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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第一章
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最後の希望

 エリュミオン王国の首都であるグランリジェは、水と風の街だ。

 峻厳な渓谷を背に立つ王城は荘厳で美しく、威厳に満ち溢れている。その王城の下をくぐって渓谷から流れ込んでいるのが、グランリジェの象徴でもあるジェール河だ。王都はこのジェール河によって東西に二分されている。東と西を繋ぐのが三つの橋だが、渡し舟も盛んに行き来している。人や物を上下流に運ぶには船が一番効率が良いのと、観光客に人気があるというのが半々だ。


 段々畑のように重なる街、緻密に計算された水の流れ。

 一度でも王都を訪れた人間は、自然と技術が融合した美しさに魅入られる。旅行のつもりでやってきたのが気付いたら永住していた、なんてこともよくある。

 水と光に溢れた王都こそが、エリュミオン王家の威光を世に知らしめる絶好の姿なのだ。



 そんな王都の片隅、第三層区ファンファル街のとある雑貨店。その小さな店でリルレットは働いていた。

 癖の強い飴色の髪を三角巾でまとめ、雑貨屋のマークがプリントされた緑のエプロンを身に着けている。手にはハタキを持ち、真剣そのものの表情で高いところの埃を払い落とそうとしている。


「よい、しょっ。ううんっ」


 小さく掛け声を掛けながら、背筋をぴんと張る。

 敷地が狭いので、商品は縦に積むしかない。棚の高さは小柄なリルレットの背丈を軽く上回るので、爪先立ちをしなければ届かない。それでもまだ理想の高さには足りなくて、自分の背の低さを呪う言葉を胸中で呟いた。


「よいしょおっ!」


 うんっと思い切り膝を伸ばす。その努力の甲斐あって、ハタキを握る手に手応えが伝わってくる。


「やった、届いた!」


 しかし、表情が明るかったのはほんの一瞬。

 ぐらり、と棚が揺れたかと思うと、あろうことかリルレット目掛けて棚が倒れこんできた。流れ落ちる壷や花瓶、ガラスのコップに陶器の食器、エトセトラ。掃除していた棚に限って、なぜか壊れやすいものばかり。


「うっそおお!?」


 命の危険を感じたリルレットが身を翻して避けるのと、涼やかな朝の市場に惨劇の音が響き渡るのはほぼ同時だった。

 ――その後、リルレットがクビになったのは言うまでもない。





「はぅ」


 宿に戻る道すがら、リルレットは幾度目かの溜息をついた。


「またクビになった……」


 《また》という副詞が示すとおり、彼女が店を辞めさせられるのはこれが最初ではなかった。一大決心の元、単身王都へ出稼ぎに来て早二年。その間、ヘマをしてクビになった職場は数知れず。今日のように店に多大な損害を出したことも一度や二度ではない。働いた分の給料を頂こうにも、店への賠償を支払うとほとんど手元に残らない。


 故郷の村では大きなヘマもなく、それなりに役に立っていたのに、不思議なことに王都に出てからはさっぱり上手く行かないのだった。

 売り子として道に立てば攫われそうになるし、掃除をすればうたた寝をしている番頭さんの頭に花瓶を落としてしまうし、料理を作れば調味料の分量を間違える……などなど。

 疫病神に憑かれているとしか言い様がないのだが、端から見ればリルレットこそが疫病神そのものなのだった。


 安定しない収入のおかげで、制約の厳しい王都では部屋を借りることもできない。食事も質素なものになりがちな上、明日が不安で夜も眠れない。いつ過労か心労で倒れても不思議ではないが、若さのせいかそれもない。


 リルレット、十六歳。今日からまた職なしである。



 ***



「レイカさーん。また来たよー」


 仕事斡旋所のプレートを貼り付けた扉を押しやって中に入ると、黒い髪の美人が目を丸くしてこちらを見やった。


「リルレット……。あんた、またクビになったの」

「えへへ」

「えへへ、じゃないっ!」


 ばしぃん、と何かの書類をカウンターに叩きつける。同じ屋内にいた人がびっくりして黒髪美人を振り返ったが、綺麗な顔に怒りを滲ませる彼女は他人の視線などお構いなしにリルレットを怒鳴りつけた。


「これで何度目だと思ってんの! 三桁超えるわよ、いい加減!? ちょっとは性根を入れて気張りなさいっ」

「わ、私だって、頑張ってるもんっ」

「……そうね、あたしが悪かったわ。あんたはよく頑張ってる。何度挫けても諦めずに、よくやるわと思う。でもね、結果が伴わなきゃ意味がないのよ? 分かる!?」


 今度は、その拳を目の前の机にめり込ませた。隣に座る若い男性職員が、飛び散る木片を呆気にとられて見つめている。棚が並ぶ奥の方では、初老の職員が騒ぎを気にした風もなく、書類の仕分けを行っていた。

 隣の男性の様子に少し我を取り戻したのか、レイカはリルレットの手を掴むと、壁際の円卓へ引っ張っていった。


「ちょっとこっちに来なさい」


 引き攣った笑みを浮かべるリルレットを椅子に座らせて、自分は向かいの席に着く。腕組してじっと見つめれば、二年の付き合いになる友人は謝罪をするなり礼を述べるなりするはずだった。

 しかし、今日に限ってはいつまで経ってもその兆候が見られない。これはまずいかな、と思い始めた頃、リルレットは蚊の鳴くような声で呟いた。


「――どうしてかな。私、頑張ってるつもりなんだけどな」

「…………」

「いつも空回っちゃうの。レイカさんにも、皆にも迷惑かけて。私、王都に向かないのかな」


 時折声を震わせるのは、涙を我慢しているからだろう。レイカはリルレットの泣く姿を見たことがない。それだけこの少女は頑張っているのだ。

 本人の言うとおり、仕事でミスしてばかりなのは自身の頑張りが空回りしているせいだろうとレイカも思っている。人の役に立とうとするあまり、何に対しても全力を出してしまうのだ。それがプレッシャーに弱いリルレットを強張らせてしまう。だけど、そのことを指摘すれば余計に固くなってしまうに違いない。リルレットはそういう娘だ。

 クビを言い渡す店側も、気持ちは分かるがもう少し我慢してくれたらいいのにと思う。今回の雑貨屋は二週間も持たなかった。理由の一つには、リルレットが悪い意味で有名になってしまったこともあるのだが、本人にそれを教える気はさらさらない。


「そんなことないわよ。二年前の芋娘ならいざ知らず、今のあなたは王都の街にぴったりだわ。あなたみたいな人が街で働いていたら、絶対王都にとってプラスになると思う」


 紛れもない本音だった。都会育ちのような洗練された立ち居振る舞いのできる娘ではないが、それが逆に良い。見た目も素朴で可愛く、性格は素直な正直者だ。ヘマさえしなければ、店に立つだけで客足が増えるだろう。


 本音が伝わったかどうかは分からないが、リルレットは弱弱しい笑顔を見せて、ありがとうと呟いた。幼い子を安心させるように、レイカはにっこりと笑い返す。


 ――まったく。あたしだったら、我慢強く仕事を教えてあげるのに。


 これまでにも何度か斡旋所の職員にならないかと誘ったことはあった。しかしリルレットは裏技のような手段に恐れをなして断る。たぶん、これからもうんとは言わないだろう。

 胸中でぶつくさ文句を言いながら、手元の資料をぱらぱらと捲る。今までにリルレットに紹介しダメになった職場には、特大の×をくれてやっている。しかも赤字で。その枚数はかなりの数に上る。斡旋所設立以来、これほど多くの職場を渡り歩いた猛者もいまい。


(仕事、仕事。彼女が緊張しないような仕事ねぇ)


「……あ」


 あった。いや、これはこれで別の意味で緊張してしまうかもしれない。だが、試してみる価値はある。

 レイカは落ち込んだ様子のリルレットをちらりと見やり、思い切って声を掛けた。


「ねぇ、リルレット。他にもあなたに合う仕事はあると思うんだけど……。一つ、これをやってみない?」


 今までと少し違う調子の声に、リルレットは不安げな顔を上げた。

 にっこりと笑ったレイカが指し示す紙の職種欄には、「家事使用人」と書かれていた。

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