一願地蔵ってひとつだけ願い事を叶えてくれる地蔵があるそうですが、あなたは何を願いますか?坂上茂吉85歳の場合は…
坂上茂吉85歳は
一願地蔵の前で願い事をしていた。
「ワシの人生に、なにか刺激的なこと……たとえば冒険とか、そういうことがありますよう」
…すこし前にさかのぼる…
坂上茂吉は苦悩していた。
妻にも友人たちにも先立たれ
そこにいきなり―――
『人生100年宣言』が出された。
いきつけの定食屋での
「まー老い先短いよ」
という彼の定番のセリフが
「人生100年だからまだまだね」
と返されるようになった。
あらゆるところで
「まだ若い」
という名の返しが連発した。
なんてことだ―――
坂上茂吉の計画が狂ってしまったのだ。
85歳にもなって…
ワシは老人じゃないのか――――。
そう彼は悲嘆にくれた。
実際坂上茂吉は若かった。
身体のメンテナンスを欠かさず健康体だった。
定年退職するまでは技術者。
定年退職後は、野草の採取や猟、農業などを楽しんでいた。
スローライフを満喫し
プロのスローライファアーと呼ばれていた。
しかし正直…
今の生活に飽きていた。
坂上茂吉は実際の年齢よりも若く元気もあるが
書類上は85歳
働き先がなかったのだ。
貯金もあるし、猟や農業などで食うに困らない。
シルバー人材センターには登録しており
いろいろ仕事に行きはするが…
心躍るような仕事がないのだ。
彼には最愛の妻がいた。
しかし
彼が60歳の頃
突然亡くなった。
病気でも事故でもなく
突然―――
存在が消えるかのように亡くなった。
そこから5年間定年まで働き
そして定年退職し田舎に移り住んだ。
技術者ゆえ
ガジェット好きで
色々なものを持っていたがほとんど処分した。
炊飯器も、掃除機も、妻が使っていた道具は全部手放した。
それらがあると、“ここにいないこと”が強調される気がしてならなかった。
まるで物があると
思い出に引っ張られる―――
それを恐れるように
最愛だった妻との思い出は
いくつかの写真と結婚指輪のみ
妻と自分の結婚指輪をネックレスに通して、肌身離さず
持っていた。
もし妻がいたなら
坂上茂吉の人生はもっと明るいものだっただろう。
元気で明るく振る舞ってはいるが
妻のことを忘れた日は一度もない。
ふとした瞬間に思い出す。
「おばあちゃんになっても、わたしのこと好きでいてくれる?」
「もちろんだとも」
そう言ってたのに
一人で行きやがった――。
『坂上茂吉85歳』
魅力的な男ゆえ
いろいろ話はあったが
彼の目には亡き妻の面影しか映っていなかった。
――――
彼が
一願地蔵のことを知ったのは20年前
地方に移住してすぐの事だった。
買い物で通る道に看板がでているのが
目に留まった。
それから20年
一願地蔵に頼ることがあるとは…
―――――――――
その頃
一願地蔵は苦悩していた。
業務提携先である異世界から
「そちらの人間を派遣して欲しい」
という依頼が来ていた。
しかし一願地蔵のある場所は
田舎
多少人が訪れるとはいえ
土日で
その数一日30人前後
この中に異世界転生したいなんて
願い事をするものなど
『ハッキリ言っていない』
そこに坂上茂吉があらわれた。
「ワシの人生になにか刺激的なこと…例えば冒険とか…そういうことがありますように」
おや?おやおやおや?
地蔵はすかさず
彼の頭の中に言葉を差し込む。
「たとえば冒険とは…。違う文化のところとか、そういうのが望みだということか?」
突然の言葉だが…なんの躊躇もなく彼は答える。
85歳になっても、生粋の中2病の彼には、脳内に声がすることなど
デフォ―――そう、基本的な設定だったのだ。
「そうです。まぁないでしょうが。ラノベの世界のような」
そう坂上茂吉はラノベが好きだったのだ。
「わかった。じゃあ転移させよう」
「はっ?」
そうして坂上茂吉は
いきなり
こちらの世界から異世界に転移した。
おいおい!もう少しなんかあってもよいだろうに…。
かくしてなんの画面効果もなく、サウンドエフェクトもなく
彼は異世界に転移したのであった。