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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第一章
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もう一人の住人

 リルレットに割り当てられた部屋は、最上階の屋根裏部屋だった。小鳥が留まっていた窓の部屋だ。屋根裏と聞いて最初は埃っぽい部屋を想像していたが、思ったよりも悪くない――いや、予想以上に良い部屋だった。というのも、明るくて日当たりが良いからだ。窓は南向きに開いていて、気持ちの良い風も入ってくる。

 階段を上りながら気付いたのだが、外から見えた小窓は階段に沿って設えられたものだった。他には見当たらなかったから、二階や三階の部屋に窓はないのだろう。クラエスがいた場所も明かりは魔術の光だけだったし、ここを建てた人は相当変わった人物だったようだ。

 ただ、想像よりは良かったとは言え、屋根裏部屋の床にはところどころ埃が落ちている。ベッドもこのままでは使えないだろう。他に備えられた家具は一台のテーブルと二脚の椅子、衣装箪笥に化粧台、掃除道具、それから――。


「あ、部屋暖めの魔石がある」


 リルレットは思わず喜びの声を上げた。

 部屋暖めの魔石とは、その名の通り、部屋を暖めるための道具だ。火鉢に小石と灰を敷き、その上に魔石を置いて使う。

 魔石とは魔術師が魔力を込めたもので、水を出したり光を放ったりすることができる。部屋暖めの場合は熱を発する。火を起こさなくてよいので、便利だし安全だ。

 今はまだ季節ではないが、これから寒くなってくれば存分に役に立ってくれるだろう。


「うわぁ、しかも高そうな魔石だ。これって宝石かな?」


 手に取ったそれはルビーのような鮮やかな赤色をしていて、宝石の知識のないリルレットの目にも値の張るものであることが分かった。

 魔石は必ずしも石でなくても良いのだが、商用のものはその辺に転がっている石だったり、石切り場から切り出すときに出た屑を利用することが多い。耐久性の低い石ころだと、あまり大きな魔力は込められない――つまり、危険な事故が起こりにくいのだ。もっとも、魔石が放った小さな火種から大火事に発展してしまう場合もある。あくまで魔術は魔術師の業であり、いくら魔石が便利で比較的安全とはいえ取り扱いには注意が必要な代物なのだ。


 以前レイカに説明されたことを思い出し、リルレットはぶるるっと体を震わせる。

 ――もし私のせいで火事なんてことになったら……。

 考えるだけでも恐ろしい。

 放火は大罪で、故意でなくても厳しい罰が科せられる。使用人が火事を起こしたとなれば主人もただでは済まないだろう。雇用主として責任を問われるだろうし、市民には誇張された話が広がる恐れだってある。先程、クラエスは噂など気にしていないような素振りを見せていたが、全く気にならないことはないだろう。悪評はない方がいい。


「き、気をつけないと……。私のせいで迷惑をかけるわけには」

『ふふっ、大丈夫よ。それはクラエスが作ったものだもの。滅多なことじゃ間違いは起きないわ』

「!?」


 ルビーを握っていたリルレットの背後に、女性がいた。しかも見るからに普通の女性ではない。

 まず、床に足をつけずに立つ人間をリルレットは知らない。数センチ浮いているという次元の話ではなく、膝を折り曲げた体勢で、直立したリルレットより頭二つ分高い位置から見下ろしている。

 顔立ちはとても美しく、まるで著名な画家の描いた絵から飛び出たようだ。髪は燃えるように赤く、左右から垂らした一房が豊満な胸の上で渦を巻いている。見ているこちらが恥ずかしくなる程の妖艶な美女だった。

 その女性は、驚いて目を瞠るリルレットに顔を近づけると、にこりと柔和な笑みを浮かべた。


『初めまして。わたしはイフリータ。クラエスと契約した炎の魔人よ』

「ま、まじん?」

『ちょっと強い魔獣みたいなものよ。そう言うと怒る仲間もいるけれど。ま、契約した魔人は命令されない限り人に害を与えることはないわ。安心して、ね?』


 人当たりが良さそうに話しかける彼女に、リルレットは次第に平静を取り戻していった。


「私はリルレットっていいます。今日から使用人としてこのお屋敷で働かせていただくことになりました」

『知っているわ。よろしくお願いね』

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 女二人は、顔を見合わせて笑った。

 笑いながら思う。考えてみれば、主人と使用人という関係とはいえ、若い男と一つ屋根の下で暮らすというのは躊躇いがある。今まで職を得ることで必死なのでそこまで考えが及ばなかったが……。その点、イフリータは女性だから話しやすいし、クラエスの主義や嗜好についても情報を得ることができるだろう。

 新たな生活は思ったよりも上手く行きそうだ、とリルレットは喜んだ。

 一方、イフリータは別の理由で上機嫌だった。


『わたし、あなたが来るのを楽しみにしてたのよ。名前と出身地を見たときにね、ぴーんときたの。これはイケるって!』

「イケる……ですか?」

『そうよ~。トトルーナ村でしょ? わたし、昔そのあたりに住んでたことがあるの。近くに火山があって、温泉が湧いてたわ~』

「ああ、確かにありますね、温泉」


 リルレットは山を分け入ったところにある温泉宿を思い出した。子供の頃、村のお使いで訪ねたのだが、優しい女将さんが「疲れただろうから特別に」と言って無料で温泉に入れてくれたことがあった。ちょっと熱かったけれど疲れが吹き飛ぶくらい気持ちが良かったし、水仕事で荒れた手がつるつるして見えたのでまた行きたいと思ったが、トトルーナは貧乏な村なので簡単に通えるところではなかった。


『入りたいわ~、温泉。クラエス、連れて行ってくれないかしら』

「それまではお風呂で我慢、ですね」

『ふふ、そうね』


 エリュミオン王国は水資源が豊富で、湯船に浸かる習慣もある。宿に滞在している間は毎日入るわけに行かず、三日に一度が限度だったが、リルレットとて年頃の女の子、風呂は好きだ。お風呂の気持ちよさを想像し、ほわわんと締まりのない笑顔を見せていると、イフリータが思い出したように言った。


『そうだわ。リルレット、あなた今日はどうするの?』

「今日ですか? えっと、とりあえずこのお部屋をお掃除して……あ、お屋敷の間取りを把握しないと」

『じゃあ、わたしが手伝うわ。ベッドはお日様に干さないと気持ち悪いでしょうし、一人でやっちゃうと夕飯までにヘトヘトになっちゃうわよ。部屋もわたしが案内できる』


 その言葉で思い出した。


「あっ、そうだった。食材の確認もしないとですね。無かったら買出しに行かないと」

『なかなか大変ねぇ。あなた、今日一日は自由にしていいって言われたんじゃなかったかしら』


 それはそうなのだが、大事なのは主人の生活だ。それに、早く役に立ちたい。リルレットにとっては自分の働きによって誰かの役に立つことが第一であり、自分の休息は二の次だ。

 後で文句言ってやる、などとぶつぶつ呟いているイフリータに苦笑しながら、隅にある掃除道具を確かめる。


「箒にバケツにモップ……うん、大丈夫そう」

『よ~し。じゃあ、わたしはベッドを運んじゃうぞぉ!』

「え?」


 どうやって、と尋ねる前に、イフリータは片手でベッドを担ぎ上げた。


『そりゃっ』


 あまりに軽い掛け声と共に、窓から外へ放り投げる。ベッドは綺麗な放物線を描いて地上へ落ちていった。

 どすん、と重い物音。


『じゃあ、ベッドを干してくるわねー』

「……うそー」


 ウィンクして窓から出て行くイフリータを、リルレットは唖然として見送った。つっ込みたいところが多々あって、思考が追いつかない。

 地上四階分の高さから落ちたベッドの顛末は気になるけれども、イフリータの楽しげな鼻歌がなぜか見るなと言っているようで。無事だ、きっと無事なはずと自分に言い聞かせ、リルレットは少しだけ広くなった部屋の掃除を始めることにした。


 手持ちの三角巾を首の後ろできゅっと結べば、気合は十分。服は普段着のままだけど、田舎にいたときは服が汚れるなんて当たり前だったから気にならなかった。制服もないようだから、手持ちの何着かを仕事着にする。

 埃を払いながら、何かいつもと違う感じがリルレットを包んでいた。今までの経験から言って、プレッシャーで体はかちこちに固まり、物を蹴飛ばしたり落としたりと散々な結果になる予定だったのに、手足は滑らかに動くし緊張もしていない。

 人目がないせいだ。クラエスはこんなところには来ないだろうし、今日は好きに時間を使っていいと言われたことがリルレットの緊張をほぐしている。


(本番は明日からね。よーし、今の感じを覚えておこう)


 庭からは、相変わらずイフリートの楽しそうな声が聞こえてくる。

 ちょっとだけ、と言い訳をして、リルレットは窓の傍に歩み寄った。

 気持ちの良い、昼前の温かい風に身を委ねる。

 窓の外には見たことのない景色が広がっていた。目の前には整然と整った街並みが、左手にはジェール河の煌めきが。これからは毎朝この景色を眺めて眠気を飛ばすのだと思うと、期待で胸が躍る。


 これまで、リルレットは仕事を始めるにあたってワクワクすることなんてなかった。役に立たなければならないと強く思う心が視野を狭めていた。目の前のことしか考えられなくなって、馬鹿みたいなミスを連発した。

 だけど、今回は少し違う気がする。リルレットは既にこのお屋敷を好きになり始めている。ご主人様はちょっと変わってるけど、悪い人ではなさそうだ。イフリータという得難い味方も手に入れた。彼女の言葉を借りるなら、これはイケる。


「今度こそ頑張るぞーっ」


 両手を天に突き出して、リルレットは張り切って声をあげた。

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