第29話 兄妹
小学校低学年くらいの可愛らしい少女は小川の中にいた牛に話しかけている。
「モーちゃん、いい子だからこっちにおいでー。家に帰るよー」
『モォ~』
「きゃははっ。モォ~じゃないってば」
何が楽しいのか、けらけらと無邪気に笑う少女。
俺の存在には全然気付いていない。
好都合だ。
なぜ牛や少女がこんなところにいるのかは気になるが、俺はこのまま姿を消そう。
そう思い、足を後ろに動かしたところで、
パキッ。
木の枝を踏みつけてしまう。
「うん? あなた、だーれ?」
「あ、えーっと……」
情けないことに少女に対してもまたコミュ障を発動させてしまう俺。
言葉がなかなか出てこない。
「あっそうだ。人に名前を訊くときはまず自分から言うんだったっ。わたしの名前はね、斉藤みく、八才だよー」
斉藤みくと名乗った少女は八の数字を手で表してみせた。
「そ、そうなんだ。えっと、俺は柴木善っていうんだ。よ、よろしく」
「しばきぜん? きゃははっ、変な名前ー」
「そ、そうかな」
「うん、変だよー」
「そ、そう」
「うんっ」
元気よくうなずくみくちゃん。
とりあえず会話が出来てホッとする。
そんな矢先、
「みく! 駄目じゃないかっ、一人で森に入ったりしたらっ」
今度は若い小柄な男性がやってきてみくちゃんに大声を浴びせた。
不覚にもびくっと肩を揺らし驚いてしまう俺。
「あ、お兄ちゃんだっ」
「お兄ちゃんだ、じゃないっ。心配したんだぞっ」
「ごめんなさーい。でもモーちゃんがいなくなっちゃったから探してただけなの」
「そんなのはおれたちがやるからいいんだよっ。もし怖いモンスターに襲われたらどうするんだっ。父さんも母さんもすごく心配してたぞっ」
「はーい、わかったってば」
男性に語気荒く注意されみくちゃんは口をとがらせぶすっとした顔になる。
「まったく……それで、この人は?」
男性は一呼吸すると俺に向き直った。
「変な人だよっ」
「は? みく、それどういうことだ?」
眉をひそめる男性。
厳しい視線を俺に向けてくる。
「あ、いや、あのっ、俺はさっき偶然みくちゃんと出会っただけで別に怪しい人間じゃないからっ……」
「ふーん」
訝し気に俺を見て、
「で、あんたはこんなとこで何してたんだよ?」
そんなことを訊いてきた。
「いや、何って言われても……」
裸になって水浴びしてたって言ったら余計変な奴だと思われないだろうか。
頭の中でいい答えをみつけようとするがなかなかみつからない。
「えっと……ちょっと水がきれいだったから、顔を洗ってただけだけど」
「ふーん、そうなのか。あんた一人か?」
「うん、まあ」
「一応忠告しとくけど、そこの川の水は飲まない方がいいぞ。前にお腹を壊した奴がいるからな」
「そっか、わかった、ありがとう」
なんとなくの表面的な会話だけすると男性は「ほら、みく。帰るぞ」と牛を引き連れその場をあとにする。
そしてみくちゃんも「じゃあね、しばきんぐっ」と俺に大きく手を振りながらお兄さんらしき男性のあとを追っていった。
し、しばきんぐ……?




