信長打倒を諦めぬ男
備後の国鞆。
文『島津殿には至急大友と和睦をし、至急世を奉じ上洛の兵を挙げ。逆賊信長を討ち果たすべし。』
「ふぅぅぅ。毛利は頼りにならぬ……。」
ここに打倒信長を諦めぬ1人の人物が居た。
利三「将軍・足利義昭ですね。」
12代将軍足利義晴の次男として生まれた義昭。兄に13代将軍となる嫡男義輝が居たため、室町幕府の先例に習い仏門に入り、順調に出世の道を歩んでいたのでありましたが……。
松永久秀と三好三人衆の手により兄義輝は暗殺され。その時、のちの義昭も幽閉の憂き目に遭うのでありました。
利三「これだけ見ますと松永三好と殿は似たような状況下にあります。」
そこで松永と三好は11代将軍足利義澄の次男で10代義植の養子となった堺公方。13代義輝と対立関係にあった義冬を父とする義栄を14代将軍に擁立するのでありました。
利三「長年、三好は対立関係にあった義輝、義冬双方を養って来たのが、言うことを聞かない義輝を暗殺しても困らない。義輝と対立している足利将軍の資格を有する義冬側から擁立することが出来た。と……。」
そこに義輝の側近であった一色、和田、細川らが幽閉されていた義輝の弟・のちの義昭を救い出すのでありました。
利三「信長は斃せたけれども、当主・信忠は健在であった時……。」
光秀「松永三好側から見た場合。義栄擁立を絶対に許すことの出来ない人物を残したことが失敗だった。と……。」
利三「義栄が暴走し、暗殺しなければならなくなった場合の次の将軍として義輝サイドの人間を残したとも言えるのでありましたが。」
光秀「そのカードを敵の手に渡してしまっては意味は無い。」
近江の国に脱出した義昭は領主・六角家の了承のもと、ひとまずここに腰を下ろし還俗。自らが正当な足利家当主であることを宣言するのでありました。
……とは言え義昭(当時は義秋)には自前の兵力を有していたわけでは無く、義昭を神輿に担いだ義輝旧臣の兵力をかき集めたとしても松永・三好にかなうわけで無し。そこで義昭が採った行動。それは
『他国の勢力に手紙を送り、上洛の兵を挙げてもらう。』
利三「この段階で殿は……。」
光秀「まだ会ってはおらぬ。」
義昭は手始めに河内の畠山と越後の上杉。次いで対立関係にあった六角と浅井に斎藤と織田。更には上杉と武田・北条との和睦を斡旋し、彼らをまとめ。彼らの協力のもと上洛を目指すのでありました。
利三「比叡山以東のほぼ全勢力を率いて……。」
この義昭の行動に不安を覚えたのが。
利三「義昭を庇護した六角家……。」
光秀「義昭のこの構想に六角も協力的であったとは言うが。」
利三「そう言わざるを得ない状況下に六角があった。と見るのが自然なのかもしれませんね……。」
そこで六角は松永・三好と連絡。彼らに義昭の庇護先を襲撃させ、義昭を追い出すのでありました。その後、義昭は若狭の武田。ついで越前の朝倉を頼るのでありましたが……。
利三「彼らにとって義昭は重荷。迷惑な存在だったのかもしれませんね……。」