騎士たちの行動
「――というわけで、お前のところに頼みに来た」
四六時中魔術の光が照らす、薄暗い部屋の中。四方のほとんどを本に囲まれたその部屋の中央で、ロルフは重厚な書斎机に両手を突き、家の主である友人と向き合っていた。
クラエスは呆れたように、突然の客人を半眼で見やった。
「いきなり押しかけてきて、『というわけで』はないだろう」
「これを調べてくれ」
「だからね……」
抗議しようとするクラエスを無視して、ロルフは広い机の上に半分に割れたガラス玉のようなものを置いた。完全な球体だった頃にはくすんだ藍色をしていたそれは、今は黒に近い色へと変じている。
ユリアンが手に入れた魔石の欠片だ。断面には固いもので叩き割ったように歪な凹凸がある。
一瞥して、クラエスの顔つきが変わった。
「こんな危険なものを持ち歩いて、どういうつもりだ」
「だから民家の少ない場所を走ってきた。これをお前に調べて欲しい」
「随分早急だな。調べると言っても、具体的に指示してくれないと困るよ」
危険なものという割りにさしたる注意を払う様子もなく、素手で魔石を持ち上げる。万が一暴発したとしても、防ぎきる自信があるのだ。ロルフには魔術のことなど何も分からないが、友人なら魔術に関する大抵のことは大丈夫だろうと思って知らない振りをしている。
「見てのとおり、割れている。もう片方が今どこにあるのかを調べてもらいたい。それを持ってる奴が危ない目に遭ってるかもしれないんだ」
「片割れの在り処……と」
リュカが連れ去られたすぐ後、ロルフは手掛かりが落ちていないか探した。地面の上には何も見つからなかったが、なんとユリアンの手に重要なヒントが残されていた。
それが魔石の片割れだ。
リュカは拘束されたとき、咄嗟に自分が持っていた魔石を割り、その片方をユリアンに託したのだろう。どうやって実行したのか具体的なことは分からないが、彼女なら可能に違いない。
「そういえば、城の研究機関は?」
「あいつらは駄目だ。仕事が遅い。魔石の欠片一つ調べるのにも、手続きがどうの人員がどうのと渋るばっかで話が進まない。だからお前が頼りなんだよ」
「分かった」
「すまん。後でちゃんと礼はするから、なるべく早く――」
「だから分かったって」
「は?」
クラエスは不機嫌そうに魔石をロルフの手前に置いた。代わりに机の引き出しをごそごそと漁り、一冊の大判の本を取り出した。慣れた手つきでページを捲り、王都一帯の地名を記した地図を開く。人差し指である一点を円で囲んだ。
「この辺りかな。どうも魔力が不安的で、大まかにしか絞り込めない。もう少し時間を掛ければ正確な場所が分かるだろうけど」
「いや、十分だ」
ロルフの目は、地図上のある施設に注がれていた。旧街道の北側、国境近くの森に囲まれたひと気のない場所。そこに、昔軍が使っていた砦が残っていることを思い出したのだ。
「恩に着る!」
一言だけ。
ロルフは地図をかっさらうと、もどかしそうに邸を辞した。訪問してから五分も経っていない。それほど焦っているということか。
クラエスの呆れた眼差しも、リルレットの引き留める声も気付かなかった。
頭の中には、仲間を救いだして任務を遂行することしかない。
騎士として。隊長として。
責任を果たさなければならない。
***
魔石を解析できる人間に心当たりがあるとロルフが飛び出して、小一時間。その間、エトガーは気落ちしたユリアンと共に装備の再点検をしていた。違法な魔石商人の一団の居場所が分かれば、夜が明けるに動くつもりだ。正々堂々と真正面から戦うだけが騎士ではない。
ヴァルターは、いなくなったロルフの代わりに渋々団長の執務室へ赴いた。昼間の報告をするためだ。以前ロルフの隊長就任のことで噛み付いたからか、あまり気乗りはしないようだった。彼のような大男でも臆することがあるのだなと思うと、なんだか可笑しくなる。
(ま、それは置いといて。問題は一味の方だなぁ)
昼間の戦闘を見た限りでは、敵の動きはそれほど洗練されていない。仲間意識も低いようだ。素人の集まりと言っていい。
注意すべきは魔術師の存在だ。剣で魔術に対抗するのは無謀というもの。避ける以外にこれといった対抗策はないのが現状である。
ふと、エトガーは顔をあげた。
「そういえば……あのとき、ロルフはなぜ魔術が来ることが分かったんだ?」
突発な出来事だったにもかかわらず、タイミングを考えると偶然とは考えられない。勘や経験でないとしたら知識だ。どこでそんなことを覚えたのだろうか。
謎だ。
エトガーが初めてロルフと言葉を交わしたのは、叙任式の日だった。話しかけてきたのは向こう。あまりに気安いので、彼がブラント家の跡継ぎだと聞いたときは本気で嘘だと思った。ましてやいくつもの作戦で肩を並べ、彼を隊長と仰ぐことになろうとは夢にも思わなかった。
今思い返すと苦笑する。
これは夢ではなく、現実だ。
とすると、ロルフが得体のしれない知識を身に着けていたとしても、今更驚くようなことではないのかもしれない。
考えに耽るエトガーの傍で、ユリアンが所在無げに立っていた。おずおずと声をかけてくる。
「あの、先輩」
「ん? 何だい?」
エトガーの表情は、いつでもどこでも呑気に見える。桟橋で日向ぼっこをしている猫のようだ。
決して知性に欠けているわけではないのだが、この顔のせいで周囲からは軽んじられるか無駄に警戒されるかの大抵どちらかだ。
ユリアンはどちらかと言えば前者だった。しかしそれは侮っているのではなく、親しみやすい先輩として見ているからだ。
「リュカ先輩、僕のせいで危ない目に遭っているんですよね」
「そうとは限らないよ。もしかしたら、向こうで格別のおもてなしを受けてるかもしれないし」
「だとしても、不本意に違いありません。リュカ先輩のことだから、怒り狂って暴れまわって敵の不興を買ってるかも」
「プライド高い上に負けず嫌いだからねぇ、彼女。嫌いな人間には容赦しないし」
人間関係にいろいろと弊害を抱えていそうだ、と他人事ながら心配になる。いや、だから本来の縄張りでない騎士団に出入りしているのか。彼女の所属する組織を思い浮かべながら、少しだけ同情する――エトガーですら、あまり近づきたくないところだ。
そんな胸中を知ってか知らずか、エトガーの言葉にユリアンはうんうんと頷き返す。
「そうなんです。だから僕、不安で」
「……何が?」
かくっと首を傾げる。
「だって、僕のせいでリュカ先輩は拐われたんですよ? もう、絶対完璧に嫌われたに間違いないじゃないですか。絶望です、最悪です」
「やたら強調するなぁ」
それだけ、リュカに嫌われたくないのだろう。絶望とまで言ってしまうくらいだ。
なぜだろう。
一つ思いついて、にやりと笑う。
「なに、もしかしてリュカに惚れてるの? 君」
「まさか。そんなわけないじゃないですか」
ユリアンは至極真顔で否定した。ちょっと拍子抜けだが、エトガーとて本当にそんなことを思っていたわけではない。
「じゃ、なんで嫌われたくないの?」
「決まってるじゃないですか。報復が怖いんです。きっと後で半日お説教されたり、愛の鞭とか言って殴られるに決まってます」
「……愛の鞭ならいいんじゃないの?」
どこからつっ込もうかと迷った末に、適当に思いついたことを口にする。
ユリアンはぶんぶんと首を横に振る。その悲壮感といったらない――のだが、なぜだか可哀想という気は全くしない。
「行き過ぎた愛は残酷ですよ! そもそも嫌われてますから、愛では有り得ません!」
「…………」
もしかして、自分でも何を言っているのか分かっていないのではなかろうか、この少年は。
さすがのエトガーも返す言葉に困った。だが、先輩として言うべきことは言わなければと、余計な義務感が頭をもたげる。
「いいかい、ユリアン。世の中には愛に飢えている人がたくさんいるんだ。ヴァルターを見てごらん。あの年で独り身、しかも浮いた話は一つもないと来ている。なんて寂しい人生だろう。いや、寂しいを通り越して虚しくすらあるね。それに比べたら、嫌われただの何だのというのは贅沢な悩みだよ。君は恵まれているんだ」
「……そうでしょうか?」
「そうだよ!」
エトガーの演説にも熱がこもる。
「よく考えるんだ。君はリュカに嫌われたという。しかし、実際はどうだか分からない。魔王に拐われたお姫様よろしく、ナイトの助けを待っているかもしれないじゃないか」
「ないない、絶対ないですよ」
「いや、分からない。だってリュカは女の子だよ、あれでも。考えてごらん。なぜ、彼女は騎士団に入り浸るのか。そう、騎士への憧れがあるからだ。なりたい方の憧れではなくて、好みのタイプの話だね。彼女は助っ人として実力を磨きながらも、将来の伴侶を品定めしているのさ」
「そ、そんなまさか……」
ユリアンの顔は真っ青になった。自分の言葉が想像以上の効果を発揮したことに気をよくしたエトガーは、満足そうに頷いて続ける。
「分かったようだね。未来の夫候補には君も含まれていることを。年齢を考えれば、むしろ君が一番相応しい。性格も……まぁ、少々尻に敷かれるくらいがちょうどいいと思うよ」
今やユリアンは、声もなく口をパクパクさせている。エトガーの言うことをすっかり信じてしまったようだ。
「ただ、恋愛というものは双方向のコミュニケーションだからね。候補に入っているからといって案ずることはない。それよりも心配なのは、ヴァルターのことだ」
「ヴァルターさん? 彼がどうかしたんですか?」
自分の話から逸れたためか、勢いよく食いついた。
エトガーは重々しく頷いてみせる。
「俺の見た限りでは、どうも彼はリュカに興味を持っているようだ……」
「ええ!? きき、興味って……!」
「もちろん君の思っている通りの意味さ。あの二人、いつも喧嘩してるだろ? ヴァルターは大人なんだから、喧嘩を吹っかけられても軽くいなせばいい。なのにわざわざ取り合うのは、多分彼女に好意を寄せているのを誤魔化すためだ」
「でも彼ら、二十も年が離れてますよ?」
「恋愛に年齢は関係ないってことなんだろうね。でもねぇ。さすがにどうかと思うよ、俺は。騎士団の醜聞に関わる問題だからさ」
「大問題ですね!」
「お前らなぁ……」
地獄の底から響いてくるような恐ろしげな声に、ユリアンは悲鳴をあげて飛び上がった。
一方でエトガーは涼しい顔だ。いつの間にか背後にいたヴァルターを振り返り、何事もなかったかのように振る舞う。
「あ、おかえりヴァルター。団長元気してた?」
「元気してた? じゃねえよっ。適当な作り話しやがって。てめえ、俺がいること知っててからかいやがったな? 無茶苦茶な軌道修正しやがって!」
「すぐに入ってこないから調子づいちゃった」
「人のせいにすんなっ。普通自分の名前が出てきたら、何だろうな、くらい思うだろうがっ」
「うん。だろうなって思ってた」
「ぐぅっ」
何を言っても、エトガーはどこ吹く風。口笛を吹き始めそうな雰囲気すら漂わせている。
いくら押しても手応えのない問答に、ヴァルターはいい加減頭が爆発しそうだった。
「あああ、ちくしょうっ。なんで俺の周りの若造は生意気なヤツばっかなんだ!」
そればかりは采配した団長に尋ねるしかない。
幸いというべきか、彼の苦悩は新たな人物がやって来たことで中断された。
「リュカの居場所が分かったぞ」
三人は一斉に入口を見た。
ロルフは、長い距離を走ってきたのか僅かに上気して肩を上下させている。運動のせいだけではないだろう。ようやく動けることへの期待だ。
今すぐにでも装備を整えて出発しそうな勢いだ。それは他の三人も同じだった。
「彼女はどこに?」
「ドローゼン砦。おそらく奴らも一緒だろう。夜明けまでには決着をつける。ヴァルター、団長は何て?」
「好きにやれだと、さ」
ロルフは表情を変えずに頷いた。
好きにやれ――本当にその一言しかなかった。それだけ信頼されているということなのだろうか。
隊長となって初めての実戦だというのに、ロルフには少しも動じたところがない。まるで当たり前の結果を聞いているみたいに。
彼の余裕が自信から来るものなのか、それとも緊張のあまり感覚が麻痺しているからなのか、ヴァルターは鋭い目で見定めようとした。
「よし、他の隊員の準備は出来てるな?」
「完璧だよ」
「よし」
「おい、本当に今夜やるつもりか。じっくり作戦を練らなくていいのかよ」
「昨日の今日――いや、昼間の夜だな。こんなに早く居場所が割れるなんて向こうも思っていないはずだ。油断してくれてりゃ何とかなる」
「だといいがな」
ヴァルターはわざと鼻で笑いながら言った。
ここまで反抗的な態度を取るには理由がある。彼はロルフを信用していない。なぜなら、ロルフは史上最年少で正騎士の位を得た逸材であり、若くして隊長に抜擢される程の信頼を団長から勝ち得た“運の良い男”であり、武の名門ブラント家の跡取り息子であるからだ。
この苛立ちが嫉妬だということは分かっている。自分よりもずっと若く、おそらく才能があり、前途明るい青年への。
けれど、どうしようもない。嫉妬を抑えることができない。いい年してみっともない――その思いが更に苛立ちを加速させる。
ヴァルターは生まれてすぐに孤児となった。
母は彼を産んだ後すぐに死に、父はどこの誰とも知れない。育ててくれたのは近所の婆さんだ。その婆さんも、ヴァルターが七つになる前に病で逝った。それから十五になるまで、同じような境遇の子達と肩を寄せあって生きてきた。
自分より年嵩の子供に面倒を見られ、自分より年下の子供を同じように世話した。狭くて天井の低いボロ家で。
その思い出の場所も、今はもうない。先日の火事で焼け落ちてしまった。
焼け跡に行くのは辛かった。大切な物を全て失ったことを確かめに行くような気がして。
しかし、実際の惨状を目にすると、辛さなんてものは一瞬で吹き飛んだ。ここには住む場所がなくて辛い子供たちがいる。それに比べたら、自分の感傷なんて甘い砂糖菓子のようなものだ。
生まれつき多くを持っている人間なんて、世の中全体を見ればそれほど多くはない。
だが、ひょんなことから騎士となり中央へ近づくようになって、恵まれすぎた人間は確かにいるのだとはっきり分かった。
そういった連中とロルフの違うところは、騎士であるかないか、それだけ。はっきり言ってしまえば、ヴァルターは権力や金に溺れる者たちには興味がない。人間の汚いところは、幼い頃にほとんど見てきた。だからなのかもしれない。嫉妬は醜い感情だと知りつつも受け入れているのは。
それに、彼はロルフ・ブラントという人間に嫉妬しつつも、嫌悪しているわけではなかった。認めるのは気に食わないが、この青年には確かに人を惹きつける何かを持っている。リュカが他の隊ではなくブラント隊を選んだのは、ロルフの人柄に依るところが大きいだろう。
だが、まだだ。まだ認めるには足りない。
隊長としての素質を見極めたい。そう思うのは、決してマイナスではないはずだ。
「いいか。よく聞け、ヴァルター」
感情を押し殺したような低い声。反射的に、ヴァルターは背筋を伸ばす。声は傍でやり取りを聞いていた二人にも向いた。
「お前らもだ」
「え!?」
「はいはい」
不意打ちされてうろたえるユリアンと、苦笑交じりに返事するエトガー。てっきり自分一人が叱責されると思っていたヴァルターは、内心は新米騎士と同じように動揺していた。
「明朝までに決着をつける。つけなければならない。なぜか分かるか」
頬を緊張に引き攣らせながら、ゆっくりと首を横に振る。
ロルフは偉そうに腕を組むと、きっぱり言い切った。
「他の仕事が山積みだからだ!」
「…………」
ヴァルターとユリアンは、目を点にして隊長を見つめた。
仕事が山積み。確かにそのとおりだ。建国祭に向けた警備計画の確認、国王夫妻の馬車が走る通りの危険排除、今年が初めてとなる新人騎士の指導など、やらなければならないことは山ほどある。
それだけではない。今の時期は観光客も増え、トラブルも激増する。にもかかわらず、王都の広さに対して警備隊の数は心許ない。だから騎士団が毎年街の巡回など請け負うことになるのだ。
はっきり言って人手が足りない。リュカみたいなちびっ子でもあと百人は欲しいくらいだ。
しかし、そういう問題だろうか。人命が懸っているのだ。たとえ、取られた人質が普通の子供でなくても。
お偉い方々に怒鳴られながら顔突き合せて作戦練ったり、「くっ、こうしている間にもあの子は辛い思いを……!」とか嘆かなくていいのだろうか。
ぽかんと口を開けたヴァルターとユリアンを尻目に、エトガーはくつくつと忍び笑いする。
彼らはロルフと知り合って日が浅い。なぜロルフがこんなに自信を持てるのか、理解できないでいるのだ。
「ん、何か問題があるか?」
「いや……」
答えてしまってから、ヴァルターは自分の返答に驚いた。
問題なら大ありだ。根拠のない自信には説得力の欠片もない。自分たちは遊びに行くのではない。戦いに赴くのだ。こんな奴に命を預けられないと頭の中では懸命に否定するも、一方で彼の言うように、敵が油断してさえいれば何とかなるのではないかと、隊長色に染まっている自分を発見する。
困惑した。やり場のない怒りが湧いてくる。それは己に対するものか、他の誰かに対してのものなのか。
ヴァルターの戸惑いが伝わってきたのか、ロルフは腕を組んで唸る。
「うーん。何かマズったかな。でも、リュカは大丈夫だと思うんだよ。一筋縄じゃいかない娘だから。というか、無事だと信じるしかないだろ、仲間としては。だったら早く助けてやらないと。さっさと助け出して、疲れた体をゆっくり癒してもらわないとな。ほら、明日からも忙しいし」
弁明のようなものを聞いているうちに、ヴァルターはなんとなく悟った。
――怒るだけ無駄だ、と。
「とりあえずだな。お前ら、早く支度しろ」
これだよ。
なんだか、色々疲れた。今まで直球な嫌味も婉曲な嫌味も送りつけてやったが、受け取る方は少しも気にしていなかったらしい。薄々感じていたことではあるのだが、改めて見せつけられるとやる気を無くす。
エトガーは慣れたもので、何の疑問も感じていないようだ。たとえこの先十年ロルフが隊長でも、自分は彼のようにはならないだろう。
思い返してみれば、ブラント隊が発足したこの一か月余、ロルフとまともな会話を交わした覚えがない。いつもヴァルターが反発していたからだ。
ロルフのことを理解しようとしなかった。こういうヤツだともっと早く分かっていれば、嫉妬心に胸やけを起こすようなことはなかったのではないか。
今更後悔しても仕方のないことではあるが。
闇に身を紛らわすための外套を背に回し紐を絞っていると、エトガーがさり気なく隣に並んだ。
「あいつはさ」
「あん?」
「やるしかないってときに、一番力を発揮する奴なんだよね。隊長が突っ走る。俺たちは付いていく。けれど、ブレーキを掛けるのもあいつだ。逆に言えば、あいつがブレーキを掛けるまで俺たちは走っていればいい。いや、走らなければならない。ね、やるしかないだろう。俺たちも。で、本当に危ないと思ったとき、あいつを止める。それが俺たちの――俺とヴァルターに課せられた役目だよ」
紐を絞る手が止まった。その肩をぽんと叩いて、エトガーは一足先に去っていく。
「やるしかない……」
真っ先に思い浮かんだのはリュカのことだ。あの少女が大人しくしているはずがない。意に沿わないことに従える性格ではないのだ。
そもそも、連中はなぜリュカを連れ去ったのか。あの場から逃げるのは人質を取らなくてもできた。別の目的があるに違いない。危ない魔石を作って売るような連中だ、きっとロクな目的ではないだろう。
ヴァルターたちが取るべき選択肢は一つだ。
「……んなこと、最初から分かってたさ」
呟き、最後の紐をぎゅっと縛る。その瞳には、石のように固い決意が宿っていた。