8 先生は、ほんとにお医者様?
「じゃあちょっと失礼するよ」
お医者様は聴診器を当てるために、トレストの上着のボタンを上半分外して、胸元を露わにしました。
ゼフィルは咄嗟に目線を外しました。
幼いとは言え女性の胸元です、というわけではありません。現実を現実と認めてしまうことになるのが、怖かったようです。
トレストの胸には、はっきりとわかる赤黒いアザが見てとれます。一瞬視線に入った光景に、いろんなイメージがゼフィルを襲います。
4才で良い子というのも、そもそもおかしな話です。
もっと、泥だらけになったり、イタズラしたり、変な虫をポケットに入れたり、服を汚して怒られたり、友達とケンカして泣いて帰ってきたり。
それがゼフィルの考える4才でした。
思い湧き出る感情を必死に抑えました。お店では、リリアーナに女優になれと言っておいてこれです。
リリアーナは、現実に目を背けることなく、診察の様子を伺っています。
こういういざと言う時は、女性は強いのかもしれませんね。
ゼフィルは、以前やった錬成術の実験を思い出していました。
どの錬金術師も思った、もしくは試したことはあるのかもしれません。
ゼフィル自身も絶命近い昆虫で試したことがあります。
結局、そのまま魂は抜けていき、魂の抜けた抜け殻は、どこまでいっても抜け殻でしかありませんでした。
ゼフィルはかつての錬成術で、生命の復活を昆虫で実験して失敗しています。
ペナルティ的事故が起こらなかったことは幸いでした。
「はい、良い子だ。これで終わりだよ」
お医者様の診察を終えて、ハリッチがトレストの服を直します。
「先生は、何が好き?」
「私かい? そうだね、先生は甘い珈琲かな。お砂糖じゃなくて、蜂蜜を入れると元気になるんだ」
ゼフィルはそっとリリアーナを見ると、リリアーナの眉毛がピクピクしています。
正統派珈琲の真髄を目標にしているリリアーナには、珈琲への冒涜に聞こえたかもしれません。
「元気になったら、おねえさんのとこに一緒に行こうか」
「うん」
ゼフィルは少しだけ、お見舞いに来れたことは良かったのかなと思いました。
「ねえ?」
「うん?」
二人はハリッチとトレストの家から帰る途中に、いろんな話をしながら帰路についていました。
「あのアザ、病気なんだろうか?」
ゼフィルは、あのトレストの胸のアザを見て、少し疑問を持ったようです。
「先生が治療してるんだから、たまに流行っている、・・・病気なんだと思う」
リリアーナは、先生が一生懸命に治療に当たっていると信じています。
そして、リリアーナは言葉にしようとした病気の名前を言うのをこらえました。
昨今は、病気で亡くなるほとんどがこの胸のアザが特徴の病で、残念ながら世を去っていくことが目立ってきました。
これだけの医者が治療に当たって、未だに完治に至ることがありません。
まだ、大流行していない点が救われるところです。
反対に言えば、なぜ自分の愛する家族が、という落胆がほとんどです。
「そうか、そうだね」
ゼフィルは、力なく答えます。
ゼフィルの態度に、リリアーナは不安を覚えます。
「ねえ?」
「うん?」
「治るよね」
リリアーナに聞かれて、ゼフィルは答えに困ります。
ゼフィルは、思うところがないわけでは無いのですが、それはまだ胸に秘めておきます。
ゼフィルは、目線はそのままに、リリアーナを慰めます。
「そうだね、治るよ」
実は、ゼフィルは思っていました。このままなら、トレストは完治することはないことを。
なぜ完治することがないと思うところは、彼が錬金術師であるところが大きいように思います。
ゼフィルは自宅へ戻って、先生の今までの経歴を調べ始めました。
辺境伯家にいた時代に、各種の事典や史料を辺境伯家の金で大量に買い込んでいたものです。
医療分野の資料を見ると、先生の名前を捜すことは容易なことでした。
確かに、輝かしい成績を収め、医療の世界でも名を馳せた、壮年の名医であるところは、疑いようがありません。
お弟子さんも、たくさんいらっしゃるようで、後進の育成にも尽力されていることがわかりますし、後進の方々からの信頼も厚いものと、伺えます。
しかし、ゼフィルが思うところは、経歴にどうしても空白の期間があるように思えました。
各期間で輝かしい成績を残している先生ですが、ある一定の期間の記録がそっくりと残っていません。
ゼフィルは、自分の想像が間違っていますように願いました。
一方リリアーナは、治療に役立ててもらいたい一心で、魔装具を思案します。
病気を完治する魔装具は、実は無いとするのが一般的です。魔装具は魔術、魔法に近い分類になるのが一般的で、そもそも生物学的な病に冒されるとは直接繋がりはありません。
やれて基礎代謝を上げたり、体力回復くらいで、病気に直接関わることは、今のリリアーナの魔装具では役に立てそうにありませんでした。
リリアーナは、せめてもの慰めになるかなと思い、体力回復に使える魔装具の布製のアクセサリーのチャームに、鼻をくすぐる珈琲の豆を仕込みました。
今度お見舞いに行く時に、喜んでもらえるかなと思いましたが、不安も覚えました。
この芳醇な香りが、4才の頃の自分ってわかってたかなぁ?って・・・。
『絵描きから、物書きへ』を、短文を執筆しました。
>作者名 >作品一覧から参照いただければ幸いです。