第21話・「・・・終わった。なにもかも」
その日、ガルダンシア国の王宮はただならぬ空気に包まれていた。
謁見の間の上座に並べられた玉座に座る王子シュバリエは窮屈そうに正装に身を包み、肘掛けに肘をかけた拳で頬杖をついたまま眼下にい並ぶ人達を見ていた。
が、それを注意したのは彼のパートナーで、男妃(ガルダンシアでは男性の妃をこう呼ぶ)となった元拳闘士で猫耳美少年のクリスと、長年仕える爺ぐらいだった。
いつもなら眼下には、目の上のたんこぶぐらいうるさい元老院の連中や重臣や貴族たちが我が物顔で並んでいるのだが、今日はその姿はなく、政治家や豪商や、役人達が並んでいた。
その時、
「フェアデリア王国第1王女、ヘル様の御入場です」
その言葉と共に扉が開き、ミセリとアイリを従えたヘルが入ってきた。
彼女は、フェアデリアの王族しか着用を認められない豪華絢爛な衣装に身を包んでいた。
が、ヘルが歩くレッドカーペットを挟んで左右に並ぶ人たちは、彼女に目もくれず前だけを見据えていた。
しかも彼らは皆、鼻まで隠れるフードを被っていた。
「ヘルの赤い瞳を見ると、魂を支配され、操り人形にされてしまう」と聞いたからだ。
そして、それこそが元老院や貴族たちがこの場に参加しなかった理由だった。
もちろん皆、最初は半信半疑だった。
が、彼女がフェアデリアに嫁いで一日で15人の王子を全て追放し、自らが第1王女に収まったという噂がもたらされると王宮内の空気は一変していた。
しかも、「赤い瞳の力だけでなく、王やお妃の髪の毛を藁人形に入れ意のままに操っている」と聞いたという者まであらわれ、この場に参加している者は皆、身体じゅうの体毛を剃っていた。
そして、悪い噂には尾鰭背鰭がつくもので、ヘルがガルダンシアに着く頃には、
「巨大な花の化け物の群れと、それを操る悪魔を城下に連れ込み、民衆を恐怖で支配している」
と、いう話で宮中が持ちきりになっていた。
それらの噂は、フェアデリアにいる忍びによって否定されたのだが、一度火がついた悪い噂はなかなか消えず、今日という日を迎えたのだった。
それに、肝心のヘルもそれどころではなかった。
十二単みたいに重ね着している衣装はかさばり、靴も底の厚みが20センチ以上はあろうかという厚底で、歩きにくいことこの上ない。
けれど、その豪華絢爛な衣装にツカサのテンションは上がりまくりだった。
「ヘル様、大丈夫ですか?」
小声でそう話し掛けるミセリにも
「大丈夫」
そう笑顔で返すほどの余裕だった。
そんな彼女を見て、アイリは内心“ほっ”としていた。
お城で衣装を試着した時、アイリは彼女に靴の底を短くしてはどうかと薦めた。
這えある外交デビューの場で転んだりでもしたら大変だからだ。
だが、ヘルは猛特訓し完璧に歩けるようになっていた。
それも一重に彼女の努力の賜物だとアイリもミセリも感動していた。
が、ツカサの事情は少し違っていた。
ヘルの姿まま豪華絢爛な衣装を着て姿見の前に立った瞬間、彼女のレイヤー魂に火がついたのだ。
彼女にとってそれは、即売会というお披露目の場を前に、コスプレの衣装を着て鏡を見ながら決めポーズの練習をするのと同じぐらい楽しいことだった。
「ヘル様、本当にお綺麗です」
そううっとりしながら見つめるアイリに、
「ふふっ、私を誰だと思ってるの?
胸にパット入れまくって、ウエストをコルセットで絞りまくって、くそ高いヒール履いて、規則を破った生徒を監獄にブチこむ裏生徒会副会長のコスプレもしてたんだから。
あれに比べたらこんな厚底ぐらい楽勝・・・」
その時彼女の目に、玉座に〝ちょこん″と座る猫耳美少年の姿が飛び込んできた。
「!?」
猫耳と言っても、耳が頭あるのではなく、人と同じ位置にある耳が猫のような狐のような形をしているのだが、そんな彼のあまりの可愛さに気を取られた彼女は、引きずるように歩く衣装の裾を踏み、そのままあっけなく倒れるように転んで、“びった~~~んっ”と顔面を絨毯に強打していた。
「いったぁ~~っ。鼻打ったぁ」
「ヘル様っ」
「ヘル様っ!?」
「ヘル様っ!!」
鼻を真っ赤にして倒れたまま起き上がれない彼女を、慌てて2人が抱き起こそうとするのと同時に、ヘルの前に手が差し伸べられていた。
「だ、大丈夫ですか?」
それは、クリスだった。
自分を心配そうに見つめる、子猫のような瞳と、思わず抱きしめたくなる可愛らしい顔に、ツカサは彼の手を“ぎゅっ”と握り、
「は、はい。大丈夫です」
と、うっとりしながら見つめていた。
が、彼の顔や手には無数の生々しい傷痕があり、首や手首には枷をはめられていた痛々しい痕が残っていた。
(この子、本当に拳闘士だったんだ)
その、マンガやアニメでは伝わらない生々しさに思わず息を飲みながらも、
(そ、それにしても、この男の娘。マジ可愛い~~~っ。耳を撫でたい)
あまりの可愛さに、ツカサはもう“メロメロ”だった。
そんな浮かれポンチ脳になっている彼女の視界の端に、シュバリエ王子が見えた。
王子様は男妃様とは対照的に、ワイルドな風貌の中にも冷静さを感じさせ、衣装の上からでも鍛えていることがハッキリと分かる筋肉質のイケメンだった。
彼もヘルを助けたかったらしく、椅子から立ち上がっていたが、爺に止められていた。
暗殺とかを考えれば当然だろう。
そして2人を同時に見たツカサの脳裏に、この前見た、美少年兵士たちの姿が重なった。
(こ、この2人もあんなことやそんなことを)
そう思った瞬間、
“ぴゅ~~~っ”
と、鼻血を吹き出していた。
「ヘル様!!」
「へ、ヘル様っ!?」
「ヘル様っ!!」
「えっ!?、あっ!!」
ミセリとアイリが慌ててティッシュをヘルの鼻にあてがったが、ヘルの手や彼女が握りしめたクリスの手、そしていかにも高そうな2人の衣装にも血が幾つも落ちていた。
「・・・終わった。なにもかも」
ツカサは頭を抱えていた。
彼女が鼻血を吹いた後、3人は別室(と言っても、この部屋も目茶苦茶豪華なのだが)に通されていた。
いつもの服に着替え、ヘルとアイリは丸テーブルの椅子に座り、ミセリはドアに背を向けて立って使いの者が来るのを待っていた。
が、何の音沙汰もなく、時間だけが過ぎていく。
そんな重苦しい空気の中、時計の秒針が刻む“カチ、カチ、カチ”という音だけが部屋に響き渡っていた。
「ミセリ、アイリ、ごめんなさい」
ツカサは2人にそう頭を下げていた。
「ヘル様!?」
「ヘル様、頭をお上げください」
王女が近衛やメイドに頭を下げるという習慣がない彼女達にとって、ヘルの行為はどう対処したらよいか分からず、困惑と戸惑いを隠しきれない。
「まさかクリス様の衣装を鼻血で汚してしまうなんて。・・・あれって、やっぱり王室が代々引き継いできた、お金には替えられない歴史的価値がある的なやつよね」
「ヘル様」
「ミセリやアイリやお妃様には迷惑をかけられない。罰は私が受けるから」
「我が国の第1王女にそんなことはさせられません。罰なら私が代わりに受けます」
「えっ!?」
ミセリの口から飛び出した予想外の提案に、驚きの声を上げるヘルを尻目に、彼女は妹を見つめていた。
「アイリ、私の代わりにヘル様をお守りし、必ずフェアデリアにお連れしろ。いいな」
そう伝えていた。
ガルダンシアは隣国であるため、あらぬ誤解を与えぬようにという政治的配慮から、ヘルの随行をミセリとアイリだけとし、他の近衛やメイドを同行させなかったのだ。
そんな姉の悲壮な決意に、妹も決死の思いを秘めた目で見つめ返しながら、
「うん、わかった」
そう答えていた。
「ちょ、ちょっと待って、2人共なに言ってるの・・・」
ヘルがそこまで話した時、ミセリが立てた指を唇に当て、彼女を黙らせていた。
「どうしたの?}
「誰か来ます」
ミセリは慌ててテーブルまで戻り、ヘルの前に盾になるように立っていた。
“こんっ、こんっ”
「誰か?」
ノックにミセリはそう返しながら腰に手を伸ばし、刀を持っていないことに気付いた。
「私だ、シュバリエだ。入っていいか?」
「えっ!?王子様!?」
何が起きたのか理解できず戸惑うツカサに、
「ヘル様、ご返事を」
ミセリがそう囁いていた。
「えっ!?私?」
「この部屋でシュバリエ殿下がドアを開けてよいか否かを決めれるのは、王女であるヘル様だけです」
「あっ!!そっか!!ど、どうぞお入りください」
“がちゃ”
するとドアが開き、シュバリエ王子に続いてクリス男妃も部屋に入ってきた。
2人はさっきとは打って変わって、ラフな私服姿だった。
「クリス様まで、どうなさったのです?」
頭の中が悪い予感でいっぱいのツカサが、そう言って立ち上がるのと、2人がテーブルの前まで歩いてきたのがほぼ同時だった。
そして、
「ごめんなさい。衣装は弁償します」
「申し訳なかった。私の責任だ」
ヘルとシュバリエは、そう言いながら、同時に頭を下げ合っていた。
「「えっ!?」」
そして、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で互いに見つめ合っていた。
「なんで王子様が謝罪を?」
「ヘル様が転んだのに、クリス以外誰も貴女を助け起こそうとしなかった。これは1国の王女に対してあるまじき無礼だ。この国の王子として非礼を詫びさせてほしい」
「そ、そんな、・・・私の方こそ失礼なことを」
「ヘル様がですか?」
「はい。クリス様の大切な衣装に鼻血を付けちゃったから、あれ、高かったんでしょ?」
そう申し訳なさそうに言ったが、すると今度はクリスが頭を掻きながら、
「いえ、あの衣装は紙製で、袖を作り替えれば大丈夫ですから」
と、申し訳なさそうに言っていた。
「・・・えっ!?えぇっ???それ、どういうこと?」
そう驚きを隠せないヘルに、シュバリエが話し掛けた。
「クリスが拳闘士だったのはご存じか?」
「はい」
「彼の1日の報酬は勝っても銅貨1枚。負ければ無しというものでした」
「「えぇっ!?」」
それを聞いたコルデ姉妹が、同時に驚きの声を上げていた。
「ど、銅貨1枚って?」
そう絶句するアイリに、
「少ないの?」
この国の貨幣価値が分からず、ヘルがそう訊ねると、
「この国の銅貨1枚は5シリングぐらいの価値しかありません。パンを1個買うのがやっとです」
アイリがそう答えていた。
「えっ!?」
「クリスは私に『自分は贅沢を知らないし、したいとも思わない。その代わりに、貧乏で身売りされ奴隷や拳闘士になることでしか生きられない子供達を1人でも多く救って欲しい』と言ったのです。それにお金を使って欲しいと。
それでクリスと私の服は紙製になった。だから謝らなくていい」
シュバリエはそう言いながら、クリスの頭を愛おしそうに撫でていた。
そして、それを聞いたツカサはもう泣きそうだった。
「もう、クリス様って、なんていい娘なの~~~」
いや、もう泣いていた。
「ヘル様!!」
アイリが慌ててハンカチを差し出すと彼女はそれで鼻を噛み、王子にある疑問をぶつけていた。
「でも、奴隷も拳闘士も、制度そのもをシュバリエ様の権限で辞めさせれないのですか?」
「それは無理だ」
だが、返ってきたのは、苦渋に満ちた答えだった。
「何故ですか?」
「奴隷も拳闘士もギルドがあって、そいつらが元老院や政治家どもに超高額の献金をバラまいているからだ」
「・・・そんな。何か手はないんですか?」
ヘルが食い下がるが、
「ないこともないが・・・」
返ってきたのは、なんとも歯切れの悪い言葉だった。
「どんな方法ですか?」
「簡単なことだ。両方のギルドを買えばいい」
「えっ!?」
「2つのギルドを束ねているのは同じ男だ。そいつから買えばいい。
だが、それには我が国の国家予算の10パーセントに匹敵する金がいる。そんな大金はすぐには用意できない」
苦渋の表情でそう言うシュバリエに、
「それに、そんなことをすれば、シュバリエがギルドから逆恨みされ暗殺されかねない」
クリスもそう追随していた。
「アイリ、あれをだして」
「えっ!?」
ヘルに突然そう言われ、アイリは戸惑ったが、
「お願い」
そう言われ、
「はい。わかりました」
彼女は慌てた様子で、頑丈そうなキャリーケースから、腕を“ぷるぷる”震わせながら小さな箱を取り出していた。
そして、アイリからを受け取ったそれを、ヘルは2人の前に差し出していた。
「これは?」
「中を見てください」
勧められるままに蓋を開けると、中にはドラゴンドロップがびっしりと詰まっていた。
「これは?」
「フェアデリア王国からお2人へのご結婚祝の品。のつもりだったのですが、気が変わりました。これをお渡しするのは止めます」
「は!?ヘル様、何を言ってるのですか?」
アイリがそう戸惑いの声をあげる中、
「奴隷と拳闘士のギルドを、私がこのドロップで買い取ります」
ヘルはそう宣言していた。
「「えぇっ!?」」
「ダメですか?」
腰も抜かさんばかりに驚く2人の様子に、ツカサはそう聞き返していた。
「これだけのドロップがあれば余裕で買えます。私どもは構いませんが、ヘル様はよろしいですか?」
「何がですか?」
シュバリエの言う意味が分からず、今度はツカサがそう聞き返していた。
「悪魔姫が買ったとなれば、ヘル様が人身売買をしているとか、食べるために買ったとか、そういう悪い噂が流れますよ。と王子はおっしゃっているのです」
ミセリが慌ててフォローする。
「大丈夫です。それ、私たち悪魔族への最高の褒め言葉ですから」
彼女はそう言ってウインクしていた。
「それに、私が買えばシュバリエ様やクリス様がギルドの人たちの恨まれることもないし」
「でも、それではヘル様の命が・・・」
そう心配そうに見つめるクリスに、
「大丈夫。私、思いのほか頑丈なんです」
ツカサは笑顔でそう返していた。
「それに私の命を狙えば、フェアデリアだけでなく悪魔国も敵に回すことになります。そんな自分から地雷を踏みに行くようなことをする人はいないと思う。多分」
「ヘル様」
「そうと決まれば、これからギルドに行きましょう」
「えっ!?」
ヘルの突然過ぎる提案に、皆が驚きの声をあげていた。
「私達は明日になったら帰らないといけないし、お2人がドロップを持っていっても、いろいろ難癖つけて売ってくれないと思うの。ほら、利権というか甘い汁は美味しいから手放したくないじゃない」
「ヘル様、お詳しいのですね」
ミセリが感心した様子で相づちを打つ。
「時代劇に出てくる悪代官てだいたいこのパターンでしょ?」
「はぁ?」
「確かに、悪魔姫が買いに来たら売らざるをえないでしょうね。悪魔国は敵に回したくないでしょうから・・・でも、子供達はどうするのですか?」
クリスが重い口を開いた。
「奴隷の中には、口にすることも出来ないようなおぞましいことをさせられた者も大勢います。ギルドの連中は自分たちの罪の発覚を恐れ、子供たちを始末しようとするかもしれません」
「それなら、子供たちは全員フェアデリアで預かります」
「ヘル様、よろしいですか?お妃様に相談もなしに決めて」
ミセリはそう進言し、
「子供達は100人以上いますよ」
クリスもそう言ったが、
「いいの。今、それができるのは私だけだから」
彼女はそうキッパリと言い放っていた。
「それで、シュバリエ王子とクリス様に、幾つかお願いがあるのですが、いいですか?」
「私達に出来ることなら何でも言ってくれ」
ヘルからのお願いを、シュバリエは快諾したが、
「お2人にも一緒にギルドについてきて欲しいんです」
その、思いがけない内容に、
「私達が、ですか?」
ギルドに忌まわしい思い出しかないクリスは戸惑いを隠せないでいた。
「はい。今、ふと思ったのですが、私1人で行っても王族の許しがなければ売れないとか言われて相手にされない可能性もあるので、王子様に来てほしいんです」
「ヘル様、よくそんな事気付きますね?」
その発想にアイリは感心していた。
「もちろんよ。国が変われば考え方も違うの。そのニュアンスの違いの詰めが甘いまま社長が契約書にサインして、海外の取引先に何度泣かされたことか」
「は、はぁ?」
「それと、私では子供達が怖がってついてきてくれないと思うので、顔見知りのクリス様にも一緒に来てほしいんです」
「はい。それなら喜んでご一緒します」
そう返すクリスの顔からは迷いが消えていた。
そしてヘルは、ドロップを加工して作られた耳飾りの1つを外すと、王子の前に差し出していた。
「あと、これで子供達の食事と今夜寝る場所も用意していただけますか?」
だが、王子はそれを受け取ることを固辞した。
「それなら問題ない。
今夜ヘル様をお迎えして晩餐会を行うつもりだったので、食材が100人分以上ある。寝る場所もお城を解放しよう」
そして、笑顔でそう約束してくれた。
「でもヘル様、なんと言ってお城を抜け出すのですか?」
「う~ん。じゃあ、私がどうしても拳闘を見たいとワガママを言って、お2人が仕方なくギルドまで案内することになった。で、いいんじゃない。悪魔姫の頼みなら断れなくても仕方ないでしょ?」
ヘルがそう言うと、
「ヘル様、ありがとう。行こう、ついてきてくれ」
と、シュバリエが、
「ヘル様、この御恩は決して忘れません。私がご案内します」
そしてクリスが彼女を先導し、
「私もお供しますヘル様」
と、ヘルに続いて重そうに箱を抱きしめるアイリと、
「ヘル様、しんがりは私にお任せください」
ミセリもそれに続き、5人は部屋を出ていった。
〈つづく〉




