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もしも浪漫竒譚~あやかしと生きる民らの黄昏  作者: よーじや
第二章 越国帰郷と懐かしの君/福井編
21/90

❶愛の唄/ジョーカー登場 前編

※京都編

都の空が赤く染まり、日が落ちる。

都の音楽喫茶、カフェー・ピボワンヌには、今日も紳士淑女しんししゅくじょが音楽を楽しむために集まっていた。


電気を落とされ、ランプの明かりだけがついた店内。そこに、薄いドレスを着た女が現れる。店内から、パチパチと拍手が起こった。そして、マスターがピアノをゆったりと演奏し始める。女は、すうっと大きく息を吸い込むと、甘く優しい声で、唄う。戦争のない平和な時代の、短く淡い恋。その後の悲劇的な戦いにはかなく散る、強く勇敢ゆうかんな若い命の輝きを、異国の言葉で優しく甘美に歌った唄だ。

歌い終わると、しばらくの沈黙の後に雨のような拍手が送られた。再び電気がつけられると、カフェー・ピボワンヌにはレコードの針が落とされる。そして、客は音楽をさかなに酒と料理を楽しむのだった。


蝶は歌い終わってから、カウンターで気怠けだるげに煙管きせるくわえていた。煙管きせるには金具に牡丹ぼたんの装飾があり、若い女が持つには目立ちすぎるものだ。これは蝶の父親のものだ。歌を歌うことが生業なりわいの蝶がタバコをふかすことは、本来やめたほうがいいことだが、彼女は既に中毒におちいっていた。

(愛する者が無いあたしが、愛を唄って人気になるなんて…本当におかしな世の中やわ。やんなっちゃう)

蝶はそう思いながら、肺に行き渡らせた紫煙を、ふうと細く吐き出す。そこに、一人の細身の男がやってきた。

「や、お嬢さん。さっきの歌、凄く上手やったわ。お隣、座らせてもらっても?」

「物好きなお方やね。お好きにどうぞ。」

その返事に、男はうーんと首を傾げ、しげしげと蝶の姿を見る。

「やっぱり……!君、名取なとり商會しょうかいのお嬢さんや。お珠ちゃん!違うかい?」

蝶は思わず煙にせ、涙目で隣の男を見る。コートに身を包んだ、紳士的な様子の男。ループタイまでなんかして、いいところの人のようだ。一体そんな知り合いがいただろうかと、せきが落ち着いてから男の顔を見る。

「やあ、僕のこと、覚えてるかい?な?」

芝居がかった薄い笑みで笑う、中性的で、優しげな垂れ目と口元の黒子が特徴的な、この男。確かに、蝶には見覚えがあった。

玉坂たまさかの家の、藤嗣ふじつぐ坊ちゃんやないですか……!」

蝶ーー否、名取なとり たまは驚きつつも、嫌な感じに身をすくめた。

「なぜ、藤嗣ふじつぐ坊ちゃんがここに?今、何してはるんです?」

「何でもしてるんよ。僕は美しいものが好きやからねぇ。僕が美しいと思ったんは、何でもーー何でも手を出してるんよ」

藤嗣ふじつぐのズレた答えに、珠は思わず困惑した。

「絵画、書道、武道、何でも手を出して、何でも受け入れとったらな、カフェー・ピボワンヌという喫茶店に、歌姫がいると聞いたもんやさかい。一体どんな美しさなんか、覗きに来たっちゅうことや。な、お珠ちゃん。ぜひ僕のピアノに合わせて、一曲唄っておくれや」

「えっ?!い、今ここで?ーーあ、あと、私のことは蝶と呼んでくれはる?!営業妨害や」

「ごめんごめん。やあ、マスターさん!僕にピアノを弾かせてくれません?是非この歌姫と、セッションをしたくてなァ!」

「あ、ああ……」

マスターは引き気味になりながらも、特に断る理由も思い付かずに了承した。

「じゃ、早速いこか!僕の好きな、あの曲はどうや?ほら、君とよく聞いた……」

「す、すぐ歌えるけど……」

「素晴らしい!」

藤嗣ふじつぐはピアノに向かうと、試しに一節を弾いてみる。聞き覚えのあるそのメロディーに、歓談中だった客も、皆歌姫とピアニストに注目する。店内の電気がまた落とされる。

重厚な和風のワルツに合わせ、珠のよく通る声が響く。うるわしい元来の自然をとうとび、神の尊さをたたえるこの唄は、ちんどん屋が行脚あんぎゃする時に演奏されていて、多くの人が知っていた。

そんな新鮮な新しい時代の唄も、悲しみと切なさを表す曲に変わってしまっていた。珠の透き通る声と藤嗣ふじつぐの感情的で哀愁あいしゅうただようピアノによって、まるで失われていく自然と神への信仰の鎮魂歌レクイエムのように、日本人の心をかき乱すのだ。

唄と演奏が終わると、盛大な拍手によって二人は迎えられた。藤嗣ふじつぐは珠の手を取ると、役者のようにお辞儀をしてみせた。

「素晴らしい!お珠、素晴らしいで!」

「……やめてくらはります?」

「ーーおや、堪忍かんにんな。お蝶」

珠はぱっと藤嗣ふじつぐの手を離すと、舞台から降りる。

(坊ちゃん、馴れ馴れしくてな気分や。昔もこんなお人やったっけ?どうやって接していた分かれへんーー)

「蝶、もう上がりィ。凄い顔してるで」

マスターに言われ、珠は表情をさらに硬くする。

「……マスター、甘えさせてもらいます」

「気をつけいな」

珠は慌てて裏に引っ込むと、藤嗣ふじつぐつかまれた手を抱きしめる。着替えながら、珠は三ヶ月前のことを思い出していた。

楓助ふうすけーーどうしよう、あんなに楓助ふうすけを否定しておいて、私……)




睦月いちがつの七日、人日じんじつの節句の日、菊重あきしげたちが外に出て行ってすぐ、鹿島が真顔で口を開いた。

「……で、蝶子。話したいことがあるんだけど。」

「な……なによ」

鹿島は黙って、布団に横たわる珠を見つめていた。その甘く絡みつく視線に、珠は嫌な予感がしていた。こころがざわめいて、落ち着かない。なにも聞きたくない。珠は視線から逃げることもできず、首だけ僅かに動かして、目をらした。

「……怖い、か?それとも……」

珠の心を見透かすような、鹿島の言葉。珠は何も言えずに黙った。

「なあ、らちがあかないから言うけどさぁ……俺、蝶子の事を大事に想っているから。ずっと……ずっと前から。」

珠は目をぎゅっとつむって、鹿島の告白を聞いていた。珠の想像以上の、微かに震えた甘くて切ない男の声に、耳がとろけて心がどうにかなってしまいそうだった。

「聞きたくないかもしれないし、俺も言うべきじゃないかもってずっと思ってた。けど、いざ死ぬかもしれないって時、俺は……」

「や……やだ、やめてや……!」

珠はこれ以上、鹿島の赤裸せきら々な告白に耐えきれなかった。あのひょう々とした鹿島の軽い声が、熱に浮かされたようになっているのを聞いていられなかった。

「聞きたく……ない……」

「でも、俺はーー!」

だって言ってるやん!」

珠は、自身が溶けてなくなりそうな恐怖におびえ、心のままに泣き叫んだ。叫んで、やりすぎたと珠は後悔した。

「ーーあ、ごめ……」

「……おっさんはよくて、俺はそんなに嫌なのか?なぁ……!」

珠は鹿島の、深く傷ついた声に焦る。

「ちが……ごめん!あたし、そんなつもりじゃ……」

鹿島を見ると、目から光が消えている。鉄仮面を被ったようなその顔も、普段明るい微笑をたたえている鹿島からは、想像もできない顔だった。

「ーーじゃあ、もういいから。だから、おっさんと同じように、俺も金の成る木としてもてあそんでくれよ。」

「そんな……そんな酷いこと、楓助ふうすけにできない……」

珠はもはや、自分でも何を言っているか分かっていなかった。ただ頭の奥がしびれるようで、喉がきゅっとしまって、わらをもすがる思いで感情を丸出しにしていた。涙目の珠と目があった鹿島は、頭を乱暴に掻いて目をらした。

「はぁ……じゃあ、初めっからそんな酷いことを人様にするのはヤメロ。馬鹿野郎が……」

重い溜息をいて、鹿島はお手伝いを呼ぶ。珠はすぐに、布団に顔をうずめた。

「何やってはるんです、鹿島さん!」

「……悪い。もう出てくから、肩を貸してくれ」

「はぁ……重た!……よいしょっと」

ふすまの閉まる音がして、珠は鹿島の座っていた場所をそっとのぞく。もういないとわかっているのに、確認してしまった自分が嫌だと、珠は甘い溜息をついた。




鹿島を否定したあの日から、珠の胸にはちくりと甘いとげが刺さったまま抜けない。それでも、どうやって話しかければいいか分からずに、三ヶ月もの月日が経ってしまっていたのだ。あんな終わり方で、どう話の糸口をつかめばいいのだろうか。そもそも、珠自身に話をする資格があるのだろうか?

しかし、もうこれ以上男を落とそうと誘惑する気にもなれず、珠は空っぽの心で愛を歌い続けていた。


そんな時に、消したい過去が現れたのだ。

大阪に住んでいた時の、名取なとりたまとしての人生を知る男が。

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やばいやつの短編もよろしくお願いします♡
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