❸新しい家族/砲兵工廠の反乱・中座
ちょうど大阪城の北西あたりの表門から、砲兵工廠に侵入した珠と鹿島は、大阪城北東方面を目指して走る。
大阪城北東の二の丸にある、本館に向かった鶯梅と八橋に合流するためだ。
工員達がおかしくなって、静まり返った砲兵工廠内では、仲間を見つけるのは割と簡単だった。争いの音が聞こえる方に行けばいい。とはいえ、広大な敷地の中では、ある程度聞こえる距離まで接近しなくてはならない。だからとにかく、本館を目指して二人は走ることにしたのだ。
(ーーあっ)
遠くから男の声が聞こえて、珠は鹿島と目を見合わせた。
「楓助、私先行くわ」
「気をつけろよ!」
珠はこくりと頷く。花王丸はぐっと姿勢を低くすると、バネのように飛んで、砲兵工廠を覆う高い塀の上にうまく飛び乗った。大阪の街を見下ろせる、普段とは違う高さの不安定な足場に、珠は身体が竦む。しかし心は冷静になるように努め、塀の上を走る花王丸の上で、目を皿のようにして争いの起こっている場所を探す。
「見つけた……!」
珠の視線の先に、花王丸は駆けていく。内臓が浮くようなふわりとした感覚を繰り返しながら、花王丸は本館の前の広場が見える塀まで辿り着いた。波のようになって襲ってくる工員達に囲まれて、背中合わせに鶯梅と八橋は刀を振りかざして戦っている。周りには工員達が倒れ、その奥では、髪を切りそろえたスーツ姿の少年ーーキリオが、赤い鳥を従えて何かを命じている。
「やば……!ーー夢見鳥!!」
珠は急いで、青紫色の美しい蝶ーー大紫を少年に向かって放つ。大きく羽ばたいたそれは、キリオが鶯梅達を指す指にふわりと止まって消えた。キリオは頭を抱えてその場で蹲ったが、キリオが従えていた子供ほどの大きさの赤い鳥ーー否、鳥ではない。首は蛇、腹は麒麟、背中は亀で、脚は鹿、そして派手な尾は魚のものだーー所謂鳳凰は、こちらに気がついたようだった。こちらに向かって飛んでくる。
「あちゃ……。まぁ、やるしかあれへんね」
花王丸が、鳳凰を威嚇するように吠える。鳳凰も、高らかに鳴いて花王丸を威嚇する。
「蝶!」
「センセ、ちょっとだけやけど引き受けるで!」
八橋にそう叫ぶと、珠は懐の煙管を槍のように巨大化させる。そして、鳳凰とすれ違いざまに煙管を叩きつける。しかし鳳凰はするりと避けてしまう。
(……ま、地面に降りられたからええけど)
鳳凰はすぐにUターンすると、巨大な翼を広げて襲いかかってくる。珠は煙管で追い払おうと振り払うも、鳳凰は大きさの割に早くて当たらない。
「いっ……?!」
珠は簡単に懐に入られ、左肩を思いっきり嘴で何度も突かれてしまった。右肩を狙われていれば、その衝撃と痛みで思わず、手にしていた煙管を落としてしまっていたに違いない。
(幻術頼りで戦ってきたあたしが、本格的な戦闘ではお荷物になることぐらい、分かってたはずやけど……厳しい……っ!)
珠は思いっきり煙管で鳳凰を殴ると、血が滲んでボロボロの左肩を押さえて叫ぶ。
「白雪蝶!!」
どこからともなく、無数の紋白蝶が現れ、雲のように鳳凰を取り囲む。鳳凰は暴れて蝶を翼ではたき落とすが、それでもすぐに全てをはたき落とすことはできない。蝶によって魂を蝕まれた鳳凰は、かなり弱ったようだ。しかし、白雪蝶は珠にとっても負担がかかる大技だ。辛うじて花王丸を召喚する鎧獅子は解除しないでいられているが、もうこれ以上何もできそうにない。それと比べて、鳳凰は弱っているとはいえ、まだまだ戦える。
(花王丸…!)
花王丸は、主人を乗せたまま逃げ出した。そして、短く四回吠える。
「よくやった!蝶、花王丸ッ!」
工員達の包囲を抜けた八橋が、鳳凰の行手を遮った。青紫の霊刀・杜若を薙刀に変えた八橋の姿は、まるで五条大橋で立ち塞がる弁慶のようだ。男にしては背が少し低めではあるが、筋肉質で無駄のない鍛え上げられた身体は、肉食獣のような気迫を放っている。
「覇ッ!おおおおお!!!!」
弱った鳳凰にトドメを刺さんと、八橋は矢継ぎ早に薙刀を振り回す。鳳凰は身の危険を感じてか、主人の元へーー榮朋衛の方へ飛んでいく。
「チッ、この……」
八橋が後を追おうとした時、馬の嘶きがして鹿島が現れた。
「俺が追う!!」
そしてその後を、同じく馬に乗った鶯梅が追っていった。鶯梅が対峙していた工員達は倒れており、気を失ったキリオは縄で縛られている。
八橋が後ろを振り向くと、珠が壁の側で膝をついていた。もはや花王丸を維持する力も残っていないようだ。
「センセ……あたし、もう何もできひん。足手纏いやから、あたしを置いて先行ってて」
珠がそう言うと、八橋は黙って首を横に振る。彼は薙刀を消すと、珠の前でしゃがんで背を向けた。
「ーー駄目だ。今目を離したせいで、また家族の一員を失う訳にゃいかねェ。俺じゃ不満だろうが、我慢しろ」
珠はその静かな一言で、「家族の一員」は嶋のことを指しているのだと分かった。過去にお金が全てだと生きてきた珠だが、戦闘の師匠であり兄のように慕う八橋から、同じ「家族の一員」としてもらえたことが嬉しかった。しかしそれ以上に、悲しく申し訳ない気持ちだった。
「……わかった。」
珠は八橋の背中に身体を預ける。筋肉隆々の、力強い背中だ。過去の哀しい出来事に逆らって汗を振り絞り、必死で今を生きようとしている、珠が尊敬できる背中だ。だから、彼が自分を「神和警邏団」という家族の一員として認めてくれる限り、いずれは彼の、そして彼が密かに大事にしている少女・いのの本当の力にもなっていきたい。
八橋はぐっと力を込めて、立ち上がる。そして、一気に朋衛の向かった方向へ走り出した。
大阪城の南東側、砲兵工廠の診療所や砲兵工廠専用の鉄道がある方面だ。おそらく彼は、そこから玉造稲荷駅に向かい、一般の鉄道を利用する客に紛れて大阪梅田駅へーーそして京都まで逃げるつもりなのだろう。
(あかん、藤嗣坊ちゃんが川口居留地におるのに、力がーーでも、皆を助けんわけにもいかんかったし。……せめて、せめて榮朋衛を止められたらええけどーー)
すっかり夜の闇に沈んだ大阪城の下、珠はうとうとした頭で、ぼんやりとそう考えていた。京都には、家があり、新しい家族がいるのだ。自分に実力が無いのに高望みをしても仕方がないが、こちらで捌けることならば捌いてしまいたかった。悔しかった。
(強くなったはずなのに、全然足りひん)
後悔に塗れた珠の頭は、疲れによる強力な眠気に負けて、真っ白になっていく。八橋は眠りに落ちた珠を険しい顔で背負いながら、馬の足跡を辿っていく。
【現在の大阪砲兵工廠】
大阪砲兵工廠の本部は、現大阪城ホールのあるところに建ってたそうですよ。




