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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第一章
3/69

ご主人様です

 クラエス・ハンメルト。知る人ぞ知る魔術師であり、一部の人間の間では《気難しい》《変人》の代名詞として知られている。爵位を持つ暦とした貴族だが、庶民の経営する店が連なる第三層区に邸宅を構える彼は、貴族の中でも異色といわれる存在だ。それゆえに、近寄りがたい。

 加えて滅多に人前に姿を現わさない希少性。巷ではまるで珍獣のような扱いを受けているらしいその魔術師には、人を食うために夜な夜な街を徘徊するだの、天候を操って災害を引き起こすだの、火を噴く竜を飼ってるだの、尾ひれはひれをつけて広がったとしか思えない噂がたくさんある。


 雇った使用人は数知れず、男女問わず辞表を提出し逃げるように去っていくという。二度と会いたくないと泣き喚いたり、彼の話を始めるや否や祈りの文句を口ずさんだりするというから、少なくとも普通の人物でないことだけは確かだ。

 住んでいる人間が変なら建物も変ということで、その可哀想な屋敷は《魔の三角地帯》などと呼ばれているらしい。


「でもレイカさん、三角じゃなくて《魔の四角地帯》みたいです……」


 リルレットは目の前にそびえる塔のようなお屋敷を前にして、呆然と呟いたのだった。


 第三層区アトラティク街は、リルレットが数日前まで働いていたファンファル街とは、河を挟んで反対側にある。なので最近見ることはなかったが、商業区ということもあり、前を通ったことは何度もある。職場を転々としたリルレットの行動範囲は、アトラティク街とファンファル街が主だったと言ってもいいからだ。建物自体、人目を引く外観をしているので、どんな人が住んでいるのだろうと気になっていたのだが。


「まさか、このお屋敷で働く日が来るなんて思いもしなかったわ」


 お屋敷、といっていいのかどうか不安な外観ではあるが、立派は立派だから「お屋敷」で合っているだろう。

 さすがに貴族の邸宅だけあって、敷地は広い。これだけあれば店が四つか五つは入るだろう。

 しかし四角いのは敷地だけで、肝心の建物は円柱の形をしている。外観は石造りの塔のようで、小さな窓が斜め上に向かって点々と並んでいる。それ以外に外と通じる部分はなく、中はさぞかし暗いだろうことが予想できる。

 屋根は赤い麦藁帽子を被ったみたいな形をしていて、頭を覆う部分に大きな窓が一つついている。よく見ると最上階の窓は開いていて、数羽の小鳥が窓枠の上をちょんちょんと飛び跳ねていた。その可愛らしさに、思わず口元が綻ぶ。


「ふわ~。なんだか素敵」


 変だ変だというけれど、見方を変えると童話に出てくる建物のようだ。ちょっと可愛い。本当にこんなところに変人が住んでいるのかしら、とリルレットは首を捻ったが、悩んでいても仕方がないと、手鞄を持ち直して門を潜ってみることにした。

 ちなみに今回は住み込みと通いを選べたが、宿代節約のためにリルレットは光の速さで住み込みに決めた。レイカは何故か渋い顔をしていたが。なので、鞄一つが荷物の全て。ここが駄目なら後がないというわけだ。


 門はどこにでもある普通の鉄製で、手入れをしてあるのか音もなく開いた。

 胸がどきどきと高鳴る。熱に浮かされたみたいに沸騰する頭で、必死にこれまでの経験を反芻する。一人暮らしをしていたから掃除も洗濯もばっちりだし、実家では料理だってしていた。お嫁さんになって旦那様のために毎日美味しいご飯を作るのが夢だったから、自信はある。一時期は絶望して台所を見るのも嫌だったけど。うん、今なら大丈夫。でも仕事となると――自信は急速に萎んでいく。


(駄目だよリルレット! ほら、気張らないとっ。せっかくレイカさんがお膳立てしてくれたんだからっ)


 見掛け倒しでも何でも、やる気を出さなければ。自分への励ましが逆効果になる心配もあるけれど、そこはそれ、もうやるしかない。

 リルレットは、震える手で竜の口からぶら下がるドアノッカーを叩いた。


(叩いてしまった……)


 混乱と緊張で汗の吹き出る少女を余所に、ややあって内側からカチャリと開錠される音がする。


『どうぞ、入って』

「あ、はい。どうも、ありがとうございます」


 反射的にリルレットは頭を下げた。

 が、はて? と首を傾げる。

 雇い主は男性のはずだが、今のはどう考えても女性の声だ。使用人ではないはず。もしそうなら、リルレットを雇う必要はないからだ。二人以上の手が必要とは聞いていない、不自然だ。それに、声はこちらの用件を聞かなかった。彼女が訪れることは斡旋所から連絡が行っていると思うので知っていても不思議はないのだが、それでも一応は確認するものではないだろうか。


 まぁいいや、と持ち前の楽天家を発揮すると、リルレットは扉に手を掛けた。


「お邪魔します……」


 言いながら、誰に対して断ってるのか分からないな、と思った。扉を開いたそこには誰もいなかったからだ。屋敷の持ち主にということならクラエス・ハンメルトとなるのだろうが、さっきの声の主が誰なのか分からないこともあり、複雑な心境を隠せない。


 屋敷に入り、まず目に飛び込んできたのは、正面の壁にある扉だった。そこを開けて奥へ進むのかと思ったけれど、廊下は左右にも広がっている。だだっ広い一部屋があるだけだと思っていたリルレットにしてみれば意外である。

 左はすぐに突き当りが見えた。外壁側に階段が設置されているところを見ると、こっちは不正解。

 右を見るとこれまた突き当たりか、と思われた。だがよく見ると、壁だと思ったのは天井に届こうかというくらい大きな本棚だ。同じ物が外壁側にも内壁側にも並んでいる。外壁側の本棚と壁のように視界を遮る本棚との間には、人が一人二人通れるくらいの隙間がある。

 声はその奥から聞こえてきた。


「こっちだよ。構わないから、進んできて」

「は、はいっ」


 人の声に俄かに緊張を取り戻す。緊張しすぎて、今度はちゃんと男の人の声だということにも気付かなかった。

 今や、リルレットの頭は《気難しい》人に対してどのように受け答えするかでいっぱいだ。考えても答えの出ないことではあったが、できるだけ気に入られるようにしなければ、と自然と拳に力が入る。一日目で解雇ということにもなりかねないから真剣だ。もしそうなったら立ち直れない自信がある。

 無意識に、鞄を胸にぎゅっと押し付けていた。肩が震えている。足もかちこちに固まっている。でも歩みは止まっていない。


(大丈夫、大丈夫よ)


 自分に言い聞かせながら奥へと進む。

 黒い本棚の壁を抜けると、少し広いスペースに入った。


 意味の分からない方程式がぎっしり書かれた黒板、用途の分からない魔術道具、数千冊の書物に囲まれた薄暗い部屋の中央に、その人はいた。

 さらさらと揺れる金色の髪に、物憂げな翡翠の瞳。書物や羽ペンなどが無造作に置かれた机に肘をつき、白く細長い指を口元で組んでいる。

 まさに貴公子と呼ぶに相応しい容貌の、恐ろしいほど綺麗な男だった。


「初めまして。俺がクラエス・ハンメルトだよ。キミがリルレット・フェルミエだね?」

「は、はい。今日からお世話になりますっ。あの、精一杯頑張りますので、す――捨てないで下さい!」


 って、何言ってるんだ自分?

 混乱して目が回り、クラエスがどんな表情をしているのかも分からなかった。


「緊張しなくていいよ。辞めたい人は勝手に辞めていくからね。俺から辞めろと言ったことはないんだ」

「そう……なのですか」

「そうなのですよ」


 青年――クラエスはふんわりと笑った。

 物腰柔らかな雰囲気を見て取り、リルレットは目をぱちくりと瞬かせる。


(聞いていた人物像と全然違うような……?)


 目の前のクラエスと名乗る青年からは、気難しいだの変人だのといった雰囲気は感じ取れない。それどころか、とても優しそうな好青年に見える。噂は所詮噂ということだろうか。


(え、でも、ちょっと待ってよ)


 辞めたい人は勝手に辞めていく。ということは、噂は全てが嘘ではない。理由は分からないけれど、使用人が次々と辞めていくような原因は確かにあるのだ。

 リルレットの思考を先読みするみたいに、クラエスは言った。


「俺に関する色々な噂があることは知ってるよ。どれも当たらずとも遠からずってとこだね」

「うそぉ!?」

「嘘だよ。ハハハ」


 リルレットは思わず声を上げたことを恥じると同時に、安心した。

 そうだよね、こんな人畜無害そうな人が人を食べるために夜の街を徘徊したりするわけないよね。


「火の無いところに煙は立たずとも言うけどね、あはは」


 何が可笑しいのか分からないけど、とりあえず笑っておこうか。


「ですよねー。あはは」

「お追従は嫌いだよ」

「あ痛ーっ!?」


 すこぉん、とリルレットの額にチョークの弾が炸裂した。

 額を手で押さえる彼女に、クラエスはにこにこと微笑みかける。その手には白いチョークが数本握られている。状況を顧みてみると、自分は何やら雇い主の機嫌を損ねることを言い、物理的な注意勧告を受けたらしい。

 額のど真ん中には微かにざらついた感触。


(こ、この人……)


 信じられない気持ちでクラエスを見返す。


(――すごいコントロールだわっ)


 まさか些かズレた感想を抱かれているとは思いもせず、クラエスは少なくとも見た目は上機嫌に仕事の説明を始めた。その殆どがレイカに聞いたのと同じ内容だった。終わると「分かった?」と聞かれたので、素直に「分かりました」と答えておいた。


 ある程度驚きや緊張やらが通り過ぎると、クラエスの姿がちょっぴり違って見えた。

 貴公子然とした顔貌は相変わらずだが、物憂げだと思った瞳は眠たそうに瞼が閉じかけているだけだし、白いシャツや、羽織らずに無造作に肩に掛けただけの黒いインバネスはくしゃくしゃの皺だらけだ。しかも、見間違いでなければシャツのボタンを掛け違えていないか。ぽややんとした微笑もたぶん眠気のせい。その証拠に、一通り説明が終わるとすぐに机に突っ伏して眠ってしまった。居眠りする姿すら様になるというのは、ある意味貴重な特技ではある。


 一人取り残された感じのリルレットは、鞄を大切に抱えたままだったと気付くと正気を取り戻した。


「と、とりあえず、荷物を置いてこよう」

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