勇者
どんな悲劇に見舞われようが救いの手は差し伸べられない。
哀れなことにも。
1
認められないものを認めようとするのは非常に難しいことだ。
異常を、見過ごすのは。
異常が異常だという事に、誰も気づかない。
なんて悲しいこと何だろう。
2
「勇者様、」
「我等の英雄」
「勇者様だ」
「勇者様。」
「勇者様、」
「勇者様、」
ああ、うるさい。
うるさいうるさいうるさい。
何が勇者だ。
あんなものただの偽者なのに。
「ありがとうな、みんな。」
忌々しい勇者。
嫌いだ。あんな奴嫌いだ。
「勇者様っ」
それでもおれは、
勇者に語りかける。
「我等の、英雄…!」
それが、あれの望んだ物語なのだから。
それが、あれの選んだ世界なのだから。
「この世界に平和を。」
あれは正義であることを望む。
あれは頼られることを望む。
あれは常に最強であることを望む。
第一話
「勇者」
お母さんは勇者様に殺されました。
お父さんも勇者様に殺されました。
それはきっと僕のせい。
僕のためにお母さんはお金持ちの家からご飯を盗んできたから。
だから殺された。
お母さんは僕とお母さんを守って人を殺したから。
だから殺された。
結局何が言いたいってみんな悪者だったから殺された。
勇者様は正義だ。
悪い奴はみんな殺される。
勇者様に、僕は殺されかけた。
剣を振りかざして、ゆっくり振り落とされる。
しっかり見ていた。
『相変わらず、馬鹿だねぇ。』
高い声だった。女の声。
黒い髪が僕の視界にうつった。
『──だから、あんたは嫌いなんだ。』
小さな声が聞こえて、
僕は気を失っていた。
『目ぇ、覚めたか。』
目を開く。
パチパチと音を立てて燃える火。
僕はその近くに寝そべっていて、その人は火のすくそば、僕の反対側に座っていた。
ここは多分、洞窟。
『勇者に見つかるなんて、運の悪い奴だ。』
ちらりと顔を横に向ける。
その人の顔は見えない。
真っ黒なフードで隠れていたから。
『勇者には、近寄らない方がいい。あいつは狂ってる。』
『なんで…。』
なんで?そりゃあ愚問だな。
その人は笑った。
『彼奴は自分を正義と信じて疑わない。だから自分が悪とみなしたものには容赦がない』
ぱちり、
火花が飛んだ。
『彼奴は固定観念を人に押し付ける。自分が気に入らない奴はすぐに殺される。』
『勇者様が…?』
『信じようが信じまいか関係ないがな。』
さて、といいその人は立ち上がった。
自分も慌てて起き上がろうとした。
だけど、それは制止された。
『お前はまだ休んどけ。ここは洞窟だから、人が来ることもない』
背を向け歩き出したその人に、僕は声をかけた。
『ま、待って!』
『ん?』
『名前、教えてください。』
名前?
反復して言ったその人に笑いが溢れる。
『名前なー。名前はシロって言うんだ。ついでに言うと勇者に命を狙われてる。』
それだけ言うとその人、否シロさんはどこかに行ってしまった。
『──おやすみ。』
ひどく優しい声が、かすかに聞こえた。
そして、意識が。
3
「…さて、やるかね。」
ぽつりと呟いて、
洞窟に向かって手をかざした。
ローブが風に靡く。
「…Έγκαυμα」
ぼっ、と火が灯る。
小さな火から、徐々に炎へと。
「Ειρήνη, ήσυχο」
「Ύπνο」
「Εξαιρετική」
「Για το Θεό」
大きな炎は洞窟を包み込んだ。
残酷に、静かに。
「…Καλώ ήρθεστο σπίτι」
それを見据える瞳に光など、存在しない。
「…おやすみ。」
それが正義だとは限らない。