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『えん☆むす』

作者: 荒ポン

この作品はライトノベル調で描かれています。

ご都合主義、軽いノリなどが嫌いな方はそっとページをお閉じ下さい。

作者は初投稿ですので不手際はご容赦を。

更新は不定期。

感想が頂けるとモチベが上がります。アドバイスも大歓迎。批評は虚弱メンタルなので命ばかりはお助け下され。



[えん☆むす]


 †―零―†


  東京都品川区の住宅街、その片隅にひっそりと建っている神社があった。

 良縁神社。

 その名の通り、縁結びの神様を祭った神社である。

 涼風薫る春先のある日、その神社の鳥居を潜った少年が一人―――。

「やっと……見つけた……っ」

 彼の名は皆川省吾。年齢は十四歳。中学二年生である。

 余程歩き回っていたのか、学生服の襟はヨレ、額からは汗を滴らせていた。

 それを気にもせず、省吾は一目散に境内に駆け込み、賽銭箱の前までやってきた。

 小銭入れを取り出し、中身を叩き込む。

 乾いた鈴の音が寂れた境内に鳴り響いた。

「お願いします! 僕と、鈴音 三琴さんとの縁を結んで下さい!」

 一心不乱の祈り。

 それは神社の神に届いた。


 良縁神社の本堂にて――。

 白兎と、それを膝に乗せた巫女がいた。

 一匹と一人は、少年の声を聞きながら佇んでおり、さてどうしたものかと首を捻る。

「参拝客なんて久しぶりだね、大国様」

「そうね、因幡。最近の若者は信心が薄いなんて言うけど、捨てたものじゃないわね」

「で、どうするの?」

 因幡と呼ばれた白兎は、大国様と呼ばれた巫女を見上げた。

 大国様は、ぼうっと天井を見上げ、うっすらと目を瞑ると、ぽつりと呟く。

「やめておきましょう。賽銭、少ないし」

「それでいいの?! 神様としてそれでいいの?!」

「神は仏とは違うから良いの。って言うか、あんな戒律に縛られたのと一緒にしないで」

 因幡は、呆れて空いた口が塞がらなかった。

 それを尻目に、大国様は「地獄の沙汰も金次第って言うしね」と追い討ちを掛ける。

 因幡が頭を抱えた。

「世俗に塗れすぎだと思いますよ。それに、見た所まだ子供。少ない小遣いから出してくれた賽銭を少ないなんてあんまりです」

「あー、もう五月蝿いわね。人間なんて、困った時は頼ってくる癖に、何も無い時は神様なんて信じてないじゃない。そんな白状な連中は放置で良いの!」

 大国様は、耳を穿りながら詰まらなそうに言った。そして、部屋の片隅に積んであったマンガを開くと、神聖なご本堂に寝そべりながら捧げ物の煎餅を齧った。

「この煎餅しけってるわねぇ、もう」

 大国様が愚痴ったその瞬間、図ったように少年の声が響いた。

「もし上手く行ったら典雅堂の羊羹持ってきますから!」


「その話、乗った!」


 省吾の眼前で、スパーンと軽快な音を立てて本堂の扉が開いた。

 中から現れたのは、巫女服の少女。その足元には、一匹の白兎を従えている。

 突然の登場に目を見開いた省吾を置いて、少女が捲くし立てた。

「私の名は大国天! この神社に祭られた神よ! アンタの願いは聞き届けたわ!」

「あ、はい。えーっと、き、君は?」

「アンタ頭が沸いてるの? 今言ったでしょ、神社の神よ。神の眼前なんだからもっと礼儀正しくしなさいよ。これだから最近の若いもんは……」

 やっべぇ、とんでもないものが出てきた。

 省吾の頬を冷や汗が伝う。目の前に居るのは、どう見ても普通の少女。巫女服を着ているから巫女なのだろうが、その年齢は十歳ほど。おそらくは小学生だろう。

 それが神社の神を名乗っているのだから、コメントに困る状況だった。

 神社の神主の娘さんだろうか? もしかしたら悪戯好きなのかもしれない。参拝客を驚かせる為に、こうして本堂に隠れていた、と。

 何となく納得がいって、適当にあしらえば良いかと対応を決める。

「ああ、はいはい。神社の神様ね。わかったわかった。僕はお願い事をしていて忙しいから、悪戯なら他所でやってね」

「きーっ! 全く信じてないわね! 折角、こうして降臨してきたって言うのに何よこの扱い!」

 バカにされたと思ったのか、少女が地団駄を踏む。

「騒ぐなよ! 近所迷惑だろ!」

 どうにかして宥めようと省吾が右往左往していると、境内の奥から誰かがやってくるのが見えた。

 神社の神主さんだ。穏やかな笑顔を浮かべた壮年の男性が歩いてくる。

「おや、何かあったのかね? 本堂の扉が開いているが……」

「あ、ご、ごめんなさい。えっと、娘さんが中から飛び出してきて」

 バツの悪そうに目を伏せる省吾。その隣では、大国天と名乗った少女が何事か喚いていたが、これを無視した。

「? 私には娘は居ませんが……。娘さん、と言うのはどなたでしょうか? 貴方以外に、お連れさんでもいるので?」

 はっ? 省吾は首を捻った。少女を見る。

 その様子を見た神主は、ふむと呟き、思案するように空を仰ぐ。やがて口を開いた。

「参拝客の中には、大国天様を目にしたと言う方も居ましてね。もしかしたら、貴方の熱心な祈願に応えてくれたのやも知れません」

 その言葉を聞いて、省吾は少女を見た。

 大国天は、だから言ったでしょ? とでも言うように、胸を張って笑っていた。


 †―壱―†


「娑婆の空気は美味しいわね。たまにこうして過ごすのも悪くないわ」

 夕方の商店街。

 神社を後にした省吾は、帰り道を歩いていた。

 その隣には、巫女姿の少女……大国天と、白兎がついてきている。

「何で神様が神社の外を歩いているんだよ……っ」

「知らないの? 神様は神社に縛られてるもんじゃないのよ。それに、アンタの願い事を聞き届けたって言ったでしょ」

―――願い事。

 皆川省吾と、鈴音三琴の恋仲を結ぶ事。

 大国天は、その願い事を聞き届けてくれると言う。

 ドキリ、と省吾の胸が鳴った。

「本当に、結んでくれるんだろうな?」

「まっかせなさい。伊達で神様名乗ってるんじゃないんだから。責任もって結んでみせるわ!」

 軽々と請け負う大国天。自信はあるようだ。

 省吾としては、まだ彼女が神である事に疑問を感じていたし、甚だ不安だったが……。

 そうだ! 証明して貰えば良いんじゃないか?

 縁結びの神様なら、そこら辺の若い男女を結びつけるなんて容易いはずだ。ちょっとやってみてもらって、その力を確認すれば良い。

「な、なあ……」

「アンタは次に『試しにやってみてくれ』と言うわ」

 何故わかったし!

 唖然とする省吾を睨み付け、大国天は腹立たしげに言った。


「そこに正座!」


「は、はい! ごめんなさい!」

 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。

 大国天の恐ろしい剣幕に圧倒され、省吾は反射的に歩道に正座してしまった。

 近所のおばちゃん達がそれを見て、哀れむような生暖かい視線と、ひそひそ話しを送ってくる。言うまでも無いが、おばちゃん達には大国天の姿は見えていないのだ。

「これだから人間は……。神様とかオカルト染みたものを見ると、すぐにやれ証明してみろとか軽々しく言うのよね。はなっから疑って掛かってさ、信じてないでしょ絶対! 神様だって万能じゃねーんだよ、わかってるかそこんとこ! 八百万柱居たって、日本全国一億三千万人も面倒見きれるわけねーだろ! 一人当たり千六百二十五人の人生なんて管理しきれないのよ!」

 大国天は昨今の風潮に嫌気がさしていたのか、溜まった愚痴をここぞとばかりに吐き出す。その愚痴は終わり無く、延々と続くように思われた。

 ああ、視線が痛い。

 

 十五分後、類稀なる『神からの説教』体験から開放された省吾は、憔悴しきった体に鞭打って商店街を後にした。

 言う事を言ってすっきりしたのか、大国天様のご機嫌麗しく、鼻歌を歌いながらスキップしている。

「それで、結局の所、どうなのよ?」

「ど、どうって何がですか?」

「アンタと、鈴音三琴との関係よ。どこまで進んでるのよ」

「それは、えーっと、何と言いますか。ほら、あの……」

「何よ、男らしくないわね。草食系男子なんて流行らないんだから、ちゃっちゃと言っちゃいなさい」

 囃し立てる大国天は、事の他楽しそうに見えた。

 だが、言いよどむ省吾の顔色は芳しくなく――。

「実の所、話したこともなくて……」

「アンタ、バカ?! 何でアプローチ掛けないのよ。好きなんでしょ?!」

「だって恥ずかしいじゃん! 話しかけて『うわ、変な奴が声かけてきたよ』とか『キモッ』とか思われたくないだろ?!」

「もう十分変な奴じゃん! 道端で大声で独り言言ってるし、気にしなくていいと思うわよ☆」

 慌てて口を噤む省吾。きょろきょろと道を見渡し、誰も居ないのを確認してから足早にそこを去り、道の角を曲がった。

―――その時である。

 曲がった先から、黒塗りの高級車が現れ、省吾へと向かって突っ込んできた。

 慌てて飛び退く。耳障りなブレーキ音が路地裏に響き、高級車は寸前で停車した。

「た、助かった」

 地べたに倒れたまま、ほうっと胸を撫で下ろす。

 いや、助かってなかった。

 止まるや否や、高級車の中から強面の大男が降りてきたのだ。

 その胸には光り輝く金バッチ。どうみても、ヤの付く職業の方である。

 大男は省吾を見るやこめかみにぶっとい血管を浮かべ、ドスの利いた声で叫ぶ。

「ゴルァ! なにしとんじゃい餓鬼ぃっ!」

「す、すいません! すいません! 勘弁してください!」

 鬼のような形相を見て、怯えた省吾は土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。

 だが、大男は容赦しない。縮こまった省吾の襟元を掴んで宙に持ち上げると、鼻っ柱がぶつかりそうな距離で睨みつける。

「ひぃ、命だけはお助けを!」

―――その時である。

 黒塗りの高級車の後部座席から、黒髪の乙女が降りてきた。

 省吾が目を見開く。この世の終わりでも見たかのような顔だった。

「許してあげて、銀二さん。その人は、私のクラスメートなの」

「お、お嬢、そいつは本当ですか!?」

 省吾を掴んでいた大男……銀二の力が緩み、ゆっくりと丁寧に地上に降ろされた。

 そして、呆気に取られて何も言えない省吾へと、ぺこぺこと頭を下げる。

「お嬢様の学友だったとは露知らず、大変失礼な事をしてしまいました。申し訳ございません! このケジメはエンコ詰めて償いますんで勘弁してくだせえ!」

「大丈夫です! 怪我一つありませんから! だからドスしまって! 指、指!」

 懐から短刀を引き抜くと自らの指に当て始めた銀二を、省吾は必死に押し留める。尚も指を切ろうとするが、何とか説得し、事を収めた。

 一段落したと思ったのも束の間、黒髪の乙女が省吾を気遣うように話しかける。

「本当にお怪我はありませんか? もしご気分が悪いのでしたら、この車で病院に運ばせて頂きますわ」

「あ、えっと、いえ、だ、大丈夫です……。お気遣い無く……」

「本当ですか? ご遠慮なさらなくても良いのですよ。悪いのは私どもですから」

 そう言って、少女は懐からメモ用紙を取り出すと、さらさらと書き込み、手渡した。

「こちらが私の家の電話番号になります。もし後ほど気分が悪くなりましたら、ご連絡下さいませね」

 少女はそれだけ済ますと、では御機嫌ようと世にも美麗なお辞儀をし、高級車に乗り込んだ。銀二もそれに続き、やがて高級車が去っていく。

 省吾は、その光景を見て呆然としていた。

 その手の平から、ひらひらとメモ用紙が落ちる。

 そこには『鈴音三琴』と言う名前と、電話番号が書かれていた――。


 †―弐―†


「ヤ○ザの娘なんて聞いてねーよ!」

 省吾が叫んだ。

「私の知った事じゃないわよ!」

 大国天が応える。

「せめて相手の事をよく調べてから祈願するべきだったと思うよ、ボクは」

 因幡が呟く。

「兎が喋った?!」

「気がつくのが遅いわよ!」

「あぁ、もう。二人とも落ち着こうよ」

 二人と一匹は輪になって『鈴音三琴の残したメモ』を見つめながら、ああでもないこうでもないと話していたのだった。 

 場所は、省吾の自室である。

「大体ね、アンタは何で、あの娘さんの事を好きになったのよ」

「そりゃ、見た目は綺麗だし、物腰は優雅だし、お嬢様って感じで素敵だったろ?」

「確かに“良い所のお嬢様”だったわねぇ。アンタとは“住む世界が違う”くらい」

 ハートを突き刺すような刺々しい皮肉を言いながらも、大国天は楽しそうに笑った。

 コイツ、まさか最初からこうなるのを知ってたんじゃないだろうな?

「で、どうするの?」

「どうするったって……。正直、もう無理かな、と」

「諦めるの早っ!? アンタね、そんな気軽な気持ちで私に頼んだの?! あの時の情熱は嘘!? 一夏のアヴァンチュールのつもりだったの?!」

「そうじゃねーよ! でも、迂闊に近づいたらドラム缶にコンクリ詰めにされて太平洋に沈められそうだったじゃねーか!?」

 省吾の悲痛な叫び。

 白兎の因幡も、うんうんと首肯した。

 だが、次の瞬間、手の平を返す。

「でもね、もう無理だと思うよ」

「ど、どういうことだよ」

 慌てて聞き返す省吾。因幡はうーんと頭を前足で掻き、言葉を選びながら言った。

「人間と神様が交わした契約は、絶対に破れないんだ。破ると、双方に良くない事が起こるって言われてて……」

「ちょっと、因幡! 余計な事を言わないでよ!」

 大国天が、因幡の口を押さえ、説明を遮ろうとする。省吾はすかさずその手を掴んだ。

「離しなさいよ!」

「因幡、教えてくれ! 良くない事って何が起きるんだ!」

 因幡は二人に詰め寄られて暫しの間迷っていたが、省吾の必死さに同情したのか先を続ける。

「神様の場合は、神としての力を無くしちゃうし、人間の場合は……」

「に、人間の場合は?」

「今回は恋愛関係だから、一生恋愛が出来なくなる……とか、かな」

 自信なさそうに因幡が告げた。

――一生、恋愛が出来なくなる。

 暗澹たる気分だった。これで俺は、ヤ○ザの娘さんと一生結び付けられる運命になったのだ。

 省吾は、肩に重石を括り付けられたかのような錯覚を感じた。大国天の手を離し、だらんと力なく項垂れる。

 そして、重苦しい空気が立ち込めた。

 それを破ったのは大国天だった。

「ふんっ、私は絶対に契約破棄なんてしないからね! 契約は既に効力を発揮しているし、アンタも諦めてくっ付いちゃいなさい!」

「どういうことだ? もう力を使ってるのか?」

「見かけ通り鈍いわね? ちゃんと出会いを演出してあげたじゃない。しかも、電話番号まで手に入れる事が出来た」

 大国天は得意顔を浮かべ、畳み掛けるように言った。

「アンタのリクエストに応えたのよ? 感謝しなさいな」

 省吾の脳内で『試しにやってみてくれ』と言う言葉が反芻された。

「あ、あれは、ほら! 俺が言った訳じゃないし!」

「でも思ったでしょ。ちゃんと聞こえてるのよ。しらばっくれようったってそうは行かないからね」

「天の情けは無いのか……っ」

「自業自得じゃない!」

 全くもってその通りである。

 泣こうが喚こうが、実から出た錆。自分で責任を取るしかないようだ。

 とは言え、既に祈願の効力が発揮されているならば――。

「な、なぁ、これからどうなるんだ?」

「そうねぇ……。たぶん、色々と―――」

 天を仰いで目を瞑った大国天は何事か説明しようと思案を始めたが、すぐにそれを中止して一言だけ断言した。

「楽しい事になると思うわよ?」

 その顔に浮かんでいたのは、悪魔と見まごうような邪悪な笑顔だった。


 †―参―†


――楽しい事になると思うわよ?

 次の日から、大国天の言った通りの事が起こった。


 朝。

 省吾が学校へと向かっている最中、車道を黒塗りの高級車が通り掛かった。

「おはようございます」

 春風のような爽やかさで、透き通るような声が聞こえた。

 声の方角を見れば、黒塗りの高級車の窓から鈴音さんが手を振っている。

 その運転席では、昨日の大男、銀二が省吾を睨み付けていた。

「お、おおはようございますぅっ!」

 省吾はビビッて反射的に頭を下げた。

 一見卑屈に見えるその仕草を気にも留めず、鈴音さんは車から降りて近づいてくる。

「昨日は、本当に御免なさい。その後は大丈夫でしたか?」

「え、ええ! おかげさまで元気ですハイっ」

 ハキハキと応える省吾。鈴音さんとお近づきになれたのは嬉しいが、銀二のガン付けが気になって仕方が無い。目ぇ付けられたらタダじゃ済まないので、どうにか体よく別れられないかと考えていた。

 その矢先。

「でも、まだお体も辛いでしょうし……。そうだ、私どもの車にお乗り下さいな。学校までご一緒しましょう」

「どどどどうかお気遣いなく――っ?!」

 名案とばかりに、鈴音さんが手を打った。

 その顔はニコニコと友好的な笑顔を浮かべており、非常に断りづらい雰囲気を醸し出している。

 一方で、省吾は半狂乱状態に陥っていた。

 どどどどどどうする?! 断った方が良いのか、それともお言葉に甘えた方が良いのか?! 運転手がものごっつい睨んでるんですけどあれは一体どういう意味合いなのか分からねぇえええええっ?!

 髪やら喉やら掻き毟りたい衝動を抑えつつ、どうしたものかと悩んでいると――。

 黒塗りの高級車から、銀二が降りてきた。

 そのまま無造作に後部座席の扉を開け、招き入れるように立つ。

「ほら、銀二さんもどうぞって」

 いや待ってください、鈴音さん。あれはどう見ても、帰れって言ってるようにしか見えませんよほら睨んでる睨んでる殺気が痛いです勘弁してください。

……などとは言えず。

 結局、省吾は鈴音さんに手を引かれて、黒塗りの高級車に乗り込んだのだった。

 乗車寸前に聞こえた銀二の舌打ちは、きっと気のせいではなかっただろう。


 朝のHR。

「今日は席替えの日です」

 と先生がのたまった。

 この時点で、省吾の脳内には嫌な予感しか無い。

「おい、なんて顔してるんだよ、省吾! 席替えだぜ、席替え」

 などと楽しげに友人が話しかけてくるが、それ所ではない。

「あぁ、そうだね、席替えだね……」

「お前、一体どうしちゃったんだよ? 昨日まで、あの鈴音と隣の席になりたいって言って楽しみにしてたじゃねーか」

「人には色々と事情ってもんがあるんだよ!」

「事情ねぇ? ま、何でも良いけどよ。ほら、クジを引いてこようぜ」

 省吾のクラスは、席替えをクジ引きで決めていた。

 記念すべき第一回目の席替えで揉めに揉めた結果であり、引いたクジの交換などはご法度とされている。

 つまり、一度決まった席はどこだろうが替えようが無い。

 その鉄の掟を思い出し、省吾はクジを引く手を止めた。

「どうしたんだよ、早く引けよ」

 後ろで順番待ちしていた友人がせかす。

「やっぱ引くの止めた。残り物には福があるって言うし、最後でいいや」

「余裕だな、お前!」

 神様だけに、クジ運を操作されている可能性がある。ならば、自分からクジを引かずにおけば操作される心配も少ないんじゃないか……と省吾は考えたのだ。

 一人、また一人とクジを引き、次々に席へと座っていく。

 喜怒哀楽の叫びが木霊する教室で、省吾は神に祈るような気分で目を瞑っていた。

 神様仏様、どうか鈴音さんと一緒の席にはなりませんように!

 甚だ不順な祈りである。

 そして、その祈りは――。

「省吾君、君が最後だね。あの席に決まったよ」

――届かなかった。

 担任教師が指し示したのは、最前列のど真ん中の席だ。

 その隣では、鈴音さんがにこにこほんわかな笑顔を浮かべていた。


 昼の給食時。

 省吾は無言で給食を食べていた。

 ご飯を食べる箸が震える。食事が喉を通らない。味が感じられない。

 何せ、隣の席では鈴音さんが座っているのだ。

 燐として花の如く、可憐な少女からは鈴蘭の花の香りが漂っており、ふと横を見れば天真爛漫な笑顔が返ってくる。話しかければ、天使のような声音で応えてくれる事だろう。

 だが、いやだからこそ近づきがたい。

「何か御座いましたか?」

「い、いや、何でも無いです」

 省吾は食事を早々に切り上げると席を立った。


 そして、放課後の事である。

 省吾は「帰りも送りましょうか?」と言う鈴音さんの提案を丁重に断ると、夕暮れの下校路を歩いていた。

「はぁ、どうしたもんかなぁ……」

 溜息を吐き、呟く。

 自分は、果たして鈴音さんの事が、本当に好きなのだろうか?

 ただの勘違いだったのではないだろうか?

 だとすれば、彼女の顔を見る度に感じる胸の苦しさは何なのだろう?

 そして、彼女の立場は―――。

 省吾は朱に染まった空を見上げ、物思いに耽った。

 出来れば彼女に近づきたい。いや、近づいたらヤ○ザに目を付けられかねない。よしんば上手く行ったとしても、ヤ○ザの身内になるなんて出来れば避けたい。

 大国天への祈願。絶対に叶ってしまう恋愛成就の御呪い。

 それさえ無ければ、自分の気持ちに素直になれるだろうか?

「くそ! 一体、俺はどうしたいんだよ!」

 ガツン、と拳を壁に叩きつけた。痛い。痛いがそれ以上に内心渦巻くモヤモヤとした苛立ちをどうにかして吐き出したかった。

「大丈夫?」

 ふと、どこかから間延びした声が聞こえた。

 省吾はきょろきょろと辺りを見渡して声の主を探すものの、見当たらない。

「足元、足元」

 声につられて足元を見ると、一匹の白兎がいた。

「あぁ、因幡か。どうしたんだよ、こんなところで」

「散歩だよ。それより、君こそどうしたの? こっちは、君の家とは逆方向じゃない」

 言われて見れば、周りには見慣れない町並みが広がっていた。

 どうやら、考え事をしながら歩いてるうちに道を間違ってしまったようだ。

「随分、参ってるみたいだね」

 その心境を察した因幡が、前足でとんとんと省吾の靴を叩く。

「慰めてくれるのか?」

「うん。半分は自業自得だけど、同情の余地はあるしね」

 そう言って、因幡はどこかに案内するかのように先を歩き、振り返る。

 省吾は導かれるようにその後をついて行った。


 河川敷の土手に腰を下ろし、一人と一匹は夕日を見上げていた。

「大国様はね、その昔は大層立派な神様だったんだよ。沢山の良縁を結び、民に慕われた善き神様だった」

 因幡は昔を懐かしむように語った。

「とてもそうは見えないけどなぁ。融通は利かないし、口煩いし、俗っぽいし」

「昔みたいに、神を信じる人が少なくなったから、やさぐれちゃったのかもね」

「うぐ……っ」

 耳の痛い言葉だった。

 確かに、自分も信心深い人間ではない。普段は神も仏も信じちゃいなかったし、鈴音さんの事が無ければ良縁神社を尋ねる事すら無かっただろう。

 困った時の神頼み。

 人間にしてみれば、なんて都合の良い言葉だろうか。

 自らの行いに対して省吾が反省していると、因幡が重々しく口を開いた。

「もしも、本当に契約を破棄したいなら、ボクが取り成してあげるよ」

 それは暗闇に垂らされた一本の蜘蛛の糸。あるいは光明だった。

「本当か?! でも、そうすると酷い天罰が下るんだろ?」

「大国様の手前、ああ言ったけど……。本当は、そこまで厳しいものじゃないから、安心してよ」

 因幡が朗らかに笑う。

 それだけで、省吾は肩の荷が下りたような錯覚を感じた。

 因幡を抱き上げ、力一杯抱きしめる。

「ありがとう! ありがとう、因幡! お前は命の恩人だぜぇ!」

「く、苦しいよ、省吾!」

「あ、ごめんごめん」

 省吾が力を緩めると、因幡はぴょんと腕から飛び降り、改めて向き直った。

「でも、本当に最後の手段にしてね。一度は祈願したんだから、ちゃんとどうするか考えてね。そうじゃないと、ボクも怒るよ?」

 そこだけ威厳のある表情で、因幡が宣言する。

 その背中は、神の使者を名乗るだけあって神妙な光輝を放っていた。

「わ、分かった。一晩、しっかり悩む事にするよ」

「うん。それで良し。じゃあ、ボクはそろそろ帰るね」

 そう言って、因幡は駆け去っていった。

 その後姿を見送りながら、省吾は呟く。

「良い奴だな。あの迷惑な神様とは大違いだぜ」

「悪かったわね、迷惑な神様で」

「うぉあ?!」

 噂をすれば影が差す。

 何時の間にやら、省吾の後ろに大国天の姿があった。

「お前、何時から居たんだよ!」

「今さっきよ。因幡がいつまで経っても帰ってこないから迎えに来たんだけど……何を話していたのよ?」

「べ、別に。ちょっと考えを整理したくて、相談に乗ってもらってただけさ」

「ほんとーにー?」

 大国天は省吾の事を怪しみ、眉目を潜める。

「ま、何でも良いけど。外面ばかり見てないで、中身も見てあげたら?」

「ん、なんだって?」

「中身を見ろって言ってるのよ。肉体なんてタダの入れ物。大事なのは、そこに収まってる心でしょ。アンタは今の所、器しか見てないわ」

 省吾は驚いて、目を見張った。

 まさか、この俗っぽい自称神様から、らしい台詞が出てくるとは思っていなかったからだ。

「ま、肉体も大事なんだけどね。アンタの顔、彼女と釣り合い取れてないしー?」

「どやかましいわ!」

 スパーン。

 夕暮れの河川敷に、爽快なツッコミの音の響き渡った。


 †―四―†


――本当に契約を破棄したいなら、僕が取り成してあげるよ。

――外面ばかり見てないで、中身も見てあげたら?

 その日の夜、ベッドに寝そべる省吾の脳内で、因幡と大国天の声が反芻された。

 果たして、自分はどうしたいのか……天井を見ながら考える。

 鈴音三琴さん。

 最初の出会いは、自分の一目惚れだった。

 中学一年の一学期、教室に足を踏み入れたその時に、初めて彼女を目にした。

 教室の窓際に佇み一人だけで窓の外を見つめる姿は、まるで野原に咲く一輪の花のようで美しく、惹きつけられるものがあったのだ。

 それから早一年――。

 彼女に近づく勇気もなく、ただ淡々と時間は過ぎ去っていった。

 このままだと、永遠に彼女に近づく事が出来ずに、中学生時代を終えてしまうのではないか?

 そうした不安が胸を渦巻く。

 それを解消する為に一歩だけでも彼女に近寄ろうと考え、でも勇気が出せず何か切っ掛けがあればヘタれな自分も行動が出来るんじゃないかと思って、良縁神社を訪れたのだった。

 困った時の神頼み。

 いや、俺だって、何も神様に頼めば万事解決してくれるとは思っていなかった。

 ただ、神様に祈願する事で、告白する決心を固めたかったのだ、と思う。

 まさか、彼女がヤ○ザの娘だったとは、思わなかったけど――。


 省吾は溜息を吐いて、目を閉じた。


 幸い、大国天の力のおかげか、彼女に近づく切っ掛けは十二分に与えられた。

 そして、最悪の場合、その契約を取り消す事だって出来る。

 ならば、もう少し近づいてみても良いんじゃないか?

 彼女の内面を見て、彼女の事を深く知れば、もっと好きになれるかもしれない。

 そしたら、迷いも晴れるんじゃないだろうか?

 

 とりあえず、話しかけてみよう。

 夜の間、ずっと悩んだ末に、省吾は最も無難な答えを選んだ。


 †―五―†


 まずは朝の挨拶からだ。

 省吾が登校すると、既に隣の席では鈴音さんが座っていた。

 おはようございますが、良いのかな? それとも、御機嫌よう、か?

 省吾が迷っていると、機先を制して鈴音さんが話しかける。

「お早う御座います」

「お、おはようごじゃ……」

 しまった、噛んだ! ドモった! やっべぇ、俺超格好悪ぃ。やり直し、やり直しだ。テイク2を要求する! 鳴るな心臓! 深呼吸して落ち着け! 人、人、人と手に書いて飲み込む! よし、落ち着いた。息を吸って――。

「おはようございます!」

 よし、言えた! 完璧だ。いや、ちょっと声が大きかった。俺の挨拶は教室中に響き渡り、クラスメイトの皆が俺の方を見ていた。ええい、見るな。見せ物じゃないんだ。

 省吾は顔を耳まで真っ赤にしながら、あたふたと席に着く。

 鈴音さんはその様子を見ながら、くすくすと上品に笑っていた。

「お元気ですのね」

 その口調には皮肉や嫌味のような不順な添加物は一切含まれておらず、純度100%の優しさで構成されている。

 茹でタコのようにのぼせ上る省吾。

「あ、いえ、鈴音さんも、元気そうで何よりです」

 省吾の言葉を聞いて、鈴音さんは驚いたように目を見開いた。

 省吾は、なるべく無難な返事を選んだつもりだったが、変な事を言ってしまったのだろうかと心配になる。

 しかし、それは杞憂に終わった。

「私の名前、お知りになっていたのですね」

「あ、はい。そりゃもう! あ、そういう意味じゃなくて! ほら、この間のメモに書いてあったから! それだけです、ハイ」

 本当は、そのずっと前から、彼女を始めて見た時から知っていたのだが、それを口に出せば気持ち悪がられるかもしれないと必死で誤魔化す。

「それでも、覚えていて下さって嬉しいですわ。あの……」

「な、なんでしょう?」

「貴方のお名前を、伺っても宜しいですか?」

 鈴音さんは頬を朱に染め、恥ずかしげに続ける。

「ごめんなさい。私はまだ、貴方の事を良く知りません。でも、折角、席が隣同士になったのですから、これから仲良くしていきたいと思っていますの。だから、その」

 思ってもいなかったその言葉。

 省吾は驚くと同時に、彼女が自分に関心を持ってくれてた事を嬉しく思った。

 だからだろうか。

「皆川、省吾です。これから宜しくっ」 

 自分でもびっくりする位に軽快な自己紹介が口から飛び出て、うっかり握手の手まで差し出してしまう。

 馴れ馴れし過ぎたかと思い直し、その手を引っ込めようか迷ったけれど、すぐに鈴音さんがその手を握り返してくれた。

「鈴音 三琴ですわ。改めまして、宜しくお願いします」

 にこにこ、ほんわか。

 省吾は彼女の笑顔に見入りながら、一時の間、握った手から伝わる鼓動を噛み締めた。


 それから、省吾は暇を見つけては彼女に話しかけた。

 趣味の話、クラスの男女関係の裏話、学校の先生達の秘密、学校の噂話などなど、鈴音さんの反応を見つつ、おおよそ思いつく限りの面白そうな話をした。その度に鈴音さんは朗らかに笑い、あるいは驚き、様々な表情を見せてくれた。

 省吾自身も、鈴音さんの変化が新鮮で、学校生活の中でこんなに楽しい時間を過ごしたのは初めてかもしれないな、と思っていた。

 だが、楽しい時間ほど過ぎるのは早い。

 あっという間に、放課後がやってきた。


 放課後。

 HRが終わった後、クラスメイト達は次々に帰りの仕度を始めていた。

 省吾も、カバンの中に教科書を詰める。

 しかし、その内心では名残惜しいと言う欲張りな自分と、バカな事は止めておけと言う臆病な自分が葛藤していた。

 どうせ、明日になればまた鈴音さんに会える。だけど、折角こうして仲良くなれたのに勿体無い気がする。いっそのこと、彼女を誘ってどこかに遊びに行けないだろうか?

 放課後のデート。

 それは省吾の憧れでもあった。

「なぁ、鈴音さん」

「何ですか、皆川さん?」

「放課後、遊びに行かないか?」

 言ってしまった! 言ってしまった! ついうっかり口が滑った。思っていた言葉がするりと飛び出したような感覚。直後、猛烈な後悔が押し寄せてくる。

 たっぷり三十秒ほどだろうか、時間が止まったように二人は動きを止めていた。

「ごめん、やっぱ今の……」

「行きます」

 ほぼ同時に発した声が重なる。省吾の弱弱しい台詞が、鈴音さんの強い台詞で上書きされた。

 教室から駆け去ろうとしていた省吾が足を止めた。鈴音さんの方へ振り返る。

「行きます。連れて行って下さい」

 そこには、意を決したとでも言うように、凛とした表情を浮かべる鈴音さんの姿があった。


 夕暮れ時の繁華街。

 ビルが雑多に立ち並び、様々な商店が軒を連ね、多くの人々が道を行き交っている。

 省吾と鈴音さんは、その人垣を縫うように歩きながらクレープを頬張っていた。

「歩きながら食べるなんて、初めてですわ。はしたなくないのでしょうか?」

「多少ね。でも気にしなくて良いと思うよ。クレープはこうして食べるのが一番旨いんだ」

 二人は、銀二の運転する黒塗りの高級車に乗り込み、繁華街にやってきたのだった。予想通り、銀二は省吾へ忌々しげなガン付けをしてきたが、お嬢様の頼みとあっては断れないのか、渋々と運転を請け負ってくれた。

 そして、今は繁華街のどこかで時間を潰している事だろう。

 邪魔者が居なくなってから、二人はすぐにクレープ屋に足を運んだ。

 学生達の間でも有名な店で、クラスメイトの女子からその話を聞いた鈴音さんは常々羨ましく思っていたらしい。

「美味しいです」

「そうだね。俺も初めて食べるけど、こりゃ旨いよ」

 実の所、省吾もクレープなんぞ食べたのは初めてで、味なんか知ったこっちゃない。だけれど、鈴音さんの隣で食べる物なら何でも旨くなるだろうと思っていた。

「あ、口にクリーム付いてるよ」

 鈴音さんが食べているのは、スタンダードなカスタード・クレープだった。

 こうしたものを食べ慣れていないのか、上に乗っているカスタードクリームを零しそうになっては慌てて口に運び、口の端にクリームをくっ付けていた。

 それに気がついた省吾は、ひょい、と掬って指の腹についたクリームを舐め取った。

「あ……ぅ……っ」

「? あ、ご、ごめん!」

 なんて一幕がありつつも。

 二人は放課後のデートを満喫していた。

 流行のファッションが飾られた服屋のウィンドウを覗き、ペットショップを冷やかし半分に足を踏み入れると鈴音さんが猫に夢中になって動けなくなったり、逆にゲームセンターに釘付けになった省吾を鈴音さんが引っ張っていったり――。

 気がついた時には、既に日が沈もうとしていた。


 遊び疲れた二人は、繁華街の外れにある公園のベンチに腰を下ろしながら、銀二の迎えを待っていた。

「ふぅ……」

「大丈夫? ごめんね、色んな所に連れ回して」

 最初は小一時間も過ごせれば良いだろうと思っていたのに、気がつけばこんな時間だ。 少し調子に乗りすぎた、と省吾は反省していた。

「いえ、大丈夫です。私も、うっかり時間を忘れてしまいました」

「そ、そう?」

「はい。……恥ずかしい事ですけれど、今まで親しく接して頂ける友人は居なかったものですから」

 鈴音さんは悲しそうに、消え入るような声で呟いた。

 初めて聞く、彼女の弱音。

 そりゃ、そうだろう。誰だって、ヤ○ザの家族と仲良くしようなんて思わない。

 思い返せば、クラスの中でも男女に限らず、彼女と親しい人物は居なかった。

 君子危うきに近寄らず。必要以上に近づく事も、害する事もせず、適当に接しつつも基本的には無関心を装う。

 つまり、彼女はまるで腫れ物のように扱われていたのだ。

 それはどんなに寂しい事だっただろう? そして、こうして遊びに誘われた時、どんなに嬉しかったのだろう?

 同時に、俺は気がついてしまった。

 彼女は友達が欲しかっただけで、俺が好きな訳じゃなかったんだ、と。

 そりゃ、そうだよな。ああ、そりゃそうだ。突然現れたような、どこの馬の骨とも分からないような男を好きになる訳が無い。

 何だか、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような、おかしな気分だった。

「だから、今日は本当に楽しい時間が過ごせました。ありがとうございます」

「あはは……。どう致しまして。そうだ、これ、飲んでよ」

 省吾は力なく、すぐ傍の自販機で買ってきたホットココアを差し出した。

 まだ春先、夜風は冷たく、彼女が風邪でも引いたら大変だと、省吾なりに気を使ったのだ。

「ありがとうございます」

 鈴音さんはそれを受け取り、一口飲んで――気がついた。

「あら、皆川さんの分は……?」

「あ、俺は寒くないから、気にしないで」

 省吾の小遣いは少ない。既に良縁神社の賽銭で殆どが消え、今日のデートがトドメとなり、財布は素寒貧になっていた。

 最後に残ったバス代を叩いて買えたのは一本分で、残りは十円玉が数枚だ。

 ま、楽しかったから良いか……と省吾は自分を慰めた。

「ダメです! そんな、私だけ受け取れませんわ」

「良いって、たいした金額じゃないし、飲んでよ」

 鈴音さんは眉目を潜めてどうしようか悩んだが、やがて名案が浮かんだと言うように手を叩いた。

「それなら、半分こしましょう? それなら、二人とも温まれますわ」

 な、なんですとー?! そそそそんな恋人っぽい事できるわけないじゃないですかー! だだだだってほらそれってかかかかか……。

 間接キス。

 その背徳的な行為を想像して、省吾の頬が林檎のように真っ赤に染まった。

「ほら、やっぱり寒いのでしょう? ご無理なさらず、一緒に飲みましょう、ね?」

 省吾の様子を勘違いしたのか、鈴音さんがホットココアを差し出す。

 据え膳食わねば男の恥。

 いやしかし待て、彼女は俺にそうした関係を求めている訳じゃない。単に友達ってだけならこれを受け取るのは逆に失礼なんじゃないのか?

「はい、どうぞ」

 省吾が迷っている間に、鈴音さんは強引にホットココアを握らせ――。

――その時である。

 二人の元に、幾人もの男達が現れたのは。


 †―六―†

 

 省吾と鈴音さんの前に現れた幾人もの男達。

 彼らは一様に、鋼のような肉体を黒のスーツで包み、金のバッジを胸に付けていた。そして、懐には歪な膨らみがあり硬そうな何かを潜ませているのが伺える。

 省吾は逸早く彼らに気がつき、身構えた。

 最初は鈴音さんのご実家の方かとも思ったが、彼女が怯えて背中に隠れたのだ。

「な、なんだよ、アンタ達は!」

 と省吾が問いかけるも、男達はそれを無視し、無言で歩み寄ってくる。

「たぶん……瀬戸組の構成員ですわ」

 代わりに、鈴音さんが答えた。

「瀬戸組って? 鈴音さんの家の、商売敵とか?」

「はい。シマ……ごめんなさい。この繁華街一帯を争って、喧嘩をしているんです」

 喧嘩、とは彼女なりにオブラートに包んだ表現なのだろうが、その意味する所は省吾も分かった。ヤ○ザ同士の抗争がどのようなものかは、何となく理解できる。

 果たして、自分はどうなるのだろう? 

 恐怖で足が竦む。がくがくと震えて、立っているのも辛かった。

「おやおや、これはこれは、鈴音組のお嬢さんじゃありませんか」

 黒服の男達の背後から、野太い声が響いた。

 次の瞬間、男達の壁がザッと別れる。

 そして、その奥から一人の男性が現れた。

 三十代くらいだろうか? 鼻の下から左右へピンと張ったヒゲが印象的な男だ。煌々とギラつく瞳は気色が悪く、また口元には下卑た薄笑いを浮かべていた。

 名を呼ばれた鈴音さんは身を強張らせている。

「お忘れですか? 瀬戸組の組長、譲二ですよ。こんなところで会えるとは、今日は良い日ですね」

「な、なんの御用ですか?」

 鈴音さんは震える声で問いかけた。

「貴女に、ちょっとしたお願い事がありましてね。貴女のお父様を説得して欲しいのです。私達との仕事の相談に応じてくれるように、と」

 そう言って、譲二と名乗った男性は一歩ずつこちらへ近づいてくる。

 それに合わせ、黒服の男達が省吾と鈴音さんを取り囲んだ。

「し、仕事の話でしたら、お父様に直接……っ」

「そうも行かないのですよ。貴女のお父様の頑固さ加減には、私達もうんざりしていましてね。こうでもしないと、話も聞いていただけない」

 譲二が鈴音さんの腕を掴み挙げようと手を伸ばす。

 省吾は、反射的のその手を叩き落とした。

「やめろよ! 鈴音さんに、さ、触るんじゃねえ!」

「ちっ……。なんですか、貴方は」

「鈴音さんの友達だよ。ヤ○ザか何だか知らないけどさ! 大人の喧嘩に子供を巻き込むなよ!」

「はぁ、トモダチ、ねぇ……」

 譲二はしげしげと省吾を眺め、呆れたように溜息をつくと――。

「このクソガキがっ! 大人の話に口を突っ込むんじゃねぇ!」

 省吾の腹を殴り飛ばした。その小さな体がボールのように弾み、地面を転がる。

 内臓を傷つけられ、胃の中から内容物を吐き出す省吾へ向けてツバを吐き捨て、殴った拳をハンカチで拭いながら譲二は部下に命じた。

「邪魔だから、そのゴミどっかに捨てておけ。あー、汚らわしい」

 すぐに数人の部下がその命令を実行し、省吾をどこかへ運んでいった。

 鈴音さんは省吾に駆け寄ろうとするも、残った黒服の男達に肩を掴まれて動けない。

「嫌っ、皆川さん! しっかりして下さい! 離して、皆川さんが死んじゃう!」

「心配せずとも、あれくらいじゃ死にはしませんよ。まぁ、それも貴女の行い次第ですがね。それで、どうです? どうするか決めて頂けましたか?」

「そ、それは……っ」

「あー、残念だなー。ついてきてくれませんかー。それじゃ仕方ないなー。大人にオイタしちゃった悪い子には色々と社会のルールって奴を知ってもらわなきゃなりませんねぇ。心が痛むな、いやほんと。これでも子供好きなんですよ」

 譲二は、いけしゃあしゃあと思ってもいない事を口に出す。

 その全てを真に受けた訳ではないのだろうが、鈴音さんは一瞬だけ省吾を見つめ――。

「さよなら、省吾さん」

 と呟いた。

 やがて鈴音さんを連れた一団は公園から去った。

 残されたのは、雑木林の中に放り捨てられた省吾だけだった。


 省吾が次に目覚めたのは、見覚えのある車の中だった。

 ソファーのように柔らかい座席。窓の外では住宅街の景色が流れている。

「起きましたか、皆川の坊ちゃん」

 運転していたのは、銀二さんだった。

 恐らく、彼が助けてくれたのだろう。いや、それよりも――。

「ごめんなさい! 鈴音さんが、悪い奴らに……っ」

 怒られる、と思って反射的に頭を下げた。最悪、殺されるかもしれないとも考えた。

 しかし、省吾の予想に反して、銀二は穏やかな声で、淡々と告げた。

「頭を上げてくだせぇ。迎えが遅れたあっしのせいでもあります。恥ずかしい話ですが、瀬戸組の奴らに足止めされましてね。奴ら、最初っからお嬢を誘拐しようと企んでいたんでしょうよ」

「い、いや、でも! 何も知らずに繁華街に誘ったのは、俺です。本当に、あの……」

「お嬢の頼みとは言え、それを許可したのもあっしですよ」

 そう言って、銀二は省吾を責めもせず、運転を続ける。その腕には包帯が巻かれており、痛々しくも血が滲んでいた。

「あっしは、お嬢の世話役でした。小さい頃から面倒見てきたもんです。あっしが言うのも何ですが、良い娘さんでしたよ。我侭一つ言わず、親の言う事には何でも聞く」

 銀二はタバコを取り出すと火を点け、一服しながら遠くを見た。

「そのお嬢が、初めて我侭を言ったんです。『友達が出来たから、一緒に遊びに行きたい』と」

 銀二の横顔を、一筋の雫が伝った。

「ヤ○ザなんて世間様から見ればロクデナシだ。その家族だって、避けられて当然でやしょう。随分と寂しい想いを抱えてなさったはず。それを知りながら、どうして断れやしょうか」

 省吾は、初めて銀二の事を勘違いしていた事に気がついた。

 ヤ○ザだって人間だ。化け物のように怖がられているが、感情も人間味も抱えているのだ、と。

 やがて、黒塗りの高級車は省吾の家の前までやってきた。

 銀二は運転席を降りると、恭しく後部座席の扉を開けた。

 そして、深々と一礼する。

「皆川の坊ちゃん。お嬢と学校で会ったら、また仲良くしてあげてくだせぇ」

 ただの中学生に、ここまで礼を尽くす大人がいるだろうか。

 省吾は衝撃を受けながらも、尋ねた。

「鈴音さんを助けに行くんですか?」

「そのつもりです」

 省吾は意を決して言った。

「お、俺も連れて行って下さい」

「ダメです」

 だが、あっさりと断られる。

「ここから先は、あっしらの世界です。カタギの、それも子供が踏み込む世界じゃありやせん。どうか大人しく、待っていて下さい」

 断固として有無を言わせぬ迫力。

 それに気圧されて動けぬ省吾を担ぎ下ろすと、銀二は再び車に乗り込み、あっという間に去って行った。


 †―七―†


 省吾が家に入ると、居間に灯かりがついていた。

 両親は、今日は居ないはず。だとしたら、誰が……?

 恐る恐るドアを開ける。

 そこには、食卓一杯に料理を並べた、大国天がいた。

「出てけ! ここは俺の家だぞ! 勝手に飯食ってんじゃねぇ!」

「偉そうな口を利くんじゃないよ。娘っ子ひとり守れない小僧っ子が」

「なにぃ! って何で知ってんだ?!」

「私が神様だからよ!」

 胸を張って断言する。

 確かに、説得力はあった。

「で、いじけてのこのこ帰ってきたってわけ? それでもアンタ、男かよ! えぇ!」

「……鈴音さんが、さよならって言ったんだ」

「バーカ、アンタを助ける為に脅かされてやったに決まってるじゃないか」

「良く分かるねぇ、大国天様」

「伊達に神様をウン千年やってるんじゃないわ。泣かせるじゃないの、男を助ける為のつれない仕草。私の若い頃にそっくりだわ。ねぇ、因幡?」

 因幡はそっと目を逸らした。

 大国天は舌打ちをすると、省吾に向き直る。

「アンタ、あの変態男が、あの子を無事で返すと思ってるの?」

「それは……」

「あのいやらしい目、にやついた笑い、サディスティックな性根……間違いなく、酷い目に遭わされるでしょうね?」

「だからって……だからって! 俺にどうしろってんだよ!」

 暫しの沈黙。

「さあね。私の知ったこっちゃ無いわよ」

「それでも手前ぇ神様かよ! こういう時に助けてくれるんじゃないのか?」

「あまったれんじゃないよ! そういうことは自分の力でやるものよ!」

「そうさ。あぁ、そうさ! 俺がバカじゃなくて力があれば守ってあげられたんだ!」

 だが、それが無い。今の俺は、ただの中学生でしかない。

 銀二さんの言う通り、あっち側の世界に踏み込むべきではないのだ。

「もう、諦めちゃっても良いんじゃない? 君は良くやったと思うよ。でも、やっぱり住む世界が違うんじゃないかな?」

「お黙り! 私の美しい経歴に傷を付けさせるつもり?!」

 大国天と因幡が口論を始めた。

 だが、それを尻目に、省吾は自らの内面に沈み込んでいた。


 一目惚れした、初恋の彼女。

 今日一日、鈴音さんと付き合って、楽しかった。

 初めて彼女の内面に触れられた気がして、もっと彼女の事を知りたくて時間を重ねた。

 だけど、彼女はヤ○ザの娘で、それに振り回されて友達を作れず、そうした事情を知らずにのこのこと近づいてきた俺に縋ったのだと言う事も知った。

 当然だ。だからこそ、寂しい。

 俺は所詮、彼女の友達でしかないのだろうか?

 だとしたら、危険を冒してまで彼女に近づく必要なんて、無いんじゃないか?

 そうさ。きっと将来、彼女に似合った男性が現れるだろう。

 俺より強くて、俺より力があって、俺より彼女に相応しい。

 だったら、俺なんかが出しゃばる必要は無いさ。

 銀二さんの言うことを聞いて、大人しくしていれば――。


――さよなら、省吾さん。


 その時、省吾の脳裏を、鈴音さんの声が駆け抜けた。

 胸が締め付けられるような切ない響き。喉を掻き毟りたくなるような焦燥感。

 やめろ、やめてくれ! 聞きたくない、見たくない、思い出したくない。

 彼女との思い出が走馬灯のように次々と、鮮明に映しだされる。

 今日一日の事なのに、長い間積み重ねてきたような思いの丈が溢れ出して止まらない。

 笑った顔が、寂しそうな顔が、喜ぶ顔が……泣いた顔が。

「くそったれがぁぁぁぁぁぁぁあああああ!」

 激情の捌け口を求めて、省吾の拳が壁を殴った。

 拳が痛い。いや、それよりも心が張り裂けそうだった。

「勘違い? 自惚れ? 気の迷い? それがどうした!」

 突如として豹変した省吾を見て、因幡が飛び上がった。

「ヤ○ザの娘? 鈴音さんはそんなの望んじゃいねぇ!」

 再び殴られた壁にヒビが入る。ウレタンの構造材が飛び散った。

「家の都合で振り回されて!」

 省吾の拳の肉が裂け、鮮血が飛び散る。

「ろくに友達も作れなくて!」

 大国天に腕を押さえられても構わず殴り続ける。

「この後に及んで、利用されて!」

 省吾はやっと壁を殴る手を止めた。

 その瞳から、滂沱の涙が溢れ出し、床を濡らす。

「俺は、俺はぁぁああああ!」

 そして、叫んだ。

「そんな鈴音さんが、大好きだぁぁああああああ!」

 ずっと一緒にいたい! 他の奴に渡すなんて絶対に嫌だ! あんな糞○朗に指一本触れさせてなるものか!


 あれは、俺のもんだ!

 

 省吾は肩を上下させながら荒い息を吐き、振り返る。

 そこには、ニヤリと笑った大国天がいた。

 その肩には、心配そうな顔を浮かべた因幡が乗っている。

「腹は決まったみたいね?」

「ああ、俺は鈴音さんを助けに行くよ」

「省吾! ヤ○ザに目を付けられたら、二度とここへは帰れなくなるかもしれないよ?」

「それでもいい!」

「鈴音さんは、アンタが助けに来るのを望んでいないかもね? それに、銀二からは来るなって言われたはずよ?」

「そんなの関係ねぇ。俺が助けたいから助けるんだ」

「そう……それじゃ」

 大国天はどこからか箒を取り出し、その先を省吾に突きつけて言った。

「四十秒で支度しな! この大国天様が、アンタの恋を結んであげるわ!」


 †―八―†


 午後八時、繁華街――。

 雑多なビルが犇めき合い、看板や電飾のネオンが輝いている。

 二人と一匹は、その上空を飛んでいた。

「箒に乗って空を飛ぶのは、魔女じゃなかったか?」

「細かい事は良いのよ! っていうか、集中できないから話しかけないで!」

 箒を手繰っていた大国天が叫ぶ。

 慣れていないのか、その飛行はぎこちない。時たまあらぬ方向へと飛んで行きそうになったり、送電線に引っかかりそうになったりと、省吾はまるでジェットコースターに乗っているような気分だった。

「本当に飛んだことあるんだろうな!」

「ある訳ないでしょ! でも、魔女に出来るなら神様に出来ない訳無いじゃない!」

「初めてなのかよ! 試運転に他人を乗せるんじゃねぇ!」

 どうやら大国天は魔女より神様が優れていると証明したいが為に、空からの移動を選んだらしい。今更ではあるが、無茶苦茶な神様だ。

 だが、その神通力は確かなようで、ほんの数分の間で到着する事が出来た。

「で、鈴音さんはどこにいるんだ?」

 省吾が問いかけた。大国天が振り向いて驚く。

「はっ?! 私が知る訳ないでしょ? っていうか、それくらい調べておきなさいよ!」

「神様なんだろ! 千里眼とか無いのかよ!」

「そんな便利なものがあったら苦労はしないわよ! 言っておくけど、私が見れるのは契約者のアンタが見た物だけなんだからね!」

 ちっくしょう、肝心な時に役に立たねぇ神様だ。

 省吾はそう思うと同時に、勢いだけで飛び出してきた自分の無鉄砲さに腹が立った。

 せめて、瀬戸組の事務所の場所だけでも銀二さんから聞きだしておくべきだったのだ。

「省吾! あれ!」

 因幡が地上を指し示す。

 見れば、黒塗りの高級車の一団が、道路を一直線に走っていた。

 その先頭車には、見慣れた大男の顔があった。

「銀二さんだ!」

「凄い数ね。あれだけいれば、あの娘さんも助け出せるんじゃない?」

 車に乗り込んでいるのは、どれも臑に傷がありそうな男達だった。総勢で三、四十人ほどだろうか?

 鈴音組は、瀬戸組との全面戦争も辞さないつもりなのだろう。

「いや、ダメだ。それじゃ意味が無い」

 省吾が呟いた。

「はっ? 何でよ?」

 大国天が問う。

「それじゃ相手の思う壺だ。人質を取るような奴なんだぞ? 迎え撃つ準備を整えてるはずだ。それに、あれを見ろよ」

 省吾が指を指した先では、繁華街を取り囲むように警察車両が配置されていた。

「警察だって、ただ見てるだけじゃない。大勢逮捕者が出る事になる」

 そして、それは鈴音さんの望む所じゃない。

 何よりも、自分のせいで大勢の人が傷ついた、と言う事実は彼女を傷つける事になる。

 そうなれば、もう二度と日の当たる場所では彼女に会えなくなるんじゃないか?

 それは省吾の考えすぎかもしれないが、出来る事なら衝突を回避したかった。

「だったら、どうするつもり?」

「先回りする。何となく、事務所の場所が分かったんだ」


 省吾は、ある確信を持っていた。

 クレープ屋、ペットショップ、服屋、ゲームセンター、公園。

 瀬戸組あるいはその関係者は、そのいずれかで俺と鈴音さんの姿を見つけていたはずだ。その間に人数を集め、迎えに来る銀二さんを足止めし、俺達を襲撃した。

 つまり、これら商店から程近くに事務所があると見て良いだろう。商店ごとの位置関係は、ちょうど円を描くように点在している。

 次に、警察車両と、その位置関係だ。

 鈴音さんが誘拐されてから、まだ小一時間しか経っていない。

 だと言うのに、用意周到に配置されているのは何故か? 誰かが、いや譲二とか言うあの男が手回ししたとしか思えない。

 例えば、瀬戸組の事務所周辺で抗争が起きそうだとタレコミがあった、とか。そこら辺は詳しく分からないし考えすぎかもしれないが、無関係と言い切るには状況が出来すぎている。

 仮に、そうやって瀬戸組が警察を利用したとして、抗争があった場合に対応できるように現場から程近い場所に警察は待機するだろう。

 よく見れば、車両の密度は中心部にいくほど増している。

 最後に、銀二が率いる高級車の群れ。

 その進路は、ちょうど繁華街のド真ん中を目指していた。


「本当にここなの? さっきから似たようなビルしかないわよ!」

「文句言ってないで探せよ! ヤ○ザの事務所なら、看板くらいは出てるはずだ!」

 二人と一匹は、繁華街の中心、雑居ビルの群生地帯を飛び回っていた。

 夜のこの辺りは人気は少なく、殆ど灯かりもついていない。日陰者が潜むには最適に見えた。

「省吾! 省吾! あれ!」

 因幡が何かを見つけて指を差した。

 (株)瀬戸土建と書かれた大看板。三階建ての雑居ビルだ。

「ヤ○ザの事務所にしては、地味すぎじゃない?」

「だったら駅前にどーんとビル構えてた方がそれらしいか? さぁ、探すぞ!」

 もう時間が無い。一か八かだ。

 省吾の指示で、外から雑居ビルの窓を覗いて回る。

 幸いにして、大当たりだったようだ。

 室内では、血の気の多そうな大男達がうようよしている。彼らは、土建屋という職業に似つかわしくない黒服、コートの類を着込んで、黒光りする鉄の塊を握り締めていた。

「恐れ入ったわ。人間も中々やるわね」

「殆どバクチだったけどな。二度とやりたくないよ」

 一部屋ずつ見て回る。しかし、見つけられない。

 どこか窓の無い部屋にでも閉じ込められているのか? 建物の中に入って探すのは分が悪いな……。

 省吾がそう思った矢先、最上階の部屋の窓から顔を乗り出している少女の姿を発見した。

 鈴音さんだ。両手を縄で縛り上げられてながらも窓を押し開いて逃げようとしていた。

「鈴音さん!」

「み、皆川さん!?」

 鈴音さんが驚いて、尻餅をついた。

 無理も無い。今の省吾は、箒に乗って空を飛んでいるのだ。

「つ、疲れているのでしょうか。私、皆川さんの幻覚が見えていますわ……」

 目を白黒させながら、ぼうっと呟く。

 助けに来たのにこれじゃ格好がつかないし、なんだかなぁと……と、省吾は苦笑した。

「幻覚じゃないんだけどなぁ。まぁ、いいや。すぐに迎えに来るから、そこで待ってて」

 省吾はそれだけ伝えると、屋上に昇った。

「なんで屋上に上がるのよ? 窓から助け出せば良いじゃない」

「最近のビルの窓には、幼児の落下防止用のストッパーが付けられているんだ。俺の力じゃ無理だし、壊すと音が出るだろ?」

 鈴音さんはそれに気がつかず、懸命にこじ開けようとしていたのだ。

「で、屋上から進入……と。捕まらなきゃ良いけどね」

「うん。だから因幡に偵察してもらおうかなと」

 大国天も因幡も、他の人には姿が見えない。

 今回は、それを有効活用させてもらおうという訳だ。

「なるほど、分かったよ。それじゃあ、僕が見てくればいいんだね」

「おう、頼んだ。ついでに、この鍵を開けておいてくれ」

 省吾は屋上の扉をコンコンと叩いた。案の定、扉には鍵が掛かっているが、ここまでは想定内だ。

「え、どこから入ればいいの? 扉を通り抜けるなんて、無理だよ?」

「そこ」

 省吾は通風孔を指差し、因幡をむんずと掴み、放り込んだ。


 数分後、煤にまみれた因幡が屋上の扉を開けて戻ってきた。

 雪のように真っ白な美しい毛皮は黒く染まり、酷く汚れている。

「うぅ、酷いよぉ……折角、毎朝綺麗に毛づくろいしてるのに……」

「悪かったって。そう泣くなよ、後で好きなもの買ってあげるからさ」

「黒い因幡も悪くないわね。いっそ毛染めしちゃおうかしら」

 などと言いつつも、道は開けたので中へと進入する。

 ここからは、慎重に行かねばならない。

 二人と一匹は声を潜め、足音を殺して道を進んだ。曲がり角では因幡が先行し、先を見て回る。

 幸いにして、殆どの組員は一階にいるようだ。襲撃を警戒するなら当然ではあるが。

 いや、一人だけ居た。

「ふーんふ♪ ふーんふ♪ ふふふふふーん♪」

 廊下から、誰かの鼻歌が聞こえた。

 大きなダンボールの箱を両手で抱えていて顔はよく見えないが……左右からピンと伸びたヒゲが垣間見えた。

 間違いない、譲二だ。

 やけに上機嫌だが、あの箱には何が入っているのだろう。どうせロクでもないものには違いないが。

 譲二はこちらに気がつかず、鈴音さんの閉じ込められた部屋の鍵を開け、中へと入っていった。

 省吾は、そっと後ろをついて行き、扉に耳を当てる。

「ご機嫌は如何ですか、三琴ちゃん?」

「………」

 鈴音さんは答えない。

「やれやれ、ご機嫌は斜めなようだ。まぁ、すぐにその澄ました顔を悦ばせてあげますよ。ええ、私の腕によりを掛けて、ね!」

 そう言うと、譲二はダンボール箱の中から異様な物を取り出した。

 なんというか、そう、コケシのような形をしたピンク色の物体だ。根元にはスイッチがついており、譲二がそれをONにするとウィンウィンと先端が円運動を始める。

 凄く形容しがたい、危険な物体だった。鈴音さんも、それが何であるかは理解できなかったであろう。

 ただし、譲二が浮かべている気色の悪い表情から、嫌なものであることは容易に想像がついた。

「ち、近づかないで下さい。それ以上近寄ったら、舌を噛んで死にます」

「くーっ、良いねぇ、気の強い女性は。でも、だからこそ屈服させたいんですよ」

 譲二が襲い掛かった。

 鈴音さんを押し倒し、その片足を掴みながらピンク色の物体を構える。

「嫌ぁっ! 触らないで! 皆川さん、助けて下さい!」

「ひゃーっはっはっは、あのガキがこんなとこに来るわけないでしょ! 最近の子供は利口ですからね! 今頃は別の女でも捜して……」

 ゴツン。

 鈍い音が響き、譲二は白目を剥いて床に倒れた。口から泡を吹いて舌をはみ出せながら、手足をピクピクと震わせる。

「バカで悪かったなっ!」

 その背後では、消火栓を持った省吾が立っていた。

 消火栓の重量は約三十キロであるからして、振り下ろすだけでもかなりの威力が出る。その直撃を食らった譲二は、死んでいないだけマシと言えよう。

「ごめん、遅れた。怪我はない? 酷いとかされてないか?」

「ええ、大丈夫です。ありがとうございます!」

 省吾が鈴音さんに駆け寄り、その身体を縛る荒縄を解き、手を貸す。

 鈴音さんはその手を取って立ち上がる。二人は屋上へと駆け出そうとするも、鈴音さんが足を止めた。

「あの、ごめんなさい。私のせいで、皆川さんを危険に晒して……どうして助けに来てくれたんですか?」

 友達を見捨ててなんておけないよ。

 省吾は、無意識に口から飛び出そうになった言い訳を飲み込む。

 俺が求めてるのは、そういう関係じゃない。彼女はそれでも満足するだろうけど、ここは俺が踏み込まなきゃならないんだ。

「俺は、君の事が好きだ。君の為なら、命だって惜しくない」

 自分でも驚く程に、簡単に言えた。既に一度言っているからだろうか。思い返せば、大国天や因幡に宣言した時の方が恥ずかしかったかもしれない。

 そして、その二人は省吾の後ろでにやにやと笑っており――。

 鈴音さんは、泣きそうな目で、顔を耳まで真っ赤に染め、省吾に抱きついた。

 省吾は自然とその顔を近づけ、彼女の頬に手を添え、唇を――。

「いてぇじゃねえか! このクソガキがぁああああ!」

 譲二が飛び起きた。

 しまった、こんな事をしてる場合じゃなかった!

 省吾はすぐに鈴音さんの手を握り、部屋から飛び出す。譲二はまだ足元がふらついており、だが執念深く壁に寄りかかりながらも追ってきた。

「動くな! 動くと撃つぞ!」

「ヤ○ザが警察みたいな事言ってんじゃねーよ!」

 銃声。銃声。

 映画などで見るよりもずっと軽い音がして、省吾のすぐ傍の壁を撃ち抜いた。慌てて角を曲がる。屋上へと飛び出した。

「大国天、もう一度飛べるか!」

「あ、箒を置き忘れた」

「このボケ! どうやって逃げるつもりだったんだよ!」

 鈴音さんが頭の上にハテナマークを浮かべていたが、説明は後だ。今はどうにかして逃げる方法を考えなければならない。

 ビルは三階建て、屋上から地上までの高さは十メートル以上なので、普通の方法では降りられない。

 そして、省吾の目の前で扉が開いた。

「大人の足から逃げられると思ってんのか身の程知らずめ!」

 譲二が飛び出してきた。両手に拳銃を構えており、省吾と鈴音さんを見つけると、ニタリと笑って狙いを定めた。

「もう逃げ場はねぇ。遊びは終わりだ。大人しく女を渡せ」

「俺のもんだ。手前ェなんかに渡すもんか」

 銃を前にしても、省吾は一切怯える様子を見せない。

 いや、足が震えていた。

「随分と威勢が良いが、強がってるのが丸分かりだぜぇ?」

 その言葉通り、省吾も内心では今すぐ土下座でも何でもして逃げ出したい気分だったが、彼にも男としての意地があった。

「ただの武者震いさ。ほら、かかってこいよ! 男なら銃なんて捨てて拳でかかってこい! ぼっこぼこにしてやんよ!」

「あぁ、そうかい。じゃ、遠慮なく」

 譲二は勢い良く踏み込むと、省吾の頬に右ストレートを叩き込んだ。その小さな身体が宙をクルクルと回転して、屋上の物置にぶつかり、床に倒れ伏す。

 壊れた扉が省吾の上に圧し掛かり、納まっていた掃除道具が雪崩のように積もり、省吾を埋める。

「あ、あっけねぇ。てっきり空手でもやってるのかと思ったら、口ほどにも無いじゃないの。こりゃ詰まらんわ」

 譲二が呆れ、溜息を吐く。

 省吾だって、何も大の大人と喧嘩して勝てるとは毛頭思っていない。ただの時間稼ぎだった。

 ガラクタに塗れながらも、何か打開策は無いかと思考を巡らす。

 しかし……見つからなかった。

 万事休す、か。

 諦めかけたその瞬間、あるものが目に入った。

 まだだ、まだ終わってない。

「……して……を……」

「なーにブツブツ呟いてやがる! ついに頭がイカレたか?」

 譲二が再び拳銃を握った。今度こそ、省吾にトドメをさす気だ。

 その間に、鈴音さんが飛び出した。

「待ってください!」

「三琴ちゃんね、邪魔しちゃいけないよ。おじさんも時間が無いんだ、もうすぐ君のお父さんと大切な話をしなきゃならないし、そのゴミも片付けなきゃならない。両方やらなきゃいけないおじさんの身にもなってよ。ほら、どいたどいた」

 だが、鈴音さんは動こうとしなかった。

 このままだと、鈴音さんまで撃たれそうだ。

 省吾は痛んだ身体を起こすと、彼女の肩にそっと手を置いた。

 その横顔は、覚悟を決めた男の顔をしていた。

「皆川さん……」

「三分間、時間をくれ。最後に、彼女と話がしたい」

 譲二は面倒くさそうに、しかしその要求を呑めば鈴音さんも言うことを聞くだろうと思ったのか、あるいはもっとサディスティックな理由によるものかは分からないが、一瞬だけ思案し、頷いた。

「ま、良いでしょ。三分間だけ待ってあげます」

 そう言って腕時計を確かめ、拳銃の弾込めを始める。

 それを横目で確かめながら、省吾は鈴音さんを見た。

 彼女は心配そうな、泣きそうな顔をしていた。

「最後の別れなんて、嫌です……」

「そんなんじゃないさ。いいかい? あいつは油断している。これから、俺の言うとおりにして欲しい。きっと大丈夫だから」


 そして、三分が経った。


「小便は済ませたか? 神様へのお祈りは? 地獄に落ちて閻魔様の前でガタガタ震える準備はOK?」

 今度こそ自分の勝利を確認したのか、笑みを浮かべる譲二。

「はい」

「ああ」

 泣き叫ぶかと思っていたが、三琴ちゃんも、その友人だと言う小僧も、毅然としていた。銃口を突きつけられていると言うのに、全くもって気に食わない態度だ。

 まぁ、小僧が死ねば三琴ちゃんは悲鳴を上げ、さらには自分に従順な女になってくれるだろう。その後は彼女を人質にして鈴音組を潰し、組長夫妻を抹殺し、彼女を自分の物にする。既に警察などにも手回しは終えてあるし、何も心配は無い。

 晴れて邪魔者が居なくなった後は、二人で愉しい一時を過ごすのだ。

「それでは、死ねぇ!」

 今まさに引き金を引こうとした瞬間である。

 何を思ったのか、二人は手を繋ぎながら、屋上から飛び降りた。

 しまった! 小僧の方はともかくとして三琴ちゃんに死なれたら意味が無い!

 譲二は慌てて屋上の端に駆け寄った。しかし、もう遅いだろう。転落防止用の柵をつけておくべきだったと後悔した。

 それでも、恐らくは真っ赤なピザになっているであろう死体を確認する為に、屋上かあら身を乗り出す。

 そこには、信じられない光景が浮かんでいた。

 古ぼけたデッキブラシ。

 それに跨り、二人は空を飛んでいたのだ。

「バ、バカな……?!」

 唖然。呆然。譲二は、驚愕の余りに空いた口が塞がらなかった。

 その間にもデッキブラシは舞い上がり、譲二の頭上を飛び越える。

「これで幕引きだ! 悪者ごっこは夢の中でやるんだな!」

 ガツン。

 省吾が放り投げた大きな業務用洗剤の缶が、譲二の頭に直撃した。その衝撃は凄まじく、老朽化していた缶の止め具が外れ、洗剤をばら撒いた。

 譲二は悲鳴も挙げず、倒れ伏す。

 一日に二度も脳天を殴られたのだ。もう起きては来れないだろう。

 ようやく一安心して、省吾は息を吐いた。

「デッキブラシでも空は飛べるのね。ちょっと乗り心地悪いけど」

 歓心したように、大国天がしげしげとデッキブラシを眺めた。

 省吾はそれを眺めながら、上手く行って良かったと心底思う。

 正直、本当に運が良かった。

 溢れ出した掃除用具箱の中から古ぼけたデッキブラシを発見出来た事は、運以外では説明が出来ない。これも大国天のご利益なのかと疑ったくらいだ。

 後はどさくさに紛れて大国天がデッキブラシをちょろまかし、隙を伺って逃げ出せば良かった。

「そういえば、業務用洗剤って、何だよあれ。あんなの指示してないぞ」

 大国天が小鼻を鳴らして、得意げな顔を浮かべた。

「だって、やられっ放しは悔しいじゃない? せめて一矢報いてやらないと、私の気が済まなかったのよ」

 やれやれだ。だが、そのお陰ですっきりはした、か。

「もう無茶しすぎだよ? 僕は何度心臓が止まりそうになったか……こんな危ない事、二度としちゃダメだからね?」

 因幡が涙目で声を荒げる。

「悪かったよ。俺だって、何度もしたい経験じゃないさ」

 ああ、本当に心の底からそう思う。

 何せ、鈴音さんが隙を作ってくれなかったら、死んでたかもしれないからな。

 あの時、俺を庇って飛び込んできてくれた彼女。

 普段は気弱そうに見えて、ここぞと言うときは芯が強いんだなと惚れ直していた。

「あの、先ほどから、どなたと話しているんですか?」

 鈴音さんは不安げな顔で問いかける。

「あ、ああ。えーっと」

 なんと説明すれば良いのだろう? 何と説明しても頭が可笑しくなったと思われるのがオチだ。ここは、まぁ、正直に打ち明けるか。

「縁結びの神様、かな」

「神様、ですか? 神社の?」

「うん。俺に勇気をくれたんだ」

 誤魔化されたと思ったのか、鈴音さんは困ったような顔をする。

 ま、無理もないか。

「そういえば、まだ返事を聞いてなかったけれど、聞かせて貰えないかな?」

「え、えっと、何が、でしょうか……」

 予想はついているのだろうが、鈴音さんは顔を真っ赤にして顔を背けた。

 ま、これも無理はないわな。

 少々残念に思いながらも、苦笑を浮かべて、俺は前を向いた。

 眼下では、瀬戸組の事務所の周りを固める高級車の群れがある。

 早い所、彼女を救出した事を伝えないと大変な事になりそうだ。

「私も…です……」

 急降下を始めたせいで、鈴音さんの声が風の音に掻き消された。

「え、何? 聞こえないよ!」

「も、もう! 知りません!」

 一体、鈴音さんは何を言おうとしていたのだろうか?

 大事な事な気がするが……まぁ、また今度で良いかと諦める。

 何せ、俺達にはまだまだ時間があるのだから。


 †―九―†


 拝啓、大国天様へ 皆川省吾。

 実ってしまった恋物語ほど味気ないものは無い。

 だから、簡潔にまとめようかと思う。


 あの後、俺と鈴音さんは、瀬戸組の事務所の前で対峙する鈴音組の人達の前に降り立ち、彼女の無事を伝えた。

 瀬戸組も頭が倒され、目の前に鈴音組が揃っている状態では手が出せず、両者の前面戦争は未然に防がれた、と言える。


 問題はその後……。

 俺は鈴音組の人達に連れられ、彼女の家を訪れ、歓迎されたり、或いは彼女との関係を問い質されたり……まぁ、色々あった。

 鈴音の人達からの心象は悪くなく、大方の人はお嬢様の友人と認識し、受け入れてくれたようだ。

 ただ一人、彼女の父親にして鈴音組の組長さんだけは、めっちゃ睨んでいたけれど。


 銀二さん。

 ヤ○ザだから怖い所もまあある。実際、悪い事もやってるんだろう。

 でも、彼女の父親を前にして怯えていた俺を励まし、フォローしてくれた。

 複雑な心境ではあるが、俺と彼女の関係は認めてくれているらしい。

 三琴の誘拐に関しては救出と合わせて不問にされ、今日も元気に彼女の世話役をやっている。

 最近、三琴のクラスメートに告白されたとか何とか、俺に相談してきたが、まあそれはまた別の話だな。


 瀬戸組。

 瀬戸組については、消滅してしまったらしい。

 しかし、誘拐事件の失敗、その原因が中学生に出し抜かれたことなどが裏社会に知れ渡り、表では警察との癒着や未成年への性犯罪などが明らかになり、組員が激減。

 組長は檻に放り込まれ、軽く十年は臭い飯を食う事になるだろう。

 まぁ、自業自得だよな。


 鈴音 三琴。

 彼女との関係についても、見直す必要があった。

 友達というには近づきすぎ、恋人と言うにはちょっと遠い。

 だけど、俺はそんな微妙な距離でも満足している。

 今はこれで良いだろう。何時かはもっと近づくつもりだし、その時にはまた困難が立ち塞がるのだろうが、あの事件を乗り越えた後なら何が来ても大丈夫だろうと達観気味。

 それから、これはあの事件が切っ掛けかどうか分からないが……。

 鈴音さんが、ちょっとだけ前向きになった。

 自分から率先して周りに話しかけるようになったし、何人かは友人と呼べる人も出来、学校生活を楽しく過ごしているようだ。

 大変良い事だと思う。

 だけど心配だ。俺より良い男を見つけて、そっちに行っちゃうんじゃないか?

 前にその不安を打ち明けたら、「私は、そんな尻軽じゃありませんよ」と言って頬にキスしてくれた。

 すまん、これじゃただの惚気だな。


 まぁ、なんだ。

 俺達は楽しくやってる。

 その切っ掛けをくれたアンタに、改めて礼が言いたい。

 ありがとう、大国天様。

 そして、これからも頑張ってください。


 †―十―†


 良縁神社の本堂にて――。

 因幡は、指先を器用に使って手紙を読みあげていた。

「だってさ。良かったね、幸せそうで……って、大国様、ボクの話を聞いてる?」

「ふぁによ、いふぉがしいふぁら、ふぁなしかふぇないで」

 大国様はと言えば。

 皆川・鈴音の両名義で送られた山ほどの羊羹の羊羹をこれでもかと言うように頬張っていた。口からボロボロと零れ落ちる食べかすが、神聖な本堂の床を汚す。

「ああ、もう、はしたない。神様なんだから、もうちょっとお淑やかにしようよ」

 因幡の叱責も何のその。

 気にせずに食べ終えると、懐から糸楊枝(小林製薬製)を取り出し、その場で歯間を掃除し始める。

「べーつにいーじゃなーい。どうせ誰も見てないわよ。一仕事終えた後なんだからゆっくりさせなさいよ! それから、私はリア充なんか爆発すれば良いと思ってるから」

「ダメでしょ?! 縁結びの神様としてそれじゃダメでしょ?!」

「ならば今すぐ私に恋人を授けてみなさいよ! 私だって恋人欲しいのよ!」

「その性格を直せば見つかると思うけどな……」

「やかましいわ!」

 大国天と因幡の騒々しい掛け合いが本堂に響き渡る。

 今日も良縁神社は平和であった。

 そう、その瞬間までは――。


 どどどどどどどど……。

 地響きのような音が聞こえる。

「な、なによ、これ!? 地震!? 皇大神宮の賽銭盗んだのが天照大神様にバレたとか?!」

「たぶん違うと思うけどって何やってんのさ! この罰当たり!」

「梅昆布茶を買う金が無かったのよ! 仕方ないでしょ!」

 次の瞬間、本堂の扉を打ち破って、恐ろしい数の参拝客が突入してきた。

 彼らは口々に誰々との縁を結んでくれだの、どこそこのアイドルと付き合いたいだの、燃えるような恋がしたいだのと言って賽銭を投げ入れる。

 それはまるで石飛礫のように大国天や因幡に降り注ぎ、二人はパニックを起こして逃げ惑った。

「何よこれぇぇぇええええ?!」

「そ、そういえば、手紙に追伸が書いていたような……」

 因幡が読み上げる。


 PS.お礼に、良縁神社の紹介を、俺達の話を添えてネットに投稿しておきました。賽銭が増えれば、羊羹も自分で買えるようになるだろ?


「よ、よよよよ」

 大国天が身体を震わせ――叫んだ。

「余計な事しやがってぇぇぇぇぇえええええ!」

 

 こうして良縁神社は繁盛することになるが、それはまた別の話。


(完)

 どうも、荒ポンです。

 まずは、ここまで読んでくださった皆様に感謝を。

 大変多くの方に見て頂けて本当に嬉しく思っております。

 最後までお付き合い頂き、有難う御座いました。


 そして、長編の執筆に悩んだ私に『まずは一本、短編で良いから書いてみろ』と言った友人諸氏にもこの場を借りて感謝します。

 貴方達のお陰で、一本書き上げる事が出来ました。ありがとう。


 この作品は、ここまでとなります。

 短い間でしたが、また何時の日か、次の作品でお目に掛かれればと思っております。

 それでは。

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