第1話 探索者登録の日
二〇二六年。
日本を襲った大地震は、それまでの常識を根底から覆す出来事の始まりとなった。
激しい揺れが収まった後、東京・新宿駅の東側で奇妙な空間が発見されたのである。
それは、地震によって生じた亀裂でも、地下に埋もれていた建造物でもなかった。
外から確認できる構造と、内部に広がる空間が一致しない。
既知の物理法則では説明できない場所。
後に世界初の『ダンジョン』と呼ばれる、未知の領域だった。
異変はそれだけでは終わらない。
ダンジョンに接近した人々の前に、突如として半透明の文字が浮かび上がった。
そこには名前やレベル、身体能力を示す数値などが表示されていた。
当初は集団幻覚や新手の映像技術が疑われた。しかし、その表示は本人にしか見えず、当時の技術では説明のつかないものだった。
そして、ダンジョン内部で確認されたのは、人類がそれまで目にしたことのない生物だった。
いわゆるモンスターである。
モンスターを倒すことでレベルが上昇し、戦闘後には不可思議な素材や道具が残されることもあった。
常識では考えられない現象の数々。
だが、それらが実在する以上、人類は新たな現実として受け入れるしかなかった。
探索と研究が進むなか、ついに新宿のダンジョンは攻略され、その最深部で特殊な物体が発見される。
現在では『コア』と呼ばれるものだ。
コアには、接触した人間の能力や適性を解析し、その人物に適した『クラス』を与える機能があった。
クラスとは、探索者が持つ能力の方向性を示すものだ。
剣を扱うことに適した者もいれば、魔法を得意とする者もいる。珍しいクラスが与えられる場合もあるが、それが必ずしも強力であるとは限らない。
重要なのは、その能力をどう育て、使いこなすかだった。
やがて、ダンジョンを取り巻くシステムに大きな変化が起こる。
それまで自然に発現していたシステムウィンドウが、新たな人間には表示されなくなり、コアへの接触が必要となったのだ。
この変化を受け、攻略済みの新宿ダンジョンは大規模に改修された。
探索者の登録と育成、そして能力を持つ人々の管理を担う施設へ。
現在の新宿探索者本部である。
そして、ダンジョンの発見からおよそ二十年。
探索者という職業は、危険を伴いながらも、社会に欠かせない存在となっていた。
「――というのが、現在の探索者制度が成立するまでの大まかな流れだ」
教師の声が教室に響いた。
黒板の前に立つ教師が、手元の資料を置く。
「ここまでは授業でも扱っているから、知っている内容がほとんどだと思う。今日は歴史の試験じゃないからな。これから実際に登録を受けるお前たちに、改めて確認してもらいたかっただけだ」
俺――凪雲朔は、机の上に置かれた案内資料へ視線を落とした。
今日、ここに集まっているのは、卒業後に探索者になることを希望した高校三年生たちだ。
人数は十人ほど。
全員、学校を通して事前に登録を申し込んでいる。
そして今日、俺たちは新宿探索者本部へ向かい、コアによる覚醒を受ける。
つまり、いよいよ俺にもクラスが与えられるわけだ。
そう考えると、どうしても頬が緩む。
ずっと目指してきた探索者。
その第一歩を、ようやく踏み出せる。
「まず、今日の登録で正式な探索者ライセンスが発行されるわけじゃない。申請が済んだら仮ライセンスが渡される。正式なものは後日、本部で交換することになるから、なくさないように」
教師は資料を一枚めくった。
「仮ライセンスがあれば、指定された訓練施設や新人向けの講習を利用できる。ただし、ダンジョンの探索はできない。実際に探索活動を始められるのは卒業後、正式ライセンスを受け取ってからだ」
俺も案内に目を通す。
訓練施設。新人講習。正式ライセンスの交付。
登録を済ませても、すぐにダンジョンへ飛び込めるわけではない。
まあ、俺としても、ろくな準備をせずに初探索へ向かうつもりはなかった。
「もう一つ。クラスが決まっても、それだけで何ができるかを判断するなよ。適性があることと、実際に使いこなせることは別だ。装備の扱いも、危険への対処も、必要なことはきちんと学ぶように」
教師の言葉に、小さく頷く。
探索者は稼げる。
うまく成功すれば、億単位の資産を築くことだって夢ではない。
実際にそうした成功者がいるからこそ、危険な職業にも志望者が集まるのだ。
俺も、その一人だった。
金は欲しい。
できることなら、思い切り稼ぎたい。
だが、金を稼ぐことと命を無駄にすることは別だ。
第一世代の探索者だった祖父は、怪我によって現役を退いている。
日常生活には大きな支障がなくても、ダンジョンで戦い続けることは難しい。
そんな祖父から学んだのは、探索では生きて帰ることを何より優先する、という考え方だった。
どれほど貴重なものを見つけても、持ち帰れなければ意味がない。
俺は稼ぐために探索者になりたいのであって、命を賭けること自体が目的ではないのだ。
「それじゃあ、今日の手順をもう一度確認しておくぞ」
教師の説明は、歴史から実際の登録手続きへ移った。
覚醒。
クラスの付与。
登録申請。
仮ライセンスの受け取り。
俺の目は、どうしても最初の二つに留まってしまう。
いったい、どんなクラスが与えられるのだろうか。
今はまだ、想像することしかできなかった。
*
貸切バスが新宿駅へ近づくと、車窓の向こうに大きな建造物が見えてきた。
新宿探索者本部。
かつて世界初のダンジョンが存在した場所は、今では巨大な施設へと姿を変えていた。
駅の東側に広がる本部施設は、一部が現在の駅とも接続されている。
地震の後に未知の空間が現れ、多くの人間がその内部へ踏み込んでいった場所。
授業では何度も聞いてきた歴史だが、実際に目の前にすると印象が違う。
「でかいな……」
思わず声が漏れた。
探索者の登録だけではない。
全国のダンジョンに関する管理業務や探索者の育成、各種訓練施設など、ここには多くの機能が集まっている。
今となってはダンジョンも探索者も珍しくないが、それでも新宿本部には特別な意味がある。
すべてが始まった場所。
その場所に、今度は俺が探索者になるためにやって来た。
バスが到着すると、俺たちは教師の引率で本部へ入った。
受付では、教師が学校名と団体予約について確認している。
手続きは滞りなく進み、職員の案内で地下へ向かうことになった。
地上の施設は現代的な建物そのものだったが、地下へ降りていくにつれて、意識は自然と目的のものへ向かっていった。
コア。
今から、それに触れる。
探索者について調べるたびに目にしてきた言葉だ。
だが、実物を見るのは初めてだった。
案内された先は、覚醒を待つ人のための待機室だった。
職員から簡単な説明があり、覚醒は一人ずつ行うことになっていると告げられる。
コアのある部屋には、本人と担当職員だけが入る。
ほかの生徒たちと教師は、この待機室で順番を待つという。
クラスや初期スキルなどは個人の能力に関わる情報だ。こうした対応になっているのも、考えてみれば当然だった。
一人が呼ばれ、しばらくすると戻ってくる。
続いて、別の生徒が案内されていった。
俺は落ち着かない気持ちを抑えながら、自分の番を待った。
いくら授業で仕組みを教わっていても、実際に覚醒するとなれば話は別だ。
そもそも、自分の適性なんて分からない。
体を動かすことには自信があるし、勉強だってそれなりにやってきた。
だが、それがクラスにどう影響するのかは別問題だ。
どんなクラスになるかは、触れてみるまで分からない。
よく知られたクラスなら情報も多い。珍しいクラスなら、手探りになることもあるだろう。
まあ、どちらにせよ、与えられたものを使いこなすだけだ。
「凪雲朔さん」
「はい!」
名前を呼ばれ、反射的に返事をした。
思ったより声が大きくなった気がしたが、気にしている場合ではない。
ついに、俺の番だ。
*
覚醒室へ入った瞬間、視線が部屋の中央へ吸い寄せられた。
そこに、コアがあった。
最初に感じたのは、奇妙な存在感だった。
周囲には観測用と思われる装置が接続され、複数の画面に測定情報が表示されている。
明らかに人間が作った近代的な機器。
その中央にあるコアだけが、まるで別の世界から持ち込まれたように見えた。
人類が二十年かけても解明しきれていないものが、こうして観測装置に囲まれている。
なんとも妙な光景だった。
「それでは、こちらへどうぞ」
担当職員の案内に従い、コアの前に立つ。
「これからコアに触れていただきます。システムウィンドウが表示されたら、まずは落ち着いて内容を確認してください」
「分かりました」
「気分が悪くなったり、何か異常を感じたりした場合は、すぐに教えてください」
「はい」
改めてコアを見る。
緊張していないと言えば嘘になる。
それでも、不思議と怖さはなかった。
むしろ胸の奥から、期待が膨らんでくる。
これから俺にも、探索者としての力が与えられる。
「では、触れてください」
ゆっくりと手を伸ばした。
指先がコアに触れる。
その瞬間だった。
ふわり、とコアが光を帯びた。
「おっ……」
思わず声が漏れる。
コアから発せられた光が、ゆっくりと強さを増していく。
同時に、視界の中央に半透明の表示が現れた。
思わず瞬きをする。
だが、表示は消えない。
視線をずらしても、そこにある。
これが、システムウィンドウ。
頭では理解していたのに、実際に目の前へ現れると、やはり驚いてしまう。
表示には、何かを処理していることを示す文字が浮かんでいた。
俺はそれをじっと見つめる。
やがて、文字が切り替わりかけた。
――その時。
ジジッ。
突然、コアの光が乱れた。
「え?」
今まで滑らかに輝いていた光が、一瞬だけ細かく明滅する。
同時に、目の前のウィンドウにも異変が起きた。
表示されていた文字が崩れ、別の処理が割り込んだように切り替わる。
内容を読み取る間もなかった。
直後、何事もなかったかのように表示が戻った。
「……今の、何だ?」
ほんの一瞬の出来事だった。
コアの光は再び安定し、視界の文字も正常に表示されている。
隣では、担当職員が観測装置へ視線を向けていた。
画面を確かめる職員の表情には、わずかな困惑が浮かんでいる。
しかし、装置に表示されている波形は大きく乱れていないようだった。
職員が画面を確認している間にも、俺のウィンドウでは処理が進んでいた。
そして、新しい文字が順番に現れる。
――名前。
【凪雲 朔】
間違いなく、俺の名前だった。
続いて、クラス。
【レイダー】
「レイダー……?」
思わず、小さく読み上げる。
知らないクラスだった。
ただ、名前の意味には心当たりがある。
確か、襲撃者とか略奪者とか、そんな意味だったはずだ。
「……物騒な名前だな」
ダンジョンに潜って戦う職業とはいえ、もう少し別の名前はなかったんだろうか。
まあ、クラス名だけで能力が決まるわけでもない。
どんなことができるのかは、後で調べてみよう。
最後に表示されたのは、レベルだった。
【Lv:1】
「……よし」
小さく息を吐く。
名前、クラス、レベル。
ついに俺にも、探索者としてのシステムが与えられた。
まだ何ができるのかは分からないが、今はそれだけで嬉しかった。
「凪雲さん、少しよろしいですか」
担当職員から声をかけられた。
「はい」
「先ほど、コアの発光が一瞬乱れたように見えたのですが、何か変わったことはありませんでしたか?」
「ああ、やっぱり今の、普通じゃなかったんですか?」
「通常の発光とは少し違って見えました。ただ、こちらの観測結果には特に異常が出ていないんです」
職員が観測装置を示す。
「測定上は通常の覚醒反応と変わりありません。念のため確認させてください。体調に異常はありませんか?」
「大丈夫です。気分も悪くないです」
「システムウィンドウは正常に表示されていますか?」
「はい。最初にちょっと表示が乱れたんですけど、今は普通に見えてます」
「表示が乱れた?」
「一瞬だけです。文字が切り替わったように見えたんですけど、すぐ戻りました」
職員は俺の言葉を確かめるように頷いた。
「現在は、名前、クラス、レベルを確認できますか?」
「できます。全部表示されています」
「表示が欠けていたり、読めなかったりすることは?」
「ありません」
「分かりました」
職員はもう一度、観測装置の表示を確認した。
俺もつられてそちらを見るが、画面に並んでいる波形や数値が何を意味するのか、さっぱり分からない。
「現時点では、測定結果にもご本人の状態にも問題は確認できません。登録手続きを進めましょう。ただし、この後何か気になることがあれば、職員に申し出てください」
「はい、分かりました」
どうやら、ひとまず問題はないらしい。
光も表示も確かにおかしかったが、今は体調に変化もないし、ウィンドウも正常に見えている。
気にはなるが、今ここで考えても答えは出そうにない。
それより、自分のクラスだ。
レイダー。
いったい、何ができるクラスなんだろう。
早く詳しく調べたい。
そんなことを考えながら、職員の案内に従って登録手続きへ進んだ。
*
登録用端末の前に座り、必要な情報を入力していく。
氏名、クラス、レベル。
初期スキルの有無など、申請に必要な項目も確認していく。
先ほどまで自分の視界だけに浮かんでいた情報を、今度は正式な登録情報として扱う。
なんだか妙な感覚だ。
クラスの欄には、覚醒時に表示された名前をそのまま入力した。
レイダー。
改めて文字にすると、やはり聞き慣れない。
詳しいことは後から調べればいいか。
端末の案内に従って入力を進め、必要事項を確認する。
申請を完了すると、最後に仮ライセンスが交付された。
「こちらが仮ライセンスです。申請情報と紐づいていますので、正式ライセンスの受け取りまで大切に保管してください」
「はい」
「正式ライセンスの交付時には、こちらを提出していただきます。本人確認と申請情報の照合後、交換でお渡しします」
受け取った仮ライセンスに目を落とす。
まだダンジョンを探索することはできない。
それでも、こうして実際に手にすると、探索者になる日が近づいているのを感じた。
「仮ライセンスでは、指定の訓練施設や新人講習をご利用いただけます。正式ライセンスを受け取るまでの間に、必要な訓練を受けてください。ただし、この段階では探索活動やダンジョン産品の正規取引はできません」
「分かりました。ありがとうございます」
講習については、今日の授業でも説明されていた。
実際の探索を始める前に、装備の扱いや安全管理について学べる。
俺はまだ一度もダンジョンで戦ったことがない。
学校で学んだ知識や、祖父から聞いてきた話があっても、実戦経験とは別だ。
利用できるものは、きちんと利用しておこう。
仮ライセンスをしまい、手続きを終える。
これで、探索者登録は完了だ。
いつの間にか、視界に浮かんでいたウィンドウも消えていた。
*
全員の手続きが終わり、学校としての団体行動も解散となった。
ここから先は、正式ライセンスの交付まで各自で準備を進めることになる。
「さて、と……」
覚醒室では職員の確認もあって、最低限の表示しか見ていなかった。
せっかくなので、改めてシステムウィンドウを確認してみよう。
そう思ったところで、ふと手が止まる。
「……どうやって開くんだ、これ?」
覚醒したときは、コアに触れただけで勝手に表示された。
だが、今は目の前に何もない。
とりあえず、ウィンドウを開くところを想像してみる。
すると。
「おっ」
視界に半透明の表示が現れた。
どうやら正解らしい。
試しに、今度は閉じることを意識してみる。
表示が消えた。
「なるほど。そういう感じか」
もう一度開く。
閉じる。
また開く。
何度か繰り返すうちに、だんだん感覚が掴めてきた。
どうやら、頭の中で意識するだけで操作できるらしい。
手を動かす必要もなければ、声を出す必要もない。
「結構便利だな、これ」
調子に乗って何度か開閉してから、ようやく中身の確認に戻る。
名前。
クラス。
レベル。
そこに表示されている内容は、先ほどと変わらない。
凪雲朔。
レイダー。
Lv1。
何度見ても、少し嬉しくなる。
今度は別の項目を開けないか、意識を向けてみた。
最初は思ったように切り替わらなかったが、何度か試すうちに、項目を選択する感覚も分かってきた。
「へえ……」
どうやら、最初に表示された情報だけがすべてではないらしい。
いくつか目を通していくうちに、見慣れない言葉を見つけた。
『パーク』
「パーク……?」
口の中で繰り返す。
スキルみたいなものだろうか。
ただ、今はまだ具体的に何ができるのか分からない。
あとで詳しく調べる必要がありそうだ。
さらにウィンドウを確認していく。
すると、別の項目が目に留まった。
『タスク』
「……タスク?」
やるべきこと。
課題。
言葉の意味は分かる。
でも、探索者のシステムに表示されるタスクって何だ?
気になった俺は、その項目を選択してみた。
表示が切り替わる。
そこには、ひとつの項目があった。
『メインタスク』
「メイン、か……」
ということは、ほかにも種類があるのだろうか。
まあいい。とりあえず確認してみよう。
メインタスクを選択する。
次の瞬間、新たな文字が浮かび上がった。
――――――――――
【メインタスク】
規定資金を確保せよ
目標金額:500,000,000円
現在の攻略資金:0円
――――――――――
「…………ん?」
思わず、目を細めた。
もう一度、表示を読む。
規定資金を確保せよ。
目標金額。
五〇〇、〇〇〇、〇〇〇円。
数字を頭の中で区切り直す。
五億。
五億円。
「……五億!?」
思わず声が出た。
いや、待て。
五億って、あの五億だよな?
一億が五つ。
当たり前だが、とんでもない金額だ。
これまでアルバイトで貯めてきた金とは、桁が違うなんてもんじゃない。
「いやいや、いきなり目標がでかすぎるだろ……」
思わず笑ってしまった。
探索者になって、これから稼いでいこうと思っていたところだ。
その最初の目標が五億円。
ずいぶんと景気のいい話である。
正直、今の俺には想像もつかない金額だ。
それでも、探索者として稼ぐつもりで、これまで自分なりに準備を進めてきた。
もちろん、簡単に達成できるとは思わない。
危険もあるし、必要な知識も経験も、今の俺には足りていない。
そもそも、まだ一度も探索したことがないのだ。
そんな新人が、いきなり五億円をどうこう考えたところで、できることは限られている。
けれど。
「……まあ、目指すだけならタダだよな」
とんでもなく大きな目標だ。
だが、探索者になって大金を稼ぎたいという気持ちは、もともと俺自身のものだった。
それがこうして数字として目の前に現れたのなら、挑戦してみるのも悪くない。
もちろん、焦って無茶をするつもりはない。
まずは正式ライセンスを受け取ること。
必要な訓練を受けて、装備を整えること。
そして、最初のダンジョンから無事に帰ってくること。
話はそこからだ。
目の前には、五億円という途方もない目標がある。
だが、ゼロから始めるなら、あとは積み上げていくだけだ。
「よし。稼いでやるか!」




