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騎士たちの失態

 ロルフは、焼け跡となったスラム街を歩いていた。今日の彼は革鎧すら身に付けていない。騎士らしい装備といえば、腰に履いた一振りの直剣くらいだ。

 この街で騎士の甲冑は目立ちすぎる。先日の救難活動のおかげでスラム街における騎士団の評判は悪くないが、もともと権力に対して反感を抱いている者が多い地域、刺激しないに越したことはない。


 しかしいざ訪れてみると、そうした配慮も全く意味を為さなかった。

 人が少ない。

 多くの家が焼け落ち、そこに住んでいた人はほとんどが街を出ていったのだ。焼け跡には、無事だった家財道具を持てるだけ持ち出した痕跡がある。

 住む家なくしては冬を越せない。助けてくれる者もない。

 街に残った人も同じだ。皆、自力で食料や風雪を凌ぐ手立てを見つけなければならない。


(やりきれないな……)


 未だ深く残る火事の爪跡を横に見ながら、そっと息を吐く。

 ロルフがスラムを訪れたのは、彼らを救うためではない。火事を引き起こした本当の犯人を見つけるためだ。

 これまでの調査で、出火の直接の原因は突き止めることができた。

 スラムに暮らす子供が魔石を暴走させ、その魔力が焚き火の炎に飛び移ったのだ。火は激しく燃え広がり、あっという間に小さな街を呑み込んだ。

 最初は不運な事故で片付くかと思われたが、不審な点が見つかった。

 魔石の出処だ。

 魔石の製造というのは、どこどこがやると大体決まっている。魔術師でなければ作ることはできないし、安全を確保するにはそれなりの腕が要る。危険な魔石を買いたがる人間はいないし、危険だと分かれば即座に否を突きつけられる。

 長く売り続ければ名が広まる。同時に信頼も広まる。その証としてに魔石に組織のマークを刻む。

 しかし、今回焼け跡から見つかった魔石には何の刻印もなかった。どこの誰が作ったのか分からないのだ。

 粗悪な魔石で荒稼ぎしようとしている者がいる可能性がある。他にも出回っているなら、今回のような火事が二度起こるかもしれない。


 そこで祭りの準備の合間を縫い、ロルフの隊が調査することになった。

 国王陛下直々の命令である。大事な行事の前に火種はなるべく排除しておきたいという考えだろう。

 命じられた以上、嫌とは言えない。

 正直、結成して一か月かそこらの若い隊にいきなり大きな任務を任せて大丈夫かという気がロルフ自身しないでもない。

 だが、多少無茶でも無理を通して完遂するのが彼の信条だ。

 それに、これくらい難なくこなしてみせなければ父を見返してやることもできない。


 ブラント家は武の名門として古くから名を馳せている。

 その跡取りとして、ロルフは幼い頃から当然のように騎士を目指してきた。特に、彼の父は引退する前は飛燕騎士団の団長を務めていた。

 ロルフはそんな父を尊敬し、目標に据えた。

 当然、父は応援してくれている――と思っていたのだが、従騎士となることが決まった途端、彼はロルフを突き放した。

 あのときの言葉は忘れられない。


『誰かの後を追うくらいなら、誰にでもできる』


 誰か、が父を指していることくらい、すぐに分かった。信じていた人に裏切られたような気分だった。悔しくて、何日も眠らずに剣を振った。

 そして、ロルフは父を目標にすることをやめた。

 目指すは一騎士団の団長なんかではない。二つの騎士団を束ねる長、総長だ。騎士として最高の席に座ってやる――半ばやけくそ気味に決意した息子を父が陰から見守り、ほくそ笑んでいることを本人は知らない。




 住民たちが自ら引いた水路は、泥で塞がってぬかるんでいた。そこを踏み越えて、地図で見た記憶の場所へと歩を進める。

 やがて、見かける人の姿が一人二人増え、威勢のいい掛け声まで聞こえてくるようになった。

 ロルフは少し口の端を上げた。声に聞き覚えがある。


「よーし、いいぞ。あと少しでダイニングが片付く。それが終わったら次はリビングだ。ま、仕切りも何もない狭い一間続きだが。塵一つ残すな。って、おいこらリュカ! サボってんじゃねえ」


 すぐさま泣き声が呼応する。


「勘弁してくださいよぉ。朝から動きっぱなしなんです。ちょっとは休ませてください~」

「動きっぱなしは俺たちも同じだ。泣き言は許さん」

「肉体労働専門のヴァルターさんたちと一緒にしないでくださいっ。大体、人の都合も聞かずに無理やり引っ張ってきたのはそっちでしょ。ちょっとはこっちの要望も聞いてくださいよぉ」

「うるせぇっ。つべこべ言ってる暇があったら、手と足を動かしやがれっ」

「ううっ。ボク女の子なのにぃ」


 角の向こうのやり取りを聞き、ロルフは大きく嘆息した。


「またあいつらか……」


 口論をしている二人は、ことあるごとに対立しているヴァルターとリュカだ。仲が悪いのかというとそうでもなく、喧嘩をしていないときは父子にも見える。

 かたや三十路を越えた厳つい顔の男。かたや十五歳にも満たない華奢な子供。

 そんな二人が同レベルで張り合う様子は滑稽ですらあるのだが、本人たちは周囲の目など気にしていない。誰かが止めなければ、延々と言い合う始末である。

 ロルフが一喝しようとしたそのとき、のほほんとした男の声が一足先に割って入った。

 見ると、ひょろりと背の高い、外見は文学系の青年だった。


「こらこら、君たち。喧嘩ばかりしていると日が暮れちゃうよ。終わるまで帰れないの、分かってる?」


 一見何も考えていない能天気そうな青年はエトガー・ダマー。ロルフの同期であり、ブラント隊の副隊長である。騎士団に入ってからの付き合いだが、こちらの言いたいことをすぐに理解してくれる良き仲間だ。

 エトガーの脅しに二人が沈黙したところで、ロルフは姿を見せた。


「よ、お疲れさん。随分作業が進んだみたいだな。文句一つ言わずにこれだけやるとは感心だ」


 突然現れた隊長の台詞にリュカは気まずそうに顔を逸らし、彼が口論を聞いていたことに気付いたヴァルターは舌打ちをしてロルフを睨んだ。


「すかした顔して、よく言うぜ。若造が」

「まあまあ、おっさん。せっかく同じ隊に配属されたんだから、仲良くしようぜ」

「ちっ」


 ヴァルターは以前から、ロルフのことを快く思っていなかった。

 一回り近く年下のくせに正騎士で、しかも彼の嫌いな軽薄な性格――少なくともヴァルターはそう見ている――ときている。ロルフが隊長を務める新しい隊に組み込まれた彼の憤りは相当なものだった。団長に直談判に行ったほどだ。

 結果は、今の状況を見れば一目瞭然。

 ロルフにしてみれば経験豊富なヴァルターを頼りにしたいところなのだが、一方がこの調子では、馴れ馴れしく接するのも躊躇われる――と彼にしては難しく考えながら、自分よりも上背のある先輩騎士の腕をばしばし叩いた。


「ハハハ、いかつい顔で悪態ついてたら、その辺のチンピラにしか見えないぜ。ヴァルター」

「つっ、いてえんだよガキ!」

「あ、悪い。あんたの顔が怖くて手加減忘れちまった」

「この……」


 ヴァルターは拳を怒りに震わせたものの、ぶつける相手が見つからず、仕方なく目の前の焦げた柱を力任せに殴った。

 それを見届けたロルフは、いつもと変わらぬ飄々とした素振りで三人の顔を見回した。


「あれ、そういや一人足りないな。ユリアンは?」


 スラムでの調査はロルフを含めて四人で行っている。リュカは助っ人だ。

 ロルフは答えを知っていそうなエトガーを見て尋ねた。


「新人くんなら、有力情報を確かめに行ってる」

「一人で?」

「リュカが一緒だったんだけど」


 リュカに視線で問うと、少女はなぜか胸を張って答えた。


「ボクは自分の立場ってものを弁えてるんです。聞き込みはアナタたちの仕事でしょ? ボクはあくまで助っ人。出張らないように、出張らないように……」

「要するに人見知りしたんだろ。偉そうにすんな」


 こつんと額を小突くと、リュカは子供っぽく頬を膨らませた。

 そんな仕草は無視して、再びエトガーに向き直る。


「で、その有力情報ってのは?」

「さあ。ユリアンはこれで事件は解決するとか何とか言ってたけど」

「……不安だな」


 ヴァルターは鼻を鳴らした。


「ふん。あのお調子者お坊っちゃまのことだ。どうせ思わせ振りな演技に引っ掛かって、ガセ掴まされたに決まってるぜ」

「うーん」


 ユリアンは、思い込みが激しいところに目を瞑れば気のよい青年である。できるなら擁護してやりたいが、ヴァルターの言うことも彼の性格を的確に突いていて頷ける。


「ま、とりあえず待ってみよう。その間、他の報告を聞こうか」


 エトガーたちは、ただ片付けの手伝いをしていたわけではない。街の人間と親しくなりながら、少しずつ情報を聞き出していたのだ。中には、別の意図を持っている隊員もいるようだが。

 エトガーはヴァルターの方をちらりと見ると、微笑して口を開いた。


「じゃあ俺が。火事が起きる数日前から質の悪い魔石が出回ってたのは報告したけど、それを売っていた奴の他にも街をうろついていたみたいなんだ。詳しく話を聞いてみると、どうやら二人。どちらも男で、スラムに不慣れなようだったと話をしてくれた人は言っていた。おそらく仲間だろうね」

「風貌は?」

「身綺麗ではなかった、つまらなそうな顔をしていた、だってさ」


 ヴァルターは西の空を見ながら呟いた。


「暮らしが貧しいからと言って、人生がつまらんわけじゃないのさ。どう生きるかはそいつ次第。人生の価値はそこで決まる」


 まるで自分のことを言っているように聞こえ、ロルフはこちらを見ようともしない彼に掛ける言葉を探した。が、みつからなかった。


「話はまだ終わってないよ、隊長」

「すまん、続けてくれ」


 エトガーは手元に報告書があるみたいにスラスラと答えた。


「見慣れない男たちが現れたのは一度きり。初めて魔石商人がやってきたのと同じ日だ。関係を疑ってくれと言わんばかりだね。ちなみに、火事の後商人は一度も来ていない」

「……魔石はいくつくらい売れたんだ?」


 ふと浮かんだ疑問を口にする。エトガーは分からないという風に肩を竦めた。

 そこへ、リュカが横から口を挟んだ。


「魔石って、普通出回ってるものはそれなりの値段がするものですよ。もちろん買えない程じゃないですけど、それは一般市民の感覚です。スラムの人が手を出せるくらいだから、余程のことなんじゃないかなぁ」


 その意見にヴァルターが同調する。


「今の時期なら、少々無理してでも欲しがったはずだ。熱源となる魔石は特に需要がある。なんたってこの辺りは風を防ぐものもない。冬の夜は氷点下。年寄りや子供は簡単に逝っちまう。だが、魔石があれば暖を取るのは容易い。一つあれば大勢が温もるしな」

「商人はもっと売りたかっただろうね。ひょっとしたら、まだ近くにいるかもしれないよ」

「本拠地がある、もしくはあったはず。ここからそう遠くはないだろう」

「なら東の旧街道かな。あの辺りは森も多いし、山を越えれば国境だし、隠れるには丁度いい」


 トントン拍子に進む話を食い止めるように、リュカは慌てて声をあげた。


「え~。森に入るんですか? 魔獣がいますよ。嫌ですよぉ」

「この間掃除したばっかだから大丈夫」

「連中、そのことを知ってるかもしれないな」

「よし、本部に戻ったら団長に許可貰ってこよう。増員も欲しいとこだが、誕生祭前で難しいかもしれないな」


 だが、他の三名は全く顧みない。

 ムっとして睨み付けても、リュカを見ていないので効果はない。そもそも、可愛らしく拗ねてみせたところで、かわいこぶるなと小突かれるのがオチだ。

 最悪、女だと思われていない可能性もある。

 いや。思い返してみれば、単なる可能性とだけでは済まされない出来事が数多くある。

 一つの作戦が終わった夜の打ち上げで他の団員と同じ量の料理を食べさせられたり。夜通しの訓練で男と同じテントで雑魚寝させられたり。

 出された料理をぺろりと平らげ、団員の腹に足を載せて爆睡しと、言い訳できない振る舞いも同じ数だけ思い浮かんだが、それは見ない振りをする。


 リュカはふと思った。助っ人のはずがすっかり騎士団の一員に数えられていないだろうか――と。

 このままでは、いつの間にか剣を振りかざして敵陣に突撃なんてことになるかもしれない。

 恐ろしい想像に顔を青くする彼女を余所に、騎士たちは話を煮詰めていく。

 リュカが一人オロオロしているところに、廃墟の街の向こうからやたら元気のよい男が駆けてきた。


「隊長ー! 先輩たちー!」

「おお、ユリアン。やっと戻ってきたか」


 先輩騎士たちの呆れ顔には気付く様子もなく、ユリアンはぶんぶんと右手を振り回す。その手には、掌に収まるくらいの石が握られていた。


「おまっ、それ、もしかしてっ」

「そうですよ。例の魔石です。持ってた子供に頼み込んで、譲ってもらいました!」

「馬鹿っ、乱暴に扱うな! 暴発したらどうする!?」


 暴発、の一言で新人従騎士は真っ青になり、ぜんまいが切れかけた人形のようなぎこちなさで自分の掌の中を見た。


「は、はは。だ、大丈夫ですよー、これくらい。ですよね?」

「いいからそれをこっちに寄越せ。あ、いや、どうせオレが見ても分からないからリュカに渡せ」


 生きた魔石は死んだ魔石より遥かに多くの情報を持っている。

 ユリアンは言われた通りに、くすんだ藍色をした魔石を少女に手渡した。その指先が震えていたのは、リュカの見間違いではないだろう。

 ユリアンの魔術に関する危機感の軽薄さは無視できない。

 怒ったリュカは、人差し指をぴんと立ててユリアンに詰め寄った。


「あのですねぇ、新人さん。魔術には『これくらい大丈夫だろう』って考え方はないんですよ、分かってますか? どんな簡単な魔術にだって、間違いは起こりうるんです」

「分かってますよ、先輩」

「ボクはあなたの先輩じゃありませんっ」

「え、でも」


 これ以上放っておくと危険な香りがしたので、ロルフは慌てて間に入った。


「そこまで。ユリアン、お前は自分の態度を見直せ。リュカは子供じゃないんだから、いちいち怒るな」

「ボクまだ十三歳です!」

「ちょっと、ロルフ」


 リュカの抗議を遮ったのは、エトガーの冷静な声だった。

 隊員にだけ分かるように、胸の前で小さく指差す。彼の意図を素早く察したロルフとヴァルターは、自然な動作でエトガーの示す先を見やった。

 鋭い目付きの若い男が二人、こちらを窺うようにしていた。腰に湾曲した剣を差している。どう見ても堅気ではない。


「エトガーは右。ヴァルターは左だ。ユリアン、お前は周囲を見ておけ」


 こちらはリュカを除いて四人。相手は二人。商人を含めて三人。彼らが仲間なら、残る一人がどこかに隠れているかもしれない。

 建物はほとんど焼け落ちたとはいえ、片付けられていない瓦礫や焼け残った柱などが死角を作っている。隠れようと思えばいくらでも場所はある。

 近付いてくる騎士たちに気付いた二人は、少し戸惑う素振りを見せた。片方がもう片方の袖を引っ張り、焦ったように体の向きを反転させる。

 その隙を逃さず、ロルフは一気に間合いを詰めた。まだ剣は抜けない。


「おい、あんたら。少し話を聞きたいんだが――」


 突然、一人が振り向いた。その手には小さなナイフが握られている。

 心臓目掛けて突き出された攻撃を、慌てず半身をずらしてかわす。

 そのままナイフを持った腕を取り反対側に捻ると、相手は悲鳴をあげて膝をついた。


 残る一人の行動は素早かった。

 仲間に背を向け、一目散に逃げ出したのだ。これにはロルフも反応が遅れてしまった。

 だが、男が逃げた先にはヴァルターが待ち構えている。

 目の前に現れた大男に怯んだ瞬間、逃亡者の運命は決まった。


「は、離せ!」

「おっと、暴れるなよ。なんで逃げたのか、ゆっくり聞かせてもらうからな」


 犬歯を見せてニヤリと笑うと、男は恐怖に顔をひきつらせた。ヴァルターに両腕を掴まれたまま、がくりと項垂れた。

 遅れて駆けつけたエトガーは周囲を見回し、他に仲間のいないことを確認する。

だが、敵は後方にいた。


「ひゃあっ」

「リュカ!?」


 仲間の悲鳴に振り返れば、羽交い締めにされた少女と、彼女を拘束した者に及び腰で剣を向けるユリアンの姿が視界に飛び込んでくる。

 敵は痩せぎすの男で、恐ろしく顔色が悪い。暗い両眼はまるで沼の底を映しているようで、伸ばし放題の髪と髭が浮浪者のような印象を与える。武器は持っていない。左腕をリュカの首に、右手を開いて前方に翳しているだけだ。


「何やってんだ、あの若造がっ」


 ヴァルターには、初めて敵に遭遇するユリアンが怖じ気付いたようにしか見えなかった。

 ロルフは男の行動に疑問を感じた。他の二人を見る限り、仲間意識の強い連中とは思えない。痩せぎすの男は、仲間を見捨てようと思えば簡単にできたのだ。

 なぜ、わざわざロルフたちの前に姿を現したのだろう。


「う~~、はーなーせー!」


 男はくつくつと笑うだけで、一言も発しようとはしなかった。不気味な雰囲気が付き纏う。

 不意に、男の周囲で空気が動いた気がした。その原因に思い当たる前に、ロルフは直感で叫んでいた。


「ユリアン、下がれ!」


 その命令を待っていたかのように、ユリアンはわたわたと手足を動かして後退する。ヴァルターが舌打ちをしたが、今は構っている場合ではない。


 男の掌で爆発が起きた。

 激しい熱と爆風が騎士たちを巻き込んでスラムに広がる。

 白い光が弾け、ロルフは右腕で視界を庇った。他の三人も似たようなものだ。誰一人、やせぎすの男が放った魔術に対抗できる者はいない。

 ただ爆風が過ぎ去るのを待った。

 飛んできた石や瓦礫の破片が、剥き出しの頬を傷つける。

 ようやく風と熱が収まったときには、リュカの姿も魔術を放った男の姿も消え去っていた。ロルフとヴァルターが捕らえた者たちもいない。


 ロルフたちは言葉もなく立ち尽くした。

 相手は魔術師だったとはいえ、仲間を奪い返され、リュカを仲間は奪われた。

 一体何のために?

 思いも寄らない展開に頭が混乱する。


「……くそっ」


 悔しさに奥歯を噛み締めながら、ロルフは彼女の消えた辺りを探した。

 何か手掛かりになるようなものは残っていないか。

 しかし、いくら探せど、乾いた土の上には何一つ役立ちそうなものは落ちていない。

 ユリアンは今にも泣き出しそうな顔をして立っている。


「隊長……。すみません。いきなり魔術で攻撃されて、びっくりして、僕――がッ」


 何の予告もなく、その頬をヴァルターの岩のような拳が殴りとばした。

 細身の体は、受け身を取る余裕もなく地に打ち付けられる。

 ロルフやエトガーが止める暇もない。それくらい唐突で素早い一撃だった。

 血走った目に浮かぶのは、魔術師の不意打ちを防げなかった新米騎士への苛立ちと、一度拘束した者をあっさりと奪われた自身への怒りだ。そしてヴァルターの怒りは、そのままロルフへと返ってくる。捕虜を取り逃がしたのは彼も同じである。


 ユリアンは何も言わず、よろよろと立ち上がった。口の端と鼻から血が垂れている。貴族の三男坊として甘やかされ育った彼には文字通り痛い教訓だろう。

 まだ少しふらつきながらも、自身の足でしっかりと体を支えようとするユリアンをじっと見据え、ヴァルターは小さく舌打ちした。


「ちっ。生意気な野郎だ」

「申し訳ありません……」


 ヴァルターの呟きを自分への叱責と勘違いしたユリアンは、力なく項垂れた。

 ヴァルターは何と言ったらいいか分からず、乱暴に頭を掻きむしる。その指をロルフに突き付け、彼はぞんざいに言い放った。


「おい、若造その一。あんたも言いたいことはあるだろうが、誰が悪い云々は後回しにしろ。今は奴らのアジトを見つけ出すのが先だ。団長の許可だの報告だの言ってる場合じゃないぜ」


 呆気に取られるロルフの隣で、エトガーはくすっと笑った。言葉遣いは乱暴だが、彼もリュカのことを心配しているのだ。ユリアンの意志を認めかけた照れもあるだろう。

 我に返ったロルフは、わざとらしく咳払いをして言った。


「若造じゃなくて隊長だ。言葉遣いに気を付けろ」

「それ、ロルフが言えること?」

「うるさい、エトガー」


 ニヤニヤと茶化す同僚を睨み付ける。そして、面白くなさそうなヴァルターに向かって、


「それから! 何があろうと報告は必要だ、おっさん騎士」


 しれっと、若造呼ばわりの報復をするのだった。

 奪われたものは取り返す。

 騎士たちの胸には、共通の強い意志が宿っていた。

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