決意は本物です。
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雑貨屋の『ウィンスト』の従業員として働き始めてからのエルムは、リンから学んで覚える事が多々あり、その毎日が初めての事だらけで驚きの連続だった。今まで見た事が一度も無かった様々な種族との交流は、住んでいた集落を出なければ開かれる事が決して無かったであろうエルムの世界観を急速に広げていき、姿や体格、性格といった物などがそれぞれ違いが存在する事を認識していった。
エルムが働き始めてからの店の賑わいは普段以上で、それはリンの予想を遥かに上回っていた。……何故こんなにも賑わっているのか?それには、リンが知らなかった重要な理由が関係していた。
その重要な理由とは、エルムの種族であるフェアリーは基本的に同族であっても極力交流はせずに各地で集落を作っていて、そこで静かに暮らしている。それによって、自分が生まれた集落の中だけで自らの一生を終える者が殆どであり、集落から出て行く者の数が圧倒的に少ない。出て行く者も可能な限り人目を避けて移動しているので、その姿をはっきりと見た者はいないと言っても良い程に目撃情報が極端に少ない。数年に一度、目撃したという情報が世間に出るかどうかも分からない程度なので、その少なさが伺える。
また、どの場所でどれくらいの規模で暮らしているのか?などの詳しい情報が全く無いのが現状で、世界の各地にひっそりと点在する集落を一つでも見つけた者は今まで誰一人いない。それは、幾つもの困難なクエストを達成しているSランクの冒険者であったとしても、位が一番高くて強い権力を持つ王族に生まれた者であったとしても、到底不可能な事であった。
更に、子供に教えを聞かせる為の物語や古くから言い伝えられている伝承などにも登場しており、一部の者達からは『フェアリーは高貴な種族であり、極々一握りの清く純粋な心を持つ者だけが姿を見る事が許され、見た者の生涯は幸運に恵まれる』とまで言われている。それ程までに稀有な種族なので、全財産を引き換えにしても手に入れたいと考える者までいるのだ。
そんな一生に一度会えるかどうかすら分からない幻のような存在が、自分達の身近にある日突然現れた。……しかも、その場所がこの街では有名人のリンの店だと分かると噂が噂を呼んで街中に伝わり、その姿を見たいが為に多くの客が殺到し、来客数は日に日に増していって、エルムが働き始めて数日が経過した店は大盛況に勝るとも劣らない程の混乱に包まれていた。
「かわいいーっ!!」
「小さくて綺麗!」
「こっち見て!こっち向いて!!」
「ほ、本当に居たんだっ!」
「ちょ!押すなよ!まだ全然見てないんだよっ!」
「あ、あの………、その……、えっと」
「おーい、エルムが困ってるから程々にしてくれ。エルムが仕事出来ないだろ?……あと、冷やかしだけなら帰ってくれ。オレの店は雑貨屋であって、見世物屋じゃないからな」
そして今、エルムは仕事をしているのだが多くの人に囲まれて対応出来ずに困惑していると、客でごった返している店内で四苦八苦しながらも商品を補充しているリンが助け船を出す。商品の購入だけを目的とした客は存在するのだが、この状況では今店の中に居る客の全員がエルムを見たい、触りたいが為に集まっていると言っても過言では無い。また、店の中に入れなかった客は外で列を成していて、自分の番を今か今かと心待ちにしている者が大勢おり、その列は今もどんどん伸びている。
「えっ!?もう少しだけ見たい!」
「ほんの少しだけだから!この子の仕事の邪魔は絶対にしないからさ!」
「いや、現在進行形で邪魔してるから。……それよりも、仕事はどうしたんだよ?今はその時間じゃなかったのか?」
「「「「「サボってますが、何か問題でも?」」」」」
「仕事に戻れよっ!……ったく、何でこんなに来てるんだ?」
この店に来ている客の中にはそれぞれの仕事があり、今の時間はそれぞれの仕事の持ち場にいる筈なのだが、彼らがここに居るという事は自分の仕事をしていない事になる。リンがそれを指摘すると、その全員が口を揃えて同じ事を言ったので、リンは自分の仕事の忙しさも相まって苛立ちを露にして、仕事に戻るように強く言い放った。
このような状態になってもまだ、リンは理由は何なのだろうと考えても答えは出なかった。
「リンちゃん、あの子はどこで拾って来たんだい?」
「拾って来たって、物じゃないんだよ……。山道を歩いてる時にエルムが動けなくなってた所をオレが助けたんだ」
「そうだったんだね、ごめんなさいね。……でも、姿を見れるなんて思ってもなかったんだよ」
「ん?思ってもなかったってどういう事だ?」
リンはエルムを助けた出来事を質問してきた女性に簡単に話していた。その時にエルムが奴隷であった事やフレイムドラゴンに追い掛けられた事などは言わなかった。それらをうっかり言ってしまうと、余計な問題が起こる可能性があると考え、言わなかったのである。その女性が見れるなんて思ってもなかった、と口にすると疑問を覚えたリンがその真意を聞き出そうとした時だった。
「離してくださいですっ!」
「今はぼくの番だよ!」
「わたしの番だってば!」
「い、痛いですっ!引っ張らないでくださいですっ!」
「あぁもう!何やってんだっ!エルムが痛がってるだろ!」
二人の男女の子供がエルムの両腕を引っ張って、自分の方に引き寄せようとしているが、その事によってエルムが悲鳴を上げている。それを聞いたリンが一目散に駆け寄って、子供達からエルムを引き離す。
「エルムは物じゃないんだ、乱暴な事するなよ」
「「だって、こっちが独り占めしてずるいんだもん……」」
リンが膝を屈めてエルムを引っ張っていた子供達に理由を尋ねると、二人はそれぞれ相手を指差して自分は悪くないと主張した。二人は興味本意で仕事をしていたエルムを触ろうとしたのだが、一方が先に触れ、もう一方が触りたいと思って無理矢理エルムの事を引っ張ったのを機に、喧嘩になって引っ張り合いになってしまったようだ。
「だってもずるいもない。エルムは仕事してるから邪魔しないでくれ」
「何でなの~?」
「エルムはな、ここで働きたいって言ってくれたんだよ。今は仕事を色々と覚えてもらっているから、そういう事はしないでくれ」
「「……はーい、ごめんなさーい」」
リンに諭されて二人の子供は謝ったが、リンはその謝罪を受け取らなかった。
「謝るのはオレにじゃなくて、エルムに謝るんだよ。オレは何もされてないから、オレに謝っても意味無いんだよ」
「「あ」」
二人の子供はそう言われると、自分達はエルムを引っ張り合って
彼女か痛がっていた事を思い出した。
「えっと、ごめんなさい」
「ご、ごめんなさい」
「……私は大丈夫ですから、もう引っ張ったりしないでくださいです」
「「うん」」
謝られたエルムは、自分に痛い事をもうしないように言って二人を許した。
「えっと、……それじゃあ私は仕事に戻るです」
「あ、そうだ。…………悪いけど、購入が目的じゃなくてエルムを見たいだけや触りたいだけの人は全員、店から出ていってもらえますか?」
「「「「「「「「えっ!!?」」」」」」」」
(……ほぼ全員が、エルム目当てかよ)
エルムが仕事に戻ろうとした時に、リンが店の中に居る全員に対して商品の購入の目的以外の人は出ていくように言うと、客のほぼ全員が驚きの声を上げる。この時のリンは、顔は笑っていたが目には光が無かったとか瞳孔が開いていたと、後にこの状況に遭遇していた人達が口々に語っている。……目に光が無かったとか瞳孔が開いていたのは彼女が死んでいるので元からであって、決して怒っていた訳ではないとは、この状況では言い切れないのだが。
客のほぼ全員が声を上げたのでリンは只でさえ今は忙しいのに、と思って苛立ちが募っていき、つい考えた事を言いそうになるが、なんとか耐えて話を続ける。
「……オレ達の仕事に既に支障が出てるのと、購入を目的としている人達の邪魔になってるんだ。エルムが珍しいからって、そう大勢で来られても困るんだよ」
「そんなの嫌だっ!」
「まだ足りない!」
「独り占めはずるいぞっ!」
リンの言った事に納得出来ない客が口々に文句を言い始めた。……だが、その文句を聞かされたリンの募っていた苛立ちは、仕事の忙しさも相まって一気に最高潮に達した。
「…………出てけ」
「「「「「え?」」」」」
「四の五の言わずに全員、今すぐここから出てけぇぇぇーーーーっ!!!!」
苛立ちによって生じた怒りを乗せたリンの叫びは、この街全体を揺らす程に響き渡った。
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リンの叫びが響いた数分後の店の中に居るのは、店長のリンと従業員のエルム、それに商品の購入を目的とした客の数人だけであった。……ちなみに、エルムを一目見たいとか触りたいと思って店の外に並んでいた客はというと、響き渡ったリンの叫びに驚いて全員逃げていた。
「……さっきは大声を出したりして、すみませんでした」
「別に私達に謝らなくていいのよ。リンちゃんがああいう風に言ってくれたおかげで、私達はこうやってゆっくり買い物出来るんだから」
「そうだよ。そんなに気を落とさないでくれ」
「ははっ、そう言ってもらえると助かるよ。……でも、さっきのは冷静に対処しないと不味かったか」
リンは残ってくれた客に対して、頭を下げて先程の件を謝罪するが、客達は反対に彼女の行動に感謝していた。あれだけ人が集まっていれば少し移動するだけでも困難である事は誰から見ても明白であった。
しかし、忙しかったからといって怒りに身を任せて叫び、客を追い出した事は決して正しかったとは言えないと考えられる。現にリンは、少しばかりの後悔を感じていた。
「リンさん、大丈夫ですか?私は次は何をすればいいですか?」
「大丈夫だよ、大きな声出してごめんな。……そうだな、次はあっちの棚にこれを並べてくれ。無理だけはしないてくれよ?」
「はいです!」
心配になって近づいてきたエルムに対して、リンは謝罪をして、その後に仕事の指示を出す。
エルムはリンに対しての感謝の気持ちが身体を動かしているのかは定かではないが、接客に商品の補充などを積極的に行っていた。リンはそんなエルムを見て無理だけはしないように釘を差す事を忘れてはいなかった。彼女は今までは一人で雑貨屋を切り盛りしていたので自分のペースでやっていたのだが、エルムをこの店の従業員として雇って働かせていく事になったので、彼女の体調などを考慮して仕事を任せなければならなかった。ただ単に教えるだけではなく、自分が仕事をする所を見せ、それをエルムにさせてみるといった方法などで彼女に仕事を教えていった。
リンは仕事を教えながらもエルムに給料を支給する事を忘れなかった。労働には報酬を支払うという当たり前の事であったが、その時にはエルムにお金の使い方や計算方法、それに自分なりの考えを教えていた。他にも、エルムが良い事や正しい事をすれば褒め、悪い事や間違った事をすれば叱る、何か失敗した時には次はどのように行動すれば失敗を繰り返さないように出来るかを考えさせるなど、彼女が初めての事だらけであったとしても甘やかし過ぎる事をせず、厳し過ぎる事もせずに接していた。優しさだけでは人は育たないが厳しくし過ぎると潰れてしまう事を先代の店長から教えられていたリンは、それが店長である自分の仕事であり、義務であり、その大変さを身を持って知った。
そんな様子を微笑ましく見ていた街の人達は、二人の関係を店長と従業員といった物だけではなく、ある者は姉妹に、ある者は親子に似たような物だと口々に語っている。出会ってから数日しか経過していない二人が、こんなにも親密になっているのは訳があり、二人が街に戻って来た日の夜の出来事が起因していた。
それは、まだ一人で寝るのが不安だったエルムはリンと一緒に寝ようとしていて寝る服装に着替えたりなどの準備をしていたのだが、ベットに腰掛けていたエルムは隣に居るリンに、出会ってからずっと気になっていた事を聞こうとしたのだった。
「……あの、リンさん」
「何だ急に?」
「変な事を聞いてしまうかもしれないですけど、………その顔の傷はどうして治らないんですか?あと、腕の傷もどうしてですか?」
エルムは腕が噛み千切られても、地面の岩や石で身体を切っても再生して元の状態に戻ったリンを見ていたのだが、顔や首や腕にある傷痕がいつまで経っても全く消えない事を少し前から疑問を抱いていて、この際だからとリンに聞いてみたのだった。
「これが気になるのか?」
「は、はいです。気になってたです」
「やっぱりか。……それはそうだよな。これが気になるのも無理ないか」
エルムの言葉に、リンは納得しながらも自分の右の頬にある三本の切られたような傷痕を、右手で触りながらどこか悲しげな表情を浮かべる。
「リンさん。あの、もう一つだけ…………、この首の赤いのは何ですか?」
エルムは聞いてはいけない事だったと気不味くなりながらも、リンを知りたい気持ちに押されて自然と身体が動き、立ち上がると飛び上がると、リンの左肩に乗って首の左側にある火傷のような赤く爛れている痕に手を触れる。エルムはこれも、他のと同じように、いつまで経っても全く消えない事に疑問を抱いていたのだった。
「そういえば、エルムの事を話して貰ったけど、オレの事を話していないのはフェアじゃないな。……でも、そんなにオレの事を知りたいのか?」
「し、知りたいです!」
「エルム、知らない方が良い事だってあるんだぞ?知って後悔する場合だってあるんだ。……それでもいいのか?」
「はいです!私はリンさんの事を知りたいんです!」
「そうか。……あまり見せたくはないけど、口で説明するよりかはこっちの方が早いか。少し離れてくれ」
「えっ?ちょ、ちょっと何を…………、っ!!!」
エルムに自分の事を話していなかったリンだったが、それは知らない方が良いと伝える。彼女自身、知って後悔した事が何度かあり、自分の事を知ればエルムの心が傷ついてしまうだろうと考え、その旨を伝えたのだが、エルムはそれでも知りたいとリンに言った。
そんなエルムの気持ちを理解したリンは少し考え、すぐに行動に移した。エルムが自分から離れたのを確認すると、着ていた服を脱いで下着を身に付けただけの姿になる。露になったリンの身体を見たエルムは、そのあまりにも大きな衝撃を受けて言葉を失ってしまう。
「…………リンさん、その身体中の傷痕って……、どうしたんですか?」
リンの身体には顔の切られたような傷痕は顔だけではなく、腕や脚に胸や背中といった全身の至る所に存在する。大小様々な傷痕があって、普通の人が切られていた場合には致命傷になりそうな傷痕もあり、一番大きな傷痕は背中にあって右肩から左脇腹にかけて斜めに一直線にあって、見るだけで痛々しく、彼女の背中に存在している。
火傷のような赤く爛れた痕は首の左側だけではなく、右肘の内側に右脇腹、左脚の脛の外側にあって、その4つが全く同じ色で彼女の身体に点在している。
リンは客商売をしているので流石に顔や首や腕にあるのは隠せないが、他の所にある痕はあまり見せないようにしている。リンの店をよく利用するこの街の人は彼女の傷痕の事を全く気にしないが、初めて利用する住人や他の街から来る人達に対して、彼女なりに配慮し、なるべく不快感を与えないように身体の傷痕を服で隠している。……しかし、エルムに傷痕の事を説明するには見せた方が早いと判断して、服を脱いで見せたのだった。
リンの周囲を飛び回り、身体中の傷痕を見て言葉を絞り出したエルムに、リンは自分の目の前に来るのを待って語りだした。
「……これはな、実はオレも分かってないんだよ。何でこんな身体になってたのもな」
「なってた、ですか?」
「そう。オレは、………………自分の記憶が無いんだよ。一番古い記憶が4年前に、この街のギルドのマスターやミシズ達に助けられた所で、それ以前の記憶が全く無いんだ。思い出そうとしても、どこで何をしていたのか、家族や友人が居たのか、他にも考えられる事は色々あるけど、何一つ思い出せない。リンっていう名前も、オレの本当の名前かどうか全く分かってないんだよ」
「……えっ?」
エルムは、リンは冒険者ギルドのマスター達に助けられる以前の記憶が存在しないという驚愕の事実を告げられて、この日一番の衝撃を受けた。エルムは彼女の事をこの街で生まれて育ち、ある時を境に今の身体に変貌したが、それでも暮らしていると思っていたのだが、事実は異なっていた。更に、自身の名前も本当の名前かどうか分かっていないという事実も、エルムを驚愕させた。
「……エルム大丈夫か?何で泣いてるんだ?」
「私がですか?……あ」
リンの指摘に、エルムは自分の目から勝手に涙が流れ出ている事に気づいた。それは本当に突然流れ出た物であって、すぐには止まらなかった。エルムは手で涙を拭ったのだが、それでも止めどなく涙が流れ出ている。
「あれっ?全然止まらないです。……なんで?……なんでですか?」
「……その、泣かせちまってごめんな」
「なんでリンさんが私に謝るんですか?リンさんは何も悪くないのです」
「いや、オレが悪いんだよ。……エルムが見たくなかった物を見せたし、寝る前にこんな重い話をしたから」
リンはエルムを泣かせてしまった事に責任を感じた。良かれと思ってやった事がエルムを泣かせてしまったので、自身の軽率な行動を後悔した。……しかし、エルムは首を横に振って否定する。
「そんな事は無いです。私はリンさんの事を知りたかっただけですから、聞けてよかったです」
「……無理して強がらなくてもいいんだよ。怖かったら怖いって言っていいんだぜ?」
「私は怖くないです!」
「いや、だから……」
「私は怖くないです!!」
リンはエルムが無理をしている、本心は怖いと思っているであろうと考えていた。リンがこの街に来た当初は、街の殆どの人が彼女の事を気味悪く思い、心無い言葉を浴びせて街から追い出そうとしていた程に、リンを嫌っていた。だからこそリンは、彼女が今無理をしていると考えていたのであった。……だが、エルムはそういう風に思っておらず、自分の本心を伝える為に声を上げる。
「私を助けてくれたリンさんを、私は怖いとは思わないです!リンさんには感謝しかないです!!」
「……えっと、……エルムはそう思ってるって事でいいのか?」
「はいです!!」
「…………そうか」
エルムは胸を張って自信を持って、自分の本心をリンに伝えた。そう言われる事に慣れていないリンは、左手の人指し指で左頬を掻きながら照れた様子でエルムに尋ねると、彼女は一番の笑顔でリンに答えた。リンは嬉しさのあまり、エルムを近くに寄せて、力を入れ過ぎて潰さないように抱きしめ、雪のように白いエルムの髪を優しく撫でる。
「リンさん?急にどうしたんですか?」
「ごめんな。エルムがオレの事をそう思ってくれてた、って分かったら嬉しくてさ。それと、オレの代わりに泣いてくれてありがとな。……この身体だと泣きたい時に泣けないんだよ。たまに、オレが厳しい事を言うと皆から血も涙も無い冷酷な女って言われるんだよ、……実際そうだけど」
リンは死んでいるので、その身体には体液が存在せず、血も涙も決して出る事は無い。それ故に、街の人達は彼女が厳しい事を言うと『血も涙も無い冷酷な女』と皮肉を込めて言い返している時がある。その事をエルムに伝えたが、エルムは首を横に振る。
「確かにリンさんは死んでるから血も涙も無いですけど、私を助けてくれた命の恩人ですから、冷酷な人じゃないです」
「ははっ、……それは言うのか」
血も涙も無いとエルムに言われて少し落ち込むリンだったが、その声には少しばかりの嬉しさが混じっていた。
「私、今決めましたです!」
「何をだ?」
「私はリンさんの一生に付いて行くです!どんな事があっても、私はリンさんの側に居たいです!」
エルムが今この場所で決めた事とは、これから先はずっとリンと共に過ごして生きていくという、彼女のこれからの生き方を決める物だった。
「そうか。……でも、オレの一生に付いて行くなんて、エルムには無理だ」
「ど、どうしてですか?私はもう決めたんです!」
「いや、あのな。オレが言いたいのは…………」
だが、リンはエルムの決意を受け取ろうとしなかった。何が起ころうと自分の側に居たいとエルムが決めた事には喜んだのだが、これには彼女なりの、……否、彼女だからこその理由があった。
「……オレは死んでるから、一生は終わってるんだよ。エルムはどうやって、オレの終わってる一生についていくつもりなんだ?」
「……あ、……あの、それは、……私が聞きたいです」
「いや、無理言うなよ」
そう、……リンは死んでいるので彼女の一生はもう存在しない。存在しない物にどのような方法で付いて行くのかを気になったリンは、エルムに真意を聞き出そうとしたのだが、エルムの方がそれを知りたかったので、なんとも言い難い微妙な空気に包まれる二人だった。
「………ははっ」
「………ふふっ」
しばしの沈黙が流れた後に、二人の口から自然と笑い声が漏れ始める。
「……えっと、一生は無理ですけど、私はどんな事があってもリンさんの側に居たいです。この気持ちは変わらないです」
「そっか、ありがとな」
エルムは改めて自分の決意を伝え、リンはそれを受け取る。それと同時にリンも、心の中である決意をした。
(……他の街に出掛けるのは一旦やめとくか。オレの過去の情報を色んな場所で探したけど何も見つからなかったしな。そんな事よりも……)
リンは今まで様々な街に自分の足で行き、様々な商品を売買したり新たな仕入れのルートを模索していたのと同時に、全く思い出せない自分の過去についての情報があるのかを調べていたが、自分の過去の事だけは何一つ見つからなかった。彼女が暮らしているラゼンダ王国だけではなく、今まで行った事が無い他の国に行けば、自分の過去の手掛かりがある可能性が少しだけ上がるかもしれないが、先代の店長から引き継いだ大切な店の事もあるので、それは出来なかった。
自分の過去を知りたいと渇望していたリンであったが、この場でそれを一旦やめる事を決意した。今まで探していたが全く見つからず自分の過去が無くても良いかと、最近になって思い始めていた。
(……店長として従業員を守るのもそうだけど、オレがエルムを守らないとな)
そして今、リンの腕の中には、どんな事があっても側に居たいという思いを伝えてくれたエルムが抱き締められている。右も左も分からない彼女を、自身の欲望の為に狙う悪しき者達から守れるのは、ここに居るリンだけだった。エルムを危険な目に会わせない為には、自分が可能な限りエルムの側に居る事と自分が危険な場所に行かないようにする事であって、それならばと思い切って決意を固めたのである。
(そういえば、じいさんが言ってたな。過去は確かに大切だけど、一番は今この瞬間だって。生き方ってこう決めて良いんだな。……って、オレは死んでるけど)
自分の過去を探す事よりエルムを守る事。それは、先代の店長から教えられた言葉を元に考え出した今の彼女の生き方であった。…………死んでいるリンに生き方があって良いのか?という疑問が浮ぶが、今は特に気にしても仕方が無いだろう。
(なんか、……誰かを守りたいって、こんな気持ちになるのは初めてだな)
「……リンさん。笑ってますけど、どうしたんですか?」
「ん?何でもねぇよ」
リンの顔には自然と笑みが零れていた。その後、二人は夜も遅くなっていたので眠りについた。
この出来事から二人の距離が縮まり、互いを信頼し合う親密な関係になったのであった。
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この話の投稿の約一時間後に、主な登場人物の容姿などを纏めた物を投稿します。