緊急事態は唐突です。
久しぶりにこちらを投稿します。
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バウズ商会の資産が差し押さえられるという噂がレクトイの街に広まったのだが、数日経つと落ち着き、街の住人達の頭の片隅に寄せられる程度の話題になっていた。
リンはその話を聞いた日の仕事の後に、現行の返済計画の見直しをした。店の資金はある程度の余裕があるものの、この時点で繰り上げ返済をした場合には突発的な支払の対応が出来なくなると判断したリンは、現行の状態で返済を続けていく事に決めた。
そして数日後、この日は店の定休日であり、リンとエルムの二人の姿は街の中にあった。
「リンさん、今日は何をするんですか?」
「う~ん、それなんだけど特に決めてない。……でも、こういう日があっても良いと思ってるから。エルムは何がしたいんだ?」
「私も特に決めてないです」
「そうか、それなら今日は特に何もしないで過ごすか。ここ最近忙しかったからな」
「分かりましたです」
リンは街に点在している椅子に身を投げ出すように座っていて、エルムはその横で彼女と同じように座っている。昨日までの雑貨屋の業務が忙しかった二人は、休日の今日は何をするのかを互いに決めておらず、時間の流れに身を任せてのんびりと過ごす事にしたようだ。
「今日のお昼は何にするんですか?」
「それも特に決めてない。エルムは?」
「私も特に決めてないです」
普段の二人を知っている者達からすれば、こんなにだらけているリンとエルムは見た事が無いだろう。既に死んでいるので肉体的疲労を感じないリンも精神的疲労は感じるので、このようなゆっくりとした時間を過ごすのも悪くはないと思われる。
「私達、何かすごくのんびりしてるですね」
「そうだな」
街の住人達の賑やかな声を聞きながら、リンとエルムは空を見上げている。流れていく雲を眺めながら、穏やかな時は過ぎていくのだった。
…………だが、それは唐突に終わりを告げる。
カンカンカンカンカンッ!!カンカンカンカンカンッ!!
「ひぃ!!」
「うおっ!?」
平穏な日常を甲高い鐘の音が切り裂き、それを聞いた二人は驚いて飛び起きる。
「こ、この音は何ですか?」
「これは、確か……」
鐘が連続で五回叩かれ、一拍の間を空けて再び連続で五回叩かれるのが繰り返されており、その音が街全体に響き渡っている。それを聞いて一体何事だと慌てるエルムに、この音が聞き覚えがある音だったので思い出そうとするリンだが、その答えはすぐに判明した。
「皆さんっ!これは訓練ではありませんっ!最小限の荷物を持ち、家などの戸締まりをして、慌てずに避難所に避難して下さいっ!」
「落ち着いて行動して下さいっ!まだ時間は残っていますっ!」
兵士達が走りながら、街の住人に避難するように大声で呼び掛けている。その声は街の至る所から聞こえてきた。
「は、早く避難するぞっ!!」
「皆こっちだ!」
「慌てるんじゃないよ!」
それと同時に、住人達が避難の準備を始める声も至る所から聞こえてきた。それらを聞いてリンは先程の鐘の音が何なのかが分かったようだ。
「……そうだ!これは緊急事態を知らせる鐘の音だ!」
「そ、それって何なんですか?」
「そうか、エルムは聞いた事が無かったか。この音はな、この街に危険が迫ってる事を知らせる鐘の音で、今それが街に来てるんだよ!オレ達も早く店に戻って準備して避難するぞ!」
「わ、分かりましたですっ!!」
リンは街中に響き渡っている音が緊急事態を知らせる鐘の音であり、今まさに危機が迫っている事を住人に知らせる為に鳴らされているのだ。それを聞いた全員が大慌てで準備をして避難を開始する。
「みんな、すごく慌ててるです!」
「そりゃそうだ。緊急事態に慣れてる奴なんて居ないんだよ。……何せ、訓練以外であれが鳴ったのが四年も前だからな」
レクトイの街では年に一回、訓練として先程の鐘を鳴らされるのだが、それはあくまで訓練である。本当の緊急事態には街の住人は慣れていない。リンが言った通り、鳴らされたのは四年前であり、最後に鳴らされたのはいつだったのかを思い出せない者が何人も居るからだ。
「とにかく、店に戻るぞ!」
「分かりましたです!」
二人も遅れないように避難の準備をする為に、リンはエルムを肩に乗せて店へと走って向かっていった。
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街を囲う壁の上には物見櫓が点在しており、街の内外に異常がないのかを常に兵士達が見張っている。これは緊急事態の鐘が鳴らされる少し前の出来事だった。
「どうだ?」
「……いつも通り、異常は無しだ」
街の東側にある一つの物見櫓では、一人の兵士が街の外を双眼鏡で見渡し、もう一人の兵士から様子を尋ねられると彼は特に異常は無いと返答する。
「まぁ、平和が一番だな」
「そうだな。お、そろそろ休憩の時間だからもう少し頑張ろうぜ」
二人の兵士の勤務の時間はそろそろ終わりを迎えようとしており、間もなく交代の兵士が物見櫓に現れる。もう少しだと二人は気合いを入れ直す。
「そういえば、今日はあいつの番か」
「そうだ。あいつ、今日こそ自分が雑貨屋のエルムって子から荷物を直接受け取るって言ってたからな」
二人は交代でやってくる一人の兵士の話題を上げる。彼はエルムの熱狂的なファンの一人であるのだが、自分の仕事を投げ出してまで会いには行けない。それをすれば彼は解雇されるからだ。
そんな彼の唯一の楽しみは、配達の業務でエルムが自分の持ち場に荷物を運んでやって来る事であるが、運が無いと言えば良いのか、何故か今まで一度も会えていない。今日こそはと息巻いていた。
「……まぁでも、今日は雑貨屋は定休日だから、配達は絶対に来ないんだけどな」
「うわ、あいつ本当に運が悪いな」
エルムの事を待ち望んでいる彼であったが、とても残念な事に今日は雑貨屋は定休日なので彼女は絶対に来ない。
「あいつ、とことん落ち込むだろうな」
「ははっ、そうだ…………ん?」
彼が酷く落ち込む様子が簡単に想像出来た兵士達は自分達の仕事に戻るのだが、一人の兵士が双眼鏡で再び街の外を覗いた時に、何かに気が付いた。
「どうした?何か見つけたのか?」
「……俺が見た方をお前も見てくれ。俺の見間違いであればいいんだが」
「わ、分かった」
外を見ていた兵士が、もう一人の兵士に自分が手に持っている双眼鏡を渡すと、先程見ていた方を見るように頼み込む。双眼鏡を渡された兵士は双眼鏡でその方向を見る。
「どうだ?」
「……おい!これは不味いぞ!!この街に向かって来てるじゃないか!?」
「やっぱり俺の見間違いじゃなかったか!急いで隊長に報告だっ!」
「分かった!街の人達にも知らせなければっ!!」
この二人が一番最初に街に迫る異変に気づき、彼らは隊長の元に報告に向かった。報告を受けた隊長は自分の目で確認する為に先程の物見櫓へと足を運ぶ。
「お前達が見たのはどの方向だ!?」
「あちらです!この双眼鏡でご覧になって下さい!」
兵士は見た方向を指を差し、隊長に双眼鏡を手渡す。それを渡された隊長は示された方向を双眼鏡で見た。
「どうやら本当のようだな。……緊急事態の鐘を鳴らせ!各地の詰所の兵士達に連絡を入れ、街の住人を避難所に避難させろ!冒険者ギルドにも連絡し、協力の要請を出せ!」
「「はっ!!」」
隊長は報告が嘘では無く、街に危機が迫っていると判断して、矢継ぎ早に指示を出す。街の住人や建物に被害が出てからでは遅すぎるのだ。一瞬の判断の遅れで救える命が失われる事を嫌と言う程に知っているからだ。こうして、隊長の早急な判断によって緊急事態の鐘は鳴らされたのだった。
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緊急事態の鐘が鳴らされた直後に冒険者ギルドにもその情報が伝えられ、たちまち慌ただしくなった。
「みんなきいたよね?このまちにききがせまってるから、がんばろうね!」
「……マスター、お願いですからもう少し緊張感を持って話してください。その話し方と服装では、私達の気が抜けてしまいます」
「え~!?これでもしんけんにはなしてるんだけど?」
シーアが今のギルドに居る従業員と冒険者に対して、危機が迫る街を守ろうと呼び掛けるが、今一つ緊張感が伝わって来ない。本人は至って真面目に言っているのだが、普段の幼女の姿では少し無理があるようだ。
「……で、なにかじょうほうはつたえられてきた?」
「見張りの兵士からの情報なのですが、街に向かって来ているのは、……魔物のバーサーカーコングで間違いないようです」
「えぇっ!!?なんでぇっ!!?」
ミシズの報告を聞いたシーアは目玉が飛び出しそうになる程に驚いた。
「バーサーカーコングって、……聞き間違いじゃないよな?」
「おいおい、まずいんじゃないのか!?」
「ひぃ!もうおしまいだぁ!!?」
バーサーカーコングという単語を聞いた冒険者達が動揺を隠せない。その中には、この街は終わりだと絶望する者まで現れ始めた。冒険者のみならず、ギルドマスターのシーアでさえも取り乱す魔物の事を、ここで説明しなければならない。
今この街に向かって来ているのは、バーサーカーコングという巨大な猿の魔物である。猿の魔物といえば身体の大きさなどに様々な違いがあり、数も多く存在する種類の魔物なのだが、バーサーカーコングは群を抜いて危険度が高いのだ。
灰色の毛に覆われた巨体とそれを支える怪力を用いて、一度でも怒りに火がついた場合には周囲の物を破壊し尽くてしまうのだ。その暴れる様子を見た者は、まるで狂戦士のようだと言っていたので、バーサーカーコングという名で呼ばれるようになった。
ただ、バーサーカーコングは人里離れた山の奥の、更にその奥に住み処を作って過ごしているので目撃例が少なく、また個体数も少ないので、滅多に討伐の依頼は出されないのだが、依頼を出されたら歴戦のSランクの冒険者が数人集まっても、討伐は難しいとまで言われている程の危険度なのだ。
そんな危険な魔物が街に向かって来ている事を知らされたので、誰もが驚きを隠せなかった。
「皆さん、落ち着いて下さい!今は私達に出来る限りの事をして、この危機を乗り切りましょう!」
ミシズが場を落ち着かせようと呼び掛けるが、それは焼け石に水であり、ほとんど収まらなかった。
「……そうだ!マスターのけんげんで、Sランクのぼうけんしゃをきんきゅうしょうしゅうするよ!ミシズちゃん!ふたりにれんらくおねがいね!」
レクトイの街の冒険者ギルドには、数が極端に少ないSランクの冒険者が二人も在籍している事を思い出したシーアは、ギルドマスターの権限で彼らをこの場に召集する事に決めたようだ。
Sランクの冒険者には様々な恩恵が与えられるのだが、ギルドマスターの緊急召集には一部の例外を除いて応じなければならないなど、いくつかの決まりがある。それに数回従わなかった場合は冒険者の資格を剥奪される事もあるのだ。二人の力を借りれればこの状況を何とか出来るかもしれないと希望が見えたシーアは、彼らに対しての連絡をミシズに命令する。
「マスター、大変申し上げにくいのですが……、その二人には一昨日にクエストを受けさせていまして、クエストの遂行中は緊急召集の対象外です。仮に今、連絡がついて戻って来れる事が分かったとしても、最低でも二日は掛かります」
「あぁ~~!!そうだったぁ~~!!!」
……しかし、物事はそう簡単に上手くいかないようで、Sランクの二人にはマスターから直々にクエストを遂行するように依頼を出していて、彼らはそれを遂行中である。Sランクの冒険者がクエストを受けている間は緊急召集に応じなければならない義務が免除される例外が存在するのだ。
そのギルドマスターの権限の一つである緊急召集の例外が、不運にも今回の非常事態になって適用されてしまったのだ。仮に戻って来れる事になっても移動に二日程の時間を要してしまうので、今回は二人の力を借りれない。その事に気がつかされたシーアは思わず頭を抱える。
「うぅ~~!!あのふたりがいないのはいたでだけど、みんなのちからをあわせれば、おいはらうくらいならなんとかなるかも!」
「マスター、具体的にどのような作戦が?」
「へいしさんときょうりょくして、たいほうとか、まほうとかでたくさんこうげきして、バーサーカーコングをおいはらおう!!ぼうけんしゃはランクにかんけいなくきんきゅうクエストをうけるように、すぐにてはいして!」
「緊急クエストですね?分かりました!低ランクの冒険者は後方支援に当たらせ、高ランクの冒険者を前線でよろしいですか?」
「それでいいよ!みんな!ちからでこのききをのりこえよう!ほうしゅうははずむからね!」
シーアは今街に居る冒険者を総動員して、街の兵士達と協力し、バーサーカーコングを撃退する作戦を立てた。強大な力を持つ魔物であるバーサーカーコングから街を守る為には、もうこれしか方法は無いと決断したのだ。ミシズに緊急クエストを出すように指示する。
緊急クエストとは、緊急時や非常事態に出されるクエストで受注可能のランクの指定が撤廃されているので、最低のGランクの冒険者でも受けられるクエストなのだ。ただし、低いランクの冒険者は後方支援などに回される事が多いが、報酬は普通のクエストよりも割高になる場合があり、今回の報酬は割高になるようだ。
「ど、どうする?」
「報酬が高いなら受けるけど、相手がバーサーカーコングだからな……」
「私はやめようかな」
報酬は割高になる事を聞かされても、冒険者達は相手が相手なので二の足を踏んで躊躇っている。
「しょうがないなぁ……。みんな!こんかいのきんきゅうクエストでいちばんかつやくしたぼうけんしゃには、わたしからじきじきにとくべつほうしゅうをだすよ!でも、ひとりぶんしかださないからね!ないようはこれがおわってからきめるけど、たのしみにしててね!」
「と、特別報酬ぅ!?」
「それなら受けるぞ!!」
「何が貰えるのかは分からないけど、それは楽しみ!」
それを見かねたシーアは、緊急クエストを受けた冒険者の中で一番活躍した一人だけに特別報酬を出す事を約束する。その内容はまだ決められていないのだが、特別報酬と聞いて多くの冒険者が緊急クエストに参加を表明する。
「マスター、そんな事を言って大丈夫ですか?」
「しかたないよ。こうでもしないとみんなはうけてくれないからね」
シーアが急遽決めた特別報酬を出す事は、一人でも多くの冒険者を緊急クエストに参加させる為であり、彼女が考えた苦肉の策である。特別報酬という餌で冒険者達を動かさなければ街を守れないと自分の身を切る覚悟でそれを決めたのだ。
「……ですが、これで多くの冒険者が動いてくれそうですね」
「うん!これでなんとかなりそうだね!……わたしのふところはかいめつしそうだけど」
「あの、私もいくらか出しましょうか?」
「だいじょうぶだよ、ミシズちゃんはださなくていいから。だすっていったのはわたし。じぶんがいったことにはぜんぶせきにんをもつよ」
これでなんとか街は守れそうだと二人は胸を撫で下ろす。ただ、シーアは自分の所持金が特別報酬を払った場合、全て無くなってしまう事を心配したのだが、言った事はどうやっても取り消せないので、責任を持って払う事を覚悟したようだ。
……そんな覚悟に水を差す情報が、冒険者ギルドに慌てた様子で駆け込んで来た兵士によってもたらされた。
「ほ、報告しますっ!ば、バーサーカーコングの姿が、に、二体確認されたとの事です!!その二体が、この街に向かって来ているとの情報が入りましたっ!!」
「「「…………」」」
報告によれば、一体でもとんでもなく大変なバーサーカーコングの姿が二体も確認されたという。しかも、その二体が街に向かっているのも確認されたのだ。これには特別報酬が貰える事で盛り上がっていた冒険者達も、一瞬で静まりかえる。
「……しかたない。とくべつほうしゅうをだすにんずうを、じゅうにんに増やすよ!みんな、さんかしてね!」
「「「…………」」」
「そ、それじゃあ、……とくべつほうしゅうをだすのは、にじゅうにんでどうだ!?」
「「「「うおおぉぉぉぉっ!!!」」」」
静まりかえる冒険者達を見て、クエストに参加しなくなってしまうと思ったシーアは、特別報酬の対象を人数を一人から十人に増やすと言っても冒険者達は静まったままだが、特別報酬の対象を二十人に増やす事を告げると、冒険者達は活気を取り戻した。
「マスター!?そんなに増やして本当に大丈夫なんですか!?」
「……もう、どうにでもなれだよぉ!!バーサーカーコングがにたいもきてるなら、こうしないとだめなんだよぉ!?」
「落ち着いて下さい!マスターがここで自棄になってどうするんですか!?」
「おねがいだから、やけにならせてよぉ!」
「あぁもう!!落ち着いて下さいっ!!」
バーサーカーコングが街に向かって来ていると分かってからの冒険者ギルドは、時間が経つにつれてギルドマスターのシーアも取り乱してしまう程に収拾がつかなくなってしまった。なんとか収めようとミシズは奔走するのであった。
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バーサーカーコングのイメージは巨大なゴリラを想像して頂けると助かります。