第三章 「ガラス種板に刻まれた初恋」
古民家カフェに場所を移して伺った竜太郎さんの打ち明け話は、実に興味深い物でしたよ。
一言で申し上げれば、実らなかった初恋の思い出で御座いますね。
あの幻灯機のガラス種板は、生駒家の方々が理事を代々務めていらっしゃる鹿鳴館大学の母体となった女子師範学校で用いられていた物でしたの。
それが時代の流れで御役御免となり、少年時代の竜太郎さんに玩具として譲られたのですね。
そして幼い頃の竜太郎さんは、あのガラス種板の舞妓さんに一目惚れしてしまったのですわ。
「だけど、子供の頃の僕にも分かっていたんです。あの舞妓さんにどれだけ憧れても、絶対に会えないって…」
何しろ、件の幻灯機とガラス種板が製造されたのは明治時代ですもの。
モデルとなった舞妓さんが既に彼岸の人となっている事は、火を見るより明らかですわ。
しかしながら、会えないと知って余計に思いが募るのは、世の道理。
−せめて幻灯機で投影される画像の中だけでも、あの舞妓さんと寄り添いたい。
そんな初な少年の恋心が生んだのが、あのツーショットのガラス種板だったのです。
古いガラス種板に御自身の写真を慎重に貼付しようと試みる竜太郎さんの姿が、目に浮かぶようでしたわ。
「御見合いの席で真弓さんと御会いした際には、心底驚きましたよ。あのガラス種板の舞妓さんが生き返ったのではないかと思う程に、生き写しなのですからね。」
これで全てが腑に落ちましたよ。
此度の京都デートで和装を要求されたのは、私の印象を件の舞妓さんに寄せるため。
写真の構図に拘られていたのも、ガラス種板の京都写真を再現するため。
竜太郎さんは私を通して、初恋の人の面影を追っていらっしゃったのですね。
「真弓さん、きっと気を悪くされた事でしょうね…デートの最中に、別の女性へ想いを募らせていたのですから…その上、真弓さんを媒体代わりにするだなんて…」
そうして項垂れた竜太郎さんの御姿は、見ている私がいたたまれない気持ちになってしまう程に、哀愁に満ちておりましたの。
しかしながら、そんな竜太郎さんのしおらしい御姿に、私は親近感と好感を抱き始めていたのでした。
生真面目な堅物かと思いきや、初恋の思い出が忘れられないという少年みたいな純情さを持ち合わせていらっしゃるんですもの。
「率直に申し上げて、驚かされましたわ。我が社の初期の製品と私の御先祖様に、こんな形で御目にかかれるだなんて。」
「えっ?!」
今度は竜太郎さんが、私の打ち明け話に驚く番ですわね。
これぞ正しく、主客転倒で御座いますね。
「この京都の地理を扱った教材用ガラス種板は、我が小野寺教育出版が初期に手掛けた製品ですの。弊社にも揃いでは残っておりませんので、社史編纂等の際にお貸し頂けたら、喜ばしい限りで御座います。」
「は、はぁ…」
思いがけない方向に話が進み、呆気に取られた御様子の竜太郎さん。
先程までの重苦しい空気を変える事は出来て、私としても一安心ですわ。
小野寺教育出版の社長令嬢としての執り成しは、一応の成功を収めた模様。
今からは、小野寺真弓という一個人として、竜太郎さんに打ち明け話をさせて頂きましょうか。
「それから…初恋の女性の件で竜太郎さんが私に負い目を抱かれていらっしゃるのなら、それは取り越し苦労で御座いますの。こちらの舞妓姿の女性は、私の父方の御先祖様に当たる人でして…」
ここから先は父や祖父から聞き齧った話の継ぎ接ぎなのですが、件の女性は明治時代に我が小野寺家へ輿入れした方で、例の写真は新婚旅行の際に撮影した物との事ですの。
当時の小野寺家若当主は、新婚旅行の余興で舞妓に扮した新妻の美貌を誇らしく感じており、何らかの形で世の人々に誇示したいという願いを抱いていたそうですわ。
そこで目を付けたのが、地理科目の副教材として開発中だった、幻灯機用のガラス種板なのでした。
モデル代を節約するためとの口実で新妻を説得した若当主は、件の写真を地理科目用ガラス種板の京都編に組み込んだのですわ。
そのガラス種板が、鹿鳴館大学の前身である女子師範学校に教材として納品され、永い年月の末に少年時代の竜太郎さんの手に渡ったという事になるのですね。