あと十本... 「ピンポンダッシュ」
子供の頃、悪戯ってしただろ。
まあしたことがなくても、誰かがやってるのを見たとか、見た事はないけど知ってるとか、あるだろう?
ほら、ピンポンダッシュってあるだろう。あれだよ。
最近の子はどうかわからないけど、まあ一応説明しておくと、要は呼び鈴を鳴らして、その家の人が出て来るまでに逃げるっていう悪戯。俺んちされたことないから、今はどうなのかほんとわかんねえ。
あれにまつわる話だ。
俺もやった事があった。スリルがあって楽しかったよ。
最初のうちはな。
まあそういうのって次第に卒業するじゃん、飽きたりさ。
俺の場合は違ったんだ。自主的にやめようと思った。
それというのも――季節はええと、いつだったかな。
夏前ごろ、だったかな? 五月とか六月ごろくらい。初夏だな。俺はいつものように学校帰りに家までぷらぷら歩いてたわけだ。
俺の近所には有名な爺さんの住んでる家があった。
それがな、まず家からしてスゴイんだ。古い平屋建ての一軒家で、ブロック塀に囲まれた家なんだけど、建物とそのブロックの間の、庭先っていうのか、そこも植物が生え放題。植木鉢も無造作にいっぱい置いてあったんだけど、よくわかんねー花が咲いてるならまだマシな方。木も切ってねーから虫がたかって気持ち悪かった。
そこに壊れかけたような古い自転車だの、今どき見ないような箱みたいなテレビだの、ビデオデッキだの、とにかくゴミが散乱してた。たぶんあれは家の中にあったっていうより、捨ててあったのを拾ってきたっていう感じだな。
住んでるのはたった一人、今でいうともう半分ボケちまったような爺さんだった。ボケてる、って言い方は正確じゃねえな。ほら、痴呆とか認知とかっていうの? もうあれは病気だったんじゃねえかな。
ともかく俺たちはその爺さんをターゲットにしてピンポンダッシュをしていた。
爺さんだけ見れば、臭いし汚いし、口の端からは泡を吹きだして何を言ってるかわからない。できれば関わりたくはないタイプだけど、それをからかうのが面白い、っていう年頃だったんだ。
何しろ、ピンポンを鳴らすだろう。
そうして玄関から飛びだすと、近くの曲がり角まで逃げて様子を眺める。そうすると、やがて爺さんがヌッと現れるんだ。
白い髪や髭はまったく整えられてないし、着ている服も暑い時期だっていうのに長袖で、その服も毛玉みたいなのであちこち汚れている。俺たちは影で妖怪だなんだって噂していたよ。
たまに表にいて、通りすがりの人たちに罵声をあびせていたしな。
その頃、爺さんは表に出ることはあまりなくなっていた。
気が付いたらそうだったから、いつから、というのはちょっとわからない。ただ、なんとなく最近は静かだなと思ったんだ。5月とか6月って、一つ上の学年になってしばらくした頃だろ。だから色々と授業やらなんやらが変わって、小学生なりにばたばたしてたってのもある。
ふと家の方を見ると、なんだか嫌な臭いが漂っているのに気が付いた。暑い日だったから、生ゴミが余計に嫌な臭いを放っていたのかもしれない。
不意に悪戯心が湧いて、俺はピンポンを押した。
しばらく待ってから玄関から飛びだして、近くの曲がり角で様子を眺める。ぱっと見た瞬間、もう爺さんはそこにいた。俺はびっくりしたよ。玄関が開く音すらしなかったんだからな。
爺さんは妙に青白い顔をしていた。
服装はいつもと一緒で、白髪交じりの髪を振り回して、いつも以上に不気味だった。ぶつぶつと何かを叫んでいたが、声が小さくてわかりにくかった。耳をそばだててそっと何を言っているのか聞きとると、こんなことを言っていた。
「……やる、殺してやる、おれのいえに入りやがって、出ていけこの野郎、ぶっ殺してやるからな」
あとはもう何を言っているのかわからなかった。ただ何度も殺してやるといっているのが聞こえた。
俺は逃げようと思って、そっとその場を離れた。
と、そのとたんに――。
バーン!
ガラス戸をおもいきり叩くような音がした。
俺は気持ち悪くなって、そのまま逃げてしまったんだ。
家に帰ると、もうそんなことは忘れようとした。
何しろ普段と違ったから。
だけど、夕飯の時に否応なく思いだされたんだ。
「そういえば、あそこの――さん、知ってるでしょ?」
母さんが、父さんに不意に言った。
俺の方に話してこなくて、こそこそしていたよ。
「だれだい、それ?」
「ほら、お寺を曲がってちょっと行った先にあるでしょ。ゴミ屋敷の」
「ああ、あの偏屈爺さん」
父さんのその言葉で、俺はそれがあの爺さんのことだってわかったよ。
「亡くなったらしいの」
「へえ、そうだったんだ。いつ?」
「それがね、昨日見つかったらしいんだけど、死後一か月が経過してたらしいのよ。近所の人が臭いがあまりにもひどいっていうから警察を呼んだら、廊下で死んでたらしいわ。それ以上に家の中も大変だったらしくて、遠くの親戚の人が呼ばれたみたいなんだけど、業者を呼んで清掃するみたいで……」
俺はもうそれ以上話を聞いてられなかった。




