④自愛と視線の先の愛/重陽の節句 後編
菊重は松鶴の部屋で暫く過ごした後、のろのろと風呂に入ってから、宴会に顔を出した。
和洋折衷のこの屋敷だが、その奥にある仏間は広くて縁側もあった。皆はそこで酒や料理を食べながら、わいわいと騒いでいた。
「おっ!菊重〜。遅かったな!もう殿と若殿も来ているぞ!」
そろりと襖を開けた菊重。それに気づいた赤ら顔の八橋が、手招きして下座の膳の前に座らせる。松鶴が、床の間の前の席からこちらに笑いかけてきた。
「これで全員揃ったようだね。……ああ、いのはもう寝てしまったけれど……改めて、簡単ながら乾杯をしようか」
松鶴が盃を掲げると、皆もそれに倣って盃を掲げる。
「皆の長寿を願ってーー乾杯!」
乾杯!という声が弾け、菊重も隣に座っていた鹿島と乾杯をした。盃には菊の花が浮かんでいる。しかし、去年は気づかなかったが、いつも菊重が異能の力で飲んでいるものとは、かすかに味が違うようだ。しかしすっきりとした飲み口はとてもよく似ていて、旨い。おそらく、この近くの酒蔵のものだろう。
「やっぱりシゲはザルだなぁ〜!飲むの速すぎるって。」
そう言って、鹿島が酌をしてくれる。
「ぼ、僕は自分で入れますから!」
「遠慮するなバカ。俺の酒が飲めねぇのか?」
既に宴会が始まっていたからか、鹿島は赤ら顔でそう宣った。
「毎日仕事!仕事!で、いい人もできやしない。そんな俺の楽しみを奪うんじゃねぇ!」
「あはは……でも、紳士な楓助兄さんのそのキャラを見たら、女の人は爆笑しますね」
「そんなのは求めてねぇんだよな〜……」
鹿島は嫌そうに顔を歪ませながら、吸物を啜る。
「抑も、兄さんはどういう女に好かれたいんです」
菊重も、菊花の餡がかかった真薯をつまみながら酒を飲む。美味しいご馳走に、思わず顔が輝く。対照的に、鹿島の顔は曇っている。
「うーん……俺は〜……俺は〜……!!どんな所が好きなんだ……?一体何が好きなんだ……?」
菊重は、ちらりと上座の方を見る。隣り合って座る姉妹の、桜子の方だ。今彼女は、松鶴と談笑している。
(正直、理想の女性つったら、桜子さん一択やと思ってたが。)
そんなことを思いつつ、もぐもぐと口を動かしていると、鹿島が目敏く菊重の視線の先を辿ってきた。
「……何だ?シゲはあの姉妹が好きなのか?」
耳元でこっそり聞いてくる鹿島に、菊重は必死で首を横に振って否定した。
「ち、違いますよ!けど、男は誰だって桜子さんみたいな人に惹かれると思っていたから……。」
あぁ、と鹿島は納得したように呟いた。
「俺は、あの二人なら薫子の方がいいな。桜子も可愛いんだけど、強くあろうとする女の姿の格好よさ……っていうのか?そういうのが好きなのかもなぁ。はぁ……そういう女に甘えられてみてぇかも……」
菊重は、思わずどきりとして、飲んでた酒に咽せてしまう。不意に、発電所で薫子と二人、小野姉弟と対峙した夜を思い出したのだ。眠そうなとろんとした顔に、香の甘い匂い、服越しに伝わる体温ーー酒が変なところに入ったのか、菊重の咳は止まらない。
「お、おい。大丈夫か?!」
鹿島が慌てて菊重の背中を叩く。そこに、もう一つ手が加わった。ふわりとあの夜の香りが、菊重の鼻をくすぐる。
「あほ。鹿島さんが飲ませはるからや」
「これは俺のせいじゃないぞ?!」
菊重が落ち着くのを見て、薫子が菊重の顔を覗き込む。薫子も顔がほんのり桜色に染まっている。こうして見ると睫毛も長く、おでこもすべすべとして綺麗だ。
「顔、真っ赤やね。早速飲み過ぎや、あほ。少し休みよし」
飲んだせいか、薫子はいつもより顔を寄せてきた。しかし、すぐに離れて席に戻っていった。菊重は心臓をバクバク言わせ、動揺して更に残りの酒を飲んでしまった。そしてそのまま、無言で大根のなますを、もそもそと食べ始める。
宴会の様子を見ると、今は薫子と鹿島が隣同士話している。桜子と鶯梅が向かい合わせに話し、松鶴と八橋が酒を呑んでいる。菊重の目の前は、いのの膳だ。しかし、菊重がいないうちに騒いでいた間に、食事を済ませて寝てしまったのだろう。
(ほや、蝶さんもたまァに協力してくれるさけェ、呼んであげれば良いのにの。何か理由があるんやろか)
菊重は今でも、気晴らしにカフェー・ピボワンヌに通っている。蝶は菊重とは仲がいい友達だし、いのや楓助とも仲がいいが、不思議と蝶の方からこの屋敷を訪ねることはない。
「何ぼーっとしてるんだ?」
「ん。蝶さんのこと考えてての。何でこの屋敷に遊びに来んのやろって」
鹿島は、うーんと唸り、何から説明しようか考えているようだった。
「蝶子は、一度ここに入らないか勧誘しているんだ。けれど、……松鶴さんと話して、何かの理由で断ったみたいなんだよな……。」
「然うなんか……何か知らんけど、あんまし藪蛇突かんほうが良いんてなや。」
「あー、酔ってるのか、お前が何言ってんのか分かんなくなってきたわ……。畿内の人なら、何となく分かるのかも知れないけどなぁ。」
「ほうけ?ほんなら、僕を迎えに来なった時はどうしなってたんや?」
菊重は、焼いた鰯や里芋の煮物をちびちび食べながら、酒を身体に流し込む。
「んー?ああ、面倒だから、異能に頼りまくりだったよ。ありゃ疲れたし、もう勘弁して欲しいなぁ……。ああ、俺もう無理。眠……っ」
鹿島はよろよろと立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
「すいません。俺、もう寝ます……。おやすみなさい……」
「酔うたァ情けねぇなぁ!ははは!俺の勝ちだ!!」
笑う八橋の声に、しっしっと手で追い払う仕草をしてから、鹿島は襖を閉めた。立ち上がった八橋は、そのまま鹿島の居た場所にどかりと座る。
「よう、呑んでるか〜?」
八橋はかなり呑んでいるらしく、酒臭い。総髪、つまりオールバックにして髪を高く結っているせいで、茹でダコになった顔がよく見える。
「全く……若殿は、呑んでも呑んでも顔色一つ変わらねぇから面白くねぇ。菊重ェ!代わりに呑め!」
確かに、若殿と呼ばれた鶯梅は、いつもの様子で酒を呑んでいる。とても今まで八橋に付き合って、呑みまくっていたとは思えない。
(って……!先生、楓助兄さんと大概に同じやが!)
同族嫌悪という奴なのか、なんだかんだで八橋と鹿島はよく似ている。
「あほ、止めよし!もう酒向君も、もうようけ呑んでるんやし、何より未成年よ!」
「ええ〜。薫子に怒られるなら、やっぱり若殿と呑も……」
八橋がしゅんとして、元の席に戻ろうとした時、鶯梅が立ち上がって、八橋の肩を掴む。
「また今度な」
そう言って、不満を零す熊のような八橋を、細身だが大柄の鶯梅が引きずっていく。しばらくして、鹿島の爆笑する声と八橋の荒げた声が聞こえたので、おそらく暫くは大人たちも寝ないだろう。
菊重はご飯と麩の味噌汁、そして蕪の酢の物を食べて一息つく。柿も全て頂く。
「ご馳走さんです」
「よお食べはるね、菊重君」
桜子が笑うと、菊重は少し恥ずかしくなって俯く。
「食い意地張っつんてて、僕、えろう食べてまうんです」
「いいじゃないか。食べたいだけ食べて、次に頑張る気力になる。それなら、食べる甲斐があるよ」
松鶴がにこにこと笑って言う。
「さ、これはもう宴もたけなわってところかな?皆、明日からもよろしく頼んだよ。」
解散となって、菊重は自分の部屋に戻り、いい気分で布団に潜り込んだ。冬が近づき、少し布団が冷えているが、身体が温まっているから平気だった。
菊重は、すぐに深い眠りに落ちていった。
【補足】
食べ残しは、お手伝いさんの食事になっています。
警邏団のみんなは貴族ではないですが、それと同じ考え方で残しています。残りはスタッフがおいしくいただきました。って奴ですね。




