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騎士たちの奮闘

 閃光、爆音、そして炎。

 前進していたその先で起きた出来事に、ブラント隊の面々は一斉に空を見上げた。今敵と剣を交えているものはなく、戦意喪失した賊に降伏を促していたところだった。


「なんてこった……」


 状況を忘れ、誰かが呟いた。だがそれも無理はない。

 砦の一部が渦巻く火炎に呑み込まれている。巨大な火柱が空気を巻き込み、炎の竜巻を生み出したのだ。夜空にうねる炎の蛇は、神秘的でも荘厳でもなく、ただただ邪悪。そこはかとなく漂う陰鬱な気配に、ブラント隊のメンバーは気まずい視線を交わし合った。

 ユリアンは三人の先輩の顔を見回す。


「あの、あれってもしかして」

「どうやら大丈夫そうだね、この調子だと。よかったよかった」


 と笑うエトガーに、


「よかったよかった、じゃないぞ! 報告書書くのはオレなんだからな!?」


 ロルフは逼迫した悲鳴をあげた。野ざらしとはいえ、砦は砦。国の財産だ。それを破壊したとなると、恐ろしい量の始末書を書かされることになる。


「いや、ちょっと待てよ。壊したのはリュカだから……責任は兵発部に……」

「ぶつぶつ言ってる場合じゃないよ、ロルフ」


 相変わらずの能天気顔で前方を示すと、建物の陰から統一感のない得物を手にした賊たちがわらわらと出てきた。その数大凡二十。剣や槍、斧、こん棒など、中にはエリュミオンでは見られない武器もある。


「結構大所帯だな。ま、想定内だが」

「この人たち、もしかして……」


 顎に手を当ててエトガーが呟く。その続きを聞きたかったが、気にしている場合ではなかった。

 大振りの湾刀を手にした小男が、一団から滑り出てくる。

 怪鳥のようなけたたましい雄たけびを発して飛びかかってくるのを、ロルフはやや大きめに躱した。湾曲した刃が首を狙ってくる。油断のならない武器だ。

 ロルフは剣を翻し、湾刀の切っ先を弾いた。男は手こそ離さなかったものの、大きな隙が生まれた。その隙を見逃さず、肩から胸にかけて切り下ろす。

 男は絶叫をあげ、仰向けに倒れた。

 それを皮切りに、あちこちで戦闘が始まる。

 エトガーの予想通り、全体的に練度は低い。弱いわけではないのだが、日々訓練を積み重ねてきた騎士が相手にするには少し物足りない。

 次々に敵が倒れ、苦しげな呻き声が場に充満する。

 一通り敵を戦闘不能にすると、ロルフは味方に向かって声を張り上げた。


「よし、後は各々手筈通りに動くんだ。一人残らずふん縛れ。ユリアンとジョシュ、ヒューはオレと一緒に来い」

「はい!」


 リュカの放った魔術は、単に攻撃や気を引くためのものではない。ロルフたちに自分の居場所を教えたのだ。そして、例の魔術師もきっと彼女の近くにいる。


「隊長っ。魔術師がいたらどうしますかっ?」

「オレに任せろっ」


 敵のいない廊下を走りながら、ロルフは後方に叫んだ。

 魔道兵が相手だったなら、数人で掛かったところで適うわけがない。どれほど熟練した使い手でも、魔道兵は離れた場所から薙ぎ倒してしまう。

 今日の敵は魔道兵ではない、ただの魔術師だ。それでも危険なことに変わりはない。が、魔道兵と魔術師には戦闘力に大きな違いがある。簡単に暴走する魔石を作るような魔術師なら、大した腕ではないと見た。


(命懸けは今に始まったことじゃない)


 やるしかないのだ。もっと上へ行くために。そのための犠牲が仲間であってはならない。


(オレがやる。魔術師だろうが何だろうが、かかってこい!)


 駆け抜けるロルフらの行く手を阻むようにして、勢いよく扉が開く。そこから出てきたのは一人の剣士。

 だが、


「タイミングが早過ぎだっ」


 鉄製の厚い靴底が男の鳩尾にのめり込む。剣士は、一度も武器を振るうことなく扉と一緒に吹き飛んだ。




 再び、旧執務室。

 リュカは壁に押し付けられていた。


「むぐっ。むぐうううっ」

「こうして口を塞げば、魔術も放てまい。小娘め、癪なことをしてくれたな」


 セザールの手は、リュカの顔下半分をすっかり覆っている。さっきから自由な両手で押しのけようとしているのだが、魔術師は思いのほか力が強く、無駄な努力に終わっている。

 セザールは必死に足掻く姿を見て薄ら笑いを浮かべた。


「ハハ、ハ。面白い。あの首飾りは私の傑作だったのだがな。やはり、師がいなければ完全に物にすることは難しいか。小娘如きに無力化されるようでは、な」

「むむむむーむむぅ! むむむ、むむ」

「やかましい」

「むんっ」


 痩せ細った手に恐ろしいほどの力が加わり、後頭部がゴリゴリと石壁に当たった。

 痛い。痛くて泣きそうだ。どんなに痛くても、酷い仕打ちを受けても、泣いたことなんて一度もなかった。他人に涙を見せることは、自分が弱いと認めることだ。そんなことでは生きていけない――生きていけなかった。かつては。

 でも今は違う。周りが変わった。彼女を変えた。


(弱くなった? 違う、強くなるんだもん、これからっ。誰にも負けない、強い魔術師になるんだっ)


 そのとき、リュカは全身を強張らせた。

 呼吸まで止まってしまったみたいに動けなくなる。

 左腕が空気に触れている。抵抗しているうちに衣服が捲れたのだ。

 セザールがそれに気付き、眉をひそめた。


「ん? この入墨は……」


 やめて。見ないで。触らないで。


「これは、サジェスの奴隷階級の証か……?」


 必死で拒絶しようとするリュカの体を押さえつけ、セザールは左腕に指を伸ばす。

 細い指先が、卑しさの象徴である蛇の頭に触れようとした。


「んんーっ!」

「リュカっ!」


 はっとして、リュカは入り口に視線を這わした。頭は固定されて動かない。辛うじて捉えたのは、暗闇に浮かんだ松明の炎。明かりが作る影。懐かしい人の声。


「んんんーんん!」


 体に衝撃を感じた。だが、食らったのはリュカではない。セザールの方だ。

 男の手が離れると同時に、大量の空気を口から吸いこんだ。部屋は密室の状態にもかかわらず、空気がとても新鮮に感じる。

 咳き込んだ。後頭部と背中と肩が痛い。

 解放された。やっと理解が追いつく。安心と涙が押し寄せてきて、両手で顔を覆った。


「先輩っ、大丈夫ですか!?」

「し、しんじん、くん……?」


 駆け寄ってきた少年に肩を抱かれ、リュカは恐る恐る顔をあげた。

 柔和な顔が心配の色に染まっている。いつもは頼りないくせに、今だけ男らしく見える。騎士の鎧のせいか、それともリュカの心が弱っているせいか。

 ただ一つ言える、確かなことは――。


「新人、くん……」

「どこか痛みますか? 苦しいですか? 待ってくださいね、すぐに手当てをしますからっ」

「ボクはあなたの先輩じゃないですっ!」


 小さな拳がユリアンの顎にクリーンヒットした。



 扉を開け放ち、敵とリュカの気を引くと同時に走り出す――セザールに向かって。

 魔術師は顔一面に驚きの表情を浮かべ、大きく後退ろうとする。

 しかし、ロルフがそれを許さない。

 魔術師が取り出した短剣を弾き飛ばし、相手の肩を強く押す。

 そして、


「がっ……」


 痩せこけた頬を掠め、ロルフの剣が石壁に突き立った。

 ひゅ、と音を立ててセザールの喉が上下する。

 静止。

 そのまま、何秒か、何十秒かが経過した。

 ずるずるとセザールの体がずり落ちていく。

 ロルフとセザールはしばし睨みあった。一方は怒りを、もう一方は苛立たしさを露わにして。

 これで決着か。

 何もしていないユリアンがほっと息を吐いた。

 しかし。


「馬鹿め……!」


 魔術を放つには、ほんの数秒あればいい。

 魔術師の周囲で空気が荒々しく歪んだ。危険な兆候だ。リュカの顔色が変わる。


「隊長さん!」


 魔力の暴走を知らせようと叫ぶより早く、ロルフはセザールの横っ面を思いっきり殴り飛ばした。

 目を瞠るリュカたちのすぐ傍を、長身の体が吹き飛んでゆく。

 鼻血が宙にきれいな弧を描いていた。

 どさり、と案外軽い音を立てて落ちたセザールの様子を、ロルフ以外の全員が息を止めて見守った。

 ――ぴくりともしない。


「し、死んだ?」

「なわけないだろ、気絶してるだけだ」


 臆病を絵に描いたようなユリアンに、ロルフの呆れた指摘が飛んだ。

 確かに、セザールは白目を剥いて倒れているだけのようだった。

 だが、本当に呆れていたのは他の面々だ。


「あんた何やってんすか!」

「信じられないですよ、魔術師を殴り飛ばすなんてっ。敵が魔術を放ったらどうするつもりだったんですか!」


 入り口を守っていたジョシュとヒューの二人が口々に叫んだ。


「間合いを取られたら剣士は不利だ。近付くしかないだろ」

「そうですけど……」

「要するに、お前らは近距離でも中距離でも剣士は魔術師より弱いって言いたいわけだ」

「そんなことは……!」


 ロルフは、プライドを傷つけられたように目を吊り上げる二人に軽く笑ってみせた。


「そんなことはない、その通りだ。相手が魔術を使うかどうかは、よく見れば分かる」

「そんなバカな!」


 今度叫んだのは、リュカだった。自身も魔術師である彼女は、ロルフの言葉が信じられない。というより、信じたくない。

 魔術師でないロルフが魔術を語るなんて、一体どういうわけだ。

 リュカが初めて魔術を使ったのは、ほんの数年前のことだ。それまでは自分に素養があることすら知らなかった。もっと早く気付いていたら運命も変わったはずだと、後悔することも多い。

 それなのに、魔術を使うかどうかは見れば分かる?

 胸倉掴んで冗談言うな、と激怒したい。立ち上がる気力があれば、きっとそうしていた。

 ロルフにもリュカの気持ちが分かったのか、頬を掻いて気まずそうにした。


「そんなバカな、と言われてもな。知り合いに魔術師がいてさ、ずっと前からそいつが魔術を使うのを見てたから、何となく分かるようになったんだよ。呼吸が」

「呼吸……?」


 思ってもいなかった言葉を聞き、リュカは不意を突かれたようなちょっと間の抜けた顔をした。

 ロルフは一つ頷いて続ける。


「そ。お前たちって、心を落ち着けないと魔術が使えないんじゃないのか? だから魔道兵には訓練が必要なんだろ。戦場で魔術を使うためには、どんな光景を目にしても狼狽えない強靭な――冷徹な精神力がいる。それが呼吸の仕方に表れる。オレはそう思ってた」

「思ってた、って。そんな曖昧な」

「違うのか?」

「……違わないです」


 大方正解だったので、リュカは不貞腐れた。ロルフは笑いながら近付いてきて、彼女の頭をぽんぽんと叩いた。完全に子ども扱いだが、なぜだか悪い気はしない。


「あれ? どうしたんですか先輩。顔赤いですよ」

「……ふんっ」


 気合を込めた一撃がユリアンの顎に刺さる。さっきから顎ばかり狙われているが、他に痛そうなところは殆ど鎧で守られているのだ。仕方がない。


「まあとにかく、呼吸を気にしていれば相手が魔術を放とうとしているかどうかは分かる。後はタイミングの問題だ。こっちの攻撃は速ければ速いほどいい。今みたいにな。な、出来そうな気がしてくるだろ? お前らも真似していいぞ」

「いや、そんな気軽に言われても」


 ユリアンたち三人は、ぶんぶんと首を横に振った。

 その顔は揃いも揃ってこう言っている。

 もし真似する機会があったら、そのときも是非隊長にお任せしたい――と。


 そんな気弱な騎士たちとその上司の顔を交互に見つめていたリュカは、不意に俯き、小さな口をもごもごと動かした。

「どうしたんですか? 先輩。虫歯ですか?」


 二度のお仕置きにもめげないユリアンが、心配そうに尋ねる。その直後に失言を悔いるように口を覆ったが、リュカの鉄拳は飛んでこなかった。

 珍しいこともあるものだと青年たちが顔を見合わせたとき、リュカは思い切って口を開いた。


「あ、ありがとう……ございます。助けてくれて」


 慣れない感謝の言葉。

 誰かが手を差し伸べてくれて、こんなに嬉しいと感じたことはない。『ありがとう』は心の底から湧き上がってくるものなのだと、初めて気付いた。そして、彼らが必ず来てくれると当然のように信じていた自分にも。


 騎士たちは再び視線を交わした。急に大人しくなったリュカを変だと笑うこともなく、年の離れた妹を見るような気持ちで頬を緩める。

 ロルフは彼女の頭をぐしゃぐしゃと掻き回しながら言った。


「いいってことよ」




 こうして、一つの誘拐事件と魔石密売事件は幕を下ろした。まだ犯人の聞き取り調査が残っているが、それはロルフたちの仕事ではない。

 彼らは危険な戦いを終え、雑多で平穏な日々に戻った。当分は建国祭前後の警備に戦場を移し、忙しさと戦うのだろう。

 それも彼らの仕事。いざというとき、前線に立ち剣を振るうために騎士団はある。国をあらゆる敵から守ることが彼らの誇りなのだ。



「――で、その賊ってのは全員捕まえたわけ?」

「今回の事件の関係者はな」


 胡乱な女の視線から逃げるように、ロルフはグラスの中の液体を飲みほした。

 残った氷が揺れ、涼しげな音を立てる。もう冬というこの季節、この一場面だけを切り取れば寒々しいにも程がある。だが、熱気と活気に包まれた酒場の中では丁度よいくらいだ。


「ふぅん? 妙な言い方するじゃない」


 真向かいに座ったレイカはぺたんと机に上半身をくっつけて、上目遣いにこちらを見上げてきた。まだグラス一杯目だというのに、もう顔が赤い。ただし酔い潰れるのはまだまだ先だ。彼女と飲むのはこれが初めてではないので、もう慣れている。


「もともとはサジェスの山間部で積荷を襲っていた連中のようだ。それが、軍に追い立てられてこっちに逃げてきた」

「奴隷――なんですって?」


 不意打ちにやられたロルフは、酒が器官に入り咳き込んだ。

 恐ろしいものを見るかのような目つきでレイカを見やる。


「げほっ……な、なんでレイカがそのことを知ってるんだよ」

「聞いたのよ」

「誰に!?」

「人に」


 つん、と澄ましてとぼける。顔赤いくせに。

 ロルフはまだ不満げに幼馴染を睨んでいたが、これ以上口を割りそうにないと分かるや、諦めて琥珀色の液体をグラスに注いだ。


「武器や資金を集めて、故郷で蜂起するつもりだったんだと。あくまで先日捕まえた奴らの主張だが」

「よく分からないわね。そのセザールって魔術師、年端もいかない少女を攫って何がしたかったの?」

「さあね」


 適当に返して、酒をぐいっと呷る。レイカの視線を感じたが、根性で無視した。

 一歳年上のこの女性は、生まれつきの美貌を最大限に活かして攻めてくる。しかも無意識に。切れ長の透き通った瞳で見つめられて嫌な思いをする男はいない。気を抜くと、言ってはならないことまでうっかり喋ってしまいそうになるのだ。


 セザールがリュカを攫ったのは、魔術を教わるためだった――と言えば、彼女はどんな顔をするだろうか。大抵の人はぽかんと口を開けて、次に笑うだろう。

 けれど、ロルフとレイカは師につかない魔術師の危うさを知っている。なぜ危険なのか、その理屈など分からない。理屈抜きで危険なのだ。周囲にとっても、本人にとっても。


「ところで」


 ボトルの酒が少なくなってきたところで、おもむろにレイカが切り出した。

 反射的に身構えるロルフに苦笑する姿も艶やかだ。見慣れているはずなのに、どうも面映ゆい。


「今度の建国祭、一日中仕事なの?」

「たりめーだろ。一分一秒だって抜けられねえよ。おまけに夜中まで巡回だし」

「あらあら、大変ねぇ」

「ったく。他人事だと思って……」

「他人事だもの」


 レイカは頬に手を当て、にこにこと笑っている。ロルフの悔しがる姿が余程面白いようだ。


「ま、騎士様は国をお守りするのがお仕事ですものね。大変だけど頑張って、としか言えないわ。皆さんも」

「皆さん?」


 レイカの見つめる先を追って振り返ると、ロルフはぎょっとして椅子ごと後退った。

 彼女に負けないくらいにこやかなエトガーと、いつにも増してしかめっ面のヴァルター。初めての店に戸惑っているのかキョロキョロと店内を見回すユリアンに、リュカまでいる。


「うわー……」


 ロルフは片手で両目を覆い、天井を仰いだ。なんでここにいる、と言いたげだ。

 その間に面々は同じ席に座り、注文まで取り始める。エトガーなどは、ちゃっかりとレイカの隣を陣取った。


「ずるいなぁ、ロルフ。仕事が終わったら俺らほっぽって美人と食事だなんて」

「自由時間くらい好きに使わせろ。で、お前ら何しに来た?」

「あらやだ、美人だなんて」

「……ボク、ホットミルク」

「あ、僕も同じので」


 なぜか慣れた様子のリュカに、なぜか同じものを注文するユリアン。更にヴァルターは、メニューにあるものを片っ端から読み上げていく。客の好き勝手な態度にも慣れているのか、給仕の女の子は嫌な顔一つせずにニコニコしている。

 ロルフはまだ納得が行かない。


「もう一度聞くぞ。お前ら、何しに来た?」

「偶々だよ。みんなでメシ食いに行こうって話になって、偶々選んだ店に偶々君がいただけ。美人と」

「可能性としてはあり得るが、お前が言うとなんか怪しい」

「あらやだ、美人だなんて」


 レイカは頬に手を当て嫣然と微笑んだ。

 ……こいつ、酔ってやがるな。

 顔を赤くして――もちろん酒が入ったせい――しなをつくるレイカを横目で睨む。

 エトガーの目には照れているように映るらしく、相変わらずの愛想の良さでお世辞なんぞ言っている。レイカはその一つ一つにずれた回答を返していた。周りの酒飲みに交じって歌いだすのも時間の問題だろう。

 そのときのエトガーの反応を楽しみに、放っておくことにする。

 改めて増えた面々を見回すと、リュカがじっとこちらを見ているのに気が付いた。


「どうした?」

「……いつもこういうとこ来るんですか?」

「まあ。偶に」


 当たり障りのない返答をすると、場に似つかわしくない少女はふーんと意味ありげに呟いた。

 酒場なので、当然椅子や机は大人用の高さに調節されている。身長の低いリュカは床につかない足を持て余し、ぶらぶらと揺らしていた。つまらなそうだ。

 ロルフの隣に座ったユリアンが、彼にそっと耳打ちする。


「なんか今日の先輩、大人しいんですよ。変だと思いません?」

「先輩じゃありません」

「げ。地獄耳」


 リュカの周囲にどす黒い怒りのオーラが溜まっていく。


「うわわ、ごめんなさいっ、悪気はないんです、ちょっと口が滑っただけで!」

「そんなことは分かっています。悪意を感じてたら、新人くんは今頃椅子の上から消えています」

「さすが先輩、鋭いですね!」


 リュカの肩がふるふると震える。

 まずい。怒りが限界だ。

 このままでは店の備品を壊しかねない。そうなれば、なし崩し的にロルフが責任を取らされる可能性大だ。


「リュカ、ちょっと落ち着い――」

「馬鹿にしてるんですか? からかってるんですか? 怒らせたいんですか? そうですね、そうなんですね。だったらお望み通り怒って差し上げようじゃありませんかっ」

「え、なんですかその手の中の炎。ちょ、先輩やめてください、待っ……」

「おいお前ら、静かにしねーか! メニューに集中できねえ。えーっと、これは何て読むんだ? 青い森の小さな……こ、こんぎゃ」

「蒟蒻。ご注文まだですかぁ?」

「おお、コンニャクって読むのか。じゃあこれは?」

「それはですねー」

「隊長ー! 先輩が怒ってますっ。どうにかしてください!」

「どうにかできるものなら、どうにかしてみろってんですよっ。一瞬でも新人くんに協力したら隊長さんも同罪と見做しますから!」


 テーブルのあちこちで上がる悲鳴や笑い声やその他もろもろ。いつの間にか立ち上がったレイカが意外に渋い歌声を披露している横で、エトガーが楽しそうに喝采している。周りのテーブルも巻き込んで、騒ぎたい放題の大騒ぎだ。

 もう、止める気力もない。

 ロルフは頭を抱えた。

 建国祭前の束の間の休息。のんびり花火見物できない分を、ここで埋め合わせようと思っていたのに。


「オレ、どこで貧乏くじ引いた?」


 もちろん、その疑問に答えられる人間などいない。自分自身ですら分からないのだから。

 ロルフは楽しそうなレイカと部下たちが同じ視界におさまっているのを、仕事放棄したような顔で見つめていた。




 ――月のない空。水の流れる音が耳を打つ、静かな夜道。

 暗闇では確かな色など判別できない。だというのに真紅と分かる派手なドレスを着た女が、一人の男と差し向っている。

 男は一見して堅気ではないと分かる。女の方は、顔をベールで隠し見えなくしている。

 二人は囁くような小声で何事かを話し合っていた。


「では、あなた方が望むのは金と住む場所……ということで、いいですね?」

「ああ、そうだ。その代わり、あんたのやりたいことを手伝ってやる。俺たちの得意な方法でな」


 そう言うと、男は残忍な笑みを浮かべた。翼をもぐのが楽しくて仕方がないといった風な顔だ。女もまた、我が意を得たりとばかりに口の端を吊り上げる。


「ふふ。朗報を待っていますわ」

「契約成立。確か、この国では血統と同じくらい契約が尊ばれるんだったな」

「どうでもいいですわ、そのようなこと。私にとって大切なものは一つだけ。それ以外はクズです」


 透き通った声音で吐き捨てる。それがあまりに当然のようだったので、男は一瞬理解が追いつかず呆気に取られた。

 少しずつ、愉悦が胸に込み上げてくる。あるとき一気に臨界点を突破し、静けさをぶち壊すような大きな笑い声を男はあげた。


「コイツはいい! ますます楽しくなってきたぜ。そうか、クズと来たか。クク」


 何の光を反射したのか、男の双眸がギラリと光った。

 この女の目には、契約を交わした自分もクズとしか映っていないのだ。もしかしたら彼女は、自分の身すら案じていないのではないか。やんごとなきお嬢様が護衛も付けずに見知らぬ男と会っているのも、そのためだろう。どこかの宿へ連れ込んで何をされようが、一向に構わないのかもしれない。実行する気はないが。


 月のない空。静かな夜道。

 誰も知らない闇の片隅で、危険な契約が結ばれた。

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