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わたしゾンビと身体入れ替わっちゃったみたい

作者: 春名功武

 はじまりは、某国が秘密裏に開発していた生物化学兵器が、研究施設から漏れたことであった。それは街中に蔓延していき、多くの住民がウィルスに感染した。そのウィルスは人間を変異させる特質を持っており、感染者のほぼ100%がゾンビ化した。


 ゾンビ化した人間は見境なく人間を襲い始めた。ゾンビに噛まれたり、引っ掻かれたりした人間もウィルスに感染してゾンビ化した。そのことからも、ゾンビが人間を襲う理由は、ウィルスを拡散させる目的だろうと推察された。現在、世界はゾンビで溢れ返った無法地帯となっている。



 目を開くと青空が広がっていて、まだ生きているんだと実感する。私はまだ私のままでいられているようね。本当、よくあの状況で助かったわ。


 数分前。私は仲間と共に襲い掛かってくるゾンビの群れから逃げていた。とにかく助かりたい一心で、何も考えず無我夢中で走った。迂闊だったのは、周りを見ていなかった事ね。気が付いた時には、仲間と逸れていたの。


 ひとりぼっちになって心細かったけど、いずれ仲間が探しに来てくれると信じていたわ。だって私、自分で言うのも何だけど、清楚で可愛らしい顔立ちをしていて、みんなのヒロイン的存在なの。性格は見た目とは違って活発な方だと思うんだけど、そのギャップがいいのかもしれないわね。仲間の中には、私に好意を寄せてくれる男性が何人もいるのよ。


 だからみんなが探しに来てくれるまでの間、何処かで身を隠す事にしたの。近くに神社がある事を思い出して、そこに向かう事にしたのよ。神社なら社務所とかもあるし隠れるのに適しているから。外にいるより、屋内の方が圧倒的に安全だもの。社務所がゾンビに占領されてなかったらの話だけど。


 境内に入り、鳥居を抜けて、石段を登っていく。一本石を使った美しい石段は55段あった。息も絶え絶え、一気に最上段の55段まで登ると、そこで力尽きてしまった。近くの石柱を背に腰を下ろして、息を整える。階段を登れるゾンビがいるのは知っていたから、ここだって安全じゃないのは分かっていたけど、ずっと走り通しだったから、さすがに体力の限界だった。


 だから、階段を登ったところにある本殿の前に一体のゾンビがいる事に、全く気が付かなかったの。気付いた時には2㍍も離れてなくて、本当に驚いたわ。50代半ばぐらいのスーツを着たサラリーマン風の男のゾンビ。


 ゾンビとこんな近くで対峙した事無かったから、逃げなくてはと頭では分かっていたんだけど、あまりの恐怖に体が固まって、立ち上がる事さえ出来なかったの。


 それでも、座ったままの体勢で、手足をばたつかせ、逃げようとはしたんだけど、そんなので逃げられるわけもなく、ゾンビは不気味な呻き声をあげながら、私に襲い掛かってきたの。


 必死に噛み付かれないように腕を伸ばして阻止していたんだけど、女性の中でも非力な私に、押し返すなんて到底無理で、ほんの数センチの距離にゾンビの青白い顔があった。意識のない目。乾いてただれた皮膚。これまで噛み付いてきた多くの人間の血液をこびりつかせた口元。それに異臭。


 大きく口を開けたゾンビは、歯茎剥き出しで襲い掛かってくる。腕がプルプルしてきて、もう限界だった。支えきれなくなったその時、ゾンビが私の首元に噛み付こうとしたの。私は最後の力を振り絞って、身体をひねってかわしたわ。そしたら、その弾みで、私とゾンビは一緒に石段から転げ落ちたのよ。


 それで、今に至るってわけ。石段の下で仰向けになって空を見上げている。空の青さが美しく感じるのは、私はまだ私のままって事よね。まさか、石段から落ちた事で、あのピンチを切り抜けられるとは。本当、よく助かったわ。意識もちゃんとしている。でも、いったい何なのよ、これは。


 私は上半身を持ち上げて、すぐ横に視線を向ける。どうして私の隣に私が横たわっているの?人違い?ううん、人違いなんかじゃないわ。どう見ても、この清楚で可愛らしい見た目は、私だもん。じゃあ何で、私の隣に私の身体が。


 もしかして私、死んじゃったのかしら。自分から抜けた魂が、自分の身体を見ているとか。だったら、今のこの身体は何なのよ。視線を落として、自分の身体を見る。


 死んだ経験がないから、単なるイメージだけど、もし死んで魂になっていたら、身体は存在していないか、あるいは透明で向こう側が透き通って見えているかのどちらかではないのかしら。だから自分の身体を見た瞬間、余りにもイメージと違い過ぎて、すぐには頭がついていけなかった。


 目に映ったのは、赤黒い血がべっとりとこびりついたスーツを着た、男性の身体。先程、私に襲い掛かってきたサラリーマン風のゾンビの身体だった。


 私の隣に私の身体があって、私の身体がゾンビの身体だという事は、順当に考えてゾンビと私の身体が入れ替わった、という事よね。私がゾンビでゾンビが私。え~~~!!


 私は、隣で横たわる私の身体を確認した。傷はあるけど、それほど出血はしていないし、脈もある。意識を失っているだけで、死んではいないようね。


 身体が死んでないという事は、もう一度一緒に石段から転げ落ちれば元の身体に戻れるかもしれない。入れ替わったのだから、絶対に戻れるはず。さっそく試そうかと思ったが、不安要素に気が付き、私は足を止める。


 さっき私とゾンビは、一緒に石段から転げ落ちたにも関わらず、意識を取り戻したのは、ゾンビの身体の私だけ。私の身体のゾンビは気絶したまま。ゾンビは痛みを感じないから、その分意識を取り戻すのが早かったのかもしれない。だったら、もう一度、石段から転げ落ちて、身体が元に戻ったとしても、ゾンビだけが先に意識を取り戻して、私が気絶したままなら、間違いなくゾンビは私を襲うだろう。そうすれば、次に目を覚ました時には心も身体もゾンビになっている。ゾンビ100%だ。これは、ひとりで決行するのは危険過ぎる。仲間の協力がいるわ。


 少し離れた場所に、乗り捨てられた古いワゴン車があった。エンジンが掛かれば本来の私の身体を詰め込んで、仲間の元へ行ける。私はワゴン車に向かって歩き出したのだが、何だか身体が硬くて歩きづらい。関節が、ほぼ曲がらないの。それに何故か、両腕が前に上がっちゃう。凄く意識すれば、上がらないけど。気を抜くとすぐに上がっちゃう。もうヤダ。何なのこれ。これじゃ、まるでゾンビじゃない…あ、そうか、ゾンビか。


 あと、常にゔぅ~、ゔぅ~、という不気味な唸り声が口から洩れているの。これも凄く意識すれば、止まるけど…。気を抜くとすぐに、ゔぅ~、ゔぅ~、と言っちゃうのよね。口も上手く動かせないから、普通に喋る事も出来ないし、もう何なのよ。


 それに、今頃気が付いたけど、身体が臭い。鼻につくような、血と脂と腐った肉が混ざり合った、強烈な腐臭が押し寄せてくる。鼻がもげそう。ああ~、臭い、本当、臭いわ、臭くて死にそう。あ、ゾンビだから、既に死んでるか。シャワー浴びたい。


 慣れない身体を動かして、やっとの思いでワゴン車の前までくる。私はワゴン車のドアを開けると、運転席に身体を滑り込ませる。ほぼ曲がらない関節で乗り込むのは、本当一苦労よ。


 ワゴン車にはキーが刺さったままで、回すとエンジンが掛かった。動きそうね。このまま車で、私の身体のもとに向かいたかったが、道幅が狭いので通れそうにもなかった。この車の持ち主もここに乗り捨てていったのは、そういうわけね。


 私はエンジンを止めると、運転席から降りる。そこで、3人の人間の男性と出くわす。私は彼らの顔を見た瞬間、感極まって喜びが込み上げてくる。彼らは、この未曽有の危機を助け合い、共に生きて来た仲間たちだった。ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れた。下を向かないように強がって無理して前を向こうとしてきた。だけど本当は、仲間と逸れてから、ずっとひとりぼっちで、怖くて、心細くて、寂しくて、辛かった。ほんの数分の事だったかもしれないけど、何年にも思える程長く感じられた。


 ほら、言ったでしょう。きっと仲間が助けに来てくれるって。3人共、私に好意を寄せてくれている男性たちなのよ。危険を承知で私を助けに来てくれたのね。私を愛しているから出来たことね。嬉しいわ。


 私は彼らに向かって近寄っていく。まるで野原をスキップするかのように。来てくれてありがとう。会いたかったわ~。彼らの胸に飛び込んでいくつもりだった。それなのに、思わぬ展開が待ち受けていた。


 どん!と、仲間のひとりがゾンビと戦う為に持っていた鉄の棒で、私の胸を思いっ切り突いてきた。


 え~!何で~!一瞬何が起こったのか全く理解出来なかったが、すぐに私の容姿が原因だと分かった。私の容姿はゾンビだもん。サラリーマン風の男のゾンビ。そりゃ、どん!とされるわ。嬉しくて、肝心なことを忘れていたわ。


 どん、と突かれた身体は、よろめく。続けざまに仲間のひとりが、鉄の棒で攻撃をしかけてきた。ぶうん、と振り回した鉄の棒は私の肩に衝突した。いよいよ身体のバランスが保てなくなり、尻餅をついた。途端に、鉄の棒が次々と振り下ろされる。痛ッ!痛ッ!痛ッ!と思ったのだが、身体がゾンビなので、実際は痛くも痒くもなかった。だけど、精神的なダメージはあった。まさか自分の事を好きだと思っていた男たちに袋叩きにされるなんて。ねぇ、私の事好きじゃなかったの。好きだって言ったじゃん。何でそんなに叩くのよ。あんまりじゃない。こんな仕打ち酷いわ。本当男の人って見た目が重要なのね。


 しばらくすると、彼らの攻撃はパタリと止んだ。どうしたんだろうと、顔を上げて彼らの方を見ると、恐怖に慄く顔をしていた。怯え切った彼らの視線の先を見る為に、私は背後を振り返る。ゾンビの群れがこちらに向かって速足で迫ってきていた。十体以上はいる。戦慄が走る。3人は慌てて、その場に私を残して、逃げるかのように立ち去っていく。


 私も立ち上がって、慌てて逃げようとしたのだが、慣れないゾンビの身体で、どうやって走ればいいのか分からず、足がもたついてしまう。気が付くと、ゾンビはすぐそこまで来ている。私を置き去りにした仲間が憎かった。ゾンビはもう目の前まで来ている。どうやらもう逃げられない。目を瞑り覚悟する。しかし…


 背後からやってきたゾンビの群れは、私には目もくれず、通り過ぎていった。ゾンビが人間を襲うのは、ウィルスを拡散させるためだと考えられている。私の身体は、既にウィルスに感染したゾンビ。私を襲う必要がない。ゾンビは、ゾンビの私には興味がないんだわ。


 やだ私、無敵じゃない。何だか身体が七色にピカピカと点灯しているように思えた。


 ゾンビの群れは、私をさんざん痛めつけた仲間を追って遠ざかっていく。私を袋叩きにした罰よ。そうして私は、私の身体の元へ歩き始めた。さっきよりは、ゾンビの身体の動かし方のコツも掴めてきたわ。それでも、意識しないと両腕は上がっちゃうんだけど。



 数日が過ぎた。私は私の身体を連れて、例の神社に来ている。私の身体は、本殿の前あたりを何処に向かうでもなくウロウロと彷徨いながら歩いていた。心がゾンビなので、人間の身体でも、あんな風にしか扱えないのだろう。


 私は私の身体の手を引いて、石段の前に連れて来る。私の人生を大きく変える事になった石段。あれから私は、毎日ここにやって来て決断を迫られている。


 さて、今日はどうする。今日こそは、ここから一緒に転げ落ちて、人間の身体に戻る?それとも、今日もまたゾンビの姿のまま生きて行く?ゾンビか?人間か?


 私は、私の身体が背負っているリュックサックのポケットのチャックを開けて、中から手鏡を取り出して顔を映す。


 鏡に映った顔は、青白く、ひん剥いた目は焦点を失い、だらしなく開いた口からは、意味のないうめき声を漏らしている。皮膚はところどころただれ落ち、赤黒い血が、顔にこびりついている。


 見るたびにゾッとしショックを受けて落ち込む。メイクでどうにかしようと、試しにコンシーラーを塗ってみたけど、オカマのゾンビになっただけだった。もう~、本当イヤ。最悪。


 どう考えても人間の方が良いに決まっている。こんな、気味悪いみっともない姿でいるのはもう限界よ。すぐにでも人間に戻りたい。確かに、石段から転げ落ちて、身体が元に戻ったとしても、ゾンビだけが先に目を覚まして、私が気絶したままだったら、すぐに襲われてゾンビになる可能性は高い。正直に言えば、誰かに付き添ってもらいたい気持ちはあるけど、人間はゾンビを見かけたら、逃げるか攻撃してくるかのどちらかだ。大概は逃げる。ゾンビの話なんて聞こうとしない。そもそも話せないし。だから協力を求めるのは不可能。だけど、人間に戻れるかもしれないのなら、挑戦してみる価値はあると思う。ゾンビになって、前よりも人間の良さは身に染みて分かる。見た目は良いし、臭くないし、ご飯だって美味しいし、恋だって出来るしね。


 でも本当に人間に戻っていいの?ゾンビで溢れ返った地獄のような世界で、人間で生き抜いていける?女性の中でも非力でか弱い女子が。危険過ぎない。安全面でいえば、断然ゾンビよ。ゾンビはゾンビに襲われる事はないし、人間に攻撃されたとしても、痛みすら感じない。そもそもゾンビは死体だから、病気にも掛からないし、寿命が尽きることがない。お腹だって空かないから、食料の心配もない。無敵なのよ。


 さ、どうする?いつまでもここに立っているわけにもいかない。そろそろ決断しないと。見た目か?安全か?


 私は私の身体の手を引いて、石段から離れていく。今日も私は、ゾンビの姿を選んだ。日々増え続けるゾンビ。いずれ地球を埋めつくすほどになるだろう。どんな見た目だろうが、安全が一番よ。それに人間に戻って、襲われてまたゾンビになったら、今度こそは正真正銘のゾンビだろう。人間の心を一切持たない100%のゾンビ。それはもう、見た目が私でも私ではないわ。私は私でいる為に、ゾンビの姿を選んだのよ。


 境内を出て、ワゴン車を停めてある方に歩いて行く。そこで、角を曲がってきた人間と出くわす。綺麗な顔立ちをした若い女性だった。その女性は、私の顔を見るなり、ギャ~と悲鳴を上げて一目散に逃げて行く。


 どうせ気味悪いって思ったんでしょ。でもね、私からしたら、こんな世界で、あんたみたいな無防備な姿でいる方がよっぽど哀れだわ。ああ~、可愛そう、可愛そう。せいぜい、気をつけなさいよ。


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