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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第三章
24/69

風鏡に映るもの

 翌朝は予想通りの結果となってしまった。またしてもジーンのことを打ち明けることができなかったのだ。

 レイカにはすんなりと話せたのに、クラエスを前にいざ口を開こうとすると、なぜか今日のチーズの出来栄えや塩の売れ行きの話題になってしまう。一人で都会に出てきたときの方がずっと気楽だった。これでは、今まで何も悩まずに生きてきたみたいだ。ちなみにチーズは少々ぱさついている。塩はよく売れるだろう。


(うう、私のあほ! 意気地なし!)


 がしゃがしゃと音を立てながら洗った食器を片付ける。

 その背中に、クラエスから声がかかった。


「リルレット、キミに渡したいものがあるんだけど」


 内心、リルレットはどきっとした。プレゼントを用意しているのは彼女も同じだったからだ。ただし、実際に手渡すのは来月の予定である。

 一方、贈り物をされる覚えはリルレットにはない。

 なんだろうと不思議がって振り返ると、机の上に見たことのある箱が置かれている。


「この前、キミに取りに行ってもらったものだ。中身は、俺の若気の至りってやつ」

「若気の至り? まかり間違っても公開できない女性遍歴とかですか?」

「そんな面白いものじゃないけど……キミ、本当に俺のことどんな目で見てるのかな?」

「もちろん、優しいご主人様ですよ」


 にこにことして答えながら、心の中では肩を落としていた。


(何気ない冗談なら平気で交わせるのに……)


 悩みのせいで何も話せなくなるよりはずっといい。イフリータは朝からどこかへ行ってしまったし、リルレットの味方は足元にじゃれ付くイシエだけだ。しかし、味方といっても間を取り持ってくれるわけではないので些か心許ない。

 精神安定剤代わりに子狼を抱っこして、クラエスに促されるまま椅子に座る。箱を目の前に座る形だ。

 この小さいものをリルレットに渡したいという。もちろん仕事の報酬ではない。ということは、彼の個人的な理由によるものだ。

 俄かに胸がドキドキしてきた。中身への興味も確かにあるが、贈り物をされること自体に胸が高鳴る。

 箱の匂いをくんくん嗅ぎまわすイシエをぎゅっと抱きしめ、クラエスに目で尋ねる。彼は何も言わずに微笑むと、掌で箱を開けるよう促した。


 中に入っていたのは、大人の手程の大きさがある鏡だった。台や柄はない。立て掛けるか壁に固定して使うものなのだろう。それにしては少し小さい気がした。縁の細工は明らかに素人が彫ったものだ。だけど素朴の中に惹きつけるものがあり、リルレットは気に入った。

 鏡に映る大きな空色の瞳が、ぱちくりと目を瞬かせる。その視界を遮るように、クラエスが鏡に手を翳した。


 変化が起きたのはそのときだった。

 一瞬鏡の中が曇ったかと思うと、高く澄み渡る空が映し出される。数羽の鳥がすぐ近くを羽ばたいていき、リルレットは驚いて鏡を落としそうになった。

 だが次の瞬間、もっと驚くようなものが目に飛び込んでくる。

 街だ。

 真っ直ぐ伸びたジェール河に両分されたグランリジェの街並みが、小さな鏡の中に広がっている。

 手前が王城の庭、遠くに職人街や城壁、その外の城門河岸まで見える。その一つ一つは小さくて細部まで映し出すことはできないが、風にたなびく煙の形や水面に漕ぎ出した舟の動きは、日々感じる人の営みそのものだった。


「わぁ……」


 キラキラと輝く街並みに、思わず感嘆の溜息が漏れる。

 鏡の中の世界を食い入るように見つめる彼女は、以前王城から見下ろした景色を思い出していた。あのときの空気感まで蘇るような心地がした。

 リルレットは傍らのクラエスを見上げた。彼女の頬は興奮してほんのりピンク色に染まっている。

 この顔を見るために、クラエスは鏡を贈ったのだ。最近めっきり笑う回数が少なくなってしまった彼女を喜ばせたかった。

 しかし、どうすれば喜んでくれるのか分からなかった。服や彼女の好きな甘い物でも買ってあげれば、そのときだけは笑ってくれるだろう。それでは不足なのだ。クラエスはいつも彼女に笑っていて欲しかった。思いついたのがこの《風鏡の魔石》だった。


「俺が昔作ったものなんだ。何でもいいから楽しいものをと思って」

「これ、本当の景色ですよね?」

「そうだよ。鏡と対になるある物を、王城で一番高いところに設置してあるんだ。ほら、国旗があるだろう? その天辺に、掲揚の邪魔にならないように魔術でくっ付けた。許可を取らずに友人と二人で仕組んだことがバレて、こっちの鏡は没収されてしまったんだけどね。もう片方は場所が場所だけに無事だった」


 友人というのはロルフのことだろう。

 リルレットは竜の旗を見上げたときに光る物があったことを思い出した。あれがそうかと納得すると同時に、よくもまああんな危ないところに登ろうと思ったものだと、二人の行動力に呆れ返る。


「それで若気の至り、なんですね。ちょっと意外です」

「何が?」

「クラエス様って、もっと大人しい子供だったのかと……」


 あっと口を押さえる。失言だったかと焦るが、当の本人は可笑しそうに笑っていた。


「魔術は俺の恋人だったんだ。彼女のためなら何でもするよ」


 クラエスは真っ直ぐリルレットの目を見てそう言った。思わず顔が熱くなって、ぱたぱたと手で頬を煽ぐ。


「わわ、よくそんな恥ずかしいことが言えますね!」

「冗談交じりだと思えば平気だよ。もう一回言おうか?」

「結構ですっ」


 リルレットは本気で慌てた。彼の目はどう見ても笑っていなかったからだ。もう一度同じことを眼前で言われたら、今度は茹蛸になる自信がある。

 動揺を誤魔化そうと、再び鏡に視線を移した。代わり映えのない景色だが、不思議と心が安らぐ。

 見入っていると、静かに抑えた声が集中力を揺らした。


「……つまらなくない?」

「楽しいものをと思って作ったんですよね? つまらなくなんかないです」


 王様の椅子よりも高い場所から街を見下ろしているのだ。普通なら一生お目にかかれないものが手の中にある。それをつまらないと否定するのは、リルレットには贅沢すぎる。


「それに、クラエス様が見ていたものを私も見てみたいです」


 言おうか言うまいか、迷いが声の大きさに表れた。だが、相手に伝わらないほど小さな声ではない。

 クラエスがどんな受け答えをするか気になった。彼は何も言わなかった。リルレットは少しだけ落胆した。どうやら自分はクラエス同様冗談が上手くないらしい。

 しかし、彼は言わなかったのではなかった。言えなかったのだ。

 リルレットからは見えないように、額を壁に押し付けて赤くなった顔を隠していた。



 夜、リルレットは机に向かって便箋に文字を連ねていた。

 ジーンへの返事――ではない。とりあえずそちらは置いておいて、二ヶ月ほど連絡を取っていなかった実家の両親に近況報告の筆を執ったのだ。


『拝啓、トール・フェルミエ様、そしてシエラ・フェルミエ様。

 お久しぶりです。お元気ですか』


 筆不精のリルレットは、たった一文捻り出すのも四苦八苦する。


『長く間を空けてしまって、本当にごめんなさい。私は元気でやっていますので、どうか心配なさらないように』


 書きながら、噴き出してしまう。十四歳のリルレットが一人で王都に行くと言い出したとき、一言も止めなかった両親だ。半年弱手紙を書かなかった時期もあるし、二ヶ月程度で心配することもないだろう。


『私は今、ある魔術師の方の邸宅で使用人として働いています。とても気さくな良い方です。私がいろいろお支えしなければならないのに、逆に助けられてしまったりして、もっと頑張らないとなあと実感しています。

 でも、とても働きやすいところです。使用人は私一人なので、気楽だからかも?』


 自分のペースが保てるのは楽だ。苦手なことにはじっくり集中できるし、逆に得意なことに関しては要領が大体分かっているので、時間を有効に使うことができる。体力の多さもプラス要因だった。


(ええと……あ、そうだ)


『カールはどうしてますか? デリットやムーニヒは元気に草を食べてますか? 以前手紙で教えてくれたチャロットの赤ちゃんはもうすっかり大人でしょうね。いつか帰れたら、ぜひ紹介してください』


 弟と耕牛を一緒くたにすることに抵抗がないわけではなかったが、どちらも大事な家族なのだし、まぁいっかと軽く流した。どちらかというと牛に重きが置かれた言い回しになってしまったことには気付いていない。


 他に思いつく限りの話題を連ねて、筆を置いた。慣れないことをしたせいで指が疲れていた。

 少し長くなった前髪をそよ風が揺らす。もうすっかり夜が寒い季節だが、窓は半分開け放っている。どんなに寒くても外の空気が好きなのだ。ちなみにベッドはイシエが温めてくれている。血も肉もないとはいうが、温もりはある。魔術とはそれ自体が生き物であるのかもしれない。


「いつか帰れたら――か」


 首を廻らせて夜空を見上げていたリルレットは、天井に向かってぽつりと呟いた。

 村を出るときは、帰ることなんて考えていなかった。自分のことで精一杯だったから。


(というより、何も考えたくなかったのかもしれないな)


 ある意味、自暴自棄だったのかもしれない。けれど間違いではなかった。少なくとも、今、リルレットは何一つ後悔していない。長かった辛い時期のことは、もうほとんど忘れてしまった。

 家を離れるリルレットに両親が何も言わなかったのは、娘を心配していないからではなく、信じてくれていたからなのだろう。

 いつか帰れたら、ではなく、帰らなければならない。もう少し大人になったら、きっと顔を見せに行こう。

 机と壁に立てかけた鏡の中で、無数の星が瞬いていた。


 ***


 三、四日降り続いた雨がぱったりと止んだ後、乾いた風がグランリジェの空に吹き荒びはじめた。そろそろ防寒着が必要な季節だ。来月の建国祭は寒さの真っ只中で行われる。にもかかわらず、例年国中から多くの観光客が押し寄せてくる。そのおかげで店はどこも忙しく、万年下っ端だったリルレットは祭りを楽しむ暇もなかった。今年こそはゆっくりと見て回りたいと思うものの、クラエス次第だしどうなるか分からない。

 リルレットは本日の買い物を終えた後、イシエと駆け足で邸の門を潜った。


「着いたー! イシエは足が速いなぁ。随分余裕じゃない」


 足にまとわりつく子狼はブーツの一部みたいになっている。それでいて歩行の邪魔はせず、リルレットの歩幅に合わせてちょこちょこと付いてくる。

 出会った当初からリルレットによく懐いていたイシエだが、最近は特にべったりだ。イフリータにからかわれる程である。しかしリルレットは素直に喜べない。イシエの行動の裏には理由があるような気がするのだ。そして彼女の思いつく限り、その理由は一つしかない。


(後どれぐらい一緒にいられるんだろう。明日起きたら消えてたなんてこと、ないよね?)


 無言で問いかけるも、当然答えなど返ってこない。イシエは無邪気に扉を押す仕草を繰り返していた。早く中に入りたいようだ。

 リルレットはくすりと笑った。


「はいはい、今開けますよ」


 言いながら、エプロンのポケットから鍵を取り出す。それを鍵穴に差し込もうとしたところ、蝶番を軋ませて背後の門扉が開いた。

 リルレットの目がきらりと光る。


 客だ!


「いらっしゃいませ! どちら様でしょうか!」


 とびっきりの笑顔を散らして、振り返る。相手はびっくりして一瞬動きを止めたが、すぐに気を取り直して人懐っこい顔を綻ばせた。


「よ、リルレットちゃん。こんにちは。会いに来たよー」


 ロルフだった。まさか知っている人だとは思わなかったので、リルレットは少し反応が遅れた。


「ああ、びっくりした。お久しぶりです、ロルフさん。クラエス様に御用ですか?」

「いや、だから君に会いにね――」

「たぶん、書斎にいらっしゃいますよ。ご案内しますねー」

「……天然かぁ」


 ワケの分からない呟きは聞き流して、リルレットは嬉々として騎士を中へ誘う。

 ロルフとしては半分くらい本気だったのだが、彼女相手だと糠に釘だ。自分の軽薄な振る舞いも良くないかもしれない。


(こりゃ勉強になったな)


 ぽりぽりと頭を掻きながら、ロルフは諦め気味の苦笑を浮かべて少女の後に続いた。

 中に入ると、すぐに違和感に気付いた。前を行くリルレットが振り返り、訝しげに首を傾げる。


「どうかしましたか?」

「いや。前に来たときより、空気が清らかというか……なんか、変わったな」

「そりゃそうですよ。だって、毎日換気してますもん」


 リルレットは自信満々に胸を張った。それを見たロルフは、なるほどと頷く。

 邸内の換気は魔術で行われているはずだが、動き回る人がいるのといないのとでは大きく差があるのかもしれない。リルレットがやって来てから初めての訪問となるため、違いがはっきりと分かったのだろう。


 客人を書斎の入り口まで案内すると、リルレットは二人分のお茶を用意しに立ち去った。入り口といっても扉があるわけではなく、声はあちらに丸聞こえ、しかも慣れているので断る必要もない。ロルフは遠慮なく仕事場に足を踏み入れた。

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