表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の都で恋をして  作者: 良田めま
第三章
25/69

不穏な気配

「よ、久しぶり」


 クラエスは顔を上げる素振りも見せない。


「何か用?」

「つめてーな。見たことないけど、リネーへの態度とオレへの態度って絶対同列だろ」

「その名は出さないでくれるかな。不愉快だ」

「その様子だと、あいつここに来たみたいだな。身を固めろとか何とか言われたんだろ」


 ズバリだ。

 にやっと笑う幼馴染を睨みつけ、クラエスは荒々しく息を吐いた。


「……ああ」

「じゃ、今日もまた不愉快になってくれ。ご苦労さん」


 と言いながら、一通の手紙を器用にも投げて寄越した。手紙はあらかじめ決められていたみたいに、机の主の手元へ落ちる。丁寧にも差出人が見えるように。

 その名を一瞥するなり、クラエスは苦虫を噛み潰したような表情で手紙をひっくり返した。


「破らないでくれよ。届けた手前、差出人に報告しなくちゃならないんだからな」

「どうしてお前がこれを?」

「読めば分かると思うぜ。大体の内容はお前の思ってる通りだけど」


 クラエスは目を瞑ってこめかみを揉んだ。

 ――頭が痛い。

 先日リネーが家長命令として持ってきた用件、すなわち婚約の話はその場できっぱりと断った。権力者の娘とでも結婚させて発言権を拡げようとする魂胆が見え見えだった。

 断った際、かなり辛辣なことも言った気がする。その効用を、クラエスは十分理解していた。

 この国においては、本人が明確に拒絶をする限り、家長であっても人の婚約を強行することはできないのだ。

 そのこともあり、ロルフは至って呑気だった。


「ま、そんな深く考えるなよ。オレが言わなくても分かってるだろうけど」


 エリュミオン王国――特に王侯貴族において血縁と並び、時にはそれを凌駕するほど重要視されるのが契約。特に対等な立場において交わされた契約だ。

 その起源は、建国の時代に遡る。


 王国は、一人の男と一体の竜によって興された。

 彼らは≪対等な契約≫を交わした。

 族長には魔力があったが、所詮は人間。対して竜は絶大な力を有している。到底、対等などあり得ない。しかし、竜は衰え力を失っていた。無力な竜など、単なる巨大な骨皮と肉に過ぎない。

 人間が得たのは、水と風に溢れた豊かな大地。対して、竜が望んだものは若返るための膨大な魔力。男の魔力は人並み以上だったが、竜が望む水準には程遠い。

 そこで男は提案した。彼とその妻が設けた第一子を次の契約者とし、その子が為した第一子を三番目の契約者とする。更に次の第一子を……と繰り返してゆき、彼の一族は竜に魔力を捧げ続けるという解決策を。

 もしも子が出来なかったり、王が子を為す前に死んでしまった場合には、国は水と風の恩恵を失い砂の大地へと戻る。竜は魔力の源泉を失い、死ぬ。

 こうして王国には契約を重んじられる風習が作られ、今日まで連綿と続いている。

 ――という伝説だ。

 どこまでが本当なのか、それとも全て作り話なのか、王族以外に知る者はいない。ただ、王の第一子が必ず次代の王位を継いできたことは確かだ。万が一言い伝えが真実だった場合を恐れているのかもしれない。

 そして、目下クラエスにとって重要なのは、彼が拒み続ける限り、一種の契約である婚約はないということだ。


「お前が拒絶し続ければ、リネーもいずれは諦めるのかもしれない。けどアイツしつこいからなぁ。無事逃げ切れるといいな、ハハ」


 ロルフはきぃきぃと椅子を軋ませながら、面白そうに友人の顔を見やった。反対に全く面白くないクラエスだが、リネーの望みを叶えてやるつもりは勿論ゼロだ。リネーのしつこさは承知の上だが、こっちだって頑迷さでは自信がある。根負けするつもりはない。

 そのとき、リルレットが軽やかな足取りで入ってきた。その後ろにはしっかりイシエが付いてきている。


「お待たせしましたー」


 二人の青年はぎょっとして振り返った。

 疚しいことも、聞かれてはまずい話もしていない。それなのになぜか小さな罪悪感を覚えながら、主人と客人の前に茶器を並べる少女を気まずそうに盗み見る。

 二対の弱々しい視線に気付いたリルレットは、顎に指を当てて首を傾げた。


「えっと……私、何か間違えましたか?」

「そんなことはないよ。ありがとう、リルレット」

「あー、えっと。お茶うめえ。むさ苦しい野郎やお子様がいないところで飲む茶は最高だな、うん」

「本当ですか? 嬉しいです」


 と、嬉しそうにはにかんだ。思わず頬を弛ませるロルフをクラエスは半眼で睨む。


「じゃあ、私はこれで失礼しますね」

「あ、ちょっと待った、リルレットちゃん」

「はい?」


 振り返るリルレットと、なぜかぴくりと肩を揺らすクラエス。ロルフは背中に突き刺さる視線を痛いほどに感じながら、内心笑い出したいのを堪えていた。


「いやな、来月アレあるだろ、アレ」

「ああ、建国祭ですね」


 王都に住む人間なら誰もがすぐに思い当たる。例外はこの邸の主くらいなものだ。

 ロルフの用件の半分以上がこのことだった。配達屋はどちらかというとついでの方だ。


「そ。国王陛下の誕生日の上、さらに今年は終戦百周年と重なって規模も例年よりデカくなる予定なんだ。観光客もどっと押し寄せるだろうし、警備の配置やら何やらで騎士団も大忙しのなんの。人が増えると犯罪も増える。面倒くさいけど現実なんだよなー。ま、大半はスリだの万引きだの酔っ払いの喧嘩だの、平和なもんだが」


(平和、かなぁ?)


 リルレットは甚だ疑問だったが、口には出さないことにした。


「でも、中にはこの機に乗じて“やっちまおう”って輩がいる」

「やっちまおう?」


 またもや首を傾げる。彼の言うことはいまいちよく飲み込めなかった。

 そんな犯罪とは無関係に見える少女に告げていいものなのかどうか、ロルフは迷った。もしかしたら、彼が余計なことを言ったせいで彼女の祭りを台無しにしてしまうかもしれない。それでも、彼は騎士として釘を刺さなければならなかった。


「つまり、計画的に悪さを働く奴らがいるかもしれないってこと。まだハッキリとは分からないんだが、どうも君を狙うんじゃないかって気がしてるんだよな、オレは」


 客ではなく騎士としての発言に、リルレットは不安そうに眉根を寄せた。気を紛らわすために、足元のイシエを胸に抱きかかえた。

 ロルフは彼女を安心させようと笑おうとして、やめた。彼にはリルレットを狙おうとしている者の名前が分かっているし、その計画もおぼろげながら掴んでいる。とてもではないが笑える気分ではない。


「だからさ、心配なわけよ。騎士団の中から君個人に警護をつけるわけにもいかないし――ただでさえいつも以上に忙しくて、人手が足りないんだ。って、これは言い訳だな」


 ロルフは自嘲した。背中で沈黙するクラエスがどんな表情を浮かべているのか見てみたい気もしたが、吹き出しそうなので止めておく。無愛想の欠片もない彼が少女に笑顔を向けるところを思い出して、ロルフはにやりと口の端をあげた。


「君を狙う奴ら――大体分かるだろ? リルレットちゃんは知らないだろうけど、あいつ有名な魔術師一家の息子でなぁ。あいつ自身は魔術は使えないんだが。だけど相手が相手なだけに、こちらから手を出すわけには行かないんだ。できるだけのことはしてみるけど」


 リルレットの記憶に、イクセルの顔が蘇った。弟であるクラエスに激しい憎しみをぶつけていた彼。その暗い愉悦を満たすために、自分が狙われるという。それだけのために行動を起こすものなのかと半信半疑だが、ロルフの口調は決して嘘や冗談を交えた軽いものではない。


「だから……おい、クラエス」


 考え事をしていたクラエスは、友人の声に我に返った。視線を上げると、呆れたようなロルフと目が合った。


「お前がしっかりしろよ。守れるだけの力があるんだから」

「そんなことは分かっている」


 珍しく彼は苛々していた。ささくれだった感情が語調に表れている。リルレットはびくりと身体を強張らせ、ロルフが咎めるような視線を彼に向けた。クラエスは罰が悪そうに椅子を廻して身体を逸らす。

 ロルフは咳払いをし、続けて言おうとした文句を飲み込んだ。


「あの。クラエス様、大丈夫ですか?」


 クラエスの顔を覗き込みながら、リルレットは尋ねる。クラエスは不意を衝かれたように、言葉もなく少女の顔を見返した。


「どこかお具合が悪いんですか? 顔色があまり良くないです。お医者様をお呼びしましょうか」


 自分の身に危険が振りかかろうとしているとは思えないほど呑気な台詞だった。呑気ではあるが、クラエスのことを本気で心配している。今にも邸を飛び出して、医者を連れてきそうな雰囲気だ。

 ロルフは何も言えない親友の代わりに、慌てて間に入っていた。


「大丈夫大丈夫、こいつほど丈夫なヤツはいないって」

「でも、顔色が……」

「えーと、そうそう、お茶が冷めちまったみたいだから、新しいの淹れてくれるかな? それ飲めば落ち着くから」


 リルレットは口元に手を当てて暫し逡巡していたが、不承不承頷くと、イシエの代わりに盆を抱いて部屋を出て行った。

 それを見届けると、ロルフは片手で顔を覆って俯くクラエスに呆れ半分に一言投げかけた。


「その様子だと相当惚れ込んでるな、お前」

「放っとけ」


 悪友はけたけたと無遠慮に笑った。


「そんな邪険にすんなって。百戦錬磨のオレ様が助言してやるからよー」


 クラエスは胡散臭げな視線を机向こうの男に送った。疑惑の眼差しだったが、当の本人は期待の表れと都合よく解釈したらしい。彼はにやにやと気味の悪い笑みを浮かると、自信たっぷりに言った。


「あの年頃の子はさ、高い理想を持ってるもんなのよ。じーっと見つめてみなって。顔真っ赤にして見つめ返してくるから。睨むんじゃないぞ。雰囲気もちゃんと読むんだ。そうだな、暗けりゃいいんじゃないか?」


 明らかに楽しんでいる様子のロルフは、勝手なことを言うだけ言って可笑しそうに笑った。




 鍋に湯を沸かしながら、リルレットはぼうっと物思いに耽っていた。考えているのはもちろんイクセルに狙われているという話だ。ロルフの言葉を疑うわけではないが、人に危害を加えてまで為さなければならないことがあるのかと怪しげに思う。

 イクセルが理解できないと言えばそれまで。理解するだけの情報をリルレットは持っていない。ロルフに聞けば教えてくれるだろうか。

 彼が、リルレットとクラエスに先程の話を聞かせるために訪問したのは明らかだ。クラエスとイクセルが兄弟であることを渋々教えてくれたのも、本音は話したかったからではないだろうか。バレたらどうだのは後付に過ぎない、そんな気がする。その証拠に、クラエスがいる場所でイクセルの名を持ち出すことに躊躇していない様子だった。


(もし私がカールに憎まれてたとしたら、私ならどうしたかな)


 頭の中に、二年前のままの弟の顔を思い浮かべてみた。年子の彼は、もう十五歳になっているはずだ。背が伸びて、顔つきも大人に近付いただろう。声を聞いても分からないことはないだろうが、再会したら驚く自信はある。

 リルレットはあまり弟と喧嘩をしたことがない。特に仲が良いというわけではなく――悪いこともないが――単に弟の方が精神的に大人びていただけだ。

 リルレットが些細なことで文句を言ったとしても、冷静に正論を返すか肩を竦めて姉に譲るかのどちらかでまず口論に発展しない。双方とも小さかった頃は掴み合いの喧嘩もしていたのだが、いつの間にか弟の背中を見ている。どこでどう間違ったのだろう――主に姉が。

 そんなカールがリルレット相手に本気になったとしたら、きっと一方的にやり込められてしまうだろう。勝負にならないに違いない。そして、弱い姉のことなどすぐに取り合わなくなってしまう。


(イクセル……さんは違うのかな)


 彼がどうしてクラエスを憎むのかは知らない。ただ、イクセルの中でも感情の収拾がつかないのだと思う。クラエスを通り越して赤の他人を傷つけようとしているのは、その表れだ。。

 ただ、どうして自分が狙われることになるのかワケが分からない。ロルフから話を聞いても現実感がないのは、そのせいかもしれない。


 ロルフが自分を脅すためにあんなことを言ったとは思えない。イクセルが動く可能性が高いから、わざわざ忠告に来てくれたのだ。騎士団としては動けないと、正直に告白までして。

 クラエスのためでもある。顔色を悪くするくらいショックだったのだ。逆に言えば、リルレットが怪我さえしなければ彼も安心ということではないか。

 あっさりと答えが見つかったような心地がして、気持ちが軽くなる。


『大変よ! たーいへーんよー!』

「うきゃあ!?」


 いくらか安心したところで鼻歌など歌っていたリルレットは、壁を擦り抜けてにゅっと現れた生首に腰が抜けそうなほど驚いた。

 生首の正体は当然というかなんというかイフリータである。

 危うく新しいカップを取り落とすところだった恨みを精一杯目に込めて、魔人を睨みつける。


「イフリータさん! 壁から出てくるの禁止ですっ。びっくりするじゃないですか!」

『それどころじゃないのよっ。大変なのよ~!』


 イフリータは手に持った鏡をリルレットの目の前に突き出し、勢い込んで言った。


『火事よ! ものすっごい火事なのよ~!』


 風鏡に映し出された光景に、リルレットは目が釘付けになる。

 王城から見た遥か向こう――城門河岸、すなわち大量の荷が集まる船着場の隣から、黒い煙がもくもくと立ちのぼっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ