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壁男

作者: 町田雪彦

天村真さんと同題でこの作品を作らせて頂きました。天村さんの『壁男』を見た方は少し方の力を抜いてこれを読んでください。

 

「あー早くしねぇと金曜ロードショウ始まっちゃうよ。今日は『火垂るの墓』だからティッシュ多めに買ったし見逃せねーよぉ」


街灯の白い光を浴び影の海へと潜り込む。井伊いい人吉ひとよしは家路を急いでいた。番組の放送時間に間に合わないと思ったのか、近道をしようと考えたようだ。人吉はいつもとは違う入り組んだ道へと踏み込んだ。夕食の入ったビニール袋を擦らせ、足早に家路を急いだ。微かにテレビの音と笑い声が漏れ聞こえてくる。騒がしさからは外れた場所にいる自分に、人吉は自然と寂しさを感じた。雑多な家々の立ち並ぶ住宅街を抜けると一本のまっすぐに続く道に出た。道の片側は背の高い壁が建っている。何を囲っている壁なのだろうかと思ったが、傍に立っていた『指定通学路』の看板を発見し興味を失った。


「腹減った。はよ寝たい。でも火垂るの墓…」

人吉は高校教師であるがゆえ、仕事終わりのプライベートな時間にまで学校を見たくなかった。早く抜けてしまおう、そう思った矢先、人吉に声が掛けられた。


「なあ…にいちゃん。その袋に入ってるもん、くれないか?」

こんなご時世に物乞いか、と声のした方に顔を向けると、壁際に人影を見つけた。しかしその影の形は歪なものだった。人吉から見て右半分の影が無いのだ。

生暖かい風が脇を抜ける。じっとりとシャツが肌にへばり付き不快感を増長した。恐る恐る近づいてみるとその影の全貌がゆっくりと浮かび上がった。


「あんた…」

人吉は思わず目を見張った。

影の正体は男であった、しかしその身体の半分は壁に埋まっていた。中年か初老か、少なくとも人吉より多くの人生経験を積んでいることは分かった。男の身体の縦半分がコンクリートでできた壁にめり込んでいる。

「…何してんだ?」

薄気味悪さを感じたが好奇心が勝ったようだ。念のため、すぐに通報できるようポケットに手を突っ込み、中のスマートフォンを掴んだ。

人吉は壁から出ている身体の付け根を覗き込んだ。

首から上は完全に壁から出ているものの、壁からは右肩と右脚が覗いている。どうやら服は着ていないようだ。

「なんでもいいだろ。ほっといてくれよ。いいからなんか食いもんくれや」

男は人吉の持っているビニール袋に手を伸ばすが届かない。どうやら本当に壁に埋まって動けない様子だ。


「だめだよ、おじさん。これは俺の夕飯だ」

自分の顔まで袋を上げてガサガサと振って見せる。

何度か腕を伸ばし空中を掻き、男は諦めたように腕の力を抜いた。

「はあ…おじさん。腹ァ減ってんだよ。恵んでくれよ…もう三日なんも食ってねえんだよ」

助けを求めない所を見ると、壁の建設中にうっかり抜け出せなくなった訳ではないと推測した。

人吉は、この男を通報する前に、どうして壁にはまっているのか聞いてやろうと考えた。


「ふぅん。なんでおじさん壁に埋ってるワケ?教えてくれたらコレやるよ」

人吉はビニール袋を男の目の高さまで持ち上げた。

『火垂るの墓』は少し遅れてもいいか、と人吉は思った。それよりも奇怪なことが目の前にある。

「本当か?本当だな?嘘だったらおじさん、死んじゃうからね。怒る前にころっと逝っちゃうからね?」

男は捕まったトカゲのように必死に首を伸ばした。

「ホントだって。俺あんま嘘つかないからさ」

「なんか不安になるような言い方しないで!?そこは嘘でもいいから嘘ついたことないって言い切って‼」

「あーはいはい。もう早く教えてくんないと火垂るの墓終わっちゃうからさ。俺、ドロップの缶覗き込むセツコちゃんは絶対見たいから」

「ええ!?何!?今週の金曜ロードショウ火垂るの墓なの?めっちゃ観たいんだけど!」

「でしょう?だったら早く教えてくれよ。おじさんがなんで壁に埋っちゃったのか」

「ああ、分かった。でも多少長くなっちゃうのは許してくれよ?」

そう言って男はニヒルな笑みを浮かべた。咳払いをひとつして男は話し始めた。


「オレはついこないだまでフツーのサラリーマンやってたんだ。カミさんと中学生の娘、三人幸せな家庭を築いていたんだ。だがよお。会社を首になった。俺は職を失った。養っていくことのできなくなった男に価値はねえ。恥ずかしくってよ。このことカミさんに隠して、ハローワークにも行った。だが社会は俺を必要としてはいなかった。会社にも社会にも見捨てられた俺は、それからしばらくは仕事に行くふりしてぶらぶら時間潰してたんだ。だがある日、公園で時間潰しているところを娘に見つかってよ…。軽蔑されるって思ったね。俺は恥ずかしくて死にたくなった。しかし娘はオレに言ったんだ。辛かったね、大変だったねって、娘は職にあぶれた情けねえ親父を慰めてくれたんだ。俺には娘が女神に見えた。このことはカミさんには黙ってるって娘は言った。これまでの人生の中で一番幸せを感じたな。幸せってもんは金を得ることでも地位を得ることでもねぇ。家族の優しさを知ることなんだってな。それから俺はそのままハローワーク行って、仕事の機会を得ることができた」


男は空を見上げ微笑んだ。娘のことを思いだしているのだろう。目には薄っすら光るものがあった。

「いい娘さんだな。それで仕事は上手くいったのか?」

「いや」男の眼から光が消えた。「家に帰ると玄関にカミさんが待っていた。包丁持って」

「え…?ばれちゃった?やっぱりカミさんは許してくれなかった…?」

「いや」男は首を振った。「ばれたんだよ…オレの趣味が…」

「どんな趣味!?」

「不倫ものから盗撮ものまで…JKもだ」

思わず顔が引き攣っているのを人吉は感じた。

「……で、でも。女神級の優しさを持った娘さんなら理解してくれるだろ?」

「ありえないってよ。オレの女神様。釈明の余地なしだ…」

「……」

同情したが趣味は自業自得のように思う。震える声で男は続ける。

「翌日、目を覚ますと家には誰もいなかった。残っていたのは机の上に置かれた離婚届だけだった。オレは何もかもが嫌になっていっそ死んじまおうと思ったのさ。そして…新しい性癖(シュミ)に目覚めた」

「ちょっと待てええ‼色々順序飛んでるから!新しい性癖って何!?死のうとして何新しい快感に目覚めちゃってるの!?」

「縄の閉まり具合が、な?」

「な、じゃねーよ!同意求められても困るよ知らねーよ!つーかさっさと死ねよ!」

「ええ!?」

「何驚いてんの!?こっちがびっくりだわ!」


閑話休題。人吉は息を整え、咳払いをひとつした。


「えー、まあなんだ。それでまたなんで壁なんかに入ったんだ?」

男は頭を垂れ深くため息をついた。


「縄を首に通しても椅子を蹴ることができなかった。カッターを首もとに置いても引けなかった。崖の先から一歩が踏み出せなかった。…死んだほうが楽なのは分かりきっていたさ。だがオレは死ぬことができなかった。どうしようもねえよな。全てを失って尚死ぬのが怖いだなんて…。そして、一連の自殺未遂を通してオレは圧迫されることの快楽を知ったんだ。死ぬ直前、頭ん中に浮かび上がって来るんだ。会社の同僚。離れていった家族。それがオレの足を重くする。オレを潰さんほど重くなってきやがるんだ。それがな…嬉しいんだ。気持ちがいいんだ。だけどもう引き返すことはできない。圧迫からの解放。これが気持ちいいんだ。会社からの解放、家庭からの解放、この二つを経験したオレに必要なものが社会からの解放だった。そして、肉体からの解放。この二つを兼ねるのが壁だ。壁とひとつになることで社会からか隔絶され、肉体的圧迫を加えることができる」


男は自虐的な笑みを浮かべた。

「肉体的な解放とは、死ぬことだろう?…怖くないのか?」


「当たり前だ。死ぬのは怖いよ。だが肉体的圧迫からの解放を想うと、死ぬことができると思えるんだ…以上だ」


人吉は携帯の入ったポケットから手を抜いた。通報する気はなくなったらしい。

「なんだ。まあ自分の意志でそこにいるんなら邪魔はしないよ」

男は人吉にゆっくりと目を向けた。


「にいちゃん。ひとつ聞かせてくれ。どうしてオレみたいな変態の話を聞きたがった?普通話しかけないよ?普通、目も合わせようとしないだろ?人の不幸な話や理解できないような性癖を聞くことで、見下して快楽を得るためだったんだろ?自分より下を見ることで優越感に浸りたかったんじゃないか?ふん…にいちゃんも相当変人だよ」

人吉はゆっくりと歩き出した。

「そうかもな。ただの好奇心で話しかけたが、俺も気づかねえうちに誰かを馬鹿にしたい気持ちがあったかも知れない。…でも」人吉は袋の中身を男に向かって投げた。「あんたの幸せの形は嫌いじゃないぜ」


男は何とかそれをキャッチし、少し呆気にとられた表情をした。

「あ、ありがとう…」

「おう、二つあるから一つやるよ」

人吉が立ち去った後、男は人吉からもらったそれを見つめた。

「でもこれ、食べろって…え?」

男が手にしているのは『練乳』だった。




「あーやっぱ泣ける。涙枯らす気かコノヤロー」

鼻をかみ、涙を拭う。

人吉は練乳の蓋をあけると、チューブに口をつけごくごくと飲み干した。


最後までお読みいただきありがとうございます。

初めはホラーのつもりで書こうと考えていたのですが、いざ書いてみるとこのような形になっていました。不思議ですね。


前書きでも述べたように、この作品は天村真さんと同題で書きました。

天村さんから「一週間にお題出し合って短編書こう」とお誘いを受け書くことが決まりました。ちなみに今回のお題は僕が出したものです。

僕の壁男はこのような感じですが、天村さんのは全く違い読み応えのあるものです。初めに読ませてもらったのですが流石の一言でした。天村さんの壁男はかなり面白いので(コメディーではなく)是非読んでみて下さい。僕のとはタイプが全く違うので、そこがまた面白いですね。

でも、僕のと読み比べると文章能力の差がバレてしまうので、僕的には少し怖いです。


次は天村さんのお題です。どんなお題が来るのか楽しみです。


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