第2話・「私を信じて」
「んっ、んんっ」
大きな俎板の上に女の子が乗せられていた。
それは、ダンテが拐ってきた少女だった。
彼女は目隠しをされ、口も塞がれ全裸で手足を広げた格好で縛られていた。
「で、どうするんだ?」
真っ黒なコックの衣装に身を包んだ悪魔が、傍らに立つ、執事に訊ねる。
「ダンテ様がおっしゃるにはしゃぶしゃぶにしてほしいと・・・」
「しゃぶしゃぶ?これだけ新鮮なら生け作りのほうが美味しいと思うんだが」
「私もそうお薦めしたのだが、生け作りではヘル様が拒絶反応を示すかもしれないとダンテ様がおっしゃって」
「ヘル様にも困ったもんだ。こんなに美味しいのを食べれないだなんて。一体何が気に入らないんだか」
「まぁそう言うなコック長。ヘル様は我々の為に人族に嫁ぐのだぞ。そのご心中を察したら私は・・・」
そう言いながら執事は泣いていた。
「今夜はヘル様が家族水入らずで食される最後の晩餐なんだ。だから良き思い出として記憶に残る料理を出して欲しい。コック長、この娘はしゃぶしゃぶにしてくれ」
「まぁ、あんたがそこまで言うんなら」
コック長はそう言いながら、いかにも切れ味鋭そうな包丁を手に取り、その切っ先を女の子の喉元にあてがった。
「まずは血を抜かないとな」
「コック長、血は食前酒としてお出しするから・・・」
「わかってる。下に樽が置いてあるのが見えるだろ?」
コック長はそう言うと、気を取り直して包丁を振り上げた。
“バンっ”
その瞬間、厨房のドアが壊されんはがりの勢いで開いていた。
2人が反射的に手を止め振り返ると、そこには血相を変えたヘルが立っていた。
彼女は女の子を救うべくダンテと共に牢獄を訪れたが、一足違いで厨房に連れて行かれた後だった。
ツカサは彼からここの場所を聞き出し、脇目も振らず全力で走ってきたのだった。
髪の乱れも気にせず肩で大きく息をしながら立ち尽くす彼女の目が捉えたのは、女の子の首まで、あとわすが数ミリのところで止まった包丁だった。
「や、やめてぇ~」
ツカサ自身、そこからのことはよく覚えていない。
気がついたらコック長と執事は壁にめり込んでいて、彼女は女の子の拘束を解いていた。
「だ、大丈夫?」
そう言いながら口から枷が外され目隠しが取られた。
「!?」
その刹那、女の子の視線に飛び込んできたのは、自分を鼻の頭同士がくっつくぐらいの近さで見つめるヘルの顔だった。
「ねぇ、大丈夫?どこもケガしてない?」
だが、その声が女の子の耳に届くことはなかった。
彼女は今はヘルとなってしまったツカサの顔を見た瞬間に、失禁しながら気絶していた。
「大変」
彼女は着ていたネグリジェを脱ぐと、それで女の子の身体を包み抱きかかえた。
「ヘル様、嫁入り前の王女ともあろうお方がなんというはしたない格好・・・」
そう、ネグリジェを脱いだ彼女が着ていたのは黒の下着だけだった。
だが、ツカサはそんなことは意に介さず、
「医者、お医者さんはどこ?」
と、執事を怒鳴り付けていた。
「医者?」
執事が“よろよろ”と立ち上がる。
「そう、お医者さん、この子を見てもらうの」
「何を言っているのですかヘル様?我々魔族の医者が人間を診察できるわけがないでしょう」
「えっ!?」
「それに、その娘は気を失っているだけで生きています。放置しておいても何の心配もありません」
「そ、そういうことじゃないでしょ?・・・そ、そうだ、お風呂、お風呂はどこ?案内して」
彼女は執事に案内されるまま、女の子を抱きかかえて城の奥深くへと歩いて行った。
途中ですれ違った魔族たちが、美味しそうなお肉やスイーツを見るような目で女の子のことを見ていたが、彼女を抱きかかえているのがヘルだと分かると皆一斉に目を逸らしていた。
そして、曲がりくねった迷宮のような廊下を歩いてたどり着いたのは、ライオンヘッドならぬケルベロスヘッドからお湯が流れ落ち続ける大浴場だった。
ヘルが女の子を抱いたままそこに入っていこうとするのを執事は慌てて止めていた。
「ヘル様、何をなさるおつもりですか?」
「この子の身体を洗ってあげるの。このままじゃ可哀想でしょ?」
だが、そう言う彼女の前に執事が立ち塞がっていた。
「お止めください」
「えっ!?」
「ここは代々王族のみが浸かることを許された由緒正しい浴場です。そこに人族を入れるなど汚らわしい・・・」
“どっご~~~んっ”
そこまで話したところで執事はハイキックで顎を蹴り上げられ湯船の中に落ちていた。
どれほどの時間が過ぎただろうか?
温かい温もりに包まれるような心地よさに女の子は目を覚ました。
彼女はヘルの太股に腰を降ろし、その豊潤に実る果実のような2つの胸の膨らみに顔を埋めるようにしてもたれ掛かり、身体を洗ってもらっていた。
「!?」
その瞬間、夢のような心地よさは吹き飛び、今の今まで温かかった温もりも、背筋に氷でも当てられたかのような“ゾクゾク”する悪寒にうち震えながら、逃げるように立ち上がろうとした。
けれど、足の裏も床も泡まるけで、慌てて立ち上がった彼女は“つるっ”と足を滑らせあっけなくバランスを崩していた。
「あぶないっ」
ツカサは慌てて立ち上がり女の子を抱きしめた。
いや、抱きしめようとしたが彼女が激しく抵抗し、2人は縺れ合うように湯船の中に落ちていた。
「ぶはぁ、なに、これ?」
ツカサは立ち上がろうとして驚いていた。
湯船の深さが立ったツカサの首辺りまであったのだ。
“バシャっ、バシャっ、バシャっ”
その時、ツカサのすぐ横で激しく飛沫が上がった。
その正体は女の子だった。
彼女は溺れていた。
ツカサが助けようとするが、女の子はパニック状態で抱きかかえることができない。
「お願い落ち着いて、今助けるから」
「うそ、私を食べるくせに」
だが、女の子から返ってきたのは以外な言葉だった。
「私の身体を洗ってたのも食べるからなんでしょ?」
「そ、そんなことない」
「うそ」
「うそじゃない」
「悪魔の言うことなんか信じられない」
「わ、私が、私がヘルでも信じられない?」
「えっ!?あなたがあのヘル?」
「そう、私がヘル。だからあなたを食べたりしない」
ツカサは必死の思いでそう懇願しながら、無我夢中で女の子の抱きかかえ、湯船の縁から大理石の床へ押し出すように上げると、それに続いて自分も湯船から上がっていた。
が、彼女自身も力尽きてその場にぶっ倒れていた。
「あなた、お名前は?」
「メアリ」
「メアリ、私は明日フェアデリア王国にお嫁入りするの。あなたも必ず連れていく。私を信じて、いい?」
「・・・うん」
メアリは肩で大きく息をしながら小さく頷いていた。
〈つづく〉