月ノ宮を目指して
「ん?なんだ昼間っから正装して。どこか出かけるのか?」
昨日の失敗を踏まえ、朝の神社の業務を終えた後、蛍はたっぷりと睡眠をとった。
そして、15時をまわった頃に起き出してきた蛍は、妖怪退治の時に身につける白衣に深草色の神主衣装だった。
「今日は、柚貴のところに呼ばれてるんだよ。」
「へー、ほーお…お姫様にねぇ…それはそれは。」
「…。何そのニヤニヤ顔。」
柚姫とは、月ノ宮柚貴のことだ。
彼女こそが、月界人の血を受け継ぐかぐや姫の子孫であり、蛍たち月守りが守るべき絶対の存在である。
「別にー?よかったじゃないか、会うの久々だろ?」
柚貴は、蛍よりも一つ年下の11歳だ。
柚貴はその立場ゆえに、厳重な結界に守られた月ノ宮の屋敷から出ることが出来ない。
学校へ行って友達を作ることもできないような生活は、幼い姫にとって相当窮屈なものだろう。
そのため、歳の近い蛍が、話し相手として時々呼ばれるのだ。
「今朝はどことなくご機嫌だなーと思ってたら…成程、そういう理由だったのか。愛しのお姫様との久々の再会、そりゃあ気分はもぅワクワクだな!」
「…。」
相変わらずのニヤニヤ顔で、うんうんと頷きながら話す朔を、蛍はぼーっと見つめた。
「おい…放っておかれると困るだろうが。ここは、別にワクワクしてなんかっ…とか、僕は柚貴のことそんな風に思ってなんかっ…とか、そういう照れ隠し的な反応を返すところだろう。」
「だって、柚貴が好きなのも、会えるの嬉しくてワクワクしてるのも事実だし。」
「ぼーっとした顔で淡々と返すなぁーっ!お前には照れるという感情がないのかっ!?」
「これでも実はスゴイ照れてるんだよ。」
「嘘つけー!」
そんなたわいのないやり取りのあと、蛍と朔は揃って月ノ宮邸へと向かった。
「…暑い。」
「そりゃ昼間からそんな格好してりゃあなぁ。」
「…夏はどおして暑いんだろうね。」
思わずそんなどうしようもない疑問を抱きたくなるほど、真夏の昼間に神主衣装で外を歩くのは重労働だった。
自宅の香具夜神社から月ノ宮まで、それ程距離があるわけではない。
しかし、今日は途方も無く長い道のりに思える。
「というか蛍、あんまり話しかけるなよ。俺は、普通の人間には見えてないんだから。」
朔の姿は、力のあるものにしか見ることが出来ない。
そのため、街を歩く力を持たない人たちには、蛍が独り言を言っているように見えてしまうのだ。
「そーだった。つい忘れちゃうんだよねー。」
朔と共に出かけるのは、ほとんどが人気の無い夜中だ。
そのため、人目を気にするという習慣がなかなかつかない。
それから黙って歩くこと10分、辺りを竹やぶに囲まれ、『月ノ宮』と立派な表札が掲げられた高級料亭のような佇まいの屋敷が見えてきた頃、蛍は暑さで完全にばてていた。
「ほたるー、生きろよー。」
「…。」
朔の言葉に蛍は黙って頷き、再びのろのろと歩き出す。
前を歩く背中には覇気が全く感じられず、何やら今にも倒れてしまいそうだ。
しかし、柚貴に会えばきっと元気を取り戻すであろうことを朔は知っている。
「中で柚貴が待ってるぞ!」
お姫様をあんまり待たせるもんじゃないと励まし、朔は蛍の背中をグイグイと押した。