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水の都で恋をして  作者: 良田めま
第二章
16/69

秘密

「城ん中で女拐かすとか騎士団舐めてんのか、イクセル」

「お前……」


 目を開くと、騎士の鎧を着た男がリルレットを庇うようにして立っていた。その向こうでは、口元を手で拭う男が騎士を睨んでいる。どうやら騎士が男を殴ったらしい。貴族を殴って平気なのだろうか……と、リルレットは自分を庇ってくれた騎士を心配する。


「王都内の治安維持は騎士の役目でもあるんだぜ。不満なら、うちの隊長に突き出してやろうか?」


 からかいを含んだ声でそう脅されると、イクセルは目に見えて狼狽した。隊長とやらは、彼にとっても恐るべき存在らしい。


「ま、この場は見なかったことにしてやるから、さっさと行けよ。君もそれでいいか?」

「わ、私ですか?」

「攫われそうになったのは君だぜ」


 騎士は、リルレットが許さないと言えばイクセルは罰を受けると言外に示しているのだ。リルレットは少し考え、「それでいいです」と答えた。これ以上横暴な男に関わりたくなかった。


 舌打ちをして去っていく男の背を見ながら、助かったんだな、とぼんやり思う。我慢してきた涙が、今になってじんわりと浮かんできた。もしもあのまま連れ去られていたら、どうなっていたことだろう。安堵と恐怖の波が半々になって押し寄せてきて、リルレットは震える肩を抱いた。

 その手に、無骨な手甲が重なった。騎士の手だ。


「危ないところだったな、リルレットちゃん」


 はっとして顔を上げる。


「え、どうして私の名前……」

「うええ!? もしかして覚えてないの?」


 騎士は人懐っこそうな顔にショックを表し、その表情にリルレットはあっと声を上げた。


「もしかして、ロルフさん? うわあ、私、命の恩人になんてことっ」

「ハハハ、うん、そりゃね、まあ、話をしたのはほんの十分とかそこらだったし。覚えてないのも無理はないよ……」

「とか言って、しっかり傷ついてるじゃないですか! 本当にごめんなさい。私、ロルフさんに二度も助けていただいたんですね」


 心を込めて謝ると、ロルフは傷ついた表情から一転、笑顔を取り戻して胸を張った。


「女の子を守るのが騎士の使命だからね。当然のことをしたまでさ」

「あのときも同じことを言ってましたね」


 変わり身の速さにくすりと笑みを漏らし、彼と初めて会ったときのことを思い出す。

 それは一年ほど前のことだった。当時新規の菓子屋に雇われていたリルレットは、広場で宣伝のビラを配り歩いていた。そのとき、若い女や子供を狙った人攫いに遭ってしまったのだ。リルレットにとっては幸いなことに、以前から調査を進めていた王国軍によって、その日のうちに救出された。その救出隊の中に、ロルフ・ブラントが混じっていた。


「でも、よく覚えていましたね。私なんかのこと。確か、女の人だけで二十人くらい捕まってたと思うんですけど」

「君は特に可愛かったしね。それに、他の子みたいに泣いたり喚いたりしてないから印象的だったんだよ」

「だって牢の中では眠らされてて、気付いたら助かってたんですもん。今日の方が余っ程怖かったです」


 当時のことを思い出すと、自分の運の悪さと良さに呆れてしまう。売り払われる寸前で救出され、怪我一つなく帰ることができた。しかも、また攫われようとしているところを同じ人物に助けられるなんて奇跡としかいいようがない。


「いやー、二度も同じ場面に出くわすなんて、運命感じちゃうよなー」

「そうですね。感謝してます」

「くそ、今度も脈なしか!」


 リルレットは、悔しそうに地面を蹴る騎士を不思議そうに見やった。何か落ち込むようなことがあったのだろうか、という顔だ。

 そのロルフは、ふと真面目な表情になると声を低くして尋ねた。


「それはそうと、リルレットちゃん。あの男とは知り合いか?」

「……さっきの人ですか?」


 思い出したくもないという風に顔をしかめると、ロルフは申し訳なさそうに眉根を寄せる。彼にそんな顔をさせるつもりではなかったので、リルレットは慌てて質問に答えた。


「全然知らない人です。いきなり『あの屋敷の使用人か』って聞かれて、肯定したら連れて行かれそうになったんです」

「あの屋敷? リルレットちゃん、使用人やってるの?」


 こくんと頷く。事件の直後に店を辞めたことは、彼は知らないはずだった。その後の職場もその後の後の職場もクビになったことも当然知らないだろう。


「何となく分かってきたわ。あいつめ、こんな子を独り占めしやがって……」

「あいつ?」


 歯軋りするロルフを、リルレットはまたもや不思議そうに見て首を傾げた。聞きたいけれど、あまり触れてはいけないような気がする。面倒くさいことになりそうだ。

 それはともかくとして、イクセルとクラエスの関係が気になった。あの態度からして、並々ならぬ因縁があることは間違いない。それも到底良好な関係とは思えない。

 クラエスが邸から出ないのは、イクセルが関係しているのだろうか。けれどリルレットの知る限り、彼は人の悪意に怖気づいて閉じ篭るような性格ではない。穏やかな人ではあるが、力もあるのだ。反対に、イクセルは威張っているが街のちんぴらのような印象を受けた。格が違うというのだろうか。一方的に突っかかっている子供のように見える。ただしリルレットの目にそう映るだけの話であって、本当のところは分からない。


「どういう関係なのかな」

「何? イクセルのこと?」


 ぽつりと零れ落ちた独り言に、ロルフが耳聡く反応する。リルレットは反射的に口元を押さえたが、よくよく考えてみれば聞かれてまずいことではない。こちらは何も悪いことはしていないのだから。


(そうだ。ロルフさんは知ってるかな、あの人とクラエス様のこと。一応貴族だし、噂話くらいは聞いたことあるかもしれないわね)


 クラエスにまつわる噂のことを考えると、完全に信用できる噂というのは少ないことが分かる。しかし、ロルフは公平な感覚を持つ騎士だ。イクセルとも顔見知り以上の間柄であるようだし、本当の話が聞けるだろう。

 そう思って尋ねると、意外な答えが返ってきた。


「クラエスとイクセルの関係ぇ? うーん。教えたいのは山々なんだけどなぁ」

「もしかして、平民には教えられないとか、ですか?」


 眉根を寄せて上目遣いで見つめると、ロルフは慌てたように首と手を振った。


「違う違う、そんなんじゃないって。そうだな、オレが言ったってあいつに内緒にしてくれるなら教えるよ」

「……クラエス様にとって知られたくないことなんですか?」


 不安そうに声をひそめる。

 本人が知られたくないと思っていることを勝手に聞きだしても良いものだろうかと、戸惑いが脳裏を掠めた。しかし、今後イクセルと出くわさないとも限らない。クラエスとの因縁が深いのであれば、二人が顔を合わせる可能性だってある。そんなとき、彼の味方をするために少しでも情報を仕入れておくのは悪いことではない。

 ――と、色々考えを巡らせているが、結局は知りたいだけなのだ。好奇心である。もちろん、全て本音ではあるが。

 ロルフはまだ尻込みしていた。


「あいつがどうこうってーより、オレが話したことがバレるとヤバイっつーか。どうしようかなー」

「クラエス様には言いません。ですから、教えていただけませんか?」

「……本当?」

「嘘はつきません」

「……本当に本当?」


 なぜそこまで念を押すのだろうと、もどかしく思いながら勢い込む。


「本当に本当です!」

「なら教えるけど。あいつ、イクセルはな、クラエスの兄貴なんだぜ」


 身を乗り出したままの体勢で、リルレットは息を呑んだ。

 あまりの似ていなさに嘘を疑うほどだ。顔立ちも、雰囲気も、言葉遣いも、同じ環境で育ってああも違いが出るものなのかと首を傾げずにはいられない。リルレットにも似てない弟がいるが、あの二人ほどではない。何よりも、なぜ弟に対してあんな風に敵意を剥き出しにしなければならないのか。いや、敵意なんてものじゃない。明らかに害意があった。

 信じがたいが、ロルフは嘘を言っているようには見えない。


「リルレットちゃん、絶対あいつには内緒だぞ?」

「わ、分かってます」


 必死な様子のロルフに気圧されて何度も頷くと、彼はほっと胸を撫で下ろした。


「バレたら足の裏焼かれるところだわ」


 深刻なのか深刻じゃないのか分かりにくい、微妙に間の抜けた仕打ちは、クラエスなら実際にやりそうだ。

 ……今のは聞かなかったことにしよう。

 勇猛な騎士の情けない一言を、そっと受け流すリルレットだった。



 その後、いくつかロルフと言葉を交わし、リルレットは家路へついた。イクセルがどこかに隠れていて追ってくるんじゃないかと思ったが、ロルフによれば「彼はそこまで馬鹿じゃない」らしい。正騎士に見咎められた直後に同じことを繰り返すほどの執念は無い、とも。突き飛ばされたリルレットとしては異議を唱えたいところではあったが、忙しいロルフに護衛をさせるわけには行かないし、不安を押し殺して一人で帰ることにした。


 帰る道すがら頭に浮かべるのは、やはり似ていない兄弟のことだ。

 二人が縁者であることは勿論だが、クラエスに家族がいたという事実がリルレットを驚かせていた。


(当たり前だよね、人間なんだから)


 むしろ、今まで家族の影がちらつかなかったことの方が驚愕だ。

 貴族は平民以上に血の繋がりを尊ぶ。個人よりも家の存続が優先される。家督を継ぐのは基本的に長男なので、次男以下の扱いが雑になるのはありうることだ。しかし、だからといって普通は縁を断ち切るほどではないだろう。

 クラエスの場合も、リルレットには見えないだけできっとどこかでは家族と繋がっているのだろう。それが負の感情という頼りない糸だけではないことを願うばかりだ。

 だけど……。


(なんか、嫌だな)


 人々の間を歩きながら、砂を噛んだような顔をした。

 同じ気持ちを分け合うなら、もっと楽しいことがいい。


「うん、あの人のことは思い出さないようにしよう。それがいいわ」


 嫌な気持ちを振り切るように、リルレットはいつもより大きな歩幅で歩き出した。


 ***


 リルレットが無事に屋敷に戻ったのを確認して、ロルフは安堵の息を漏らした。

 彼女を安心させるために言ったことは、半分だけ本当だ。イクセルはどうしようもない放蕩者だが、頭は悪くない。ロルフが単なる脅しで隊長の肩書きを持ち出したのではないことくらい見抜いただろう。だからリルレットに手は出せないはず。

 一方で、ロルフはイクセルほど執念深い人間を他に知らない。邪魔をされればされるほど燃え上がるタイプだ。厄介な性格ともいえる。


 念のためリルレットをこっそり尾行したのは、もし他に彼女をつけているような影があれば、本当に隊長の前に引き摺りだすためだった。そこまでしてようやくイクセルを懲らしめることができる。


(後見人があいつでなければ、すぐにでも後悔させてやるのになぁ)


 あいつ――本心の読めないハンメルト家の三男坊を思い出し、ロルフは苦りきった顔をする。ただ、今のクラエスと対立することは三男の望みではないはずだ。遠まわしに告げ口すれば、次男のことは彼が何とかしてくれるかもしれない。

 そうと決まれば行動は早い方がいい。ロルフは颯爽と身を翻した。銀色の勇ましい甲冑を纏った騎士を、道行く人々は羨望の眼差しで見送る。だが、その胸中を推し量ることは誰にもできない。これから彼がしようとしていることなど、想像もできないだろう。


 リルレットの心配はもう要らない。何と言っても《英雄》と魔人が付いているのだ。今のハンメルト邸はちょっとした城塞である。

 手を出したくとも出せないイクセルの顔を想像し、ロルフは意地の悪い笑みを浮かべた。

 それともう一つ。直感ではあるが、あの子ならば変化を呼び込んでくれるのではないかという予感が、彼の気持ちを少し軽くする。


(頑張ってくれよ、リルレットちゃん)


 心の中で声援を送り、近い内にまた訪ねようと密かに決めるロルフだった。幼馴染が前と同じ顔で座っているのか、確かめるために。面白いものが見られるといいのだが。

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