つめ直すことができることは、大いなる発見だった。自身に必要なのは第三の目だ。透明なガラスの向こうから自分を見つめる、もう一人の自分だ。単純な作業に没頭している間は、それがある。

 忙しく動き回って忘れてしまうことも一つの手だが、彼女はそっちを選ばなかった。選べなかったというべきか。石になったイフリータは未だ戻らず、またその兆しもない。そんな状態で忘れて楽になろうなんて、少し冷たい気がした。

 クラエスは大丈夫だと言っていたが、心配は心配だ。イフリータがいなくなった家はがらんとして淋しく、いかに彼女との他愛ないお喋りが楽しみだったかが分かる――たまに、壁から首だけを突き出すなどしてリルレットをびっくりさせることもあるが、それも今となっては懐かしい。


「早く戻ってこないかなぁ」


 リルレットは少しだけ作業の手を止め、切実に呟いた。

 イシエとイフリータが消えて四日目。そして、冬が明ければ王都三年目の春がやってきて、リルレットは十七歳になる。あっという間に時は過ぎ去っていくように思えるが、振り返ってみれば案外遠い道のりだった。故郷を離れる前は職を渡り歩いて生活するとは思わなかったし、その渡り歩いた先に一生離れたくないと思える家が待っているなんて誰が想像しただろう。

 運が良かったのか。それとも、いずれここに来る運命だったのか。

 取り止めのないことを考え始めている自分に気が付いて、リルレットは一人照れ笑いした。誰も見ていないのに、誤魔化さずにはいられなかった。

 そのとき騒々しい物音が玄関の方からして、突然怒鳴り声があがったことにびっくりした。


「クラエス! 出てこい、どこにいる!」


 あの声はロルフだ。何かの調査結果を持ってやってくると聞いていたけれど、あの怒りようはどうしたことだろう。余程気に入らない結果が出たのだろうか。それにしても、いつもニコニコ――というかヘラヘラ――している彼が本気で怒るなんて、ちょっと信じられない。

 関わりたくない気持ちに、怖いもの見たさが少しだけ勝った。

 リルレットはピカピカになったコップと布巾をテーブルに置いて、玄関へ向かった。そっと扉を開けると、想像した通りの客人が家の主と向き合っていた。


「どういうことだ! 何だよあれは!」

「あれ、とは何のことだ? 思い当たる節が二、三あるんだけど」

「お前があいつらに渡した危険なブツのことだよっ」

「ああ、あれか」


 うるさそうに片耳を押さえていたクラエスは、得心がいったように頷いた。無愛想だった顔が少しだけ嬉しそうに緩む。


「役に立っただろう?」

「確かに役には立ったよ。けどなあっ」

「ちょっと待った」


 と、突然クラエスは振り返り、ドアの隙間からやり取りを覗いていたリルレットと視線を合わせた。一体何かとおもいきや、しっしっと追い払うような仕草をする。リルレットは頬を膨らませて不満を表すと、渋々奥へ引っ込んだ。

 このまま引き下がってもいいが、珍しくロルフが怒っていたのが気にかかる。

 結局、好奇心が義務感に打ち勝ち、後手にドアを閉めたあと少し待ってからドアノブの下にサッと耳をくっつけた。


「さあ、説明してもらおうか。ありゃなんだ、なんであんなモン作った?」

「ひどい言い草だな。あんなモノはないだろ。ただの攻撃用の魔石だよ」

「見りゃ分かるわっ。オレが言いたいのは、なんであんな異常な攻撃力をたかが魔石に詰め込んだのかってことだよ」

「強い方がいいだろ?」


 リルレットは静かに首を捻った。

 何の話をしているのか分からない。「あいつら」「あんなモノ」とは、何のことだろう。

 その後も続く会話を聞いているうちに、少しずつ理解してきた。どうやら会話不足による行き違いがあったようだが、怒り方が尋常ではない。もしかして、クラエスの魔術が誰かを傷つけたのだろうか――リルレットはぶるりと体を震わせた。もしそうなら、すぐその人のところへ行って謝らなければ。

 と、一人覚悟を決めていたところに、機嫌の良さそうな雇い主の笑い声が聞こえてきた。


「はは、皆驚いてくれたようで何より。自分でその顔を見られなかったのが残念だよ。まあ、悪友で我慢しとくか」

「ちょっとは悪びれろよ、このドアホ!」


 リルレットはさあっと顔を青ざめた。

 彼、全く反省していない。これでは、どう謝罪したって誠意は伝わらないに違いない。被害者の元へ行く前にクラエスと話をしなければ。それにしても、一体何をやらかしたというのか。

 ロルフが大袈裟に舌打ちをした。憎々しげな顔つきが目に浮かぶようだ。


「ったく。人間や建物に被害がなかったから良いものの、隊長の一人でもお前の忠告を無視してたら大惨事になってたかもしれないんだぞ」

「そんなはずはない。彼らを少し脅しはしたが、人体に影響がないよう何度も実験したんだ。……もうああいう事故は見たくないからな」


 クラエスのトーンがやや落ち、会話が途切れた。

 その間、リルレットの頭は目まぐるしく回っていた。

 実験って、誰を相手に?

 ああいう事故って?

 とりあえず、犠牲者がいないのは助かった……けれど。

 聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、彼女は口を両手で抑えた。今更声など漏れようもなかったけれど、立ち去ることもできない。ぺたんと床に尻をつけたまま、盗み聞きを続ける。その後の内容は、リルレットも知っていることがほとんどだった。

 第一陣の調査隊が地下の魔獣を追い払ったあと、魔術師を含む第二陣が本格的な調査に乗り出すという話だ。それにはクラエスも参加する予定で、その間、リルレットは彼の上司ユイに保護してもらうことになっている。先週の犯人が再び彼女の前に現れないとは限らないからだ。イフリータが万全の体調であればユイの手を煩わせる必要はないのだが、炎の魔神は未だスピネルの中に囚われている。その原因が地下にあると、クラエスは踏んでいるようなのだ。

 ――もう少しで、以前のような平穏が戻ってくる。

 リルレットはそう信じているが、一抹の不安が残るのも確かだ。果たして、地下を調べれば事件は解決するのだろうか。先週のイクセルの仲間が辿ったのと同じように、調査隊を地下におびき出すための罠だとは考えられないか。

 一度疑いはじめたらキリがない。自分のような門外漢があれこれと頭を悩ませたところで、何にもならないことは分かっているが、心配なのだ。


(一体、誰があんなことを……)


 犯人の姿が見えないこともだが、彼だか彼女だかが同じ王都にいるかもしれないことが空恐ろしい。一刻も早く事件が収まることを、リルレットは切に願った。

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