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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第四章
32/69

望みは

 机を挟んで対峙するクラエスとリルレット。表情は真剣そのもの。お互い一歩も引く気配はない。じりりとリルレットがにじり寄れば、クラエスは負けじと睨み返す。

 どちらが優位かは、見る者が見れば明らかだ。リルレットの顔には緊張が見られるのに対して、クラエスは少しも動揺していない。厳然と佇む山のごとく、いつもの椅子に陣取っている。

 リルレットが何度目かの台詞を口にした。


「いいじゃないですか、ちょっとくらい」

「駄目。絶対ダメ」

「クラエス様のけち」

「何と言おうがダメなものはダメ」


 緩やかに首を振りながら、クラエスもまた同じ返答を繰り返す。

 リルレットは頬を膨らませた。すると、椅子の人は身体ごと彼女から視線をずらすのだった。

 取り付く島もない。

 彼の言うことにも一理ある。分かるのだが、そこを何とか曲げてほしい。だから何度も頼んでいるのだが、クラエスの答えは変わらなかった。

 このまま諦めるしかないのだろうか。


 何を諦めるかと言えば、来る十七日――建国祭でありクラエスの誕生日でもあるその日に、一緒に街を回ろうという提案だ。

 言ってみればデートのお誘い。肝心要の相手は全く気付いていないが。

 それほど自分は相手にされていないのかと思うと悲しくなるけれども、それは一先ず置いておくとして、問題は同じ日にイクセルがちょっかいを出してくるかもしれないことだった。

 先日ロルフにそのことを告げられたときは、想像もしなかった。

 祭りに行けないだけで、こんなにも心が焦るなんて。


 荒事は嫌だ。痛いのは嫌い。イクセルにも会いたくない。

 だけどお祭りには行きたい。ただしクラエスと一緒にでなければ意味がない。

 彼が心配してくれているのは分かるし、嬉しいけれど、同じくらい大事なイベントなのだ。絶対外したくない。

 クラエスは外が危険だという。どこに敵が潜んでいるかも分からない市中を出歩くよりも、我慢して屋内に避難している方が安全だろう。そうなのだけど。


『でもねぇ、クラエス』


 突然、何もない空中に燃えるような髪色をした女が現れた。イフリータの突拍子のなさに慣れている二人は、何事かと頭上を見上げる。

 イフリータは二人の話を最初から聞いていたようで、掴みどころのないフワフワした口調で話し出した。


『わたし疑問に思うのだけれど。そもそも、あなたのお兄さんはどうやってリルレットに手を出すつもりなのかしら?』

「どういうことですか?」


 リルレットは身を乗り出して尋ねた。

 イフリータはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、くるっと身体を回転させて彼女に向き直る。


『お馬鹿さんの計画は、ロルフを通じてわたしたちにバレちゃってるわけじゃない。それに気付かないほど間抜けじゃないと思うのよね、あのお馬鹿さんも。リルレットが用心して出てこなくなっちゃうことくらい想像がつくわ。短気で執念深いお馬鹿さんであろうと、簡単にね』

「……イフリータ、そんなにイクセルが嫌いか」

『うん! わたし、あの子だいっきらーい』


 うふふふ、と陽気に笑いながらクルクルと空中で回る。

 こんなに楽しそうに嫌いだと宣言する人を、リルレットは初めて見た。笑っちゃうほど嫌いということだろうか。意味が分からない。

 クラエスは少し考えてから顔を上げた。


「イフリータの言うことは尤もだ。しかし、それでも家にいた方が安全だ」


 強情に言い張ると、イフリータは親が子を叱るみたいに人差し指をぴんと立てる。


『まあ、クラエス! あなた、リルレットのこと侮っていない? この子なら、騎士団の使いですとか言って誘い出しちゃえば簡単に付いて行ってしまうわよ。そうよね、リルレット?』

「はいっ。付いてっちゃいます!」

『ほらね。目的のある人間はどんな手段でも使ってくるものなの。イクセルみたいにしつこいお馬鹿さんなら尚更よ。。この子がどこにいようが関係ないわ。だったらクラエス、あなたがずっと彼女の傍にいて守ってあげる方が余程安全だわ。それともあなた、守り通す自信がないなんて、まさか言わないわよね?』


 薄っすらと目を開き、空中から傲然と見下ろす。その威圧感はまさに魔人。普段フワフワしていても、力の差は歴然としている。

 しかし、クラエスも負けているわけではなかった。主たる堂々とした態度でもって迎え撃つ。


「イクセルごとき、キミの力を借りなくても退けてみせるよ。がしかし、殊更リルレットを危険に晒すことはないと思うんだけどね」

『……どうしても駄目だと言うのね?』


 クラエスは首肯する。その顔に一切の迷いはない。さすがのイフリータも彼を動かすことはできないようだ。


『そう、分かったわ。リルレット、残念だけど諦めるしかないようよ。ごめんね、力になれなくて』


 眉根を寄せ、慰めるようにリルレットの肩を抱く。

 魔人の腕は柔らかく、そして暖かかった。

 リルレットはしゅんとしてその胸に体を預ける。

 ――やっぱり、諦めるしかないのか。眠れないほど緊張したのに。思い切って勇気を出してみたのに。


「行きたかったです。初めてのお祭り。……クラエス様と」


 がた、ばさばさっ。

 クラエスの手が滑り、机の上に積み重ねていた本が盛大に床に雪崩落ちる。時間が止まったみたいに静寂が押し寄せ、しばらくはリルレットの瞬き以外何も動くものがなかった。

 イフリータが、彼女に向けて会心の笑みで頷いた。そして、リルレットもまたにっこりと微笑み返した。


 ***


「やりましたー! レイカさん、おねだり作戦成功です!」


 待ち合わせの時間ぴったりに、リルレットはレイカの馴染みの食堂に駆け込んだ。

 レイカは丁度食事をしているところだったが、リルレットの報告を聞くや否や抱きしめて喜びを表現した。


「どう? あたしの考えた作戦は」

「何から何まで、レイカさんの言ったとおりでした。どうして分かったんです?」

「強情だからね、アイツは」


 意味が分からずに首を傾げると、レイカはくすりと笑ってトマトにフォークを突き刺した。


「頑なな内は、いくら押しても意味がない。かと言って簡単に引き下がってはダメ。押して押して押した後に引いてこそ、最大限の効果が得られるのよ。幼馴染だからその辺りは手に取るように分かるわ」

「なるほどー」


 リルレットはしきりに頷いた。そして同時に再確認した。レイカに相談してよかった、と。

 祭りに行きたいと言ったところで、反対されるのは目に見えていた。でも行きたい気持ちは抑えられそうにない。そこで、ダメで元々の精神で彼女のところへ相談を持ち込んだのだった。

 レイカが立てた作戦を実行している間はボロを出してしまわないか心配だったが、イフリータが話を進めてくれたおかげで全て上手く行った。行き過ぎて怖いくらいだ。

 この調子で、本番もとんとん拍子に運んでくれるといいのだが。


「とにかく、十分気を付けるのよ。イクセルはクラエスが嫌がることなら何でもするから。さすがに命を取るまではしないでしょうけど」


 頬杖した手の甲に顎を乗せ、レイカは目を伏せた。何を考えているのか数秒間沈黙し、ふとリルレットの方を見やると柔らかく微笑む。


「後は、人通りの少ない場所は避けて……」

「分かってます。一度攫われましたからっ」

「……それが心配なのよねぇ」


 そう言って、溜め息とも苦笑ともつかない息を吐いた。

 両の拳を握って力説したリルレットは、ちょっと首を傾げた。言い方を間違えたかもしれない。そう思い、もう一度言い直す。


「大丈夫です。クラエス様とイフリータさんと、イシエが一緒ですから」

「うおんっ」

「あ、しーっ。ダメだってば、戻ってなさいっ」


 名前を呼ばれたと勘違いしたイシエが、鞄の中から頭を突き出す。それを優しく押し戻しながら、リルレットは小声で叱咤した。叱られたイシエは小さな耳を伏せ、鞄の底に蹲った。

 本当は置いて行く予定だったのだが、イフリータが強く勧めるので連れてきたのだ。


「ふふ、それが例の霊滓ね。アルヴィド様から聞いたことはあるけど、実際に見たのは初めてだわ」

「アルヴィド様? ……ん、どこかで聞いたような」

「あら、クラエスはあなたに話してないの?」


 思い出した。スラムで出会った魔道兵のデズモンドがそんな名前を口にしていた。

『新しい弟子を得たと大変な入れ込みようでしたから――』


「もしかして、クラエス様の先生ですか?」

「なんだ、やっぱり話してるんじゃない」

「話したというか」


 偶然聞いてしまったのだ。それに、詳しいことは何も知らない。名前だって今まで忘れていたほどだ。

 レイカはリルレットの困った様子には気付かず、グラスの水を呷ると懐かしそうな口調で続けた。


「あたしもロルフも魔術の才能はなかったけど、クラエスと一緒になってアルヴィド様の講義を受けてたのよ。ま、ほとんど理解できなかったけどね。アルヴィド様のお声は低くて素敵だったし、あたしはそれだけで満足だったわ」

「レイカさんって、もしかしておじ様好き?」


 リルレットの何気ない一言に、がふっと咳き込むレイカ。水が器官に入ったせいか、それともリルレットの発言のせいか、綺麗な顔を真っ赤にしている。


「た、ただの憧れよ! さすがに、四人の子持ちに恋する勇気はなかったわ」

「わー、四人もお子さんがいらしたんですか。じゃ、その方たちは自慢でしたでしょうね。だって、お父様が国一番の魔術師なんですもん。ね、レイカさん」

「…………」


 レイカは探るような目でリルレットを見た。今まで彼女にそんな風に見られたことのないリルレットは、椅子の上で身じろぎした。


「な、なんですか?」

「リルレット、アイツから聞いてるの?」

「何をですか?」

「あなたを襲うだのなんだの言ってるお馬鹿さんたちのこと」

「あ、聞いてません」


 はあああ、と盛大な溜め息を吐くと同時に、レイカは両手で額を覆った。長い黒髪が彼女の顔を隠す。

 リルレットは何となく謝らなければならないような気がした。どうやら自分の応対が彼女を大いに失望させたようだ。だが、何がどう問題だったのかよく分からない。分からないのに謝るのは却って相手に対して失礼だろうかと、少々ずれたことに頭を悩ませる。

 そうこうしている間に、レイカが顔を跳ね上げた。キツめの目がますます剣呑なことになっている。


「どうやら馬鹿がもう一人いたようね。あなたのお家に」

「私の家ですか? 結構遠いですけど、どうして分かるんです? あ、それも勘ですか?」

「いいえ、勘ではないわ。確信よ」

「すごい……千里眼ですね!」


 両の拳を握って興奮するリルレットにレイカは憐れみをたっぷり含んだ眼差しを送る。

 お馬鹿さん、さらに追加。


「っとにもう。なんでそう呑気なの。危ない目に遭うかもしれないのはリルレットなんだからね? もうちょっと危機感を持ちなさい」

「でも、レイカさんだってお祭りに行きたければ行けって背中押してくれたじゃないですか」

「口を尖らせてみせてもダメ。そこじゃないの、問題は。あなたを巻き込んだのはあいつの意思じゃない。けど、何故イクセルが絡んでくるのか、その理由くらいは教えて然るべきじゃない? あなたが無事で済めば話す必要はない。そういう考えなのかもしれない。けど、リルレットはそれでもいいの? 置いてけぼりな感じ、しない? あなたはクラエスの何になりたいの?」


 一気に捲し立てると、レイカは残った水を飲み乾した。言いたいことを言いきった彼女はどこかすっきりした面持ちで、グラスを握りしめている。

 リルレットは黙ったまま、じっと机の木目を見つめている。

 店内の騒々しさがどこか遠くに聞こえていた。彼女らのいる一角だけ、外界と切り離されたように静かだった。銀色の盆を持った給仕が横を通り抜けていく。誰も二人の様子には気付かない。

 やがて、リルレットはぽつりと呟いた。


「私、ずっと何かになりたいと思ってきました。クラエス様に出会う前から、ずっと」

「……リルレットの家は、農家だったわね」

「実家は弟のカールが継ぐし、私は居ても居なくても変わらないようなもので。村の女の子たちが結婚を急ぐのって、きっとだからなんですね。何か役に立てること、探してる。私もその一人だった」


 自分に言い聞かせているように先を続ける。


「ジーンが目の前からいなくなって、私は代わりの『何か』を探した。でも、何になりたいかなんて考えたことなかった」


 リルレットには、アニエスのような権力もなければ地位もない。出世の手助けをすることもできない。

 その代わり、アニエスよりもずっとクラエスの近くにいる。彼の暮らしを助けることができる。微力かもしれないけど、確かな支えだ。

 自信なんてない。だけど、もう少し胸を張ってもいいのかもしれない。


「まだ分からないけど、私、これから考えてみます」

「考えるだけじゃダメよ。もっと積極的になっていいんだからね」


 レイカの言葉でリルレットは顔を赤くする。何も知らなかった頃の恥ずかしい行為を思い出したのだ。


「あら、どうかした?」

「なっ、なんでもないです。そんなことよりレイカさん、今日はありがとうございました。レイカさんには助けられてばっかですね」

「いいのよ。あなたは妹みたいなものだし。なんか放っておけないのよね」


 あたふたと手を振って誤魔化すと、レイカはにっこり笑ってそう言った。

 誤魔化されてくれたのだ、という気がする。とりあえず一安心。この人に追及されたら、何もかも喋ってしまいそうだ。それはさすがに躊躇する。

 思えば、彼女がいなければクラエスと出会うこともなかった。レイカが二人を結び付けてくれたのだ。心の中でこっそりと、改めて感謝するリルレットだった。

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