④隠された真実/水落烏ヶ森探索 前編
盈月と蛟の勧めでやって来た、水落烏ヶ森。
古くは鳥羽野と呼ばれたこの一帯の中でも、南に位置する部分だ。天照大神を祀る神明の社の鎮守の森であり、聖域を指す。鎮守の森とはいうが、古くは鬱蒼と生い茂った広大な原生林が広がっていたという。
そんな神聖な土地の近所で、菊重の生みの親は住んでいたらしい。流石に現在では、原生林といえるほどの木々は残っていないが、それでも驚くほどに広い。
「とりあえず、お詣りしましょか」
「そうですね」
落ち葉や枝を踏みながら、二人は鎮守の森を歩いていく。時折桜の花びらが、ひらひらと風に乗って緑の天井から落ちてくる。よく見ると、木々の上には「人ならざるもの」たちが休んだり遊んだりしている。それに合わせて、木々も優しく騒めいていた。
奥にある社殿は、都ほど華麗ではないが、無駄のないシンプルな装飾だ。
「この辺て、神明社とか八幡社ばかりやね」
参詣を済ませると、薫子が言った。
「僕からすれば、都が色々な神様を祀りすぎだと思いますけどね。……でも確かに、何か意味があるんでしょうか?」
薫子は長い間、唸りながら歩いている。菊重も一応考えてみるが、当たり前だった事について、改めて俯瞰して考えるというのは難しい。
「天照大神、八幡神……八幡大菩薩?武神……いや、応神天皇?皇室関係?」
菊重は、はっとする。
「あ……越国から、継体天皇という天皇が、過去に出ています!」
「……だから、皇室の守護神を祀る神社を、ようけ建てはったんやろか?その天皇についても、また調べてみな……」
「薫子さんがついてきてくれて、本当に助かります。僕一人では、色々気づけないことが多かったですよ」
「酒向君は、もっとちゃんと勉強しよし」
「……はい」
薫子にズバッと言われ、菊重は頷くしかなかった。最近は前よりも勉強しているとはいえ、やはり「神和警邏団」の中では勉強不足である。
「この辺り、古墳も多いみたいやし、何か気になるなぁ」
この辺りは、烏ヶ森古墳群と呼ばれている。畿内ほど立派な古墳があるわけではないが、古墳が作られるほどには有力者がいたということだ。
現在では名前のような森が広がっているわけではない。神社の周りには、春の花が長閑に咲いているが、機織りや製糸の工場が並び、カシャカシャと小雨が降り頻るような音が、辺りに響いている。
(今風で面白えが、雨ノ辻は嫌いそうな風景やのぅ。)
そんな風景の中で、二人はまた八幡神社を見つけた。
「古墳の上に、神社?」
不思議に思って二人は立ち寄る。木々が生茂る丸い古墳に沿って、石の階段が伸び、その先に小さな神社があった。二人は階段を上り切ると、絶句した。古びた本殿が勝手に開かれ、御神体である鑑が本殿の奥できらりと光った。
「なーーっ?!」
二人は本殿に、否応無しに吸い込まれる。そして、本殿の戸が一人でに閉まった。
辺りは、元の平和な静寂に包まれる。
菊重が目を覚ますと、何羽もの鳩に見下ろされていた。状況が掴めず固まる菊重の腕を、鳩の一羽が抓るように咥える。
「いっーーーたぁ!何するんやって!退きねま!」
鳩はくるくる鳴きながら、ぴょんと菊重の横から離れる。菊重が身を起こすと、すぐ横に薫子も倒れていた。そして菊重と同じく、鳩に群がられていた。下駄を脱いで辺りを見回すが、どうやら神社の本殿の中らしい。鳩の一羽が菊重の前で、床の一部を突っつきだす。そこだけ、床が外れるようになっているようだ。開けてみると、地下への入り口があった。
「……薫子さん、起きてください」
「うう……きゃっ!なになに?鳩?何で?!」
薫子を起こすと、薫子もやはり鳩に驚いて悲鳴をあげる。
「覚えていますか?八幡様の所で、いきなりお社に吸い込まれたの。薫子さんが寝てる間に、こんな地下室も見つけました。一人で先に行くのはどうかと思って、起こしたんですが」
「はあ。なるほど……。そうか、鳩さんら、八幡様の御遣いをしはってたんやね。何か伝えたいことでもありはるんかな……。」
ブーツを脱ぎながら薫子がそう言うと、鳩たちは一斉にひょこひょこと地下の入り口に飛び込んでいく。
「え、嘘、ほんとに?真っ暗な所は、流石に無理よ?!」
思わず薫子は菊重の顔を見る。底は真っ暗だ。
「はは……僕が先に入って、異能で照らしましょう。」
「何、その生温い笑い……腹立つわ」
菊重は梯子を伝って、足でそろそろと地面を探りながら下に降りる。地に足がつくと、右手をかざして異能の力を使う。
「一文字」
光り輝く巨大な一文字菊が現れ、地下を照らす。薫子が直ぐにハシゴを伝って、颯爽と降りてきた。
「あら、ご苦労さん。酒向君」
「ええ……。何だか、腹が立ちますね……。」
地下は、そんなに広くなかった。夜目がきかないはずの鳩たちは、部屋のすみで固まって、くるくる鳴いている。菊重が近寄ると、鳩たちは蜘蛛の子を散らすように逃げる。
「……あら?それは……日記?」
「ーー用心棒ノ仕事……越国へ、元ノ神和団ニ……これは、父の日記……?」
薫子と共に読んでみると、どうやら伊織の日記で間違いなさそうだった。
日記には、菊重の父・伊織が越国に渡る前日から、榮に殺されるまでの出来事が、ほぼ毎日のように記されていた。菊重達は、現状打開のヒントになりそうな日だけを、じっくり読んでいった。
長月、二十九日
盈月達に何も言わずに、新しい用心棒の仕事を決めてしまった。雇い主は、いい奴そうだ。
松鶴先生のお考えは俺には分からないし、榮さんの事情も俺にはよく分からない。美吉野さんや盈月の言うことも分からない。解りたくない。
俺が越国から帰ってくる頃には、元通りの神和団に戻っていることを願う。
月が明るい。明日から、いい旅になることを願う。
神無月、十八日
主人の好意に甘えて、しばらく越国で用心棒をすることになった。俺の腕を買ってくれたようだ。
神和団には、全く連絡をとっていない。
誰も言えやしないが、寂しい。今まで平気だったのは、神和団の、盈月のおかげだったのだと思い知る。
神和団の皆と向き合う事から逃げたからには、これからは寂しくても仕方がない。寂しいのが嫌なら、俺は神和団の誰かについて、そいつの助けとなっていればよかったのだ。それが、自分のない俺にできる、たった一つの方法だったのだ。
しかし現実の俺は、今まで通りの生活ができないことを悟り、情けなくも子供のように逃げたのだ。
例え時代が変わらなかったとしても、誰がこんな俺を侍と呼ぶだろうか。
「……松鶴さんの言ったことと照らし合わせると、この間に榮と雨ノ辻とは袂を分かったんやと思う」
「ああ……」
菊重は薫子の言葉に生返事をした。
「あ…いえ、すみません。父の言葉が、僕にとってあまりに生々しすぎて……」
(胸が、痛い)
孤独な伊織の生き方を綴ったこの日記は、まるで菊重の未来を予知して書き記したかのようだった。今までただ、情けない父を憎んでいた菊重だったが、それは父の身の上をまるで知らなかったためでもあった。
この時の父の年齢は、菊重の二つ上、18歳である。「神和団」の中で何があったかは知らないがーー自分の親位の年齢の大人達の中で、自分を曲げずにいるのは難しい。まして、ここまで寂しい少年が、どうして逃げ出さずにいられるだろう。
菊重は、自然と左胸を押さえて頁を捲っていた。
霜月、二日
用心棒に加えて、毎朝雪かきをするようになったが、まだ慣れない。暗いうちから始めても、なかなか終わらない。今更こんな俺が、一生懸命やろうと無駄なのだろうか。
客の女が、何が面白いのか、雪かきする俺をからかってくるようになった。けらけら笑う声が、癪に触る。しかし、俺に構うような物好きはあいつぐらいだ。
もの凄く腹が立つし、実際自分であの女を追い払っている。だのに、あいつが去ると俺の頭は沼にはまっていく。どろどろとしていて、息ができない。何も感じない。どうすればいいんだ。何をしても、苦しみしかない。
霜月、四日
俺は、とうとう女を怒鳴りつけた。でも女は、「あんたも怒れるんやのォ」と馬鹿にしているみたいに喜んだ。
もっと怒鳴りつけた。もう、会うこともないだろう。
日記帳の次の頁には、「何ヲシテイルンダ 俺ハ」と走り書きがされていた。乱れた文字が、菊重に不安をかき立てさせる。
「……ど、どういう……」
菊重の声は震えていた。
霜月、十一日
ヨネは俺を許した。
でも、俺は俺が信じられない。許す方が馬鹿だ。
菊重と薫子は、はっと息を呑む。
ヨネーーその名前は、菊重の母の名前だったからだ。日記帳は、水に濡れて所々よれている。
霜月、十五日
ヨネは家にいるのが辛いらしい。俺も、ヨネは家にいない方がいいと思う。けれど、俺はまともじゃないから、正しいのかどうかも分からない。
家族や友がいれば、相談もできるのだが。盈月達は、友なんだろうか?ヨネも、友なんだろうか?抑も、友とは何なんだろう。書いていて、頭が痛くなってきた。
でも、俺とヨネは、一緒に同じ方を向けるかもしれない。
そこから暫くの期間、日記は書かれていなかったようだ。次の頁の伊織の様子は、がらりと変わっている。
長月、十六日
身寄りのない俺達を、八幡神は御社に匿ってくれた。ヨネも健やかに子供を産み、母子共に何事もなく過ごしている。
俺は八幡神と、八幡神を祀るに至った若侍時代の環境と人、そしてこの「菊に盃」の異能を授けてくれた付喪神、異能と繋がる神仏、見えざる隣人、そして神和団のかつての仲間に感謝している。俺一人、ヨネ一人では到底不可能だった望みを叶えることができた。
息子の名は、生まれた長月の九日、つまり重陽の節句から菊重とした。
陽の気が強すぎるため不吉とされる日ではあるが、その不吉とされるほどの力を、前に進む力に出来る男に育ってほしい。俺とは正反対の、真っ直ぐな男に。
「あは、あはは」
菊重は、乾いた声で笑った。
「ーー僕、何やってたんでしょうね。こんなーーこんな、立派な、おや……いた、のに……っ」
涙でぐしゃぐしゃになった情けない顔で、菊重は薫子を見る。笑いたいのか、泣きたいのか、分からないままで。
「ねえ、薫子さん。僕はーー僕は、僕は……ッ!」
そこまで言って、菊重は左胸に爪を立てる。
「……庄右衛門の息子でもあって、この、伊織の息子なんです。見ていて、くれましたよね?」
「ーーええ。ちゃあんと、見てたよ。」
「どっちも、僕の親なんです。それで、トメの息子でもあって、ヨネの息子でもある。」
薫子も涙を浮かべながら、菊重を抱きしめる。
「見てたよ。大丈夫、見ていたから。」
菊重は、薫子に抱きしめられながら、子供のようにわんわん泣いた。今まで素直に泣けなかった、16年分溜めた本当の涙を流し切るように。




