第27話・「えっ!?ミカヅキがいない?」
「えっ!?何してるの?」
そこは深い谷底だった。
ミカヅキが呆然と見つめる視線の先にヘルが立ち、そんな彼女を遥か下に見下ろす崖の上にミセリ達がいた。
しかもそのすぐ横には、ワイヤーロープに繋がれた例の鉄球が置かれていた。
「ヘル様~っ、いきますよ~~~っ」
地平線に連なる山々の稜線から朝日が昇るのを合図に、崖の上からそう叫ぶミセリに、
「いいわよ~、いつでも来て~~~っ」
そう返す彼女の胸には、S字に切り抜かれ、赤く塗られたダンボールの板が貼られていた。
「ま、マジなの、これ!??」
ミセリから、ヘルが毎朝、鉄球を破壊する特訓をしていると聞いた時は半信半疑だった。
恐怖の対象であり、なにより食物連鎖で人類の上に立つ悪魔族の特訓に人族が協力するなど、ミカヅキには到底信じられない話だったからだ。
だが、こうして実際に目にすると話は別だ。
しかも目の前の悪魔姫は、鉄球に集中するあまり全くの無防備で隙まるけだった。
(イケる)
それを見てミカヅキはそう思った。
ヘルは、振り下ろされるあれを、持てる力の全てを使って破壊するはずだ。
その、全く無防備になる一瞬を突けば、彼女を暗殺できる。
確かに鉄球が自分を直撃する恐れはあるが、ヘルが破壊するのだから問題ない。
しかも彼女の周りには護衛の近衛もいないのだから、暗殺したら直ぐ様首を斬り落とし素早く逃げるのも造作もない。
ミカヅキの頭の中で繰り返されるシュミレーションは完璧だった。
そして、ミカヅキが決意を秘めた瞳で見つめる中、鉄球が近衛達に押し出され、物凄い勢いでヘル目掛けて振り下ろされていた。
それに対して、上にあげた両腕を『く』の字に曲げながら胸を張るヘルの背中に、暗器を構えるミカヅキが飛び掛かった。
「くらえっ、ブレスト・ヘルファイヤ~~~っ」
その瞬間鉄球が直撃し、2人は空高くぶっ飛ばされていた。
「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」×2。
「ヘル様っ」
「ヘル様っ」
「ヘル様~~~~~っ」
ミセリ達の悲鳴が山々に響き渡る中、2人の姿は地平線の彼方に消えていた。
「えっ!?ミカヅキがいない?」
「はい」
お城に帰ったヘルがミセリから聞いたのは、ミカヅキがいつの間にか居なくなったという知らせだった。
「でも、朝の特訓の時はいたよね?」
「はい、確かにいました」
「おかしいな~、どこ行ったんだろ?」
そう言いながら、Tシャツにジーンズのオーバーオールに着替え、麦わら帽子を被ると、彼女は厩舎へと赴いた。
「ほらみんな、行くよ」
すると、飛翔するサラマンダーに見守られながら、熊避けの実の花達が1列に並んで彼女の後に続き、一行はリンゴ園に到着していた。
「じゃあみんな、いつも通り見回りお願いね。いい?襲っていいのは獣人と巨獣だからね。それ以外の種族を襲ったら、サラダにして食べるからね。いい?」
そう念を押すと、サラマンダーは上空を旋回し、花達は散り散りになりながらリンゴ園の奥へと消えて行った。
「ヘル様~~~~っ」
すると、リンゴ園で働く少女達が駆け寄ってきた。
「みんな・・・」
だが、ヘルが挨拶するより早く、少女達はヘルに抱きついていた。
「ヘル様、おはようございます」
「おはようございます」
「ヘル様、おはようございます」
「おはようございます」
「ヘル様、おはようございます」
「おはようございます」
「ヘル様、大好きです」
「ありがとう」
「ヘル様、結婚して下さい」
「えっ!?」
そんな少女達1人1人と話を交わしながら、ヘルもリンゴ園へと入っていった。
彼女はここのお手伝いをしていたのだ。
きっかけは、リンゴを巨獣達に荒らされないよう、花達を貸して欲しいと頼まれたことだった。
さすがに花達だけを行かせるワケにもいかず、リンゴ園について行ったツカサは、一生懸命働く少女達を見て力になりたいと思ったのだ。
その申し出に誰もが驚いたが、不器用ながらも一生懸命に働くその姿に皆も彼女を受け入れ、ヘルは公務がない日はここで働くようになっていた。
真っ赤に染まり、たわわに果実を一つ一つ丁寧に収穫していく。
その間も、上空からサラマンダーがリンゴ園に近付く巨獣や獣人を牽制し、それでも侵入する者達は、サラマンダーの咆哮で駆けつけた花達によって排除されていた。
“ゴ~ン、ゴ~ン、ゴ~ン”
そして、あっという間に時間が過ぎ、お昼を報せる鐘の音が城下に鳴り響いた。
「ふぅ、もうお昼?」
そう一息ついて汗を拭いていると、
「ヘル様~~~っ」
「お昼にしましょう」
そう言いながら、女の子達が駆け寄ってきて、まるでピクニックにきたかのようにお弁当を広げていた。
「ヘル様、お弁当は?」
「お城に帰って食べようかと思って」
「じゃあ私達と一緒にここで食べませんか?」
「えっ!?でも?」
「大丈夫です。私達だけでこんなにたくさん食べられませんから」
「そうです。ヘル様にも食べて頂かないと困ります」
女の子達にそう言われた瞬間、お腹が“ぐうっ”と鳴り、彼女は顔を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに照れ笑いしていた。
「そ、そお?」
「はい」
そう笑顔でお重を差し出されたツカサは、卵焼きを指で摘まんで“ぱくっ”と食べていた。
「うん。美味しい!!」
その、想像以上の美味しいに思わずそう声をあげた彼女は、周りの皆が“ぽかん”とした顔で自分を見つめていることに気付いた。
「なに?どうかした?」
「いえ、その、フォークを使わずに手掴みされたのでビックリして」
女の子が驚きを隠せない様子でそう返すと、
「あっ!?」
ツカサは“やってまった”と思いながら、
「ごめん。このことは誰にも言わないで」
そう言って両手を合わせ頭を下げていた。
「えっ!?」
第一王女にいきなり頭を下げされ、女の子達は戸惑いを隠せない。
「お城の外でこんなことしたってバレたらアイリとサクラに叱られちゃうから。ね?ね?お願い」
「叱られる?ヘル様がですか?」
話の要領を得ず、驚きを隠せないままそう聞き返す女の子に、
「うん。そ、その、お行儀が悪いって」
ヘルがバツが悪そうにそう返すと、女の子達は次々に卵焼きを指で掴み頬張っていた。
「えっ!?みんな何を?」
「確かに、この方が美味しいかも」
「えっ!?」
「ヘル様、ここには私達しかいないのですから気になさらないでください」
「で、でも?」
「そうですよ。せっかくのご飯を美味しく食べられなかったら損した気分になっちゃうじゃないですか?」
皆にそう言われ、
「でも、摘まみ食いも出来ないなんて。お姫様って大変なんですね?」
しかも、そう察してもらえて、
「ありがとう、みんな」
ツカサは心から感謝していた。
そして、
「ほんと、お姫様がこんなに大変だなんて夢にも思ってなかったわ」
そう、しみじみと口にして、
「えっ!?ヘル様って元々悪魔国のお姫様なんですよね?」
その、まるで生まれて初めてお姫様生活を体験しているかのような言い方に、皆からそう突っ込まれていた。
「そ、それは、その、私は16人姉弟の15番目だったから・・・」
そう口ごもる彼女に、
「あ、あのヘル様。そ、その、よろしいですか?」
1人の女の子が戸惑いを隠せない様子で話し掛けた。
「えっ!?なに?」
ヘルがそう返すと、彼女は意を決したように、
「16番目がダンテ様なんですよね?そ、その、ダンテ様のことなんですが・・・」
そう話し掛けていた。
「えっ!?ダンテ様?」
今は同盟国とはいえ、この前まで全面戦争状態にあった敵国の第一王子を『様』付けで呼ぶ彼女にツカサは違和感を隠せないでいた。
「弟がどうかしたの?」
「はい。あ、あの、ダンテ様には今お付き合いされている女性とか、心に決めた女性がいらっしゃるのかな?と思いまして・・・」
そう話す彼女の顔がみるみるうちに、耳まで真っ赤に染まっていくのを見て、ツカサは全てを察していた。
「えっ!?もしかしてダンテのこと好きなの?」
「や、やだもう。ヘル様ったらぁ」
口ではそう言いながら、女の子はもうデレデレだった。
が、そんな彼女に対してツカサは、
「弟のこと知ってるの?」
と、当たり前過ぎる質問をしていた。
そもそも、どうやったらダンテのことを好きになれるのかも分からなかった。
「こ、この前、門の前で偶然お姿を拝見して・・・」
「あっ!?その手があったか?」
「それで、その、一目で心を奪われてしまいました」
「マジか!?」
しかも彼女はそう驚くヘルに、
「それで、あの、もしよろしければこれを・・・」
そう言いながら、例の粘土版を差し出していた。
「ま、まさかこれって?」
「はい。私の気持ちです」
そう、それは彼女からダンテへのラブレターだった。
(ど、どうしよう?)
その積極性に驚きながらも、でもダンテがこれを受け取るとは到底思えず、門前払いになってしまったら彼女があまりに可哀想だとツカサは思った。
“ゴ~ン、ゴ~ン、ゴ~ン”
その時、12時30分を告げる鐘が鳴っていた。
時計塔の鐘は、普段は1時間間隔で鳴るのだが、お昼だけは30分間隔で鳴るのだ。
「あ!!いけない。もうこんな時間」
ヘルが慌てて立ち上がると、
「ヘル様」
リンゴ園の園主が彼女に声を掛けていた。
そして、
「いつもありがとうございます。これは私からの感謝の気持ちです」
そう言って差し出された彼の手には、溢れんばかりにリンゴが詰め込まれた篭が握られていた。
「えっ!?いいの?」
「はい。巨獣には精根込めて育てたリンゴを木ごとなぎ倒され、食い荒らされておりました。
それだけではありません。働いていた者共も、雇った勇者パーティの皆様も、数えきれないほどの命を奪われております。ヘル様が来て下さらなかったらどうなっていたことか」
「いや、それは私じゃなくて花達が・・・」
「それに、巨獣が駆除され始めたことで収穫量が増えたのにヤツらを恐れて働き手が見つからず人手不足で、ヘル様に来て頂けるようになってから若い女の子達が働いてくれるようになり大助かりです。これはお城の皆様で御召し上がりください」
「そ、そお?じゃあ遠慮なしに頂くわ。ありがとうございます」
ヘルはそう深々と頭を下げると、受け取った篭からリンゴを掴みとり、早速一齧り、いや、丸ごと1個をそのまま口の中に入れて丸噛りしていた。
「美味しい」
「あの、ヘル様。お時間はよろしいですか?」
「あっ!!いけない」
彼女は皆に見送られながら、大慌てでお城に戻った。
「ヘル様~っ」
そんな彼女に声を掛けたのは、アイリとミルフィーだった。
「あ、アイリ、ミルフィー」
「ヘル様、その篭は?」
「リンゴよ。収穫のお手伝いをしたら、お礼に頂いたの」
その、あまりに美味しそうなリンゴの数々に、
「美味しそうなリンゴですね。ヘル様、これリンゴパイにしたらどうでしょうか?」
アイリはそう提案していた。
「えっ!?リンゴパイ?」
その、あまりに嬉しそうな表情に、
「はい、今から作れば午後のお茶に間に合います」
アイリがそう笑顔で返すと、
「じゃあ、お願い」
ヘルはそう言って、篭を彼女に手渡そうとした。
が、
「あの、私もお手伝いします」
ミルフィーはそう言うと、半ば強引に、奪い取るように篭を掴んでいた。
「うん。じゃあお願い」
2人は足早に厨房の方へと去って行った。
“ゴ~ン、ゴ~ン、ゴ~ン”
午後1時を知らせる鐘が鳴ると、ヘルの姿は厩舎にあった。
彼女はサラマンダーと熊避けの実の花達の寝床の掃除を手伝っていた。
糞尿にまみれた藁を集めてスコップで桶に詰めて堆肥場へと運び、掃除をして新しい藁を敷く。
それは、言葉に言い表せないほどの重労働だった。
「ヘル様、ありがとうございます」
そうお礼を言われても、
「ううん。私は用事のない日にやってるだけだから。本当に偉いのはこれを毎日やってる皆よ。本当に頭が下がるわ。ありがとう」
彼女は恐縮しきりだった。
「そんなことありません。サラマンダーや花達の寝床なんて私達では恐ろしくて近付くことすら出来ませんから」
「そうです。それに、私達の仕事をここまで評価して頂けるなんて嬉しくて」
「そんなことないの」
そう。皆からお礼を言われても、素直に喜べない理由がツカサはあった。
「実は私ね、仕事辞めて牧場で働こうかと思ってた時があったの」
「えっ!?ヘル様がですか?」
女の子達は、ヘルの思いがけない告白に、驚きを隠せない様子だった。
「うん。仕事が辛くて辛くて、そんな時に見たドラマの影響で、北海道に引っ越して、大自然に囲まれながら、牧場で働いてゆっくり暮らそうかなって」
「どらま?ほっかいどう?それ、何かの呪文ですか?」
「でも、まさかこんなにキツい仕事だなんて想像もしてなかった。そりゃそうよね、命を預かってるんだから。命に昼も夜もないもんね。ホント、生半可な気持ちで移住しなくてよかったわ。牛乳も感謝を込めて、噛み締めて飲まなきゃね」
そんな話を皆としながら、彼女は仕事を続けていた。
「よし、出来た」
アイリは焼き上がったリンゴパイをオーブンから取り出しワゴンカートに乗せていた。
「ミルフィー、準備出来た?」
「はい」
そう返事した彼女も、ティセットやお皿をカートに乗せ、準備万端だった。
「じゃあ、いきましょう」
「はい」
2人はそれぞれのカートを押して厩舎へと向かった。
「お~い、アイリ~」
その途中で声を掛けられ振り返ると、そこにはミセリとサクラの姿があった。
「お姉ちゃん、サクラ様っ」
2人は慌てて膝を着き頭を下げていた。
「アイリ、ミルフィー、それってお茶会の準備?」
が、サクラは2人が押していたカートに興味津々だった。
「はい、ヘル様が厩舎の掃除を手伝っておられますので、休憩も兼ねてお茶会でもと思いまして」
「そ、それって、私とミセリも参加していい?」
そう“もじもじ”しながら訊ねてくるサクラに、
「もちろんです。こんなに大きなリンゴパイは、サクラ様にも食べていただかないと無くなりませんから」
そう答えると、幼女の顔がひまわりが咲いたかのように“パっ”と明るくなり、
「ありがとう」
彼女がそうお礼を言って、4人は再び歩き出し、厩舎に着いた。
すると、何やら女の子達が一ヶ所に集まっていた。
しかも、全く動こうとしない様子に、
「みんな、そこで何してるの?」
アイリが声を掛けると、皆一斉に振り返り、口に指を当て“し~っ”と黙るようジェスチャーしていた。
その、ただならぬ空気に押され、固く口をつぐんだまま“抜き足、差し足”で
近付いて行ったミセリ達が見たのは、人の腰の高さくらいまで積まれた藁をベッドにして寝息を立てるヘルの姿だった。
皆の話によると、仕事が一段落し、藁をクッション代わりにして寝転がり話をしていたところ、ヘルが本当に寝てしまったとのことだった。
が、皆、彼女を起こそうともせず“すぅ、すぅ”と寝息を立てる可愛いらしい寝顔を見つめていた。
「ヘル様ってこんな顔で寝るんだ」
「可愛い~っ」
女の子達からそんな感嘆の声が上がる中、
「ねぇミセリ、リンゴパイは?」
我慢できない様子でそう訴えるサクラに、
「では、ヘル様の分を残して、皆で先に頂きましょうか」
ミセリはそう提案していた。
「えっ!?いいの?」
「はい」
確かにサクラは第2王女で、何かにつけ我慢を強いられることが多い。
しかしそれはお城の中の話だ。
それがいくら上層教育とは言え、可哀想だとミセリは内心思っていた。
が、王や王女の教育方針に近衛が口を挟めるはずもなく黙るしかなかった。
しかし、そんな時にあらわれたのがヘルだった。
彼女の、一国の第1王女とは思えない自由過ぎる発想と行動力に、こういうプライベートな場では、サクラの年相応の我儘も許すべきだとミセリも考えるようになっていた。
すると、
「皆さん、お茶の準備ができました」
ミルフィーに突然そう言われ、
「えっ!?」
皆が振り返ると、休憩用のテーブルに人数分のお皿とティカップが並べられ、しかもお皿には、切り分けられたリンゴパイが盛り付けられていた。
しかもカップにも紅茶が注がれ、スプーンもフォークも砂糖も準備されていた。
「えっ!?いつの間に?」
「いえ、あの、サクラ様が我慢できない御様子でしたので・・・」
ミルフィーがそう言い終えるより早く、
「ミルフィー、ありがとう」
サクラがそう言ってイスに座り、皆も彼女に急かされるように席に着いていた。
「いただきま~す」
感謝の言葉を神に捧げ、未就学児とは思えないテーブルマナーで《それ》を口にした瞬間、
「美味しい~っ」
サクラは目を丸くしていた。
「これ、アイリが作ったの?スゴく美味しい」
その、あまりの喜びように、
「あ、ありがとうございます」
アイリも恐縮しきりだった。
「ねぇ、また作って。お母様にも食べて欲しいから。いいでしょ?」
「えぇっ!?」
メイドが作った料理を王族が食べることなど普通なら有り得ないのだが、ヘルがリンゴ飴をお土産に持ち帰ったことで、それもなし崩しになろうとしていた。
「そ、そんなの無理です」
アイリが真っ青な顔でそう否定する中、
「そんなことない。こんなに美味しんだもの、きっとお母様も喜ぶから。お願い」
そう懇願されたら断れるハズもなく、
「わ、分かりました」
アイリがそう返すと、
「ありがとう。あ~美味しかった。ごちそうさまでした」
サクラはあっという間にリンゴパイを完食していた。
だが、まだお腹が空いているらしく、彼女はワゴンに残されたパイを物干しそうな目で見つめていた。
「ミセリ、あのリンゴパイを少しだけ分けて。だめ?」
「ほんの少しならいいですよ。その代わりに、後でヘル様に謝ってくださいね」
「うん」
「えぇっ!?」
それを聞いた瞬間、ミルフィーが飛び上がらんばかりに立ち上がっていた。
「ど、どうしたの?」
皆が驚きを隠せない様子で自分を見つめていることに気付いた彼女は“はっ”と我に返り、
「い、いえ。あ、あの、サクラ様」
と、言葉を選ぶように彼女に話し掛けていた。
「なに?」
「あのリンゴパイはヘル様の分ですから、今日のところは我慢してください」
そう諌めたが、
「え~~~っ。ほんの少し、端っこでいいから。だめ?」
サクラはそう言って譲らず、しかも、
「包丁で端っこを少し切るだけなら問題ないだろう?」
と、ミセリまでもがそれを容認してしまっていた。
「で、でも、そんなことをしたらパイの形が崩れてしまいます。アイリ様がヘル様に食べて頂こうと精魂込めて作られたのに・・・」
「あら、それなら大丈夫よミルフィー。ヘル様はそんなの気になさらないし、私のパイは形が崩れても美味しいから」
「えっ!?」
2人にそう言われ、思わず口ごもるミルフィーの態度に、
「どうしたミルフィー?パイをサクラ様に食べられたらマズい理由でもあるのか?」
ミセリがそう問い掛けていた。
「い、いえ。何でもありません」
が、実は大有りだった。
ヘル用に取り分けられたパイと紅茶には毒が、しかもサラマンダーの唾液から抽出した強力なヤツが混入されていたのだ。
食糧大臣からヘルの暗殺を命じられている彼女は、皆がヘルの寝顔に見とれていた隙に、右手の指輪の中に仕込まれていた毒を、取り分けたヘルのパイと紅茶にかけていた。
毒を中和するには、左手の指輪に仕込まれた解毒薬をパイと紅茶にかけるしかないのだが、実は解毒薬は1つしかなかった。
毒は2つ調合できたのだが、あまりに強力過ぎて、解毒薬を調合する薬剤が1つ分しか手に入らなかったのだ。
幸い(?)にもサクラはパイだけを所望しているので、パイにかければいいのだが、皆が見ている目の前で、そんな怪しさ大爆発な行動を取るワケにもいかない。
しかし、何より今問題なのは、このままだとサクラを死なせてしまうということだった。
そもそも悪魔姫を殺すことになったのは、サクラ様に第1王女になって頂こうという食糧大臣の願望から始まっている。
不可抗力とはいえ、その肝心のサクラ様を殺してしまったら、今度は自分が賞金首になってしまう。
こうなったら、自分があまりの空腹に我慢できずヘル様の分を食べてしまうという演技をして、すかさず解毒薬を飲むしかないのだが、そうなればパイだけ食べて紅茶を飲まないのは不自然だ。
何よりサクラ様が、万が一にもパイの代わりに紅茶を欲しがったら元も子もない。
しかしそうなると、パイと一緒に解毒薬を飲めば毒は中和されるが、その後で毒入りの紅茶を飲むハメになる。
かといって、パイを先に食べて紅茶と一緒に解毒薬を飲むとなると、その前にパイの毒が効きすぎて意識を失う可能性もある。
(あ~~~、どうしたらいいの?)
ミルフィーは毒に知識がある分考え過ぎてしまい、もうどうしたらいいか分からなくなっていた。
「あ~、ひどい目にあった」
そこに1人の少女が姿をあらわした。
「えっ!?ミカヅキ?」
そう。それは、ヘルと一緒に鉄球にぶっ飛ばされたミカヅキだった。
しかも彼女はボロボロだった。
そんな彼女を、
「貴様、ヘル様の警護という大切な仕事を放り出して、今まで何処をほっつき歩いていた?」
そうミセリが叱りつけると、
「あんな大きな鉄球がぶつかるのに、ヘル様が明らかに無防備だったから、助けようとして一緒に飛ばされたんです」
と、彼女はいかにも迷惑そうに吐き捨てていた。
「えっ!?鉄球に??なんで生きてるの?」
「ぶつかる直前に防御魔法を自分に掛けたの。ボクが天才だから出来たけど、そうじゃなかったら死んでた。しかも飛竜国まで飛ばされて・・・」
「えぇっ!?」
「と言っても、国境の近くだったからよかったけど、それでも数えきれないぐらいの飛竜人に狙われて、命からがら逃げてきたんだから。見てよこの服」
そう言われるまでもなく、彼女のマントも服も鋭い爪に切り裂かれ、高熱の炎に焼かれた跡が、そこらじゅうに生々しく残っていた。
「1人で逃げて来たのか?どうやって?」
驚きを隠せないミセリに半信半疑にそう訊ねられ、
「もう、マジで死ぬかと思った。バーニング・ノヴァを3回も使って・・・」
そう、キレ気味に答えていた。
「えっ!?それをやったら気を失うんじゃないのか?」
それを聞いたミセリが、思わずそう言い返すと、
「なんでそれを知ってるの?」
と、ミカヅキは睨み返していた。
「いや、その、ヘル様から聞いたんだ。もし何かあってもバーニング・ノヴァはあまり使わせないであげて欲しいと。・・・いけなかったか?」
「もう。なんで話すかなぁ。・・・まぁいいわ。その後で、殺した飛竜人の腹を斬り裂いて、その中に潜んでやり過ごして帰って来たの。でもキツかったわ。もう倒れそう」
そう言いながら“ふらふら”歩くミカヅキの目に、リンゴパイと紅茶が止まった。
そして彼女は、飛竜国から1人で脱出するという極度の緊張から解放された安堵から来るあまりの喉の乾きに、目の前のティカップを掴むと、何の躊躇も無しに“ごくっ”と一飲みしていた。
「あっ!?バカっ!!」
だが、ミルフィーがそう言うより早く、ミカヅキはその場に倒れていた。
「ど、どうしたの?」
そう、驚きの声をあげるアイリに、
「わ!!分かりません。急に倒れて」
そう応えながら、ミルフィーはミカヅキが舌を噛み切らぬよう口の中に指を突っ込んでいた。
「バーニング・ノヴァのせいで寝ちゃったんじゃないの?」
「違います。死にかけてます」
ミルフィーはそう言って、介抱するフリをしてマントの紐をほどきながら、手首に仕込んでいた小刀で、彼女の二の腕に切り傷をつけていた。
「こんな所を切られています。もしかしたら、刃に遅効性の毒が塗ってあったのかもしれません」
「遅効性の毒?」
そう言いながら、慌てて駆け寄ったアイリに、
「すぐに殺すのではなく、手傷を負わせて仲間の所まで案内させる。飛竜族がよく使う手です」
ミルフィーがそう説明すると、
「ミルフィー、何でそんなこと知ってるの?」
アイリはそう返しながら、エプロンの裾を破りミカヅキの傷口に巻いていた。
「そ、そんなこと今は関係ないでしょう?誰か、クレアさんを呼んできて下さい」
彼女がそう叫んだが、
「く、クレア?誰か、クレアが今どこに居るか知っている人いる?」
「いえ、私、知りません」
「私も知りません」
女の子たちは“オロオロ”するばかりだった。
が、
「ここで、そんなことを言っている場合じゃない。皆で手分けして捜すんだ」
ミセリがそう一喝すると、皆が一目散に駆け出して行った。
そして1人残されたミルフィーは、
「あなた何してるの?バカなの?なんでパイじゃなくて紅茶を飲むのよ?」
キカヅキをそう怒鳴りつけていた。
そう。ミルフィーは皆がミカヅキに注目している一瞬の隙を突いて、パイに解毒薬を振りかけていたのだ。
が、ミカヅキはよりにもよって、解毒薬の振りかけられていない紅茶の方を口にしていた。
「この状況を見れば、毒が入っていることぐらい分かるでしょ?」
そう必死に呼び掛けながら、ミカヅキに情け容赦なく噛まれる痛みに耐える彼女の指先が奥歯に触れた。
すると、1本だけ指に当たる感触が違う歯があることに気付いた。
「ま、まさか!?」
ミルフィーはミカヅキに噛まれるのもお構い無しに口の奥へと指を押し込みその歯を掴むと、それは“ぽこっ”と外れていた。
「これって」
それが自決用の毒か解毒剤のどちらかであろうことは、ミルフィーにも安易に想像できた。
彼女はそれを掴んだまま、彼女の口に左手を突っ込みながら右手を引き抜くと、それを躊躇することなく“かりっ”と噛み砕いた。
仮にもし毒だったとしても、その時は目の前のパイを食べればいい。
すると、口の中に甘い液体が広がるのが分かった。
そして、ミルフィーはその味の正体を知っていた。
それは解毒薬に間違いなかった。
ミカヅキは奥歯に解毒薬を仕込んでいたのだ。
が、それを飲ませようにも、ミカヅキは意識が朦朧としたまま、もがき苦しみ続けていた。
「仕方ない」
ミルフィーはそのまま彼女に覆い被さっていた。
液状の解毒薬を自らの口の中で溶かしてしまった以上、口移しで飲ませる以外、もう手は残されていない。
暴れる彼女に覆い被さり、頬に手を当て、激しく振る首を無理矢理押さえ付けて、ミルフィーはキスしていた。
「ん、んんっ」
その時、ヘルが目を覚ました。
そして、寝ぼけ眼で辺りを見渡した彼女の目に飛び込んできたのは、濃厚なキスを繰り広げるミルフィーとミカヅキの姿だった。
「!?」
ミカヅキが口を閉じぬよう、彼女の上下の歯に自らの歯を噛み合わせるように唇を重ね合わせ、口の中に注がれるミルフィーの唾液を異物として排除しようと蠢かす彼女の舌を舌で押さえながら、薬を溶かした唾液を飲ませていく。
結果として2人は、唇を密着させ合い、互いに舌を絡ませながら濃厚なキスを交わす格好になっていた。
それを目の当たりにした瞬間、ツカサは大慌てで寝たフリをしていた。
(えっ!?えぇ?2人とも昼間から、しかも外で何してるの?)
しかし彼女は薄目を開け、そんな2人をしっかりと見つめていたのだった。
〈つづく〉




