第5話・「もうお嫁に行けない」
その日、フェアデリア城は、いや、城だけではない。
国中が重々しい空気に包まれていた。
王家が妃を迎える、本来なら国中がお祭りムードに包まれるであろう一大イベントも、その相手が昨日まで戦争していた国家の、しかも悪魔姫となれば話は別だ。
町中に屋台が並び、そこらじゅうに花が飾られお祭りムードが演出されてはいたが、その屋台の影には完全武装の兵士や魔導士たちが臨戦態勢で潜んでいた。
ヘルの嫁入りに合わせてデス・ブリッジのゲートが2つとも開く。
それに乗じて魔王軍が一気に攻めてくる噂が流れたため、城下に暮らす人たちは家の地下室などに籠り、街中に人影はなかった。
だが、緊張の面持ちの兵士たちが見守るなか、城へと続く石畳のメインストリートを通り過ぎたのは、近衛隊に護られた王家の馬車のみだった。
そして、重々しい空気に包まれる城の中でも、謁見の間で玉座に腰を降ろす王と妃、それとい並ぶ重臣たちが、周りを完全武装の兵士と魔導士たちにぐるりと囲まれ、ヘルの到着を待っていた。
「ヘル様が到着されました」
警備隊の伝令に、皆の顔に更なる緊張に包まれ分厚い扉が開く。
が、恐怖におののきながら見つめる彼らの視線が捉えたのは、真っ白なドレスに身を包み、2人の女の子に手を引かれ、更にはミセリ達近衛隊に付き添われて号泣しながら入って来たヘルの姿だった。
「い、一体なにがあったというのだ?」
王がそう戸惑うのも無理なかった。
彼女が泣いている理由いかんでは、それが外交上の新たな火種になりかねない。
ましてや悪魔姫を泣かせてしまうなど、どれほどの無礼を働いたのかさえ想像も出来ない。
「見られた~、全部見られた~っ。私もうお嫁にいけない~」
「ヘル、泣かないで」
「そうよ、お嫁にはいけるわ。だってヘルはこの国にお嫁に来たんだから」
そんな彼らの思惑を知るよしもないヘルは、メアリとサクラに慰めるように頭を撫でられながら泣き続けていた。
この場に居合わせた王以下重臣全員の脳裏に『全面戦争』の四文字がハッキリと浮かぶ中、
「恐れながら、御中進申し上げます」
ミセリはそう言うと、泣き崩れるヘルの隣で膝をつき王に向かって頭を下げた。
「ミセリ、何があった?申してみよ」
王に促され、彼女は橋の上で起きた事の顛末の一部始終を話した。
「まぁ、そうだったの?」
王妃はそう言うと立ち上り、ヘルの元へ歩き始めた。
「妃様、お止めください」
「妃様、あぶのうございます」
しかし彼女は、兵士や重臣たちの制止を振り切り、ヘルの前に膝をついていた。
「ヘル、あなたが橋の上で受けたのと同じ屈辱を、私もこの国に嫁いできた日に受けました。王には止めるよう進言したのですが受け入れてもらえなかったようですね。恥ずかしい思いをさせてしまい本当にごめんなさい」
「えっ!?」
ヘルが思わず顔を上げると、妃は女神のような顔で微笑みながら、サクラとメアリが握る彼女の手に自らも手を添え握っていた。
「ここにいるサクラは私の大切な末の娘」
「えっ!?」
「そしてメアリはサクラのかけがえのない友達」
「えぇっ!?」
「サクラはメアリの事が心配で、迎えの馬車の中にこっそり隠れてたみたいなの。そうよね?」
王妃にそう訊ねられ、
「うん。橋の上でヘルにメアリを返してってお願いするつもりだったの」
と答えていた。
実は王族専用の馬車には、襲撃を受けた時などの為に常に影武者が同乗し、いざという時は椅子の座面の下に隠れるスペースが設けられている。
が、これはクーデターなどのことも考慮し、王族と近衛隊長のミセリしか知らない最重要機密だった。
だから、サクラが隠れていたことに誰も気が付かなかったのだ。
「2人を助けてくれてありがとうヘル。王妃ではなく1人の母親として心より感謝します」
妃はそう言いながら、メアリ、サクラ、そしてヘルの3人を“ぎゅっ”と抱きしめていた。
「疲れたでしょう?部屋を用意させました。今日はゆっくりお休みなさい」
「えっ!?はい。あ、ありがとうございます」
「ミセリ、メアリ、サクラ、ヘルをお部屋に案内してさしあげて」
「わかりました。どうぞ、こちらです」
「ヘル、立って」
「ヘル、こっちだよ」
ヘルは2人に手を引かれて立ち上がると、ミセリ達に警護されながら謁見の間を後にしていた。
「・・・なんということだ」
そこはフェアデリア城の奥の奥にある小さな部屋だった。
2つの部屋それぞれに男がいた。
が、部屋には照明器具がなく真っ暗で、そこにある人物の顔は見えない。
2人は壁越しに会話していた。
「これは明らかな茶番だ」
「分かっている。サクラ姫様が誰にも見つからず馬車に隠れてデス・ブリッジまで行き、しかも都合よくあらわれた飛竜人に拐われ、それをあの悪魔姫が助けるなどと、そんな絵に描いたような偶然が起こるわけがない」
「おそらく悪魔姫を我らに取り入らせるために仕組まれたものだろうな」
「ああ、だが問題はそこではない」
「うむ、信じたくはないが悪魔族と飛竜族が裏で手を結んだ恐れがある。
それだけではない。その交渉を手助けした者がこの城の中にいるかもしれないということだ。
もしそれか事実なら我らに勝ち目はない。早急に手を打たねば」
「しかし王妃様とサクラ様が、」
「御二人には困ったものだ。まぁいい、既に策は打ってある。悪魔姫の化けの皮が剥がれるのも時間の問題だ」
「ガダリがやられただと?」
その頃飛竜族の城の中でも混乱と思惑が錯綜していた。
王らしき飛竜人が玉座に座り、部下からの報告を受けながら酒杯をあおっていた。
が、その中に注がれていたのは酒ではなかった。
彼の上には首もとを切り裂かれた人族の女性が逆さ吊りにされていた。
彼は《そこ》から滴り落ちる血を酒杯に受けて飲んでいた。
今宵の晩酌のために女の子を拐ってくるようガダリに命じたのも彼だった。
「あれは我が忍びの中でも1番のやり手、人族などに殺されるはずがない。誰だ?誰に殺られた?」
「お頭、それが、悪魔姫のヘルに殺されたと」
「ヘルだと?ばかな。悪魔族は本当に人族と手を組み、我ら飛竜族を敵にまわすというのか?」
「お頭、更に悪い知らせが」
「なんだ」
「ダガリが拐ったのは末の王女サクラだったと」
「なに?」
「人族が悪魔族と手を組み、こちらに攻め込んでくる恐れもあります。早急に手を打たねば」
「何が手だてがあるのか?」
「もし城下町で人族が惨殺される事件が続発したら、真っ先に疑われるのは誰だと思いますか?
たとえ王族が否定しても、悪い噂が流れ広まれば領民どもは疑心暗鬼になり必ず騒ぎ始めます」
「それは面白いことになりそうだ」
王は嬉しそうに血をあおり続けていた。
〈つづく〉