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ぼく、本当は女の子なのに少年探偵として映画デビューしたら、大ヒットしてしまいもう引き返せません  作者: 佐倉陽介


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プロローグ 仮面と素顔のあいだで

 東京湾岸の夜は、光でできている。


 再開発地区に林立する高層ビルは、どれも鏡のような外壁を持ち、隣のビルの光を映し返しながら、都市そのものを巨大な万華鏡に変えていた。ガラスの向こうでは無数のディスプレイが稼働し、株価、広告、ニュース速報が絶え間なく流れている。人の顔も、数字も、すべてがデータとして処理され、保存され、分析される街。


 その中心に位置するのが、ミドリカワ・ホールディングス本社ビルだった。


 だが今夜、その中枢は沈黙している。


 社内ネットワークは遮断され、サーバーは完全に暗号化。社員の端末に浮かび上がったのは、黒地に白い文字だけの無機質な画面。


 Your Face Is Not Yours.

 ――怪人二十面相


 最上階の応接室で、緑川夫人は静かに窓外を見下ろしていた。


 三十代前半。艶やかな黒髪を低くまとめ、無駄のない白のスーツに身を包んでいる。若さゆえの華やぎと、巨大企業を率いる者の冷ややかな威厳が同居していた。世間は彼女を「若き女帝」と呼ぶが、その視線はむしろ計算機のように冷静だ。


「警察は?」


 秘書が小声で告げる。


「サイバー犯罪対策課が到着しています。ただ……解除には時間が」


「時間はないわ」


 緑川は淡々と言う。


「株価は明日の寄り付きで崩れる。信用は、数字よりも脆い」


 そして彼女は、警察とは別の回線で一本の電話をかけた。


 ほどなくして、屋敷の正門に一台の黒い車が滑り込む。


 夜気をまとって降り立った男は、黒のコートを羽織り、手袋をしたままだった。


 明智小五郎。


 年齢は四十代なかばに見える。整った顔立ちだが、どこか印象が定まらない。見る角度や光の加減によって、穏やかな紳士にも、冷酷な観察者にも見える。瞳は柔らかな色をしているのに、その奥にある感情は掴みどころがない。


 彼は警察の特別顧問でありながら、警察の論理では動かない男だった。


 合法と違法の境界線を、必要とあれば静かに踏み越える。そしてそれを悪びれもせず、誇りもしない。


 ただ、事実に辿り着くために。


 門灯の下に、ひとりの少年が立っている。


 夜の光を受けて浮かび上がったその姿に、明智はわずかに視線を止めた。


 細身のスーツ。黒いネクタイ。無駄のない立ち姿。そして、驚くほど美しい顔。


 白磁のような肌はわずかな光さえも滑らかに反射し、長い睫毛が影を落とす。鼻梁はすっと通り、唇は柔らかく淡い色を帯びている。まだ成長途中の繊細さを残しながら、すでに完成形の均整を備えた容貌。


 少年というには、あまりにも整いすぎていた。


 だが、その美しさは甘さだけではない。瞳の奥に、鋭利な観察の光が宿っている。


「お待ちしていました、明智先生」


 澄んだ声が夜気を震わせる。


「僕は小林 芳雄。緑川の甥です」


 その声音は落ち着いている。年齢に似合わぬ抑制と、自信。


 明智はゆっくりと歩み寄る。


「甥、ですか」


 わずかに首を傾げる。


「ええ。叔母が依頼した先生をお迎えに」


 小林は微笑む。


 その微笑みは無垢に見えるが、観察者のそれでもあった。相手の反応を測る、慎重な笑み。


 明智は少年の靴先から頭頂まで視線を滑らせる。


「ずいぶんと落ち着いている。この状況で、恐ろしくはないのですか」


「恐怖は、選択を鈍らせます」


 即答。


「今は必要ありません」


 明智の口元が、わずかに緩む。


「なるほど。合理的だ」


「先生こそ」


 小林は視線を逸らさない。


「警察の方々とは、少し雰囲気が違いますね」


「どのあたりが」


「正義感が前面に出ていない」


 ほんの一瞬、沈黙が落ちる。


 遠くで車の走る音がした。


 明智は小さく笑う。


「正義は便利な言葉です。だが、時に邪魔にもなる」


「では先生は、何を基準に動くのですか」


「事実」


 即答だった。


「真実ではなく?」


「真実は人の数だけあります。事実は、ひとつです」


 小林は興味深そうに目を細める。


 その横顔は、少年というよりも彫像のように端正だった。


「違法な手段も?」


「必要なら」


 明智は淡々と答える。


「ただし、痕跡は残さない」


 その声音には誇示も罪悪感もない。ただ、静かな自負がある。


「危険ですね」


 小林が言う。


「境界線の上に立つ人は、いつか落ちる」


「そうかもしれない」


 明智は少年を見つめる。


「君はどうかな、小林君。自分が境界に立っていると感じたことは?」


 一瞬、少年の瞳に影が走る。だがすぐに消える。


「僕は、どちらにも属さないだけです」


 その言葉は軽やかに発せられたが、どこか本音を含んでいた。


 明智はそれ以上踏み込まない。


「行きましょう。怪人が待っています」


 二人は並んで屋敷へと歩き出す。


 背丈は明智の方が高い。だが並んだとき、不思議と均衡が取れているように見えた。年齢も立場も異なるはずなのに、互いが互いを対等に観ている。


 扉の前で、小林が立ち止まる。


「先生」


「はい」


「怪人二十面相は、顔を変えるそうです」


「ええ」


「では先生の顔は、どれですか」


 挑むような問い。


 明智はしばらく答えない。


 やがて、静かに言う。


「さあ。私もまだ、探しているところです」


 小林は一瞬だけ目を見開き、そして笑った。


 その笑みは、夜の闇に溶けるほど儚く、それでいて鋭かった。


 ――美しい少年。


 だがその内側にあるものは、まだ誰にも測れない。


 そしてこの出会いが、やがて怪人との対峙へと続いていくことを、


 この時点では誰も知らない。

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