③抱えるもの色々/七夕の節句
最近、街の「人ならざるもの」たちが騒がしい。
幽霊とか神仏の類、妖精と呼ばれるような者たちが、みな浮ついた様子で空を泳いだり走り回ったりしている。普段陰気なものですら、言葉が分からなくてもうきうきしているのが分かってしまう。
「ああ、棚機……七夕の節句が近いからだな。祭りが大好きな奴が多いからなぁ……。ちょっとカワイイよな?」
「いや、それは分からないですね。鹿島さんの趣味は大体分からないです」
「おいこら。……しかしまあ、菊重も今年は祭りに顔出してみろよ。人も妖も楽しそうにしている姿が見れるのは、結構嬉しいもんだと思うぜ?こんな仕事してたら、余計にな」
鹿島の言葉に、そんなもんかと菊重が首を傾げる。
「ね、フースケお兄ちゃん!いの、二人でじゃなくて、みんなでお祭り行きたい!」
大きな声を出して、鹿島の妹分・いのが駆け寄ってくる。鹿島はデレデレしながら、いのに合わせて膝を折り、何度も相槌を打っている。
「ごめんな、いの。私と鶯梅と、桜子と薫子、嘉吉の兄ちゃんはお仕事があるんだ。夜ご飯はみんなで食べれると思うから、みんなでお素麺にしよう。な?」
松鶴がそういうと、いのはがっかりした様子で頷いた。
「いの、みんなに美味しいお土産買って帰ろうな!松鶴センセイに、一番美味しいお土産を選ぶのは、お前の腕にかかってるぞ〜」
「おお……いの、センセイにお土産を買ってくれるのかな?それは随分と楽しそうだ」
松鶴の笑顔に、いのは俄然やる気を出して頷いた。
「絶対、絶対絶対買ってくるね!ご飯の時、楽しみにしててね!」
「ああ。それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃーい!」
いのが嬉しそうにしている後ろで、鹿島が菊重に耳打ちする。
「俺たち、江戸の方に住んでいた時に、先生に拾われたんだ。親みたいなもんなんだよ」
菊重は、驚きのあまり目を丸くする。鹿島はウインクしてから立ち上がった。
「よし!じゃあ、俺たちは祭りの準備だ!」
鹿島は、いのに浴衣を着付けてやったり、髪型を変えてやったりと忙しくしていた。対して菊重は、特にオシャレするでもなく、いつもの白地に藍染の浴衣を適当に着て、財布を用意して、談話室でソファに座って待っていた。開いた窓から、夏の朝の冷えた風が入って気持ちいい。
(七夕……気にはなるが、子供にどう接して祭りに参加すればいいんけの)
菊重は、子供が苦手だった。何でも聞いてきたり、何でも素直に口にするのでイライラした。いのは、少し大きいのでまだたまに接する分にはマシだったのだが、一緒に遊ぶのは正直やめた方がよかったのではないか?と思うぐらいには苦手だ。
「シゲちゃん!」
(シゲちゃん?……僕のことけ?)
突然あだ名で呼ばれて、困惑しながら菊重が振り向く。いのが嬉しそうに、白地に橙色で染めた萩の柄の浴衣を、くるりと回って見せびらかした。お団子にした頭には、赤い玉簪をつけている。
「ね、どう?かわいい?」
「……ああ、かわいいよ」
(服は正直分からんが、喜んでるのを見たら、子供かって可愛らしなァ)
いのは、きらきらした笑顔で照れ臭そうにしている。
「よかったな〜、いの!」
相変わらずデレデレの鹿島は、いのの頭を撫でかけて、肩をぽんぽんと叩いた。彼の服装は、仕事の時と同じく、サスペンダー付きの長袴とハンチング帽という格好だ。
「楓助兄さんは、浴衣に着替えないんですか?」
「あー、緊急で仕事が入った時のために、一応な。じゃ、天神さんまで鉄道で行こう!」
近所の神宮近くまで歩いていくと、鉄道の駅がある。そこから帝大前の駅で乗り換えて、天神さんの最寄の白梅町駅で降りるのだ。
窓から流れる街並みは、いつもと違って屋根に短冊付きの竹飾りが風にそよいでいる。
「ふふっ」
「ふっ」
ごきげんな妖が竹にぶつかったのが見えて、思わず菊重といのが笑う。鹿島が人差し指をたててしーっと言うが、その真面目な様子もなんだか面白くなって、いのは笑う。箸が転んでも面白い年頃には、早く見積もっても5、6年は早いはずなのだが。
電車が止まると、皆一斉に降り出した。祭りに行くものばかりなのだろう。この街の夏は、暑いが楽しみに溢れている。街のあちこちに存在する神社や寺でのお祭りごとに、街は活気付いている。
田舎育ちでほぼ引きこもりの菊重にとっては、この棚機のお祭りの規模ですら前代未聞で驚くべきものだった。しかし、この街にはもっと大きくて歴史あるお祭りが、まだまだ沢山ある。
「はやくはやくー!」
人があらかた出て行ってから、菊重たちも電車を降りる。電車の段差を跳ねるように降りてしまう、いの。しかし慣れない菊重は、そろりそろりと降りる。今まで電車にも乗ったことがない菊重は、学校に行くのすら徒歩で行っていたのだった。尤も、貧乏学生にとっては、珍しいことではなかったが。駅自体に慣れないものだから、黙って鹿島の後をついていくほかなかった。
パチン!
見様見真似で駅員に切符を切ってもらい、改札を出る。
(ドキドキする、けど面白え)
「おーい、いの!こっち来い!」
鹿島が、賑々しい街に繰り出そうとするいのを呼び止める。そして、いのの手を繋ぐ
「はぐれるから、ここからは絶対離すなよ。もう片方は、シゲちゃんと繋ぐこと。いいな?」
(シゲちゃん……。)
「はあい。ほら、シゲちゃん!」
小さな手が、菊重に伸ばされる。菊重は、恐る恐る握りしめる。
「いくよっ!」
暑い日差しの中、三人は出店の並ぶ道を、人に揉まれながら進んでいく。たまに、人じゃないものにすり抜けられてぎょっとしたりもする。
「いの、シゲ、大丈夫か?」
「は、はい!」
「大丈夫だから、はやく抜けよう!」
人の波の間から、鮮やかなお面や風車、ベーゴマを売る屋台が見える。
「あ、見て!最近流行りの鯛焼きの屋台だよ!後でお土産に買ってこうね!」
大鳥居の前で一礼し、天満宮に入る。なんとか手水舎まで辿り着いた。手を清めていると、おっとりした様子の狸がやってきて、滝行でもする様に水浴びをしにきた。
(一応、穢れを濯いだ水やが……ええんかの)
暑かったのだろう。混み合った手水舎で人知れず、人の間を渡り歩いて水浴びをしているようだ。
立派で大きな本殿の上にも、笹飾りと紫・赤・白・青・黄の五色の短冊が飾られて、とても華やかだ。三人は賽銭を入れ、鈴を鳴らして神を呼ぶ。再拝と、拍手をして神への挨拶とお礼を心の中で言う。
(……これからもよろしくお願いします、と。いつもお詣りすると、じいちゃんに手短に近況報告してるみたいになるが)
「あれ、酒向君やないの」
「えっ……蝶さん?!」
隣を見ると、蝶が白地に赤い春牡丹の浴衣姿で笑っていた。パーマネントのフワッとした髪には、蝶の髪飾りがあしらわれている。今日は珍しく和装だが、日傘はいつものフリルのついた洋傘を持っている。
「蝶ちゃんだぁ!」
「蝶子、来てたんだな!とりあえず、場所を移そう」
「蝶ちゃん、またデートしてたんでしょ?」
「はあ……何でも、いのにはお見通しやなぁ。そう、なのにフラれてん。私」
思わず、菊重は飲んでたラムネに思いっきりむせる。鹿島はどこか遠い目をして、ラムネを静かに飲んでいた。
「もう!蝶ちゃんは美人で歌もうまいんだから、お金持ちのおじさんはやめなよ!いっつも奥さんに負けてんじゃん!」
菊重は、更にゲホゲホとむせる。鹿島は無表情で菊重の背中をトントンと叩いてやる。
「フースケお兄ちゃんとか、シゲちゃんじゃ駄目なの?貧乏じゃないし、ブサイクじゃないよ!」
「おい、いの。俺はイケメンだぞ」
鹿島の戯言を無視して、女子二人は男子二人をじろじろと値踏みし始める。近い距離の女子の視線に、男どもは思わず生唾を呑む。
先ずは、鹿島だ。背もひょろりと高く、男にしては服装にも気を遣っていて好印象だ。人懐っこい笑顔も、とても感じがいい。髪もさっぱりとしていて、爽やかだ。所謂好青年だ。
次に、菊重だ。背は鹿島ほど高くはないし、服装や行動もガサツなところがある。男にしては髪も長いし、陰気なところはあるが、どこか放っておけないところがある。顔も少し幼くて、かわいいところが残っている。
「……いの。あんたの言いたいことは、よう分かる。」
その言葉に、男子二人は思わず顔を見合わせた。二人とも目の色が一瞬で変わった。
「ね!おっさんよりオススメだよ!」
しかし、蝶は黙ってかぶりを振る。男子二人はしゅんと肩を落とし、また顔を見合わせる。
見かねたその辺の幽霊が、二人の肩を慰めるように叩いていく。惨めだ。
「結局な、この世で一番価値があるのはお金やねん。そしてそれは、優秀な者でもある程度の歳にならんと手に入らん事が多い!あたしはなぁ……育ててギャンブルするより、確実にモノにする方がええんや!!」
「クソ……そのままバアさんになっちまえ……」
「酷いこと言いますねこの人。腹立つなァ……。あぁ、聞いてられない!二人で鯛焼き買いにいきましょう!」
男子二人は、ぷりぷり怒りながら境内から離れ、鯛焼きの屋台の行列に並ぶ。時間的にも、鯛焼きを買って電車に乗って帰ったら、いい時間になるだろう。
「さっきの話」
鹿島が口を開く。
「蝶子も、苦労してるみたいだから、不真面目な奴じゃないんだ。寧ろ、不真面目になりたくないから、ああやってみんなに言うんだよ。けれど、お金が第一になりすぎてるところがあるんだよなぁ……」
「ああ、なるほど……ハイカラで綺麗な人なのに、勿体無いことですね」
(本当に、皆それぞれ色々あるんやなァ……。)
鯛焼きを買ったら、疲れて寝てしまったいのを鹿島が背負って帰った。
駅で蝶と別れた時、赤い夕陽と蝉時雨を背に、一人帰る蝶の姿を見送った。
「じゃ、またなぁ。……モテない紳士達!」
菊重は、自分でも何故だかでも分からない位、明るく手を振り独り帰る蝶のその姿が、寂しくて見惚れてしまった。
「おかえりなさい、皆さん」
家に着くと、桜子が出迎えてくれた。普段彼女は、この家の家事一切を取り仕切って、お手伝いさんやいのに指示を出している。また、松鶴・鶯梅の秘書もしている。
異母姉妹の薫子とは違い、ふわりとした雰囲気の、女性らしく可愛らしい人だ。赤や臙脂色といった強めの色を好む薫子とは対照的に、桜子は柔らかな桜色や鴇色の着物をよく着ている。
「ただいま。仕事は早く終わったんだな。俺は、いのを部屋に運んでくる。夕飯の準備ができたら、一応いのにも声もかけておくな」
「ええ」
「桜子さん、ただいま。いのちゃんが、皆さんへのお土産に鯛焼きを買ってくれましたよ」
菊重が背負っていた風呂敷包みを桜子に渡す。桜子は、ぱっと花が咲いたように顔を輝かせる。
「えへへ、すごくいい匂いやね!おおきになぁ、菊重さん」
「い、いや……お礼はいのちゃんに言ってあげてください」
この桜子は、菊重の憧れの人だ。戦う力はそこまで強くないらしいが、いつも一生懸命で、明るくて、笑顔が絶えない優しい人だからだ。皆がこの少女を好きになった。
菊重は部屋に戻ると、蝶のことを思い出した。
お金があって苦労しなければ、蝶も桜子のように笑顔で暮らしていけたのだろうかと考えた。夕陽に寂しい後ろ姿を照らされることなく、もっと輝いて生きていけたのではないだろうかと思ったのだ。
(ーーいや、桜子さんも苦労してる人やったのォ)
異母姉妹の薫子のことを思い出し、菊重はかぶりを振った。二人のことはよく知らないが、何もない訳がない。また、色々あった鹿島といのだって、あれだけ真っ直ぐな人間だ。
そして何より、そんなことをわざわざ考えている菊重自身は、いったいどれほどの人間だろうか。
「…はぁ。肖んてなことばっか考えて。勉強しよか…」
人のことばかり、ああでもないこうでもないと勝手に想像して時間を潰すのは馬鹿らしいことだ。
菊重はまだ、何もかも中途半端だ。自分のペースでだが、自分のやるべきことを少しずつやっていくことが、今何より大事なことなのだ。
【福井弁・肖な】
馬鹿な みたいな意味です。温てぇとだいたい同じだと思います。
肖んてな、で馬鹿みたいなの意味。肖も温てぇも、ふざけてる時以外では、同い年で使ってる人見たことない言葉ですね。
【参拝方法について】
元々様々なやり方があったとのことですが、wikiによるとのちに統合されたそうですね。この話の参拝方法に違和感がある人もいると思いますが、この世界の主人公たちの地域では、こういうやり方なのだと納得してもらえたら幸いです。