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幻の魔石

幻の魔石は君だ

作者: 高瀬コウ

「君の暴走を止められるのは俺ぐらいだろ?」

 そう言って、男は颯爽と現れると金髪と紺のマントを揺らめかしながら敵を薙ぎ倒す。

「あなたに止めていただかなくても結構!暴走なぞしていない!」

 その姿を認めると、魔術師の軍服に身を包む男装の麗人は黒い獣を使役し、自らも剣を振るい周囲を圧倒する。


 これが後の世に伝えられる一場面となった。



「父様、いやライドール師匠。なぜ、政治家志望の私が魔術省の入省試験を受けねばならないのでしょうか?」

 意を決して、不満だらけだったオリヴィエは口を開いた。

 魔術省に入省するには国家試験をパスする必要がある。それはまさに官吏登用試験であった。女だてらに「政治家になりたい」と言って養父の元に道場破り(弟子入り)を敢行した身にしてみればそんなものは簡単にパスしなければいけないことぐらい百も承知なのだが…いかんせん、めんどくさくてたまらないのである。

「受けろと言っているだろう。このバカ弟子が」

 オリヴィエにとってライドールは師であり養父でもある。この世界について何も知らなかったオリヴィエに知識を与えてくれた。その上、身寄りがないことがきっと後々不便になるだろうと由緒正しい名門ライドール家の序列に加えてもくれたのだ。そんな尊敬と愛情を抱いている相手だが、ライドールはいかんせん言葉数が少ない。そこが難点だった。養子に迎えてもらったときも言葉数が少ないの比ではなく、突如「お前、ライドールを名乗る気はないか」という切り出しだった。しかもその時には既にライドールの妻ミレイアとその長男ハーデスには話が通っていた。そこまでお膳立てされて断るオリヴィエではない。そもそも断るつもりは毛頭なかった。

 現在のオリヴィエの正式名はオリヴィエ・エストランディ・ライドール。ミドルネームになるエストランディはオリヴィエの元々の名字だ。そしてライドール家の養子になったため、ファミリーネームとしてライドールが最後にくる。

 オリヴィエにとって目下の懸念事項は尊敬する師である養父に眼前で睨みつけられていることであった。

 この養父こと、ニック・マルティーバ・ライドールははっきり言って極悪人面をしている。まず、こちらの人間の平均身長であるオリヴィエより遥かに高身長で体格もいい。だが、無表情である上に鋭い目つきの緑の瞳は常に他人を睨みつけているかのように怖く、口は真一文字に結ばれている。しまいには短いが黒の髭を蓄えており、左頬全体に長く鋭利な刃物で傷つけられたような古傷があるのだ。

 この歩く凶器のような人間に真正面に立たれ見下されるのだ。怖いことこの上ない。

 オリヴィエはそろそろと口を開いた。怖い。

「あの、無言で威圧するのはやめて下さい。師匠が仰ってることも分かりますよ?私は魔力の質が違うと師匠は仰ってましたし?官吏登用試験よりも通る可能性が遥かに高いことぐらい…」

「分かってるなら受けろ、バカ弟子」

「で…ですよね。でも、師匠がそれほどまでに勧める、その理由は何ですか?私のような無知な者にはさっぱり分かりません。魔術省に入省しても政治に関わることが…」

「お前、めんどくさいだけだろう」

「いえっ、そんなことは!」

「お前の尋常じゃないめんどくさがりはこの世界の誰よりも理解しているつもりだ」

「誰よりも…!師匠!」

「だから受けろ、オリヴィエ」

「はい!……えっ」



「この国の王は他国にこぞって恨まれでもしてるのか?戦を仕掛けられすぎだろう」

「資源が目当てなんだ。そう怒ってやるな」

「へぇ。もっともらしい理由くっつけちゃって。……って、どなたです?」

 オリヴィエの独り言に、誰もいないと思っていた空間から返事が来た。誰かいる。思わず反応してしまったが、誰だ。魔術師であってもオリヴィエは剣術の心得もあるため、気配にも聡いはずだが…人がいたことに全く気づかなかった。

「はは、通りすがりの宮殿の人間さ。怪しい者じゃない」

 オリヴィエはそう言われて「はいそうですか」と頷けるほど腑抜けでもないし、すぐさま「怪しい!」と指を指すほど無神経ではない。

 そんなオリヴィエの不審を感じたのか、しばらくすると木の陰からその声の持ち主が姿を現した。

 金髪に青い目が印象的な随分と体格の良い男だった。養父並みに背が高いようだ。金髪が少し長めだからか、日の光に反射して少々眩しい。いや結構眩しい。

 この宮殿の人間はほぼ全員が服装のどこかに所属、身分、階級を示す色や形を身に着けるものだがこの男はそれが一切なく、そこらにいる冒険家や民が着ていそうな平均的な服装をしていた。

 だが、とてもじゃないがこの男、一般人ではないぞ、と本能的にオリヴィエは感じた。

「まあ、そうでしょうね。魔力も強そうだし頭もキレそう。きっと私より遥か上の人だ。でも、敢えて名乗らないってことは私はあなたについて何も知らない。だから畏まらなくても不敬者!と言われることもない。――それでいい?」

「…ああ。そうしてくれると嬉しい。俺の言いたいことを全て言われてしまった」

 男は苦笑して肩をすくめるが、オリヴィエは苦虫を潰したような気分だ。

「だって、通りすがりとか言う人間は得てして正体隠したがってるもんだし?」

 オリヴィエは先手を打ち、相手の素性を詮索したくないことを明かした。いかにもめんどくさそうな身分の人間だと判断したからだ。師匠ライドールに言われた通り、オリヴィエはこの上ないめんどくさがりなのである。

「詮索してくれるなよ」

「もちろんだ!そんなめんどくさいことに首突っ込みたくありませんから」

 あ、しまったつい本音が漏れた。

「…君のような人に会えるとはね」

 男が小さく笑う。オリヴィエの本音に呆れたのか。

「えっと、それで?あ、座ります?さっきの話を詳しく教えていただけると嬉しいのですが?」

 平穏を愛するオリヴィエにとって関わりたくない人種だったが、先ほどの自分の呟きに対する返答が気になった。

 背に腹は代えられない。

 オリヴィエは大のめんどくさがりでありながら、知識欲は人の数倍もある。そんなオリヴィエ自身がめんどくさい人間であった。

「――資源と言ったろう。その資源とは一括りにしても色々あるだろ?」

 男は勧めに従い、木の根本に座るオリヴィエの横に胡座をかくと説明を続けた。

「ええ、まあ…穀物、鉱物、様々ありますね」

「その通りだ。でだな、我が国の資源は魔石になる」

「魔石?それは魔術師が作ることのできるただの魔石ではなく、あの"幻の魔石"のことですかね?」

 オリヴィエは眉間に皺を寄せた。

 あるかどうかも分からない幻の魔石が戦の火種だと?

「さすが魔省験(マショウケン)で首席を取っただけはあるな。良く知っている」

「褒めていただいて何より。あれは実在するということですか」

 魔省験とは魔術省入省試験のことである。オリヴィエは気になる単語を聞き流すことにした。

 この男は、どうしてオリヴィエが魔術省入省試験で首席を取ったことを知っているのだろうか。男とは今日が初対面のはず。だが、そんなことよりもオリヴィエにとって気になるのは"幻の魔石"の存在だった。さわらぬ神になんとやらだ。特別、触れはしない。

「実在する。…ただ、それがどういったカタチで存在するかはトップしか知らないがな」

 男は目にかかる長い前髪を一房掴み、親指と人差し指でこする。すると、その持っていた部分の金髪がきらきらと金の粒子になり落ちていった。良く分からないが長さを調節したらしい。

「トップというと、国王ですか」

「…そうだ」

「ふぅん。オカルト紛いに魔術師の間で長年噂されている"幻の魔石"が実在してる、ねぇ。急に言われても信じられませんよ」

 人一倍知識欲があるオリヴィエは魔術を学ぶ際に、魔術師の間で長らく噂されている"幻の魔石"というものがあることを知った。ただの"魔石"なら魔術師が一定の期間、魔力を込めると生成できる。魔力の弱い者や、ない者はこの魔石があれば魔法の行使が可能になるのだ。だが"幻の魔石"はこの国の建国当初から存在する"持ち主の願いを必ず叶える魔石"なのだという。どうしてもオリヴィエにはオカルト紛いにしか思えなかったが、そんなものがもしも存在していたら世界中の誰もが欲しいと願うに決まっている。

「それはごもっともだ。通りすがりの人間の言うことだしな」

 オリヴィエの素直な言葉に男は笑った。

 なんとも胡散臭い笑みだった。



 その日からオリヴィエお気に入りの休憩場所に、あの胡散臭い男も現れるようになった。

 めんどくさいことに巻き込まれている気がするのは、気のせいか。

「また来たんですか」

「悪いね。休憩がてら俺の話し相手になってくれると嬉しいのだが、どうだろうか?」

 オリヴィエが男の姿を認め嫌味を言えば、男は改まってオリヴィエにそう言った。昨日までは問答無用で居座っていたくせに、何の心境の変化だろうか。少々面食らいながらも片眉を上げ、男をじっくり見てやった。…気のせいかもしれないが、疲れている…ようである。オリヴィエは魔術師と言うだけあって直感に優れていた。人の機微には敏感だ。

「面倒事を持ってこないのならば、相手になりますよ。私も休憩に来ていますし、気持ちは分かりますから」

「…努力しよう」

 男はほんの少し思案すると、笑顔でそう言い切った。オリヴィエは顔が引きつる。

 面倒事をもってくる可能性あるのかよ!

「ええ、奮励努力して下さい。私の安寧のために!」

 平和こそ幸せ!



「魔術師殿」

「なんだ、そう呼ぶようにしたんですか」

 しばらく何日か男の話し相手になっていると、男がオリヴィエを魔術師殿と呼び始めた。お互い、名前や身分といった個人情報を自ら名乗りあっていないのだから、オリヴィエが魔術省所属の魔術師の制服を着ていることからそう呼び始めたのだろう。

 例え、男がオリヴィエのことを知っているのだとしても。だが、堅苦しいったらありゃしない。

「ああ。君の呼称になるようなものを探したんだが、魔術師しか思いつかなくてな」

「あなたにネーミングセンスはありませんね。却下します」

「なら、呼び名を教えてくれ」

「オリヴィエで結構ですよ。私の場合、素性を隠したところで意味がありませんから」

 今更名乗るまでもなく、知ってるだろうに。知っていて知らないふりをするのは大変だろうな。

 オリヴィエは手にしていた大判の本を開きながら、欠伸をかみ殺す。やはり徹夜はダメだったか。眠い。

「…そうか、オリヴィエだな」

 眠気と戦っていたオリヴィエは、男が面食らったのちに嬉しそうな表情をしていたのだが…幸か不幸か、見ていなかった。

「はい。そうです。私はあなたのこと"(アオ)の君"と呼ばせていただきますね」

「由来は」

「そんなもん、あなたの瞳が青いからに決まってます。この呼び名については異論は認めません」

「君こそネーミングセンスがないぞ」

「うるさい!異論は認めないって言った!」

 分かっている。オリヴィエだってこの名が浮かんだときは笑った。だが"蒼の君"だなんてイタそうな呼び名をこの胡散臭いイケメン男につけてやりたいと思ったのだ。

「分かった分かった。そうがなるな」



「オリヴィエ、その木は宮殿のものだから八つ当たりなら俺にしてくれ」

「ちっ、蒼の君か…。今、その顔を見ると殴りたくなる」

 オリヴィエは男の姿を目に留めると唸るように呟き、殴りつけていた木の幹に額をつけ寄りかかった。オリヴィエは今日、知りたくもない事実を知った。そもそも知らない方が珍しいようなことなのだが…それについては考えたくない。

「こら、額に棘でも刺さったらどうする。それに素手で殴ってたよな?傷がつくぞ」

 男は舌打ちされたことを気にした風もなくオリヴィエの頭を遠慮なく掴むと、幹から離れさせた。その無遠慮な手を気にすることもなく、オリヴィエはいつになく沈んだ表情で呟く。

「私は無知だった」

「君にも知らないことがあったのか」

「知らないことだらけだ。この知識欲を他のことにも向けるべきだと思い知った…」

「何かあったか」

「何も。ただ、初めてまともに国王の姿を見た」

「……なるほど」

「それで色々と合点がいきましたよ」

 オリヴィエはチラリと自分の頭を掴む男を見上げた。

 輝く金髪、端正な顔に澄んだ青い瞳。

 ここまでなら魔力保有量により、姿がある程度左右されるこの世界において、平均よりも高い魔力を保有していることが分かる。だがそれに加え、2メートル近くあるような高身長と鍛えているだろう筋肉質な体格は珍しかった。往々にして魔力保有量が高い人間は何から何まで魔力に頼りがちになり、ひょろっとした薄っぺらい体格をしている人間が多かったからである。

 よくよく考えてみれば、高魔力保有者で体を鍛えているような男が特別であることぐらいすぐに思い当たる。オリヴィエはめんどくさがった過去の自分を恨んだ。もっと良く考えるべきだった!

「オリヴィエは本当に知らなかったのか…」

 男はオリヴィエの頭から手を放し、気まずそうに視線から顔を背けた。

「ええ。そりゃもう衝撃的でしたよ。こんな美丈夫だとは思いもよりませんでしたからね。老人とばかり」

「なに?」

「いや失敬。聞かなかったことに。…宮仕えしてる身で国王の顔を知らなかったなんて言えるわけもなく、こうして八つ当たりするしか発散方法がなかったということでして」

 オリヴィエはもうどうにでもなれ、と早口でまくしたてた。自分の落ち度は早々と認めて開き直ってやる。

「――はは!君のそういうところが間抜けなんだ」

 男は目を丸くしたあと、声を上げて笑った。

「人を取り上げて間抜けだなんて、良くも言ってくれますね?仮にも八つ当たりしろと言った口で」

 オリヴィエはつい2時間前まで玉座に座っていた、今は横で大笑いしている男を睨む。

 何を隠そう、この男はここ、ダートル王国の国王エドモンド・マグワイア・リル・ダートルだったのである!

 オリヴィエはすっぽかした上司の代わりに定例会議に参加した。ただの定例会議で、部署から誰かしら出席していれば問題のないような儀礼的な会議なのだが、今回に限り何の気まぐれか国王が出席したのだ。

 そうしてオリヴィエは初めて国王を間近で認識したのであった。今までも何度か遠目から見たことはあったが、興味もなく、遠目であったため記憶が曖昧どころか覚えてもいなかった。

 オリヴィエは知ってしまった事実に大いに驚いた。

 自分が"蒼の君"と呼んでいるあの胡散臭い男が国王だったのだ!

 しかも恐ろしいことに、人の顔を覚えることを苦手とするオリヴィエは、その時に国王が意味ありげな笑みを浮かべなければ気づかなかったかもしれない。気づいて良かったような、良くなかったような。

「悪い悪い…。本当に君が知らなかったのだと思うと深読みしていた自分が面白くてね」

 国王エドモンドはいつもの定位置に座る。

「知っていれば次の日はここに来ませんでしたよ」

 馬鹿にされていることを感じつつオリヴィエは口を尖らせ、いつもの定位置、エドモンドの横へ座った。

「そうか。なら君が知らなくて良かった」

「そうですか…」

 オリヴィエは肩を落とすしかない。

「俺は君と、ここで他愛のない会話をするのがとても楽しかったんだ。偶然の出会いとはいえね」

「まあ、いい息抜きになったことは認めましょう」

 男の正体が何だっていい、と思ったのは確かだ。オリヴィエにとってエドモンドは良い話し相手だった。

「違うな。とても楽しかったのだろう?俺の独りよがりとは言わせないぞ」

 だが、そんなオリヴィエの回答が気に食わなかったのか、エドモンドは胡乱げな視線をオリヴィエに向ける。オリヴィエは視線から逃げるために顔ごと横にそらすが、エドモンドはオリヴィエの顎を掴み、自らへ向けた。

「すみませんね。今はやさぐれてるので。…ええそうですよ!楽しくなってきてました!」

 くっ!この男は性格が悪い。

「ははっ。君は他人と話すのが好きだな?群れるのは嫌いだろうが」

「…意見の言い合いは好きです」

 そろそろ、この手を離してはくれないだろうか。上を向いていて首が痛い。

「そう、それだ。俺との会話はまさにそうだったろう」

 やけにエドモンドは楽しげだ。この自信はどこからくるのか。少しくらい分けてほしい。

「とんでもない自信ですね。さすがは」

「ここでは、俺は"蒼の君"だ」

「あーはいはい。そうでしたね」

 何だかめんどうなことになった。オリヴィエはため息をつきたくなった。

 …それよりも手を離してくれまいか。



「オリヴィエ」

「何でしょうか?師匠」

 ライドール邸の研究室にて魔法具をいじっていたオリヴィエは音もなく現れた顔面凶器…もとい、自らの師匠に名を呼ばれた。

「………」

 黒いローブを纏ったいかにも魔術師然としたニック・マルティーバ・ライドールが手にしていたのは魔法具ではなく、取っ手のついたカップだった。それも2つ。オリヴィエはすぐさま師匠の意図を理解した。

「ありがとうございます」

 オリヴィエは2つのカップのうち1つを受け取った。湯気が立っている。何だろうか。

 ライドールは話すことを得意としない。そのため、身内には目線だけで物事を伝える癖があった。今回もそれで、オリヴィエに飲み物を持ってきたのだろう。最初こそは分からなかったが、根は優しいライドールはこういうことをたまにやってくるのだ。

 オリヴィエはライドールの分かり難い愛情表現が大好きだった。例え、前触れもなくライドール家の序列に加えられていたとしても喜んで受け入れる。

「これは?」

「新しい薬草茶だ」

「美味しいです。飲みやすい」

「甘いからな」

 取り留めのない師弟、義親子の会話は静かに交わされる。オリヴィエの中で顔面凶器のライドールは職場のストレスを癒やす存在となっていた。変な話だ。

「最近やけに絡んでくる人がいるんですけど、なんだと思います?」

「…唐突だな」

 オリヴィエは大きく伸びをしながら、ライドールに打ち明けた。最近のもっぱらの悩み事はこれだ。偶然出会ってしまった国王エドモンドの存在だ。毎日必ずやってくる。しかもやけにオリヴィエに青の宝飾物を渡そうとしたり、あの時間以外にも会えないかと言ってくる。オリヴィエだって馬鹿ではない。なんだか怪しいと思うではないか。

「…さぁな。バカ弟子が」

 名前を伏せた一連の流れを聞いたライドールは空になったカップを机に置くと、一言それだけ言った。

「意図が掴めないんですよ!からかってきますし!休みたいなら寝てればいいのに!」

 師匠のいつものバカ弟子発言をなかったことにしたオリヴィエは、ふつふつと湧いてきた文句を並べながら、カップをダンッと強めに机に置く。

「お前はバカだからな」

 そんな荒々しい愛弟子を無表情で見ながらライドールは「それは好意を向けられてるんだ」と心中で呟いた。



 オリヴィエは魔術師のローブのフードを深く被り、いつもの休憩場所にいた。

「オリヴィエ」

「来ないかと思いましたよ」

 草音と共に現れたのはエドモンド。今日は着替える暇もないのか、煌びやかな国王の服であった。

「息抜きが必要だと以前言ったろう?」

「だったら仮眠をしたほうが休めます!」

「君と話をしていたほうが休める」

「…そうですか」

 オリヴィエは諦めて、衣服が汚れることを気にせずに先に座りこんだエドモンドの隣に座った。

 今日は少し、風が冷たい。嫌な風だ。

 どちらにも話したいことはあったが、口を開かなかった。さわさわとした植物の音が聞こえるだけであったが、不思議と気まずくはなかった。

(イクサ)が始まる」

「聞きました」

 最初に口を開いたのはエドモンドだった。

 戦。

 数日後に隣国とのかつてない規模の戦が始まると、国王名義での通達が回ったばかりだ。

「魔術省の実働部隊は最前になるだろう」

「それも上司から聞きました」

「そうか」

 オリヴィエは答えながら、視線を下げる。エドモンドの言う、実働部隊に区分される部署にオリヴィエは所属している。

 怖くないと言ったら嘘だ。何しろオリヴィエは魔物と戦ったことがあっても、人と魔術で戦った経験はない。

「強いそうですね。かの国は」

「ああ。その上どうも、目的の"幻の魔石"の正体が…いや、国土侵略の他に目的があるらしくてな」

「他に目的が?まさか国王の命でも狙っていたり?」

「――その通りだ。国王は国が勝つか負けるかの他にも、生きるか死ぬかも迫られることになった」

 本人から聞くのと、人伝に聞くのとでは、どれだけ衝撃の度合いが違っただろうか。

 この世界の国同士の戦は基本的に最高責任者の首を取ることを目的にはしておらず、純粋なる戦の勝敗で決着をつけている。そのため、国主の命が狙われることはあまりなく、ゲーム感覚で戦をしかける国も多い。

「…冗談だったのに」

 オリヴィエは自らで言ったことにも関わらず、目を見開いた。

「悪いな」

 エドモンドは仕方なさげに苦笑する。

「君は初陣だろ?安心するといい、この戦は国王が指揮するのでな」

「どうしてそんなことを…?狙われているのに!前線に出るつもりなのか!」

 冷静さを捨てたオリヴィエは堪らず、横のエドモンドの腕を掴んだ。きっと、自分の顔は悲壮感に溢れている。

 指揮をするということは最前線に出るということ。相手が戦の勝敗に執着しているならまだしも、命が狙われていると分かっているのに最前線に出る!そんなことは命を差し出すようなものだ!

「この戦、いや、今までの戦の原因は全て国王にある。その国王が奥に引っ込んでいてどうする?国王にはそうするだけの責務があるんだ」

 そんなオリヴィエを宥めるように、静かにエドモンドは語る。

 エドモンドの言うことは理解できる。国の魔術師としては国王がそれだけの気概を持っていてくれることに誇りだって持てる。だが、オリヴィエは胸のわだかまりに首を絞められてしまいそうだった。

 ああ、これではエドモンドに駄々をこねるだけだと分かっている!一個人の感情をぶつけても、エドモンドを困らせるだけだ…!

「分かっている、分かっています!私は馬鹿ではない!でも…理性とは別のところで、あなたには安全なところにいてほしいと願ってしまう。まだまだ魔術師として未熟で…っ」

 オリヴィエは出来る限り、笑顔を作って明るく言ったつもりだった。声が裏返ってしまったのは見逃してほしい。

「俺も、君には後方でいてほしいと心から思う。だが、そうはいかない。同じだ。…オリヴィエ、俺も未熟だな」

 エドモンドは同じように無理な笑顔を作る。

 そうして、出会ってから保たれていた一定の距離感を壊した。

 エドモンドは初めて腕の中にオリヴィエを招き入れた。



「――オリヴィエ・エストランディ・ライドール。お前宛てだ」

 オリヴィエが戦の最前線に一番近い駐屯地で受け取った郵便物は、これまた堅物がいかにも書きそうな固い字体で書かれた手紙の入った封筒と、宛名だけが書かれた青い封筒の2通だった。

 送り主は言うに及ばず、固い字体の手紙はオリヴィエの師匠ライドールからのもの、のようだ。というのも、体に良い薬草茶の作り方が書かれているだけで、それ以外に送り主の名も何もなかったのだ。養父なりの心配なのだろうが、それ以外に一言ぐらいつけたっていいものを。

 もう一通の封筒にも、送り主の名はなかった。内容は一文。――「君は私の魔石だ」オリヴィエには、まるで意味が分からない。だが、送り主の見当はつく。オリヴィエが遊びでつけた名、蒼の君にちなんでわざわざこの戦時に青い封筒を使ってきたのだろう。

「2通とも送り主の名がないというのが、なんとも」

 オリヴィエの部隊には、国王が一歩先に最前へ向かったという情報が先程入ったばかりだ。

 国王エドモンド。エドモンド・マグワイア・リル・ダートル。現ダートル王家当主であり、ダートル王国第10代国王。

 国王は幻の魔石の正体を知っている。幻の魔石が戦の火種。戦の原因は自らにあると述べた国王。そして命を狙われる国王。オリヴィエには幻の魔石の価値がさっぱり見出せなかったが、かの国にとってはそれほど価値のあるものなのだろう。

 何かが、分かりそうで分からない。

 ただ、エドモンドのためにオリヴィエに出来ることは、戦うことのみだった。



「通達!通達!エドモンド国王陛下が行方不明になられたとのこと!!」

「尚、周知であろうが陛下はお命が狙われている!」

「捜索隊の派遣を!!」

 この通達が回ったのも、はや1週間前であろうか。

 兵士、魔術師の悲痛な叫び声が聞こえる。味方か、敵か、判別がつかない。

 オリヴィエは今、最前に身を投じていた。指示を仰ぐ上司は尻尾を巻いて逃げた。生きて帰れたなら必ず始末してやる。

「私は国王の盾、オリヴィエ・エストランディ・ライドールである!」

 オリヴィエは声高々に叫ぶと、戦が始まって以来一度も抜かなかった剣を鞘から抜き去り、魔術を纏わせた。あの胡散臭い国王が命を晒して戦ったのなら、自らも命を晒して戦い抜く。

 1週間だ。国王の生存について、何の情報も回ってこなかった。

「くっ…!」

 オリヴィエの魔力保有量は多くないため、通常ならば物陰に隠れ、目視できる遠隔地に魔術を放ち魔力消耗を最低限に収めている。しかしながら今のように近接戦になってしまうと、防御魔術を使いつつ剣を振り攻撃魔術を放つため、魔力消耗が激しい。意識が遠のくことを感じたが、魔術攻撃に対抗できるのは魔術師だけだ。

「――オリヴィエ、止まれ!」

 一瞬の閃光と共に聞こえたのは、オリヴィエを呼ぶ声。

「あ…蒼の君、国王……」

 そして、オリヴィエの剣を止めたのは、蒼の君。これは現実か。

「君の魔力保有量からして、それ以上の魔術は暴走の危険だと分かるか?」

 1週間以上行方不明だったはずのエドモンドは何事もなかったかのように、魔力消耗で力の入らないオリヴィエを軽々抱きかかえる。

「……こ…国王…なぜここに!」

 朦朧とした頭で慌てて周囲を見渡す。国王はどこから現れたのか!気づくことができなかった。

 相対していた敵たちはみな倒れこんでいるではないか。国王が現れた瞬間にオリヴィエに認識できない何かがあったのか?

「ほら見ろ、焦点が定まっていないではないか。お互いに無事でいてほしいと願ったのにも関わらず、無茶をするとは。酷いやつだ」

「そんなのっ!あなたに言われ…たくありません…!」

 この辛辣な言葉。オリヴィエと共に木の根に座り、会話を楽しんだ蒼の君だ。オリヴィエは言い返すも、見る限りエドモンドが無事であったことに笑みが零れてしまう。

「だが俺は無事だ。――オリヴィエ」

 エドモンドが額に口づける感覚を最後に意識が沈んだ。


 あとで聞いた話によれば、エドモンドは隣国を欺くためにわざと行方不明を演じていたらしい。「自軍の士気が下がったらどうするつもりだったのか!」と多くの魔術を放った精神的な興奮で、思わずそう問い詰めたオリヴィエであったが、国王に一笑された。

「ははっ。――君の暴走を止められるのは俺ぐらいだろ?」

「こ…答えになっていませんし、あなたに止めていただかなくても結構です!暴走なんてしていないし!」

 この会話が後に脚色され伝説として言い伝えられることを、当人たちは知らない。



「やらんぞ?」

「――藪から棒に、何だ。貴殿とは謁見の予定はなかったが」

 エドモンドは執務室に突如、姿を現した魔術師に視線を向けた。罰を承知でこの国王の執務室に無断に侵入するとは。

「分かっているはずだ。あなたは昔からそうだな。陛下」

「…まだ何も言っていない。安心しろ。ライドール」

「それで安心できるとお思いか」

 魔術師の弟子曰く、顔面凶器と揶揄される顔をエドモンドに向けた。

「いや思わん」

「…バカ弟子の意思を尊重しなければ、私は反旗を翻す」

「おお、それは恐ろしい。希代の魔術師ニック・マルティーバ・ライドールに謀反を起こされては、俺とて無傷ではいられまい」

 エドモンドは少しばかり大げさに反応した。だが、これは本音。魔術師ニック・マルティーバ・ライドールの能力は計り知れない。隠居する直前はそれこそ前国王の右腕と言われるほどの政治家であったが、政治家に転身する以前は魔術省のトップ魔術師、元帥だったのである。

「……では」

 エドモンドのその反応にどう感じたのか分からないが、ライドールは現れた際と同様に煙のように消え去った。



「そういえば君の故郷はどこだ?」

 戦後処理も終わり、いつの間にか日常となってしまった休憩時間、エドモンドは唐突に尋ねた。

「ああ、故郷ですか?行けたら良いんですけどね。遠すぎて行けないかな…」

 オリヴィエはいつになく、目を泳がせながら答える。その様子は明らかに不自然だったが、幸いなことに国王は気づいていない。

「そうなのか?休暇をとって帰省すればいい。その時は俺もついて行くぞ」

「まあそのうち…って、蒼の君はついてこなくていいです。何で私の帰省についてくるんです?」

 自然体で言われたため危うく聞き流しかけた言葉に、オリヴィエは否定の意味で首を横に振る。

「駄目か?」

「駄目も何も…。そもそも、帰る予定はありません」

 胡散臭い国王は最近、殊に発言が謎だ。前々から言動がおかしいとは思っていたが度が増したように思う。さては外出したいのか?

「こらオリヴィエ、誤魔化すな」

「誤魔化してなどおりません」



 これが後に国王の盾と呼ばれた魔術師オリヴィエと、在位中一度も妃を持たなかった剣聖エドモンド国王の物語。

 エドモンド国王は退位後、ようやく唯一の(ヒト)と結婚した風変りな王として有名である。


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