①秘密機関「神和警邏団」へ
※注意※
・日本の都が違います。 ×東京○京都
・教育に使われる標準語は今と同じ東京弁?という設定です。(作者の深刻な知識不足のため)
この竒譚は、とある「クソ」田舎から、文明の華やかな光に溢れた日本の都の玄関に、1人の少年が連れられてくるところから始まる。
2頭の馬に引かれた大きな馬車の中、長旅と激しい揺れにぐったりとした同乗者の青年を後目に、少年はこの「檻」から脱出する瞬間が近づいてきたと、不安と期待に胸を高鳴らせていた。
「おーい!ちょっとォ、御者さん!この兄さんもう限界やって。そろそろ休憩しよっさ!」
「おう、分かった!おーい、鹿島の兄さん。もう少し我慢しい!」
鹿島と呼ばれた青年は、死にかけの声で僅かに唸るように返事をした。
しばらくして、荷物でパンパンの馬車は止まった。少年が扉を開けると、巨大な石造りの巨大な建物が目に飛び込んできた。ーー京都駅だ。人通りは田舎と比べ物にならないほど多く、土埃を上げて信じられない数の馬車が走り回っている。
「な...っ」
突如、甲高い汽笛が鳴り響き、思わず少年は肩を跳ねさせ辺りを見回した。
「ーーッッ?!?!」
「はは、坊ちゃんが腰抜かしよる。……おい鹿島の兄さん、しっかりしいな。もう少しの辛抱やさかい」
「……面目ない……。」
相変わらず、鹿島は青い顔をして体を丸めている。彼は、少年を田舎から迎えに来た遣いだった。少年は、親から持て余されて田舎で育った。しかし今回、どういう縁でか、わざわざ都から「松鶴」という人が、大金を払ってでも「そんな少年を貰い受けたい」という連絡をしてきたのだ。人生分からないものである。
しかし少年は、「松鶴」の元に行くのもまた、親を喜ばせるようで嫌だった。だから、隙を見ては馬車から逃げ出し、都で自由気ままに過ごそうと考えていた。考えていたのだが……。
(思ってた以上に、訳が分からんことだらけやさけェ、逃げる勇気も無うなるわ)
耳慣れぬ言葉や、田舎で見ることの無い身なりの人々、西洋風の見慣れぬものたち。この中に少年が飛び出していったところで、まともに生きていける自信が無い。しかし、逃げるなら今が絶好の機会で間違いない。
(……あかん。いけ、自分)
少年は生唾を呑む。親から貰った最後の小遣いを握りしめて、馬車から飛び降り、人混みを駆ける。少年が自分の望みを叶えるためにすることは、それだけだ。
(……飛び出せ)
馬車の座席の反対側では、御者がまだぐったりしている鹿島を介抱してやっている。隙だらけだ。
(……行け……っ!!)
少年はゆらりと立ち上がると、馬車の扉を完全に開け放ち、外の世界へと躍り出た。
「ーーおい、坊ちゃん……ッ」
叫ぶ御者の声を背中で聞きながら、少年は馬車から飛び降りる。下駄の両足にずしりとかかった重力が、痛い。
(もう、戻れん。ーー戻らん!)
少年はふらつき冷や汗をかきながら、人の海の中に突っ込んだ。彼は何をしてでも、一人で生きると決めたのだ。
(手…腹減ったなァ)
一人で生きると決めた矢先に、少年は自分の目論見の甘さを嫌でも知ることになった。そもそも食べ物は、貰ったり物々交換が主だった田舎では、食べ物の値段など知ることもなかった。ましてや、少年は家業の手伝いばかりしていて、家事はしなかったので尚更だ。
そして、値段も高かった。少年の今の手持ちで買えなくもないが、そんな生活をすれば数日で野垂れ死にすることになるだろう。
仕方がないので、その辺の店に働かせて貰えるよう勇気を出してみたが、汚い格好で田舎者丸出しの喋りの少年に、歴史ある老舗が簡単に働くことを許す訳がなかった。今までにも、同じような人間はごまんといたらしい。
少年は心が折れていたが、腹が減っていたから諦められなかった。仕方なく、食べられる草でもないかと川に向かって歩いてみた。
さすが都だけあって、大きな川には立派な橋がいくつもかかっていた。その下には、襤褸を着た痩せっぽちの人々が肩を寄せ合っていた。
(……人、だけじゃァない)
河原には、明らかに人ならざる気配のものがいた。街にいた時にも、群衆に紛れて人ならざるものがいたのだろう。しかしここは、人ならざるものの数が尋常ではない。ぼんやりした気配から、人と変わらぬ姿をしたものや、磔にされた落ち武者、疫病で肌が腐った姿のもの……。思わず少年は、ぞわりと毛を逆立てて息を呑む。
「……なあ。大丈夫なん?」
少年が思わず勢いよく後ろを振り返ると、パーマネントをかけた洋服の少女が心配そうな顔をしていた。
「君、すっごい顔してんで。な、……あすこにいるえらいごっついヤツ、見えてしもたんやろ?」
「……あんたも、見えとるんけ?!」
少女が頷く。
「あたし、今からお店に出勤なんよ。すぐそこやし、君ちょっと店で休んでいき。」
少女が少年の腕を引き、川とは逆方向に向かって歩いていく。少年は思わずほっとして、微笑んだ。
「……ありがとう。……えっと、」
「蝶。それがあたしの仕事用の名前。かーいいやろ?」
蝶という名前に負けず、彼女は都会的な華やかさを持った美人だった。ニッと笑うその顔は、親しげな口調とは反対の凛々しさと艶やかさがあった。
「君は?」
「……サコウ。酒に、向かうって書くんやざ」
蝶は「ふーん」と生返事した。少年は、思わず心臓がどきりと跳ねたのを隠して、平静を装う。
「酒向君、な。……あ!ここがあたしの職場!」
着いたのは、商店街にある西洋風の建物だった。大きな窓からは、どっしりとした椅子とテーブルが見える。粗末な板張りと綿の敷物しか知らない少年にとっては、完全に異世界だ。またもや自分には場違いな雰囲気に、思わず酒向は怯んだ。
「蝶さん、ごめん。こんなとこ、僕、入れんやろ」
「ええって、ええって。ほら、入る!」
酒向は蝶にぐいぐいと押され、所謂「喫茶店」に足を踏み入れた。落ち着いた赤い灯りに照らされた店内の奥から、ジャケット姿の壮年の男が出てきた。
「おや、蝶。まだ営業前やで。お客さんか?」
「違う違う。私の新しい友達や。……っていうか、多分「お仲間」やで。一応「カンナギ」さんとこに連絡してくれへん?」
男が眉を顰める。酒向少年を上から下まで眺めてから、男はまた奥へ消えた。
「ま、とにかくここなら安全やから。さっき言った「カンナギ」さんがな、ヤバい霊は寄り付かんようにしてくれてるから」
「……蝶さん、ここ……何のお店してるとこ?」
「喫茶店やで。お茶や珈琲が飲めたり、異国のご飯がようさん食べられたりするんやで。」
珈琲。聞いたことの無い言葉に、酒向は首を捻る。
「……都会に来たはいいけどの。見たことも無い聞いたことも無い物だらけやさけェ、話をするのも一苦労やぁ……。」
ぐう、と酒向の腹から情けない音が鳴る。
「あは!その椅子で待っとき。折角やから奢ったるわ。」
酒向は蝶にその辺の椅子に座らされる。
「いや、お金は払……うで、その、……なんぼかだけ教えてくれないけ...」
見ず知らずの少女に奢らせるのが情けなくて、酒向は思わず声を上げた。しかし、残り少ない全財産を思い出し、言い淀む。しかし蝶は、そんな酒向の言葉を全く聞かずに、行ってしまった。
一人残された酒向は、立派なテーブルについたまま、一人で喫茶店を眺めた。蔦の意匠の彫刻が掘られた立派なテーブルセットに、春の菊が活けられた、華麗な白い花瓶。そして、カーテンのかかる広い窓。そこから絵のように切り取られる都の風景。そしてそこに座る、古い着物を来た、お上りさんの酒向少年。
(一人で大丈夫と思ってたこと自体、身の程知らんと出てきつんたこと自体が、間違いやったんや……。)
「……酒向君!」
扉を開く音と、安堵の叫び。酒向少年が驚いて振り向くと、鹿島がそこにいた。彼は酒向のもとに駆け寄った。
「……馬鹿野郎!心配したんだぞ……?!」
「心配って……」
酒向は困惑したが、何故か鹿島から目を逸らせなかった。何も言えなかった。
「……僕、自分勝手……やが、兄さんと一緒に行ってもいいんけ?」
「当たり前だろ……!」
その声は鋭くて、憎むような悲しむような、不思議なものだった。鹿島は、酒向をきつく抱きしめる。酒向は、なんだか泣きたいと思った。でも泣けなかった。
酒向と鹿島は、蝶が作ってくれたサンドイッチを食べると、夕方には都の東の方にある屋敷に向かった。
道中、馬車も呑み込めそうな程に大きな「人ならざるもの」がこちらを狙っていたが、何故か襲われることもなかった。
「さ、ついたぞ」
洋風のモダンな家を照らし、夜闇に温かく灯る灯り。ドアが開き、出迎えてくれたのは、髪を細い三つ編みにしたむすっとした顔の丸眼鏡の少女と、天真爛漫そうなエプロン姿の幼い少女だった。
「……ふん。お早いお帰りですこと」
「薫子ちゃん、そんなこと言っちゃだめだよう!……お帰り、フースケお兄ちゃん。あと、新しいお兄ちゃんも!」
「ただいま!いの」
「……」
そして、奥からゆっくりとした足取りで、細身の老人が出迎えにきた。立派な白い着物を着ているが、穏やかな笑みを浮かべ、親しみやすそうな雰囲気の人物だった。
「やあ、やあ。よく来たね、菊重君。ーー花札の異能を持つ者によって組織される秘密機関「神和警邏団」へ、ようこそ。待ってたよ。」
「……ど、どうもはじめまして……?よく分からないんやが、すみません!僕のせいで迷惑かけてもうて。兄さんにも、ごめんなさい」
何度も名前を耳にしていた、松鶴。それが、目の前にいる好々爺だった。菊重は、自然と頭を下げていた。
「いいって。な、松鶴さん」
「ああ。もう気にしなくていいよ。今の君は、本当に悪いと思っているようだからね。さ、それより家族みんなで夕食にしよう!早く家にお上がりなさい」
菊重は頷いて、敷居を跨いだ。
かくして、とある一つの竒譚が始まったのだった。




