静寂が漂う虫かごの中で (無明×竹野きひめ) 共通部3
どうする、なんて聞かれてもわからない。いや、わかってるけど。わかってるんだけどさ。
戸惑う私の背に、そっと高宮の手が添えられる。
「どうする?」
重ねられたその言葉に、私の足が一歩進む。一歩進めばもう私の足は止まらなかった。ぐんぐんと廊下を進んでいき、目的の部屋の前まで行くのに大した時間を要しはしなかった。
高宮の逆の手がドアノブに伸ばされる。普段は意識の外に追いやられてしまうような無機質なその音も、今の私には重々しく耳に響き、生きたように鼓膜に余韻を残して消える。目の前に広がるのは、今から行われるであろう行為の片鱗を僅かに孕んだベッドの佇む広い部屋。
「初めて入った・・・・・・」
そんなことを思わず呟いていた。肩にそっと何かが触れる。すぐに彼の手だとわかる。それが滑らかに私の方を撫でると、彼の掛けてくれたスーツのジャケットがするりと落ちる。そして、そのまま彼の指が一番上のボタンに掛かった。
「待って。ちょっと気が急いているんじゃないの?」
私の言葉に高宮の指が止まり、そっとファスナーから離れる。
「そうですね。ベッドに行きましょうか」
高宮の優しげな笑い声が、甘く鼓膜を愛撫してくる。
こんなはずじゃなかったのになあ。
本当はもっと余裕たっぷりに、大人な感じで振舞うはずだったのに。
悔しさが胸にこみ上げてくるが、もはや遅い。
高宮は失望しただろうか。こんな子供な私を知って、がっかりしたかな。
「落ち着いた?」
ベッドに腰掛けた私たちはしばらく言葉も交わさないまま、お互いに目を背けていた。私は羞恥から。高宮は恐らく、その彼らしい優しさから。
高宮はこちらを見ずに、そっと私に声を掛け、ベッドの端に置かれた私の手の隣に彼の手を置いた。私は咄嗟にその手の上に、自分の手を重ねた。
「大丈夫よ」
私がそう答えると、高宮は私の頭に優しく手を添えた。こちらに向けられた優しい笑顔に私が顔を近づけると、柔らかい唇が私のそれに触れた。さっきと感触が違うのは、たぶん気のせいではない。
「高宮・・・・・・」
そう名前を呼ぶのと同時に、ボタンが外されていく。車の中で聞いた衣擦れとは、質の違う音がして、私を隠す布が床に一枚落ちた。
「静音・・・・・・」
いつもと違う、甘く低い声に私の胸が跳ねた。高宮はぐっとネクタイに手を掛けて緩める。襟からそれを抜くと、彼は私の両手首を掴んだ。
「え?」
そのまま両手首を後ろへ倒されると、私の身体もそれに追従した。倒れた私に覆い被さった高宮は、その行動とは裏腹に、いつもの優しい瞳で私を見つめていた。
初めて、というのはとても貴重な体験だと思う。
初めて「はいはい」した日。
初めて「歩いた」日。
初めて「話した」日。
初めて「笑った」日。
初めて「怒った」日。
初めて「泣いた」日。
初めて「高宮」という私に『出会った』日。
あの日の事を静音は覚えているだろうか。
清楚と表現するしかない紺色のセーラー服に黒いランドセルを背負い、旦那様に紹介されたあの日。
親の前だというのに少し緊張した面持ちのその小さな少女の、それ、がひどく気になった。
毎日の登下校時のみの、車内という密室で、段々と打ち解けた静音は、私にしか見せない笑顔を振りまくようになり、それをどうしたって邪険になど出来なかった。
初めて「唇を重ねた」日。
外は雨が降り、周囲の音を消していた。
帰りたくないのだと、だだをこねた静音に何とか機嫌を直してもらおうと、ひとつだけ我侭を聞くと言えば、まだ、中学生になったばかりの静音のその小さな顔に一瞬の大人びた色が浮かんだ。
――じゃあ、キスしてよ。
それが冗談だったのか、本音だったのか。
ただ、してみたかっただけなのか、したかったのか。
大人と子供、というそれは、あまりにも容易く受け入れてしまった。
どうしてあの時、そんな事はいけませんと、言えなかったんだろうか。
それから事あるごとに、ねだるような甘えた視線を、どうして無視出来なかったんだろうか。
ネクタイで縛り上げた細い両手首を押さえたまま、私の体の下に居る静音を見やれば、その体もつぶらな瞳も、小刻みに揺らいでいた。
押さえつける手を左手に変え、ワンピースの裾をそっと掴み捲り上げる。
細く白い太ももが露になっていくのは、静音にも分かっているだろう。
その証拠に見つめていた顔は、薄暗いこういう場、特有の明かりの中でも桃色へと変化していくのが見て取れた。
「あ、明かりっ!てか、外してよっ、高宮っ!!」
ようやく真剣味を帯びてきたその雰囲気に我に返ったように声を上げる静音にそっと笑いかけ、それから、顔を素早く落として唇を塞いだ。
何度も、何度も。
ねだられる度にやっていた軽いキスとは違う、本物の、大人のそれに静音は目を開け、息苦しそうに顔を背けようとするが、それは、段々と熱っぽい吐息に変化していった。
初めて「男に抱かれる」日。
私はそれが、静音の初めてが、それを共感出来ることが、堪らなく愛おしく、けれど。
ようやく唇を離せば、静音は、大きくため息めいた悩ましげな吐息を吐き、それを最後に私はそっと顔から笑みを、今まで静音に見せたことの無い程に、消し去った。
けれど。
どうか、良い思い出になどならなければ良いと、願い続けていた。
私の神経系はもう、完全に機能していないと言えた。
それほどに高宮の指や舌の先から愛が伝わってきていた。
それが私のすべてを痺れさせた。
思わず口から甘ったるい吐息が漏れてしまう。それに私の頬が熱を帯びる。何度目の紅潮だろうか。恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
何故か高宮との思い出が、幾度も脳裏に浮かんでは消えていく。楽しかった思い出や喧嘩した思い出が浮かんできて可笑しくて吹き出しそうになる。
「何を笑っているんですか?」
高宮の低い声が聞こえる。彼も可笑しそうに笑っているのだろうか。そんな雰囲気が語気から感じられる。
「思い出し笑いよ」
それには素っ気なく返しておく。愛しさが込み上げてくるなんて言えない。言わない。正直今、この状況も許しがたい。はずなのだが、意外なほどこの状況を受け入れてしまってることに私自身が一番驚いている。
このまま溺れてしまえばいい。
彼に身を任せればいい。
怖くない。
彼が私を傷つけられると思うの?
悪魔のような囁きが私の頭の中で甘く谺する。脳が僅かな恐怖と盛大な快感でとろけていく。次第に私は心の声にと、彼の愛に次第に従順になっていくのをはっきりと感じた。
静音の体は想像以上に私の体に合っていた。
いや、それは、最初から分かっていたじゃないかと、使用済みとなった避妊具に手をかけながらゆっくりと離れる。
初めての静音があまり痛がらずに済んだのは、それだからかなのか、私が自分でも驚く程に時間を掛けたから、なのか。
体の下で荒く肩を上下させるか細い、まだ、少女と言っても過言ではないその人は、頬に流れてしまった涙さえ拭わずに私を、ただ、見つめている。
視線が絡み合い、静音が無理にでも笑おうと顔を歪めるその小さな唇にそっと口付けを落とし、細い体に重みが掛からないよう、抱きしめる。
「気持ち……、よかった?」
珍しく不安げな声は耳元で、先ほどとは打って変わって静かになった室内ではっきりと聞こえ、一度、口を開いてからゆっくり閉じる。
次に繋がる言葉など、言ってはいけないのだ、と、返事の代わりに、ただ、強く抱きしめれば細い腕が私の背に回った。
顔を見ていないのに、それだけで、静音が満足そうに笑んでいるのが分かってしまうのが、私には残酷過ぎ、眉をそっと寄せる。
「ずっとこうしてたい」
先ほどよりずっと小さな声でぽつりと漏らしたそれに小さく首を振ってから、静音の体から腕を抜き去る。
ずっとこうしていたい。
同じ事を想うのは、本来ならばこれ以上無い程の幸せな事なのだが、ひどく残酷で哀しいのだと思い知らされてしまった。
静音は決して私のモノになど、なりやしない。
一時の、過ぎてしまったついさっきのその過去だけでも、私にとっては贅沢すぎる時間だったのだろう。
ほんの二時間程度、そのたった僅かな時間で私は静音の掛け替えの無い物を奪ったのだ。
それだけで良いのだ、と、言い聞かせるよう目を閉じ、体を起こして静音の腕が背から離れていくのを感じる。
マットレスが揺れる僅かな振動を感じながら目を開けば、静音も起き上がり、向かい合ってベッドの上に座っており、目の前の一糸纏わぬ姿を見ないよう目を細めて口を開く。
「あまり遅くなりますと、旦那様や奥様が。……痕跡など残されぬよう、お願いします」
言いながら顔を入り口脇の風呂場へと向ければ、静音はひとつため息を小さく吐いてから何も言わずに、するりとベッドを降りそのまま歩き出す。
その小さな背と、太ももに残る赤茶色の一筋が、現実なのだと思い知らされ、静音が見えなくなってから頭を抱え俯いた。
どーもー。
竹野です。
共通部2のむっちゃんの後書きに大爆笑しました。
いや、彼、リアルだとキャラ違うんですって。
むふふって、なによ、ほんと。
腹筋大崩壊です、竹野は。
で、むっちゃんが書いていた、どっちが、どっち、お分かり頂けたでしょうか?
二人の作品を読んだことのある方なら、簡単だと竹野は思います。
ですが、今回のくろあげはに関して言えば、むっちゃんが竹野風に合わせてくださった感が、竹野自身はしてるんです。
いやはや、さすが、無明さんって感じですね。
竹野は無明様の才能に、ガチで嫉妬しまくってるんですよー。
さて、この第3部の後は、各々どちらか視点を別々に書く「静音部」「高宮部」に分かれます。
そちらの後書きで、どっちがどっちか判明しますので、どうぞ、お楽しみに。




